踊るアフォーダンス
徳島市の阿波おどりに関するニュースがツイッターのタイムラインを席巻しています。
「ん? そういえば去年の秋に阿波おどり関連の原稿を書いた気がするぞ」
と思って、ハードディスクを掘り出してみたところ、『新潮45』2017年10月号のために書いた原稿が出てきました。
せっかくですので、なにかのおなぐさみになればと思ってここに採録することにしました。
校閲の目を通っていないハードディスク蔵出しテキストなので、掲載分とは微妙に違っている部分があるかもしれませんが、そこのところは気にせず、ご笑覧のうえ、すみやかに忘れてください。
『踊らぬ者の不利益について』
今回、四国の新聞を読んでみようと考えたきっかけは、いわゆる加計学園問題をめぐる大量報道だった。正直なところ、私は、この問題が巨大な疑獄事件みたいな構えで世間をさわがせている理由について、いまひとつ得心がいっていないのだが、おそらく、よくわかっていないのは私だけではない。なにより、われら関東在住の善男善女は、疑惑の中心地として名指しされている今治市の地理的な位置を正確に把握していない。このたび、新聞ならびにテレビの報道を通じてその名前が連呼されたことで、今治の知名度が上昇したことは事実だと思うのだが、その「岡山理科大学の獣医学部が今治市に建設されようとしている」というニュース原稿のヘビーローテーションが、わたくしども意識の低いテレビ視聴者のアタマの中に定着させたのは、結局のところ「あれ? 今治って岡山だったっけか」という間抜けな勘違いだった。事件が報道される以前まで、私の脳内に漠然とあった今治市のイメージは、「ほら、四国の瀬戸内海に面した、島がごちゃごちゃしてるあたりにある、たぶん半農半漁半タオルぐらいな」地方都市の姿だった。で、このおそろしく大雑把で情報量の乏しい予断に「岡山理大の獣医学部ができるらしい」という新しいデータが追記された結果、生成されたのは「おお、そうだったのか、今治市というのは岡山県内の都市だったのか」という知識の改訂だったわけで、私はこの誤って上書きされたグダグダな日本地図を、なんだかんだで、二週間ほど、自分の脳内に保持していたのである。なんともバカな話だ。その反省もあって、今回は、四国の新聞をあらためて読み直す気持ちを固めた次第だ。あわせて、個人的な目論見としては、この際、四国四県の新聞精読を通じて、きちんとした四国像を再形成するとともに、せっかくの機会なので、「地元から見た加計学園問題」ぐらいな中央のメディアからは見えてこない独自情報をゲットできれば、と考えていたわけなのだが、その甘い見通しは、かなり早い段階で頓挫した。ありていにいえば、8月の愛媛新聞を約一ヶ月分遡って参照した結果、加計学園問題に関する独自ネタに、見るべきものはなかったということだ。社説には、ときどき批判的な文章が掲載されている。それらの論評記事の行間には、たしかに、地元で起きている全国的な話題に対する、地元の人間ならではの違和感があらわれている。ほかにも、たとえば、前愛媛県県知事である加戸守行氏に対しては、愛媛新聞として単独のインタビューを敢行しているし、日本獣医師会顧問にもきちんと取材して記事を書いている。とはいえ、愛媛の地元の新聞記者が、岡山理大の内部関係者や建設業者にかたっぱしから独自取材を申し入れて、全国紙の記者が見逃している細かいネタを丹念に拾い上げていたのかというと、紙面を見る限り、たいした成果はあがっていない。今治市役所の役人を追いかけ回した様子もない。いずれにせよ、私が8月分の紙面を見た限りでは、地元発の疑獄事件をなんとしても暴こうとする気概は感じられなかった。あるいは、愛媛新聞の立場からすると、加計学園問題は、記者として取材すべき目前の「事件」や「疑惑」であるよりは、中央のメディアが寄ってたかってツブしにかかっている地元の経済特区案件であるという意味合いの方が強いのかもしれない。いずれにせよ、この学校の獣医学部の周辺に広がっている(ように見える)闇については、もう少し時間がたって、はっきりとした全体像が見えてくるまで、安易な言及はできない。夏場の愛媛では、むしろ松山市の鼻息が目立つ。