夫婦同麺
2009年の10月に「社会新報」という新聞のために書いたコラムです。
夫婦別姓の話が話題になっているようなので、転載することにしました。
夫婦同麺先日、あるところで、夫婦別姓について意見を求められた。で、ちょっと考えて「どっちでも良いと思います」と答えたのだが、相手は、「本当はどっちがお好みなんですか?」と食い下がってくる。ふむ。で、しばらく考えて……以下のように答えた。「心底、どっちでも良いと思います」先方は憮然としている。旗幟鮮明な答えがほしかったようだ。でも、しかたがないよ。どっちでも良いんだから。心の底から。思うに、この議論で問題になっているのは、「自分の考え」ではない。こう言うとややこしく聞こえるかもしれないが。夫婦別姓について語る人たちが問題にしたがっているのは、自分たち夫婦がどういう原則で暮らして行くのかということではなくて、「他人の夫婦がどうするのか」だったりする。実に奇妙な態度だと思う。放っておいてくれよ。オレはどっちでも良いんだから。もうすこし整理した言い方をしよう。争点は、「夫婦同姓」vs「夫婦別姓」というところにはない。全然違う。強いて言うなら論点は「同姓義務」VS「自由選択」だ。なのに、メディアは「同姓か別姓か」という二者択一の設問を掲げる。なぜかそういうことになっている。ここに混乱の端緒がある。問題点と設問がズレているわけだから、議論は空回りするにきまっている。だろ?現行の法律では、「夫婦は同姓が義務」だ。一方、新しい法案は「夫婦は別姓が義務」と言っているのではない。否。「別姓でも同姓でもどっちでも好きな方を選べる」というのが、新法案の主旨だ。ということはつまり、新法案に反対している人たちが問題にしているのは「別姓」ではない。彼らが反対している対象は「自由」だ。彼らは、「自分以外の夫婦が姓について選択権を持つこと」に反対しているのである。夫婦同姓を尊ぶ気持ちはわかる。そう思う人は仲良く同姓の生涯をまっとうすればよろしい。が、どうして彼らは他人の姓に口を出したがるのであろうか。実際、自分が何を食べるのかはともかく、他人がそばを食おうがうどんを食おうがそんなことは他人様の自由ではないか。たとえばの話、日本の麺をそばかうどんに統一せんとする圧力団体(全国饂飩イケ麺同盟VS全日本蕎麦用人連合会とか)があったとして、その彼らが、手始めに夫婦同麺を義務化する法案を……って、悪夢だぞ。
以上です。ではまた。
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