« イニエスタ脳内インタビュー | トップページ | あけましておめでとうございます。 »

2012/09/02

お笑いについて

 昨日(2012年9月1日)書き込んだツイッター上の発言について、色々と反響が届いています。
ツイッターは、引用や孫引きを元に議論が拡散して行くことの多いメディアです。
なので、私のところに届けられる反響にも、一定の割合で誤読ないしは架空の論点の上に立脚した書き込みが含まれています。
 いちいちお答えするのが面倒なので、以前書いた記事を掲載しておくことにします。
2009年の12月にソフトバンククリエイティブというところが発行していたメルマガのために書いた原稿です。
私の「お笑い」についての見解は、このテキストの中で開示したものと、いまでも基本的には変わっていません。
 長文で、まとまりのない文章ですが、テレビの中の笑いに関心を抱いておられる方は、辛抱して読んでみてください。ではでは。

 

『お笑いについて』

 年をとった人間は過去を美化するようになる。自然ななりゆきだ。
 私も同じだ。昔は良かったと、色々な場面でそう感じる。しかも、そう思う機会が、年を追って増えている。
 仮に私が原稿を書く人間でなかったのなら、それで大きな問題はないのだと思う。
 ――昔は良かった。昭和の日本人は純粋だった。今の世の中は間違っている。現在のテレビは堕落している。平成の音楽はレベルが落ちている。今の野球はインチキだ。最近の若い奴らには覇気が無い。昨今の子供たちはマナーがなっていない。自分が子供だった頃の東京には本当の情があった――と、そう思っていた方が過ごしやすいわけだし、それで特に不都合も無いからだ。
 でも、「昔は良かった」というこの感想は、実は、多くの場合ウソだ。あるいは錯覚。というよりも、過去を美化する感傷は、年齢の行った人間が、自分を正当化するための便法に過ぎないのだ。おそらく、
「オレの人生がうまくいかないのは、時代のせいであってオレの責任ではない」
 みたいな、そういうプロットを補強するひとつの状況証拠として、われわれは過去を美化している。ついでに、自分の過去と、自分の人生そのものを。
 そういうふうに、より心易く生きるための処世術として過去を美化することは、それではそれで結構なことであるのかもしれない。でも、そのアホな感想を原稿に書いてしまうのは、プロとして非常に具合の悪いことだ。たとえば、昔の柔道は今の柔道よりレベルが高かったとかいう話は、事実に反している。単に昔の方が海外の競技レベルが低くて、それでメダルが取りやすかったということに過ぎない。そう思うのは勝手だが、プロのライターがそういう原稿を書いてはいけない。

 今回はお笑いについて書こうと思っている。

 正直に申し上げると、私は、今のお笑いは、昔のお笑いに比べてレベルが低下していると思っている。が、同時に、自分の抱いているその感慨が錯覚であることもわかっている。で、ちょっと困っているわけだ。
 昔の笑いは面白かった、と、同世代の男たちが集まると必ずそういう話になる。
 ドリフは最高だった。コント55号には死ぬほど笑わせて貰った。「おれたちひょうきん族」のテンションの高さは現在の番組には望むべくもない。デビュー当時のダウンタウンは神がかっていた。などなど。
 いや、半分は事実なのだ。
 実際われわれは、それらの笑いを心から享受し、テレビの前で毎回笑い転げていたわけだから。
 でも、それでは、それらの笑いが、本当に現在流通している現役のお笑いよりもレベルが高いのかというと、それはまた別の話になる。たとえば、フジテレビがCSで流している「ひょうきん族」の再放送を見てみると、なんと、さんまもたけしもびっくりするほど面白くないのだ。笑いがナマモノで、時事的な要素や時代の気分と不可分な部分を持っているというその点を除けて考えても、それでも、あきれるほど笑えないのだ。
 コント55号もテンポは素晴らしいが、内容が幼すぎて見ていられない。
 やすきよの漫才も同様。息の合い方や、間の使い方は、やはり別格だと思う。たいしたものだ。でも脚本がくだらない。あまりにも凡庸。展開が見え見え過ぎる。いや、既にネタを知っているからかもしれないが。でも、私はとてもじゃないが見ていられない。一回見ればたくさん。二度は見ない。
 のみならず、たとえば「ひょうきん族」には、われわれオッサン世代の者が、現代の笑いについて苦言を呈する時に並べるダメな要素がすべて揃っている。
1. いじめ:たけし軍団の笑いは体育会体質の階級プロットそのもの。鶴太郎のオデン」にしても要は「カラダを張った」虐待ショー。芸の無い人間をいじめて反応を楽しむリアクション芸。
2. 楽屋落ち:視聴者にはわからない身内同士の暴露ネタでただただ笑っている。内輪ウケ。現在の楽屋落ちよりさらにひどいかもしれない。
3. 無頼自慢:芸人が自らの放埒を自慢げに語るトーク部分。鬼畜な女性関係や、酔った上での乱行や、若い時代の暴力行為を「芸のこやし」みたいに語られても聞いている当方は白けるだけなのだが。
4. 一発芸:コマネチ、ホタテマン、ブラックデビル、あみだばばあ……キャラと流行語とハプニング頼りの、一向に練れていない垂れ流しの芸。救いはアドリブの冴えのみ。