ご存知の通り、松山は日本の近代文学の担い手の一人であり現代俳句の祖でもある文人、正岡子規を輩出した土地だ。その子規の親友である文豪夏目漱石も、生まれこそ東京だが、松山の旧制中学で教鞭をとるなど、この地と縁が深い。代表作のひとつ「坊っちゃん」が、明治期の松山を舞台とした小説であることは、よく知られている。そんなわけなので、愛媛新聞は、いまだに子規と漱石を忘れていない。忘れていないどころか、今年は、両人の生誕150周年ということもあって、折に触れて関連の記事を配信している。たとえば、8月の前半は、正岡子規・夏目漱石の生誕150周年を期して開催される第20回俳句甲子園全国大会の話題が紙面を席巻した。紙面は、全国大会が開催される8月19・20両日に向けて、「俳句甲子園」のレギュレーションを告知し、その代表チームの情報を、時々刻々伝える。そして、地方大会での各チームの優秀句などをこまめに取り上げつつ、大会の機運を盛り上げて行く。ただ、20日におこなわれた決勝戦で優勝を果たしたのは、東京都代表の開成高校だった。彼らの勝利は、昨年に引き続いての二連覇だ。毎年東大に150人以上の合格者を送り込んでいる日本一の進学校である開成高校が、俳句の世界でも覇を唱えているというこの結果がもたらす感慨には、独特のほろ苦さがある。実際「君たちが優秀だなんてことは、日本中の人間が知っているわけなんだし、その偏差値番長の君たちが、何もこんな大会にエントリーして優勝をさらっていくことはないじゃないか」と、そう思ってしまう気持ちをおさえるのは、容易な作業ではない。でもまあ、俳句という一見偏頗に見える言語玩弄術の達人が、第一級の偏差値戦士でもあったという事実は、言葉を研ぎ澄ます過程が、実のところ学校の勉強とそんなに遠くない知的な営みであったということを示唆している意味で、案外、前向きなメッセージであるのかもしれない。ともあれ、最優秀句に選ばれた開成高校3年、岩田奎君の「旅いつも雲に抜かれて大花野」という句は素敵だ。こういう青春の香気あふれる一句を、西日暮里のあの世知辛い空の下で詠んだのは、立派だ。すぐ隣の徳島県を見ると、すぐ隣の県なのに風景が一変する。これは、実際に訪れた時にも感じたことだが、愛媛新聞、徳島新聞の二つの新聞の紙面にも明らかにあらわれている特徴だ。徳島新聞の紙面は、俳句とか、文芸とか、文豪ゆかりのなんたらとかいった、その種のお話には比較的冷淡で、その分の行数は、もっぱら阿波踊りに割かれる。実は、徳島県には、何度か足を運んだことがある。通算での滞在日数は、あれやこれや合算すると一ヶ月以上になる。東京から外に出ることの少ない私にとっては例外的なことで、これは、徳島という土地が、私にとってそれだけ特別な土地であることを物語っている。といっても、漱石にとっての松山とは意味が違う。私は文豪ではないし、私と徳島のいきさつは、漱石と松山の結びつきほど文学的な湿り気を帯びていない。いまから30数年前、ちょうどバブル経済の絶頂期にあたる1990年代のはじめ、コンピュータ業界に片足を置くライターであった私は、生まれては消えるコンピュータ関連の用語に網羅的な解説を加えるというドンキホーテじみた仕事に従事していた。事典の執筆は、ジャストシステムという四国徳島に本拠を置くソフトウェア企業からの依頼だった。ジャストシステムは、当時、「一太郎」というワープロソフトのヒットで業界のトップに立っていた会社で、潤沢な資金をもとに出版業にも手を広げていた。ジャストシステムはいまでも健在で、当時の大ヒットワープロソフト「一太郎」の漢字変換エンジン部分を商品として独立させた「ATOK」(エートック)は、現在でも、商用日本語入力システムとしてトップを独走している。ちなみにATOKの語源について、ウィキペディアは「Advanced Technology Of Kana-Kanji Transfer」の略であると解説しているが、私が当時、同社の社員から直接に聞いた話では「阿波徳島(あわとくしま)」の頭文字を取ったものだということだった。正解はわからない。泡にまみれている。