橋本治さんの訃報に寄せて
橋本治さんが亡くなりました。
https://this.kiji.is/462906163407635553
悲しい知らせです。
橋本治さんは、ごく若かった時期から、ずっと変わらずに敬愛してきた文筆家でした。
追悼と感謝の意味をこめて、2015年の10月に書いた原稿をハードディスクから召喚してみなさんのお目にかけることにします。
内容は、橋本治さんが書き下ろした新作義太夫(「源氏物語 玉鬘」旅路の段より長谷寺の段)をご紹介するための文章で、2015年10月11日「花やぐらの会」《鶴沢寛也(女流義太夫三味線)さん主催の女流義太夫のイベント(@紀尾井小ホール)》のパンフレットに掲載されたものです。
芝居を観るのはうじうじした人間で、自分は、竹を割ったような性格なのだから、そういうものとは無縁なのだと、ごく若い頃から、ずっと、そう思っていた。
本当は違う。私は、雨が降ると、いつまでも窓の外を眺めている。そういう男だ。人一倍湿っぽいものに惹かれる。だからこそ、自分を湿らせるものを避けているのだと思う。
当然、義太夫とも無縁だった。心中の筋立てや、愁嘆場や、激情的な人物造形などなど、受け入れがたい要素ばかりが目についたからだ。まるで自分の苦手なものを捏ねて固めたみたいな演芸ではないか。
何年か前、はじめて女流義太夫の観客席に座ったのは、鶴澤寛也さんにご招待をいただいたからだ。義太夫節を聴きたかったのではない。三味線を聴きたかったのでもない。声をかけもらった嬉しさに舞い上がって、お断りする選択肢が頭に浮かばなかったのだ。
それが、語りが始まり、三味線が鳴り出すと、いつしか、私は夢中になっていた。畳み掛ける台詞回しの心地よさと、言葉の隙間を縫うようにうごめき、ときに、糸の破裂音で物語の展開に句読点を穿つ三味線の色気に、時の流れを忘れていた。
思えば、私を魅了するものは、いつも、私が嫌っているもののすぐ隣にあった。大仰でこれ見よがしな三島由紀夫の作風と、取ってつけたような日本趣味に抵抗をおぼえつつ、その一方で、彼の絢爛綺羅な言語魔術にはやはり脱帽せざるを得なかった。太宰治についても同様だ。あのわざとらしさ。度し難い自己憐憫。女々しさ。上目遣い。どれもこれも好きになれなかった。が、作品の素晴らしさには抵抗できない。大好きだ。
そして、その彼らが紡ぐ言葉の奥には義太夫がある。というよりも、生きた韻律を奏でる日本語は、その背景に、必ずや語りの伝統を踏まえているものなのだ。
聞けば、今回の義太夫は「新作」で、橋本治の手になる作品だという。なんという天の配剤だろうか。橋本治は、現存する日本人の中で、私が誰よりも深くその文体に敬意を抱いている文筆家であり、ほんのちょっとした短文の中にでも、常に「語り」のリズムを感じさせる当代随一の書き手だ。この人を措いて、義太夫の「新作」は、不可能だろう。
いまからうきうきしてくる。
ん? 義太夫なんかを聴くのは、うじうじした人間じゃないのかって? 何を言うんだ。うじうじする時間があるからこそ、うきうきできるんじゃないか。
それに、ついでに言えばだけど、うじうじしない人間は、人間じゃないぞ。
公演当日、舞台がはねた後、憧れの橋本治さんと歓談する時間を持てたことは、私の一生の財産になりました。
心からご冥福をお祈りいたします。
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