 つまり、悪しき風潮の萌芽はすべてあの時代に出そろっていたのである。

 と、ここまで仔細に検討しても、それでもなお私は、やっぱり昔のお笑いの方が面白かったと思っている。そう。どうしてもそう思えてしまうのだ。何度記憶を訂正しても、過去のVTRを振り返って検証し直しても、今のお笑いがレベルアップしているようにはどうしても思えないのだ。
 なぜだろう。なにゆえに私の過去賛美の感覚は、かくも頑強なのであろうか。

 理由はおそらく、われわれの記憶に残っている「過去のお笑い」が、「オールタイムベスト」だからだ。
 私が記憶しているのは、20年前のお笑い番組の平均値のテンションではない。
 私の脳細胞は、過去30年にオンエアされた中で最も面白かったいくつかのパフォーマンスを記憶しているのみで、それ以外の凡庸なお笑いは忘れ去っている。だから、私はダウンタウンが最高に切れ切れだった時代の一番面白かったネタや、たけしの最盛期(ほんの2年ほどだった)の神がかったトークをもって「昔の笑い」というふうに判断している。で、それらのベストオブベストと、現在のお笑いの日常的な水準のネタを比べているから、過去の味方をしたくなる。そういうことなのだ。
 クラシック音楽のファンが現代の音楽をバカにするのと同じなりゆきだ。
 クラシックは、単に「古い音楽」であるわけではない。歴史の審判をくぐり抜けた「古典」だ。
 とすれば、そもそも過去数百年の音楽史の中から、選りすぐりの名曲だけをピックアップした「古典」と、現在流れている玉石混淆のポップミュージックの平均値を比べること自体が、むしろ比較の方法として、アンフェアだと、それだけの話なのである。

 もうひとつ、過去のお笑いが素晴らしく思えるのは、それが、当時、われわれにとって稀少だったからだと思う。
 20年前、お笑い番組は、もっぱら週末にしかオンエアされていなかった。
 私が子供だった40年前はもっと少なかった。ほとんど週のうちに1時間ぐらいしか枠が与えられていなかった。
 だからこそ、お笑いはファンにとって、待ち遠しく、ありがたい、特別な時間だったのである。
「歯みがけよ。宿題しろよ」
 というエンディングの呼びかけから一週間、私たちは「8時だよ全員集合」の来週分のオンエアを、指折り数えて待った。それほどお笑いは稀少で、例外的で、宝物のような体験だった。
 だから、ブラウン管の向こう側で何をやっているのであれ、画面のこちら側のテンションが既に高かったのである。
 私どもお笑いファンの子供たちは、箸が転げても笑うカタチで、番組を待ち焦がれていた。箸を入れるだけでグズグズに崩れてしまうシチューの中の肉みたいに。

 それが、現在は、毎日、どの時間帯でもお笑いをやっている。どのチャンネルに合わせても、どこの局のどの曜日も、芸人がデカい声を張り上げている姿ばかりを映し出す。おどろくべき事態だ。

 すべてがつまらないわけではない。
 時には笑える芸もある。
 面白いトークが絶滅したわけでもない。
 というよりも、もしかして、芸人が増えて、お笑いの底辺が広がった分だけ、お笑いの総体としての水準は、20年前よりも向上しているのかもしれない。そのことは認めても良い。
 
