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2011/11/22

『イン・ヒズ・オウン・サイト』電子版のためのまえがき 

 当ブログを書籍化した『イン・ヒズ・オウン・サイト』が、電子書籍で発売されることになりました。

 電子書籍のために書いた「まえがき」を以下に転載します。

 「電子書籍」という言い方には、実は、いまだに軽い抵抗を感じる。どうしてもなじめない。電子だったら書籍じゃないし、書籍なら電子のはずがないじゃないかと思ったりするからだ。
 でも、思い出しましたよ。私は、携帯電話が出てきた頃にも、似たようなことを言っていた。携帯できるようなものが電話であるはずがないし、第一携帯電話の留守番機能はどうやって持ち主の留守を携帯するんだとかなんとか、懸命になってアラさがしをしていた。そういう男なのだな。結局。
 携帯電話はまたたく間にモノになった。
 それどころか、いつしか「携帯」と省略されるようになり、最近ではむしろ単に「電話」と呼ばれている。
 では、昔からの電話はどうなったのだろう。
 はい。「イエデン」だとか「固定電話」と呼ばれています。楽隠居です。
「電話のくせに固定なんだってさ」
「なにそれ、笑えるー」
 さようならぼくたちのイエデン。
 おそらく、電子書籍からも「電子」という接頭辞が取れる日がやってくる。それもそんなに遠い日ではない。
 ブログから出発した本書が電子書籍化されることは、書き手であった私にとっても感慨深いことだ。
 本書のふるさとであったブログは、ここのところ更新されていないが、私は今日も電子の雲の中に向かって文字をタイプしている。
 大丈夫。活字からインクの匂いが消えても言葉から書き手の声が聞こえなくなるわけではない。
 本書を買って(あるいはダウンロードして)くださったみなさん。オダジマはここにいます。液晶画面の裏側に貼り付いて今日もわめいています。クリックひとつで、真夜中でもお相手をします。うるさかったらスイッチを切ってください。
 ごきげんよう。

 

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2011/11/06

MHK....

 ツイッターのタイムラインで松本人志のコント番組(「MHK」@NHK総合10月5日11時30分)が話題になっている。
 で、一言感想を述べておこうと思ったのだが、長くなりそうなので、ツイッターでなくブログに書くことにして、それで、久しぶりにここに来ている。
 ところが、念のためにGoogleのデスクトップ検索で過去の原稿をあたってみたところ、書こうと思っていたことはおおむね書いてある。
 なので、その過去記事を再録して今回の感想に代える。
 私の見解は、基本的に変わっていない。
 MHKは、最近の松本の仕事としては、かなりマシな方だとは思う。でもやっぱり面白くない。20年前の、奇跡みたいに面白かった頃と比べることはできない。

●映画『大日本人』および松本人志の魔法について

 6月第一週のテレビは、「松本ウィーク」だった。ふだん、自分の番組以外には顔を出さないダウンタウンの松本人志が、「さんまのまんま」や「笑っていいとも」をはじめとする、各局の番組に軒並みゲスト出演を果たしたのだ。
 映画「大日本人」のプロモーションなのだろうと思うが、逆効果だったのではなかろうかと心配している。だって、スベってたし。それに、この度の大量露出を通じて、松本の必死さが視聴者に伝わったことは、必ずしもプラスにならないと思う。というのも、松本の芸風は、良い意味でも悪い意味でも「傲慢さ」の上に成立しているテのもので、その意味で、プロモがらみのテレビ出演みたいな「腰の低い」「余裕の無い」「ものほしげな」芸能活動には、決して従事しないことが彼の生命線であったはずだからだ。実際、松本は、デビュー当時から「わからんヤツは笑わんでもエエで」といった感じの、媚びない笑いを提示してきた芸人だった。で、その、視聴者のみならず、局にも、共演者にも、先輩芸人にも絶対に迎合しない、ある種やぶれかぶれな姿勢が、一部ファンの熱狂的な支持の理由になっていた。
 その松本が、先輩芸人の冠番組にゲスト出演し、真っ昼間のプロモ丸出しのトークコーナーに顔を出し、プライムタイムの番組でロングインタビューに応じている……無残なものを見た気持ちになったのは私だけではあるまい。
 松本人志は、ゲストのトークをオウム返しにするだけで笑いの取れる、稀有な芸人だった。「それは、どういうことですか?」みたいな凡庸なセリフでも、松本が言うと、なぜか、笑わずにおれない、不思議な空気が生まれるからだ。
 なぜ、そんな奇跡が可能だったのかというと、その昔、ダウンタウンがやっていたシュールな笑いが、われわれのアタマの中に根を張っていたからで、つまり何というのか、「速球」がアタマにあるから何の変哲もないチェンジアップで空振りが取れるみたいな、そういう構造が画面を支配していたわけなのだ。
 しかしながら、そのチェンジアップが、実は渾身の力をこめて投げられたタマであることが打者にわかってしまったら、その時点で魔法は解ける。と、松本の一拍ハズしたボケは、ただの、工夫の無いゆるいタマに化けてしまう。
 これまで、当欄で、「お笑いブームはもう終わりだ」ということを、何度か述べた気がするのだが、今度こそ確信した。お笑いブームは、完全に終わりへの道を歩みはじめている。芸人の冠番組が数字を獲れなくなってきている理由について、お笑いの地位が不当に高くなり過ぎたことに対する、調整局面としての下げだというふうに分析していたのだが、どうやら、本当の恐慌がはじまっている。この先少なくとも10年ほど、お笑いの世界には氷河期がやってくるだろう。合掌。
 その昔、私が子供だった頃、町には「国民歌謡」が流れていた。小学生からジジババに至るまでのあらゆる世代の日本人が同じ種類の音楽を聴き、全員が美空ひばりを口ずさんでいた。それが、いつしか、若者向けのポップスと、オヤジ仕様の演歌の間には、超えられない溝が刻まれるようになり、昨今では、同世代の人間であっても、育ち方次第で全く違う音楽を聴くようになっている。
 同じことが、お笑いでも起こる。欽ちゃんやドリフみたいな国民的なお笑いが成立しないことは当然として、いまや、中学生と高校生の間でさえ、笑いのツボが違ってきている。もちろん、オヤジのツボもまったく別なところにある。
 互いに共通点の無い、無数の小日本人。
 さびしいなあ。
(2006年6月「読売ウィークリー」誌掲載)

