« 2019年7月 | トップページ | 2020年1月 »

2019/11/16

思いやり予算二題

 いまごろになって、なぜか「思いやり予算」の話題が蒸し返されているので、2000年2月に今は亡き「噂の真相」誌のために書いた原稿と、2009年11月に社民党の機関紙に寄稿したコラムをハードディスクから召喚することにします。

 

 思いやり予算:2757億円(九九年度)

 在日米軍駐留経費負担(いわゆる「思いやり予算」)の見直しをめぐって、日米間で意見が対立しているようだ。
 念のために「思いやり」の由来について「知恵蔵」の解説を引いておく。
<日米安保条約に基づいて、在日米軍の施設や地位などを決めた「地位協定」二四条は、日本が施設・区域を無料で提供するほかは、「すべての経費は……日本国に負担をかけないで合衆国が負担することが合意される」と定めている。だが米国の財政困難とドルの価値の低下で在日米軍は、米軍人より高給の日本人基地従業員の給与の支払いに悩んだ。このため、日本政府は一九七八年に労務費の一部六二億円を負担したのを皮切りに、在日米軍に一種の補助金を出している。この支出には法的根拠がなかったため、当時の金丸信防衛庁長官が「思いやりが根拠」といったのがこの名の起源とされる。>
 なるほど。が、考えてみるとヘンだぞ。
1.そもそも思いやりというのは、強者が弱者に対して示す態度だ。とすると、アメリカ軍のカサの中にいる日本が、保護者である米軍に対して思いやりを示すというのは、スジが違うんじゃないのか?
2.第一、思いやりってのは、それを施される側が要求するものなのか?
 いや、揚げ足を取ろうというのではない。
 確かに、八七年当時、アメリカの財政は逼迫していたし、他方、バブルに沸く日本は黒字減らしに苦慮していた。その意味では、当時は「思いやり」という言い方にまるで根拠がなかったわけでもない。
 また、深読みすれば、この「思いやり」という言葉には、かつて進駐軍に対して「ギブ・ミー・チョコレート」を叫んだ世代の米軍に対するアンビバレントな感情がこめられているのかもしれない。とすれば、バブルで旦那気取りになった日本人の増長慢をくすぐって、見事に国民をあやしてみせたカネマルの政治センスは、やはり非凡だったと言わねばならない。
 ってことでカネマルは許す。
 むしろ問題は、政治屋の駄法螺を無批判に援用して「思いやり予算」だなんていう雑駁な用語を憲法違反の国家支出に対する通称にしてしまったメディアの側にある。
 連中はバカなのか? それとも政府と結託してるってことなのか? いや、むしろ結託している相手はアメリカなのか?
 実際、この言葉はアメリカではどう訳されているんだろう。ちゃんと「charity」(施し)とか「bait」(餌)といった正しい訳語が当てられているのだろうか。
「『思いつき予算』とか言うんならまだ許せるんだけどな。しょせんカネマルのその場しのぎだったわけだし」
「むしろ『思いやられ予算』じゃないのか? 先が思いやられるわけだしさ」「『重い槍予算』なんてのはどうだ。なんか、無駄な防衛負担って感じがして、しみじみと味わい深くないか?」
「いや、実態に即して言うなら『みかじめ料』だろ。実際、ヤー公が用心棒代を理由にそこいらへんのスナックからショバ代をせしめるてるのまるで同じなんだから」
「っていうかさ、ほかならぬ国土の防衛を他人に肩代わりさせてるわけだから、『お前やれ予算』とかにしたらどうだ?」
「いいや。断然、在日米軍を基地ぐるみで丸ごと買い取るべきだな」
 おお、そりゃナイスだ。米軍の軍人さんとしても野球の助っ人外人みたいな立場じゃ命がけで働けないだろうし、いっそ彼らには帰化して日本人になってもらおう。
 しかし、とすると予算の出所は?
 ……「基地買い予算」

(以上「噂の真相」2000年11月号掲載)

 

 重い槍予算異聞

「おもいやりよさん」
とタイプインしてワープロの変換キーを何回か叩くと、
「重い槍予算」
 という神の啓示じみた味わいぶかい変換結果が返ってくる。なるほど。こいつにはいつもびっくりさせられる。
 ついこの間もこんなことがあった。東京オリンピックの
「経済波及効果」
 について原稿を書こうとしたら、わがワープロは
「経済は急降下」
 といきなり結論を提示してきたのである。驚くべき見識。私が付け加えるべき言葉はひとつもない。
 さて、「思いやり予算」だが、これは誤変換以前に誤用だと思う。
 というのも、そもそも「思いやり」は、「上位者が下位者に対して示す心情的配慮」であって、日米の立場にはそぐわないからだ。
 軍事的属国の立場にある国が、宗主国に向けて、なにがしかの金品を提供する場合、その行為は「上納」ないしは「朝貢」と呼ばれるべきで、どう見たって、「思いやり」みたいな、上から目線の言葉にはならないはずだ。
 が、昭和の日本人は、自分たちの現実を直視することを好まなかった。
 あたかも、米軍を日本の「番犬」であると見なすみたいな、そういう設定で予算を支出をする道を選んだ。つまり、現実には宗主国のごきげんを取り結ぶために金品を上納しているにもかかわらず、自らを納得させる脳内ストーリーの上では、食い詰めた用心棒に小遣いを与えるみたいな、そういう慰撫的な用語を採用したわけなのである。まあ、この言葉を発明した金丸さんというヒトは、ある意味で天才だったのだろうね。
 もしあれが「みかじめ予算」「上納予算」「パシリ予算」「ご奉仕金」ぐらいな名目だったら、さすがに国会を通らなかったはずだ。愛国設定で世間を渡っている議員さんが賛成しにくかっただろうからして。
 その「思いやり予算」の実態が「重い槍」すなわち「過剰な軍事負担」であることを、もしかしたら金丸さんは知っていたのかもしれない。なにしろ、食えないオヤジだったから。
 中学校の時の社会の教科書にあった挿絵を思い出す。二人の男が、背中いっぱいに鉄砲や大砲をかついで、喘いでいるポンチ絵だ。出典は当時の新聞。第一次大戦後、欧州諸国が軍拡競争に陥り、その過剰な軍事負担のために疲弊していたことを描いたものだという。
 まさに重い槍。分不相応にデカ過ぎるハサミを身につけたシオマネキみたいな調子で、軍事国家は次第に身動きがとれなくなる。
 ……と、シオマネキは「死を招き」だとさ。
 うむ。オレのワープロは天才だな(笑)。

(社会民主党の機関紙2009年11月に寄稿)

以上です。おそまつさまでした。

| | コメント (0)

« 2019年7月 | トップページ | 2020年1月 »