2006/02/07

耳の純潔

 音楽ファンの偏狭さについて、いくつか言及があった。
 で、ずっと昔「クロスビート」という雑誌に連載を持っていた頃に、「耳の純潔」という主題で原稿を書いたことを思い出した。
 いま、テキストが手元に残っていない(古い原稿ファイルを大量保管していたCD-ROMが、ある日読めなくなってました。市ねマクセル)ので、3割ぐらいしか覚えていないが、おおまかな内容は以下の通り。

  • 耳は目に比べて指向性が曖昧な器官だ。
  • 目は複数の対象を同時に見ることができるが、耳は同時に二つの音楽を聴くことができない。
  • 目にはまぶたがあるが、耳には耳ぶたがない。それゆえ、耳は、自らの意思で自らを閉じることができない。
  • 耳たぶならあるけど、あれはホットケーキを焼く時以外にはあんまり役に立たない。
  • 以上の理由から、「耳は騒音やクズ音楽に対してまったく無防備だ」という結論が導かれる。うわあ。
  • 不快な景色に対して、目は、そらしたり、そむけたり、閉じたりすることができる。
  • 対して、耳はどうしようもない。360度の不快音源に対して、ほとんどまるで無抵抗。両手で耳をふさぐことはできるが、そうすると精神がダルマ状態になる。お手上げ。
  • で、腐った音楽にさらされ続けた耳は、ブタ耳になる。
  • ブタ耳は、ブタであるのだからして、当然、繰り返し聞こえる音に飼い慣らされる宿命のうちにある。
  • でもって、耳タコ音楽に聴覚(と美意識)をレイプされた無自覚な聴衆は、いつしかその音楽を愛するようになる。
  • 結論:耳の純潔をないがしろにするヤツのリスナー生命は風前のともしびだぞ。
  • ついでに言えば、耳は排他的な器官だ。
  • どういうことなのかというと、あるジャンルの音楽を聴き続けていると、他のジャンルの音楽に対して忌避感を抱くようになるってことだ。
  • 逆に言えば、ロックファンであり続けるためには、他の音楽に対して、思い切り排他的かつ偏狭なスタンスで構えなければならないということになる。
  • CMソングをうっかり口ずさんでいたりするタイプの人間は特に要注意。屁ジャズを流しているラーメン屋だとか民謡をループさせてる民芸居酒屋への出入りは極力回避しよう。じゃないと、長渕剛で涙流すようになるぞ。

 まあ、半分は冗談だ。でも、マニアが外道の音楽(←自分が普段聴いているジャンル以外の音楽)に対して、寛大になれない理由の一半は明らかになっていると思う。
 結局、耳というのは、ありゃ根っからのファシストなのだな。どんなに思想がリベラルであっても。
 
 ん? だからどうしたって?
 だからさ。これ以上、外道とは議論しないぞ、と、そういうことだよ(笑)。

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