立川談志 自伝 狂気ありて 書評
つい1時間ほど前、ツイッター上で、落語の中の町人の言葉づかいに言及したのですが、その中で私が立川談志師匠の名前を「談志」と呼び捨てにしたことに対して、苦言を呈してきた人がありました。
自分より20年も年長の人間を呼び捨てにするとはなにごとだ、と。
まあ、よくある話です。
で、 当方といたしましては、自分が子供時代からの立川談志の忠良なファンである旨をお知らせしたうえで、言及するにあたって呼び捨てにする理由を縷縷説明しようと考えたわけなのですが、あらためて考え直してみるに、これは、どう説明したところで、わからない人には、わからないことです。
なので、 5年ほど前に書いた書評の原稿を読んでいただくことで、説明に変えさせてもらうことにしました。
以下、2012年の9月に雑誌「Sight」のために書いた「立川談志 自伝 狂気ありて」(亜紀書房)への書評原稿を採録します。
ハードカバーの、いまどき珍しい頑丈な書籍だ。値段は二千百円プラス消費税。最近の単行本としては高価な部類だろう。が、一種の「形見」である以上、安っぽい装丁は似合わない。購入する層も、忠実なファンに限られている。彼らは納得するはずだ内容も然り。一般客に向けてではなく、もののわかったファンに向けて書かれている。というよりも、昔からの立川談志のファンでないと、この内容はキツいはずだ。本文が書かれたのは、巻末にある付記によれば、二〇〇九年の八月から二〇一〇年の九月にかけて。本人による、最後の書きおろしということになる。口述でなく、談志自らが原稿用紙に文章を書き起こしている。その手書き原稿の一部は、ハードカバーの内側の見開き部分に、そのまま転載されている。見ると、細かい修正や注記が書き込まれている。立川談志は、仕事には手を抜かない男だった。そういうことが文字面からも伝わってくる。文体は、しかし、ほとんど「語り」に近い。本人もそれを意識していた形跡がある。声が出にくくなって以降、談志は、自分の「肉声」を残すべく、文章の書き方にも独特な「間」や語尾の揺れを取り入れるべく工夫をしていた。本人は、最後まで、なんとかして、しゃべりたかったのだと思う。なので、普通に読むのにはちょっとキツい。さきほど、「ファン以外の者にはキツい」と書いたが、同じことだ。つまり、アタマの中に談志の肉声が残っている者でないと、この文体のとっ散らかった感じには、なかなかついて行けないということだ。なにしろ、話題が急展開する。のみならず、時間は前後するし、固有名詞の羅列がはじまると容易に止まらない。これらの特徴は、談志の高座における語り口そのままだ。だから、文章として評価すると、構成の乱雑な、論理の一貫しない、読みにくい雑記てなことになる。とはいえ、面白いのかつまらないのかと問われれば、明らかに面白い。談志の肉声で脳内再生すれば、第一級の芸談になっている。ところどころ、落語のマクラとして、そのまま使えそうな部分すらある。ただし、本書を読みながら自分のアタマの中に談志の肉声を召喚できる人間は限られている。ある程度、彼の噺を聴きこんだ人間でないと難しい。肉声が響かない読者に、この本がどんなふうに感じられるのかは、私にはわからない。私の脳内では、全盛期の談志の闊達な口舌がものの見事によみがえっているからだ――というのは、まあ、自慢なわけだが。固有名詞の羅列は、とにかくものすごい。幼年期の友人の名前、入門初期に各地の演芸場や寄席で共演した仲間の芸名と本名、学校時代に行き来した人々や疎開先の地名、立川談志は、そうした遠い時代の固有名詞を、細大漏らさず、記憶の限り再現してみせる。ほとんどの読者にとって、談志が並べてみせる名前は意味を持っていない。私のような、かなり古い時代からのファンでも、出てくる単語の七割は、はじめて聞く人名だったりして、まったく手がかりがつかめない。それでも談志は羅列をやめない。というのも、羅列は、談志の「芸風」のコアに当たる部分で、寄席の座布団に座っていた時から一貫した彼の特殊能力だったからだ。好みの映画俳優の役名や、訪れた外国の港の名前、読んだ本のタイトル、銀座の名店の看板、そうした瑣末な記憶を、一から十まで淀みなく並べ立ててみせることを彼は好んだ。「ん? そんな名前どうでも良いって? だったら寝てな。オレは、持ってる知識は全部吐き出さないと次に行けないタチなんだからね」などと、時々自嘲をはさみながらも、談志は決して固有名詞を列挙することをやめなかった。名前だけではない。談志の記憶は、古今の芸能文化の枝葉末節を網羅していた。