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2019/01/19

泣く子も黙る「地頭」の真実

 ツイッター上で、松本人志の「地頭」(じあたま)について意見を述べたところ、「地頭」という用語にいくつか反応がありました。

https://twitter.com/tako_ashi/status/1085924879944146949
https://twitter.com/tako_ashi/status/1085925292567191552
 たしかに「地頭」は、辞書に載っている言葉ではありません。
 で、解説が必要かなと思っていたわけなのですが、ふと、ずっと昔に、この言葉をテーマに原稿を書いたことを思い出しました。で、 ハードディスクからサルベージして採録することにしました。
 2009年の2月に書いたテキストです。その頃に発売された「SIGHT」という雑誌に掲載されたはずです。
 以下。ご笑覧ください。


インターネット上で「地頭」という言葉を見かけるようになったのはこの3年ほどのことだ。ちなみに「地頭」は「じあたま」と読む。「泣く子と地頭には勝たれぬ」に出てくるローカル権力者の「じとう」とは違う。

 意味は、「ナマの頭の良さ」「勉強していない状態での学力」「潜在能力としての脳の底力」ぐらい。おそらくは「地肩」(特別なピッチング訓練をしていない状態の、生まれつきの能力としての遠投能力)からの派生であろう。で、その「地頭」は、他人の学歴や特定の学校の偏差値にケチを付けたい向きが使うことの多い言葉で、たとえば、
「○学とかの附属アガリは学力的には底辺だけど、地頭で言えばガリ勉して早慶に入って来る田舎県立出よりはずっと上だよ」
「つーか私立文系とか、地頭クソだし」
「駅弁国立は地頭最低。予習復習マシンみたいな田舎の優等生を一括処理してるだけ」
 といった調子。イヤな言葉だ。というのも「地頭」は「努力」や「勉強」(の結果としての「偏差値」)よりも「血統」や「DNA」や「家柄」みたいな、生まれつきの資質を重視する人々が連発する言葉で、実態として、貧民の向上心を嗤い、低学歴の親から生まれた勉強家を揶揄し、成り上がりの金持ちを軽蔑する、ある意味貴族主義的な概念だからだ。
 で、私はこの言葉を使う人間をなんとなく敵視してきた(こう見えても努力の人だからね)わけなのだが、気がついてみると書店の店頭には「地頭」を大書した本がズラリと並んでいる。おい、地頭はブームなのか? もしかして、偏差値教育への反動は、こういうイヤらしい方向に展開しているのか?
 と思っていくつか最新の「地頭」本を読んでみた。と、なんだか話が違う。出版界でブームになっているのは「地頭力」(じあたまりょく)で、ネット上の「地頭」とは別の概念であるようだ。定義は、本によって微妙に違うが、ざっくり言えば「包括的な思考力」ぐらい。ちなみに「いま、すぐはじめる地頭力」(大和書房:細谷巧著)では『地頭力とは、仕事や人生の問題をスピーディーに解決し、さらには新しいものを創造することができる「考える力」です』と言っている。このほか、本書では、「地頭力」定義を、様々な方向から何度も塗り重ねている。たとえば、「地頭力は、フレームワーク思考力を含んでいます」「地頭力のアップには抽象化思考力の向上が有効」といった調子。
 要するに「ペーパーテスト向けの課題処理能力であるに過ぎない偏差値や、ググれば誰にでも分かる平板な情報の集積でしかない知識力や、あくまでも机上の思考能力から外に出ない知能指数とは別の、真に有効で、現実の世の中で起こるビジネス上の問題に対処する能力として機能する本当の頭の良さ」であるところの「地頭力」をアップしようではありませんか、という話だ。
 額面通りなら、魅力的な申し出だ。
 でも、本当に頭の良い人は、こんな話にはひっかからないと思う。水平思考だの、逆転の発想だの、EQだのなんだのと、昔から、「別枠の能力指標」には、常に一定の需要があったというそれだけの話だから。
 自分の頭の良さを、世間に流通している俗っぽい(っていうか、オレを「馬鹿」に分類している)物差しとは別の、新機軸の尺度で測定し直したい、と思っている人々は、たぶんアタマが良くない。
 本当に頭の良い人は、自分の能力を測ったり誇示したりしないし、増量をはかったり偽装しようとも思わない……というのが今回の結論。うん。天頭力(笑)と名付けよう。



以上です。本年もよろしくお願いいたします。
 

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コメント

「地頭が向上するってなァどーいう料簡だ?
あれか?男性誌に載ってる<3センチアップ!>みたような亀頭にまつわるアヤシイやつと同類か?」

書肆の平台やベストセラー特集で、そのテの本を見るにつけ、
如上の疑団的心境で尻目的素通りをしてたのですが、

なるほど、

「知識力や、あくまでも机上の思考能力から外に出ない知能指数とは別の、
真に有効で、現実の世の中で起こるビジネス上の問題に対処する能力として機能する本当の頭の良さ」
といった調子の話だったのですね。

地肩のような意味合いにまれ、自己啓発のような意味合いにまれ、
どちらにせよアホらしくおもえてならないのですが(もしや、深刻な話だったり、するのだろうか……)。


知識と知恵(お年寄り向け?)、勉強と頭の良さ(中高生向け)、偏差値と地頭(busy-ness man向け?)みたような主題は、

「テストで点数が取れない→低脳である」

(つまり、対偶「上等な頭をしている→テストごときで点数くらいは稼げる」は正しい。だが、「テストで点数が取れる→優れた知能の持ち主である」かどうかはわからない)

という命題で、乱暴に片付けてしまってよい論件だと思われる。

のだが、

間違っているから稠人の口より発せられないのか、
きわめて平凡なことだからあえて誰も言わないのか、
わからないが、
そういったことをあまり聞かないことが不思議だったりします。

教育的配慮だろうか?
たしかに、これを言い訳にして「テストすら上手くいかない馬鹿な俺が勉強?するわきゃねーだろ」
と自分を画ってだらだらする中高生が、碌なことにならないことは身をもって知っているのでありますが……

ふうむ、いや、たぶん、みんな、自分のあたまのよさが気になってしょうがないから、問いを閉じてしまうような展開が嫌いなのだろう。ちゃうだろうか。

個人的には、頭の良さとかいうどうしたって自身が劣位者になってしまう話頭を扱う本は、止めにしてほしいのである。そして、それに替えて、
「低脳でも損をしないような、諦観の馬鹿が有能な人の足を引っ張る社会の作り方」ぐらいのナメた本が売れる方が、自然というか健全というか願わしいのである。


とにかく(?)、「本当の」だとか「真の」だとかいうパラノイアな口吻をもって
新機軸を打ち出したかのように自他をデマケるやり口で売り込む商材に、
陸なもんはないということでFAなのだろう。

というかそれくらいざっくり切り捨てなければならない。
出版物が多すぎて、わけがわからなってしまうからです。

投稿: 枝梧 | 2019/01/20 01:32

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