 でも、見ているこっちは、あんまり楽しくないのだ。
 
 個人的な感想を述べるなら、私は、つまらないお笑いに食傷していることはもちろんだが、面白いお笑いにさえちょっと飽きている。
 というよりも「笑う」ということそのものに疲れはじめているのだ。

 そもそも人間はそんなに笑う必要があるんだろうか?
 バラエティーの出演者が、隙あらば笑いを取ろうとしている姿を見ていると、私はそれだけでげんなりする。
 誰かが面白いことを言って、そのトークで実際に笑わされていても、それでもなお、私は不愉快だ。
「なあ、オレは笑いたい気分じゃないんだ」
 と、たとえば、サッカー番組を真剣に見ている時に、司会の芸人が笑いを取りに来たりすると、私はむしろ腹を立てる。冗談じゃない。せっかく作り上げたオレの戦闘的な気合いをどうしてくれるのだ、と。
 
 つまり問題は、笑いの質や笑いのレベルではないのだ。
 大切なのは頻度だ。
 人間は、そんなに笑う必要があるのか、ということだ。
 
 笑いは、スパイスに過ぎない。主食ではない。
 その意味で、一日中笑い転げているいまのテレビはどうかしている。スパイスばかりが運ばれてくるテーブル。唐辛子の胡椒煮ナツメグ添え、みたいな。
 ニュース番組やスポーツ番組でも、21世紀のテレビ出演者は、全員が笑いを取ろうと思っている。
 NHK教育の語学講座の講師のような人までもが、なぜか着ぐるみを着てジョークを飛ばしたりしている。
 違うんだよ先生。オレがいま聞きたいのはあんたのジョークなんかじゃない。どうしてそれがわからないんだ?

 おそらく、年末年始も、テレビの画面はお笑い芸人でいっぱいになるだろう。大げさに目を剥いてキメ顔を作る司会者。声を張り上げる若手。立ち上がる雛壇芸人。やたらと手を叩いて笑うアイドルの笑い方。手を叩く度にバランバランと揺れる振り袖のデカい袖。ああいやだ。にもかかわらず、その派手派手しい振り袖の絵姿を彼女は自分では色気だと思っている。それが見ているこっちに伝わってくるのがくやしい。「色気なんかねえぞ」と、彼女に伝える方法はないのだろうか。どうして、オレは、一方的にあいつらの未消化な笑いの犠牲者になっているんだ? いいかげんにしてくれよ。
 うん。思い浮かべるだけで、吐き気がしてくる。

 いいか、テレビのお笑いにとって大切なのは面白さではない。頻度だ。
 週に一度、片頬がゆるむ程度の笑いを提供してくれれば十分。それ以上は公害だ。自覚してくれ。


 
 以上です。
 

|

« イニエスタ脳内インタビュー | トップページ | あけましておめでとうございます。 »

コメント

過去原稿でも祝ご更新!!堪能させて頂きました。

投稿: かず | 2012/09/02 17:27

バラエティー番組でお互いを「○○師匠」と呼び合うのにも違和感ありです。
楽屋で呼ぶのはいいけど視聴者には関係ない。
サンマやタケシは我輩のシショーじゃない!!!

投稿: なおちゃん | 2012/09/02 17:49

寺山修司も同じ様な事を言っていた。あの人の笑った写真を視た事ありますか...

投稿: 天野 正美 | 2012/09/02 23:07

ブログの更新も大切なのは頻度ですね。というメッセージとダブルミーニングになってるんですね。わかります。

投稿: たかし | 2012/09/03 07:32

初コメ失礼します\(__)。しがない30代の基本、お笑い好きです。
記事を拝見しまして何回か膝を打つくらい我が意を得たりの部分があり、終盤の年末年始に対す深い絶望には感動さえ覚えました(大袈裟かしら笑)。確かに、ゲップが出るくらいの「面白い?ねぇ面白いっしょ」攻撃には辟易しておりましたから……前述の通り、お笑い好きなこの私が、です。
そのうち国と国との交渉や公式な発表にすらジョークが不可欠になる時期が来るのではないでしょうか。杞憂だと思えませんね((((;゜Д゜)))

投稿: 吉岡 | 2012/09/03 07:51

自分が感じていた違和感を言い当てられた気がします。
今は過渡期なのかもしれませんね。みんながうんざりすれば適正な比率になるのかも。週一じゃ少ないですが。

投稿: 渡辺 | 2012/09/03 19:34

Thanks for expressing your ideas in this article. The other thing is that whenever a problem takes place with a laptop motherboard, individuals should not go ahead and take risk involving repairing that themselves because if it is not done right it can lead to permanent damage to the full laptop. It is almost always safe to approach a dealer of a laptop for that repair of the motherboard. They've technicians who've an know-how in dealing with mobile computer motherboard challenges and can have the right prognosis and carry out repairs.