書生節の一節を再現したかと思えば、明治歌謡のさわりを披露し、歌舞伎狂言から浄瑠璃講談浪曲まで器用にオウム返しをしてみせる。もちろん、五代目の古今亭志ん生や彦六あたりの物真似は玄人はだしだ。ほんの一節しかやってみせないが、それでも、その観察力と再現力は瞬時に客席を圧倒してしまう。ともあれ、その異様な記憶力と博覧強記のケレンは、談志の芸に、通常の落語とは別種の、凄みのようなものをもたらしていた。インテリの教養をあざ笑うみたいに古今東西の文化的データを羅列してみせる談志の姿に、ある痛快さが宿っていたのは、複雑化した戦後の社会に生きる現代人が、記憶と情報に翻弄されて自失していたからなのかもしれない。むろん、「覚えて吐き出すだけのことだったら、オレは永遠に続けられるんだぜ」という、その談志のこれみよがしな芸風に、不快を覚えた観客も少なくなかった。噺のマクラに、時事問題を持ち出して、きいたふうな分析をしてみせる態度も、古手の落語ファンには忌避されるところのものだった。が、これみよがしであれ、ひけらかしであれ、談志のケレンは、目の前で見せられると、やはりどうにも圧倒的で、私などは、その記憶と反射神経の魔法に対して、いまだに信仰が解けない。やはり談志は神だ。談志の独り語りは続く。珍しく、私生活についても包み隠さずに語っている。しかし、そこは談志だ。そこいらへんの通り一遍の日本人とは、身につけたスタンダードが違う。彼は、つまらない謙遜はしない。へりくだって身内を低く語るみたいなマナーも採用しない。卑下なんていう言葉にはハナもひっかけない。卑下なんぞ気味が悪いから剃っちまえ、てなものである。正しいマナーや、上品とされているプロトコルよりも、なにより、自分に対する正直さを第一の徳目とする、それが談志の身上だ。皮肉屋の正直者。そして、辛辣な人情家にして、臆病な高慢ちき。内気な目立ちたがり。だから、立川談志は、謙遜をせずに、むしろあからさまに自慢を並べる。身内にも大甘だ。妻の可憐さと性質の良さを最大限に褒め称える。でもって、彼女が誰にも愛された素晴らしい人間であることをなんら疑うことなく描写している。娘や息子たちについても同様。悪いことはひとつも書かない。親孝行で、気持ちのやさしい素晴らしい子供たちだと、手ばなしで賞賛している。娘さんがグレた時期があって、その当時はさすがの談志も弱ったらしいのだが、そうした紆余曲折も含めて、父は、子供たちを全面肯定している。弟子にも優しい優しいというよりも、もしかしたら、甘いと言うべきかもしれない。「きちんとした芸をやってるのは、オレのとこの弟子だけだ」と、平気で言い放つ。それほど、弟子を高く評価している。なるほど。してみると、あるいは、本書は、談志本人の気持ちとしては、遺言のつもりで書いた原稿だったのかもしれない。だからこそ、世間に向けてというよりも、ほんの十数名の、弟子や家族や友人に向けて、構えることなく、一人の、死期を間近に控えた気難しい好々爺の顔を晒している、と、そういうことだったののかもしれない。いずれにしても、見事な態度だ。おそらく、ふつうの人間がここまであからさまな身内びいきを開陳したら、当然のごとくに非難される。「談志は、えこひいきだ」「談志はしょせん凡夫だ」と、世間はそう言うはずだ。談志の答えはわかっている。「ああそうだともオレはえこひいきの身内大事の親バカの師匠バカの嫁天下のだらしのない凡夫だが、それがどうした? それが談志だよ」と、彼は開き直るはずだ。立川談志は、「サブカルチャー」という言葉ができるずっと以前から、古今のサブカルチャーに精通している、第一級のディレッタントだった。落語も上手だったが、それ以上に、書籍や、アニメのセル画や、映画のパンフレットやSPレコードの蒐集家として、それらの理解者として、また、世間の底辺にうごめく落伍者の代弁者として、常に神の如き存在だった。その偉大なるオタクにして、唯一無比の大衆芸能のデーモンであった立川談志が、その晩年に、自身の魔法の杖であった肉声を失ったことは、いかにも残酷ななりゆきだった。しかしながら、声を失った談志が、文筆家として、肉声の宿る文体に挑戦し、その試みに、半ば以上成功をおさめていることは、ここに、銘記しておかなければならない。少なくとも、古くからの熱心なファンである私は、本書の行間から、談志の肉声を聞き取ることができた。これは、素晴らしい達成だと思う。最後に、立川談志に伝えておきたい。あなたは、世界一の凡夫だった。
以上です。
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