執筆作業は、徳島市郊外にあるジャストシステムの本社ビル内の一室で、私と、イラストレーター氏の二人が缶詰になる形で展開された。私たちは、本社ビルから歩いて5分ほどの距離にある3LDKの社宅を一棟与えられて、毎朝、その宿泊所から、徒歩で会社に通勤していた。「なんかオレたち、エサ与えられてタマゴ生んでるブロイラーみたいですね」「ブロイラーは肉用だぞ」などと、意気の上がらない会話をしながら進めた執筆作業は、予定の3週間を経過しても完了せず、結局、積み残しの分は東京で各自仕上げることになった。大切なのは、その3週間におよぶ徳島での缶詰生活が、私の当地への思い込みの基礎になっていることだ。どういうことなのかというと、徳島市の中心地からクルマで20分ほど走った郊外の国道沿いに立地する、広々として清潔ではあるものの、どうにも寂しいとしか言いようのない社宅の周辺の風景の記憶が、私にとっての、四国という土地の原風景になっているということだ。その、500メートル四方の徒歩圏内にラーメン屋を含む飲食店が数軒と、スーパーマーケットが2店と、あとはパチンコ屋とスポーツ用品の量販店と釣具屋とゴルフ練習場しか立ち回り先の見つからない、倉庫と休耕田の目立つ新開地の上に広がる空の色のさびしさを、私は、いまでも思い浮かべることができる。「日本の中の四国は、世界の中の日本と似てると思わないか?」と、私はイラストレーター氏に言ったものだった。「はじっこの島国という意味ですか?」「まあ、基本的にはそういうことだけど、なんかほら、本土からは無視されてるけど、本人たちは自足してるっていうあたりがそのまんまじゃないか」「あとカニが旨いですね」「カニは関係ないだろ」「いや、旨いカニが食えれば特に不満はないというのがここらの人の本音で、オレはその考えは間違ってないと思います」「なあ、オレたち、そろそろ東京に帰らないと本格的にヤバいぞ」私たちは、退屈に耐えかねて、3日に一度ほど、タクシーを呼んで徳島市街を飲み歩いた。そのうちの一軒の、社員さんに教えてもらった店で食べたドテボリというカニがえらく旨かった。結局、私が覚えているのは、カニが旨かったことと、何もない社宅で、毎晩浴びるほど焼酎を飲んで、午前中いっぱい仕事にならなかったことと、その社宅に常備されていた大量のマンガ本のうちの「カラテ地獄変」という作品が陰惨極まりないセクハラ物語だったことぐらいなのだが、今回、徳島の8月の新聞を読んで、私が自分の印象がかなり盛大に偏向していたことを思い知らされた。私の記憶は、冬場の、隔離された郊外の孤立した生活の中で生産された、入力作業の残滓に過ぎなかった。夏の徳島は別の国だ。なにより、阿波踊りがある。阿波踊りを、単なる祭りだと思ってはいけない。町おこしコンサル業者の思惑に汚れた観光客誘致のための、商業化した、派手派手しいだけのそこいらへんの祭りとは、規模から志から伝統から心意気からのすべてがまるで違っている。たしかに、観光の目玉にもなっていれば、商業化もしているし、踊り手の中にはナンパ目的の不純異性交友舞踏者が混じっているかもしれない。が、当地の意気込みは、コンサル人種の軽佻な目論見や、マーケッターのこまっしゃくれた分析とは別の宇宙に属している。青森のねぶたを扱った記事や、博多山笠の企画特集を読んだ時にも感じたことだが、地方経済にとっての祭りの意義は、「経済効果」だとかいったこじつけで語って良いものではない。経済的な指標とは別に、地元の人々の気分や、生活のリズムや、人脈作りのきっかけとして、祭りの存在は、文字通り、地域の生活そのものをドライブしている。その中でも、阿波踊りの存在感の大きさは出色だ。新聞の中で紙面が割かれるパーセンテージの大きさでも、阿波踊りの存在感の大きさは他を圧している。8月の紙面を見ていると、新聞が文化事業のひとつとして祭りの開催に協力しているというよりは、阿波踊りという一つの集合無意識が、踊りのついでに新聞を発行していると考えたほうが飲み込みやすい感じさえする。8月9日付の徳島新聞は、徳島県内の国公立小学校の55.3%が、本年度の運動会で阿波踊りに取り組んだ、もしくは取り組む予定である旨の記事を掲載している。