投稿: puma pas cher | 2012/09/04 04:24

私がいつも思ってたことが全て書かれていて驚きました。今はどのジャンルの番組でも笑いを取りにいく匂いがプンプンして、嫌いです。

投稿: k okada | 2012/09/05 23:23

テレビ屋がより視聴者が好むように
番組を編成したらインフレが起きちゃった。
笑いの価値の希薄化。
視聴者が自分の首を締めているようなもので
衆愚政治の一例とみなすこともできる。

何にせよメタな視点で物事を見ることが出来るのは
物書きとして大変な強みです。
一円も落とさないでこんな事言うのは心苦しいのですが
もっといっぱい書いてください

投稿: 家ニス太 | 2012/09/06 01:21

おじさんが、
ヤング批判。

投稿: 亀 | 2012/09/13 16:03

アスリートについて上から目線で偉そうに発言しないで頂きたいものです。
選手たちが成し遂げて来た偉業の10分の1も満たしてない貴方が、何を偉そうにわかったような事を言うのですか?
面白可笑しく人を批判してお金をもらって、恥を知りなさい!
この大馬鹿者!!!
貴方みたいな害虫は生きる価値無し。
老害はさっさとあの世にいきなさい!

投稿: 馬鹿ばっかり | 2012/10/03 01:01

まるで世界は自分を中心に廻っているかのような言い方にドン引き(笑)
己は人の事を批判出来るほど出来た人間か?
くたばれ老害!

投稿: 藤 | 2012/10/03 01:07

この文章読んでいろいろ考える芸人だけがつぎの笑いを作るかもしれないですね。

投稿: ぎふ | 2012/10/24 08:26

コメント欄の一部に、小田嶋さんの言わんとする事を誤読しているバカが多くて驚きました。要は露出頻度の問題なのにね。まあ吉本興業の力が大きくなり過ぎたのでしょう。民放各局のみならずNHKまでは吉本と蜜月ですからね。吉本のごり押し芸人が連日テレビに出ている現状は異常ですよ。ただ最近は流石にテレビ局も吉本外しを開始しているみたいですが(低視聴率の大物コンビの番組が打ち切り予定)。とにかく「笑おう」みたいな風潮を無理に作り上げようとする意図がミエミエで辛いですな昨今は。

投稿: 上岡竜太郎 | 2012/10/29 16:45

はじめまして。
時代のくだりはともかく、後半の主張に首肯致しました。
今は深刻な問題でも(であればこそ)笑いで覆い隠してしか話す事を許されないように思えます。
その逆説的な痛々しさを許容できるほど、社会に余裕は無くなっているかなと思ってしまいます。雑な考えですが…なにより直感的に、この先、笑いがなにかを切り開く気がどうもしない。
私にとって結構重要な問題意識だったため、おもわず書き込んでしまいました。

投稿: 無責任な通りがかり | 2012/11/01 12:51

全く同感です。
同じような番組に同じ顔ぶれで辟易。テレビをつけると何故か見させられている感覚に陥ります。
最近は時間がなく全くバラエティ番組を見なくなりましたが、生活はより充実したものになっています。芸人が自分たちで喜んで楽しんでやっていることを画面を通じてただただ見ているだけなんて、貴重な自分の時間の浪費だと思います。

投稿: みゆしゅん | 2012/11/06 13:53

おつかれです♪^^

投稿: yuppy | 2012/12/05 13:03

ラジオ拝聴しましたが、「広告」と「個人的に推薦する行為」を混同しているように見受けられました。
本人が広告の仕事のつもりであろうがなかろうが、依頼されたものであろうがなかろうが、金銭の授受があろうがなかろうが、対外的に第三者の立場を取って推薦する行為は信用情報であり、単なる広告とは根本的に性質が異なります。
下記の類似した案件の判例でもはっきりと区別され、賠償責任が認められています。
知らない物を知っているフリをして、意図的に虚偽の情報を流して信用に足るサイトだと錯誤させれば、その発言自体の責任は詐欺業者ではなく発言者本人が負うべき物です。ごめんなさいで済む問題ではありません。

