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2020/06/13

バウの起源

さきほど公開した「バウバウの蔓延について」という2006年執筆/公開のテキストの中で「昔書いた原稿」として言及していたテキストが発掘されたので、ついでのことに公開しておきます。タイムスタンプは2003年6月3日なのですが、どの媒体に書いた原稿であったのかは、定かではありません。

 

 バラエティー番組の出演者たちが、笑う時に、目の前で「バンバン」と、両手を合わせる仕草をするようになったのは、いつの頃からだろう。しかも、全員打ち揃って、誰もが同じリズムで。
 いや、この仕草が昔からあったことは知っている。たけしと一緒にテレビに出る時の高田文男がこの笑い方をすることを、松村邦洋がネタ(「バウバウ」と呼んでいた)にしていたことも承知している。しかし、ということはつまりこの高田文男師匠の「バウバウ笑い」は、少なくとも五年前には、松村がネタにしたぐらいに独特な所作だったということだ。
 それが、いつしかお笑いの人々の間に伝播し、そうこうするうちに、日々、普及、拡大、蔓延、変質して現在に至っているわけだ。ふむ。
 とはいえ、当初、本番中にバウバウ笑いを実演する人間は限られていた。というのも、テレビの画面の中で発動されるバウバウは、一種「仕切り」を含む動作であって、その意味で、高田文男なり、さんまなりといった、自他共に認める「笑いのオピニオンリーダー」だけに許された特権だったからだ。
 発生当時のバウバウには、「ほら、ここ、笑うところだぞ」と、スタジオ内の人間に笑いのツボをディレクティングする意味が含まれていた。フロアディレクターが手に持った台本を回す仕草にも共通したコンダクターの意図のようなものが、だ。
 ところが、しばらくすると、バウバウの受け手が、バウバウを返すようになる。具体的に言うと、司会者の「バウバウ」(→な、面白いだろ? この話)を受けた出演者たちが、「バウバウ」(→はははは、もう最高っ!)と言った感じで大げさに笑うようになったわけだ。
 なるほど、バウバウは業界をひとまわりするうちに、発明者の高田文男が使っていた幇間芸として意味(「たけちゃん、最高。それメッチャ笑えるよ」)を取り戻したわけだ。が、それはそれで良い。問題は、テレビ画面上で展開される同時多発バウバウの絵ヅラが、どうにも脅迫的だというその一点にある。
 歌番組でも、トーク番組でも、スタジオの中で3人ぐらいが同時にバウバウを始めたが最後、その場の空気はバウバウに席巻される。非お笑い系の出演者も、アガっていて雰囲気に溶け込めないタレントさんも、とにかく周囲に合わせてバウバウをやるようになる……と、ここにおいてバウバウは、さらに新しい、そして最終的な、しかもどうにも島国的な意味——「私、乗り遅れてませんから、はい」という、追随、服従、横並び、後追い、右へ倣え、長い物には巻かれろ、の意味——を獲得するに至る。
 もちろん、屈従のバウバウは、別の角度から見れば、権力側から発せられた「村八分がイヤなら笑えよ」という、脅迫的バウリングの結果でもある。
 ともあれ、バウバウが始まった瞬間に、無批判なお追従笑いと付和雷同の空気の中で、トークは死ぬ。
 たとえばの話、久本雅美みたいなダミ声の折伏パーソナリティーに、真横でバウバウを決められたら、普通の日本人は、追随せざるを得ない。それほどに、この国の人民は気が弱い。たぶん、じきに
「きっかけはーぁああ、タンッタンッ、フジテレビぃー」
 に合わせて踊る人々が主流を占めるようになる。事実、昼過ぎのファミレスに入ると、ほら、近所の主婦が雁首をそろえてバウバウをやっている。
 いやだなあ。

以上です。おそまつさまでございました。

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コメント

そんな昔からありましたか。
最初はチンパンジー人形のシンバル叩きを連想しました。
あれをやると品の無い人に見られますよね。
「バウバウ笑い」と言う名前よりも、チンパンジー笑とした方が子供がマネしなくて、教育的には良いかなと思います。


投稿: 私役所 | 2020/06/14 16:11

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