 

●「松本見聞録」(TBS)の漂流について

 書評を書く場合、私は、基本的には好きな本しか取り上げない。本についての好き嫌いは、しょせん偏見だと思っているからだ。であれば、わざわざ誌面に引っ張り出しておいて、欠点をあげつらったりするのは、著者に対して失礼だ。読者に向けた情報としても、ダメな本を腐すよりは、おすすめの本を紹介する記事の方が有用だと思う。その意味では、本欄も「こういう面白い番組があったよ」ぐらいでやっていければそれが一番良いのであろう。でも、そうはならない。毎週文句ばかり。読み返してみると自分の口の悪さにちょっとびっくりする。
 ま、それだけダメな番組が多いわけだ。別の言い方をするなら、毎月何万点という新刊が出版される書籍の世界では、クズの山の中から宝物を探し出す仕事である書評という試みが成立するのに対して、相手がテレビだと、それができないということだ。テレビには、選択の余地が無い(NHK+民放5局だけ)。だから、誰もが見ているクズについて、私は今日も苦情を述べねばならない。つらい稼業だ。
 松本人志には、デビューから5年ぐらいの間に一生分笑わせて貰ったと思っている。だから、多少つまらなくても、責める気になれない。むしろ、必死になって細かい笑いを拾いに行かないところがこの人の持ち味なのだと、つまらなさを評価する気持ちさえ抱いている。
 でも、それでも「松本見聞録」(TBS系火曜深夜11時55分)はあんまりひどい。
 松本が町(初回は中野界隈と恵比寿周辺だった)を歩いて町の中にある「変なモノ」にツッコミを入れる企画……と、ここまで書くと「おお、面白くなりそうじゃないか」と思う読者もいると思う。私もそう思った。が、結果は悲惨だった。松本自身が歩くパートが少ない(せいぜい全体の3分の1)こともさることながら、何よりネタ選びと編集が死んでいる。うん。TBSの限界。芸人殺し。松本は早めに逃げてほしい。でないと命取りになる。
 そもそも「町の変なモノ」企画は、伝説の面白本「トマソン」や、奇跡のカルト雑誌「宝島」の看板コーナー「VOW」の時代から脈々と続く王道のニッチ企画(←というのも変な言い方だが)だ。
 テレビの世界にも類似企画は山ほどある。いや、パクリはパクリで良いのだ。類似ネタもパクリ進行もそれはそれで、それぞれに面白かったから。このテの番組は、ネタが新鮮でツッコミ役にセンスがあれば必ず面白くなる。みうらじゅんがMEGMIとやっていた町歩きのコーナーも秀逸だったし、タモリ倶楽部でたまにやる探訪企画も毎回楽しい。OKだ。
 が、「松本見聞録」は、唖然とするほどつまらない。これだったら「ちい散歩」の方が数倍面白い。ちなみにここで言っている「ちい散歩」の「面白さ」は、必ずしも「笑える」という意味ではない。情報として有用で、画面として心温まるということ。というのも、地井武男ならびにスタッフの視線が、町や人々や店や路地に対して優しいからだ。
 ひるがえって「松本見聞録」のカメラは町をあざ笑っている。人々の生活のつましさや、開発から取り残された街路の狭隘さや、お年寄りが一人で店番をやっている商店の寂れたたたずまいを、「松本見聞録」のカメラは見世物のネタにしている。しかも半笑いの上から目線で。
 このテの脱力系のお笑いは、脱力系であるからこそ真剣に作られねばならない。「えーかげん」な企画だからこそ、必死で選別しないとネタが死んでしまうのだ。作っている側が、テキトーに、片手間で内輪受けのお追従笑いで作っている限り、決して面白くならない。
 松本よ。旅は終わりだ。テントを畳め。黄金の国なんて幻だぞ。
(2008年4月「読売ウィークリー」誌掲載)

 以上引用終わり。

 今回の番組で評価できる点があるのだとしたら、この10年以上、松本の番組に付き物だった「スタッフのお追従笑い」がカットされていたところだろう。おかげで、笑えなかった視聴者も多いとは思うが。

 とはいえ、メイキングの映像(BSでやってました)では、番組の打ち合わせが仲間内のお追従笑いの渦の中で進行している様子がみごとに描写されていた。なんだか悲しくなった。
 NHKはもしかして、松本が裸の王様になっている事態をドキュメンタリーとして伝えようとしているんだろうか。
 

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