> 大阪地裁昭和六二年三月三〇日判決(判例タイムズ六三八号八五頁)は、土地販売業者の広告に出演した芸能人の責任を認めたものである。
(中略)
> 自分が一人のタレントとして販売業者の単なる情報伝達手段としての役割を演じるにとどまらず、芸能人個人の立場から、販売業者あるいはその取扱う商品の推薦を行う場合には、その推薦内容を裏付けるに足りる調査を行う義務があるとする。
www4.tokai.or.jp/miyauchi/book/shihosyoshi2000-8.pdf

投稿: Yoshiro Toritomo | 2012/12/20 10:39

いやー年末年始もテレビ付けた途端に騒々しい芸人連中ばかり。来年も再来年も10年後も恐らく同じでありましょう。しかしここまで露骨だと、何か国民はY本の為にシコシコと働いて糞バラエティー見て御布施してる様な。あと大晦日恒例のY本の大物コンビの番組だけど、他局が露骨な援護射撃(明らかに視聴率を度外視した手抜き番組)で笑えましたwやはりテレビ局の御得意さんのY本への配慮でしょうな。

投稿: 拓也 | 2013/01/03 00:34

演劇でもオペラでも半分は喜劇ですよ、と言いたいところですが、喜歌劇だってメインは笑いではなく音楽の美しさや軽快さですよね。
小説やマンガがそれほどでもないのに(映画も)、テレビが笑いに埋めつくされているのは、それぞれが一番イージーな道を選ぶからでしょう。笑いの文学は至難の道ですし(天才しか大成していない)、映画だって予算さえ取れればドーンと巨大セットや破壊炎上場面でハッタリかましたほうが手っ取り早いわけですしね。予算なきゃエロ。

投稿: とくめい | 2013/01/16 21:49

過ぎたるはなんとやらってありますよねぇ。
なるほどなるほど。
目からうろこ。
毎度ありがとうございます。

投稿: usa | 2013/01/28 14:13

生まれも育ちも大阪の人間ですが、書いている内容が確信をついていて驚きました。

ダウンタウンのどこが面白かったとか
ひょうきん族のくだりはおっしゃるとおりだと思います。

ただTVショーでの笑いというもの確かに過食気味です。
ただ日常生活における笑い自体はあって良いものと思います。
(文面からはここまではかかれてなかったのでそう思っておられるかもしれませんが)
笑いなんていらないというように読み取ってしまった人たちが、反論めいた文章を書き残しているのかもしれません。

投稿: GA-LUCK | 2013/02/12 00:06

今やお笑い芸人は芸能界で一番偉い存在だね。特に吉本の大御所なんて大物俳優ですらゴマスリ。会社の力を己の力と勘違いしてる奴が多そう。あと松本って映画やって馬脚をあらわしたね。周りがヨイショし過ぎて判断力なくしたんだろうね。

投稿: 樹 | 2013/02/22 09:55

お笑いが食傷気味というより関西芸人が食傷気味という気がしますね。マスコミも含めて、お笑い=関西 というステロタイプな思考回路に嵌ってて身動きできない状態。テレビでは関西ノリのトークで溢れかえり、それが標準のようになっていますからね。今のお笑いバラエティーも過去にビートたけし(たけし軍団)なんかが既にやってたことばかり。

投稿: 池田 | 2013/03/04 11:27

本当は誰かが言う言葉の真意を読み取ってはいるものの、表面だけを見て批評しなければならない。仕事とは言え、貴方も矮小で俗物なキャラを作らなければ、ギャラも作られませんから大変でしょうね。コラムニストが笑いはスパイスなんて薄ら寒い借り物の言葉を使わなければならず、ましてや笑いは週一なんてテレビの存在意義すら揺るがしかねない滑稽な表現をしてしまうあたり、、、キャラを作っているとは言え大変ですね。お察し致します。

投稿: 小田島隆 | 2014/06/23 14:58

この記事へのコメントは終了しました。

« イニエスタ脳内インタビュー | トップページ | あけましておめでとうございます。 »