徳島市では、31の小学校のうちの小学校のうちの21校が「踊る」と回答しており、実施率は67.4%にのぼる。隣の鳴門市でも64.3%の小学校が阿波踊りを踊ると答えている。調査結果を受けた徳島大の中村久子名誉教授のコメントがまた味わい深い。「運動会での実施率55%は意外に低いという印象だ。とはいえ、通常の授業で阿波踊りを学んでいる学校があることなどを考慮すれば、この運動会の実施率だけをみて駄目だとは一概には言えない−−略−−」はじめから阿波踊りを「良いこと」と決めてかかっているところがすごい。先生は、踊りの強制に苦しんでいる子供の気持ちなど、一顧だにしていない。私は、運動会で踊らされるみたいなことが大嫌いな子供だったので、徳島の小学生たちにちょっと同情している。もっとも、あの土地柄に育ったら、そもそも踊りのきらいな子供という想定そのものが相手にされないのかもしれない。おそらく、音楽が鳴ったら踊りだしてしまうパブロフの踊り手みたいな、回路が形成されることになるのだろう。同じ9日の紙面では、《東京・高円寺に阿波おどり館》という見出しで、高円寺の商店街に、徳島の阿波踊り連の写真を常設展示する施設がオープンした旨を伝える記事が掲載されている。東京で広まっている高円寺の阿波踊りの本家が、わが徳島であることをアピールする文面に、阿波踊り帝国主義というのか、徳島中華思想の確かな存在が感じられる。良い意味でも悪い意味でも、徳島の人たちは、阿波踊りに関しては独走気味になる。踊る阿呆は、踊っていない時にもわりと阿呆だったりする。これは、なかなか困ったことだ。そんなわけなので、たとえば、愛媛新聞の紙面には、阿波踊りの今年度の決算が4億3000万円の赤字であったことを報告する記事がさりげなく載っていたりするのだが、地元の徳島新聞には、もちろんその種の記事は一行も印刷されない。それもそのはず、徳島新聞は、阿波踊りの主催者ならびに運営者だ。ということはつまり、そんなネガティブな記事がはじめから載る道理はないのである。では、これが癒着とか隠蔽とか阿波踊り利権とか、踊る阿呆疑獄とかそういう話なのかというと、個人的にはそう言ってしまうのは言い過ぎだと思っている。この6月、週刊現代が《この夏、「阿波おどり」に中止の危機−−徳島の地元財界は大騒ぎ!−−》という記事を掲載して、注目を集めた。記事にある通り、たしかに、阿波踊に集まるカネと利権の大きさは、そこいらへんの七夕や盆踊りとは次元が違う。なにしろ、8月12日から15日まで、丸々4日間、徳島の市街地が踊り一色で機能停止するのだ。それ以上に、広告や寄付に参画する地元企業や徳島セレブや、連で踊る人々や、祭りにやってくる観光客が落とすメインステージの入場料収入が、簡単に集計できるレベルを超えている。どこからどこに資金が流れて、そのカネが最終的にどんな経路で処理されているのかについての詳細は、おそらく藪の中だろう。何百人といるはずの関係者の中には、私腹を肥やしている人間もいるはずだ。とはいえ、そういうことも含めて、地域経済は踊らにゃ損損で回っている。であるからして、徳島新聞は、唯我独尊の大本営体制で、あくまでも踊りの素晴らしさだけを訴えるのである。これは善し悪しの問題ではない。踊るから阿呆になるのではない。阿呆だから踊るのだ。というのは、まあ、言いすぎだとしても、阿波の夏は、全員が阿呆になる約束事を踏まえたうえで過ごされることになっている。とすれば、結局ところ、楽しんだ人間の勝ちなのである。徳島には「天水」という言葉がある。「 I love Tokushima」というホームページ(http://ilovetokushima.com/)によれば、「天水」は《阿波の方言で、「少しめでたくて、調子がよく、一つのことに熱中しやすい人」を形容して使われます。何があっても、逞しく、楽天的に過ごす。目の前のことに熱中してとことん極める。情けがあって、やさしいそれが阿波の『天水』じょ。》ということらしい。まあ、そういうことだ。踊らない私は、不利益に耐えよう。
以上です。ではまたいつか。
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