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2011/08/04

追悼

松田直樹選手が、本日午後一時過ぎ、入院中の病院で亡くなりました。
残念です。

松田直樹さん死去 家族に見守られ…

「週刊Spa」の書評欄に書いた原稿がハードディスクに残っていたので、掲載します。2009年6月に執筆したテキストで、内容は、松田選手の自伝を紹介したものです。

書名:闘争人 松田直樹物語
著者:二宮寿朗
出版社:三栄書房
価格:1524円+税
発売時期:2009年6月15日初版発行

 横浜Fマリノスのディフェンダー松田直樹の半生記だ。ライターの手になる伝記的テキストのほかに、本人による手記、高校時代の監督、球団のスタッフ、チームメート(井原正巳、安永聡太郎、佐藤由紀彦、三浦淳宏、栗原勇蔵)のインタビューを含んでいる。で、最後に本人のインタビューが付属している。いずれも非常に熱い。
 松田は今年32歳になる元日本代表選手だが、「元」という言い方を、本人は嫌うはずだ。おそらく猛然と反発する。「引退するまで《元》なんてことは無い」と。その通り。復帰の余地はある。
 とはいえ、彼には、トルシエの時代に代表の合宿を辞退した過去がある。ジーコのチームでは、サブの扱いに納得が行かず途中で帰ってしまった。そういう性格なのだ。本書を読むと、松田直樹が代表に選ばれ、外され、再び選ばれ、辞退し、再々選出され、定着し、離脱し、突如帰宅するに至る、その背景がよくわかる。松田の側からの事情が、ということだが。要するに、この選手はメンタルにムラがあった、と、そういうことだ。
 が、「メンタル」は、ムラが無ければそれで良いというものではない。闘いに臨む者は、強烈な怒りと、激しい情熱と、鋭い反発心を持っていなければならない。でないと向上することができない。というよりも、闘争心を持たない男は、そもそも戦場に立つことができないのだ。であるから、アスリートは、その精神のうちに強力な爆弾をかかえながら、なおかつそれを統御する術を身につけているべきなのであって、単に温度が低いだけの安定は、意味を持たないのだ。その点、松田直樹は、どこまでも熱い。その熱さをコントロールできるようになったのは30歳を過ぎてからだ。ということは、本当のピークは今後にある。
 ぜひそうであってほしい。

 ご冥福をお祈りします。

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2011/08/03

松田直樹選手のために

JFL松本山雅所属のディフェンダー松田直樹選手(元横浜F・マリノス)が、練習中に倒れたというニュースが伝わってきました。
現在、治療中で、状態は予断を許さないとのことです。

俊輔、窓越しに松田見舞う「回復信じる」(日刊スポーツ)

松田選手の回復と、一日も早い復帰を祈願して、5年ほど前に書いた原稿を公開します。

「フッチバル」(ソニーマガジン。現在は休刊中)という雑誌で連載していた「モンスター・ア・ラ・カルチョ」というサッカーコラムのために書いた原稿です。執筆は2006年の4月はじめ。おそらく、5月号に掲載された分だと思います。

 ずいぶん昔、@2ちゃんねるのサッカー板が、まだ現在ほど荒れていなかった頃、横浜F・マリノスのサポーターが集う掲示板の中に、たいそう秀逸な、心あたたまるスレッドがあった。

 当時私は、すでにガチガチのレッズサポで、マリノスについては油断無く敵視している側の人間であったのだが、このスレッドだけは、あんまり面白かったので、時々覗いていた。
 そんなわけで、当時のマリノスには、ちょっと詳しいわけだ。
 まだ川口能活がいて、俊輔や波戸が同時に在籍していた時代だから、おそらく2000年ぐらいのことだったと思う。発生当初の細かい事情までは詳しく覚えていないが、とにかくそのスレッドは、ある時期から、現実のF・マリノスとは別の、「フラット・マリノス」と呼ばれる架空のチームについて語る場となり、いつしか、完全なネタと化し、最終的には、あんまりシュールになりすぎて、空中分解した――そういうスレッドだった。
 で、その、マリサポの狂ったイマジネーションの泥の中に咲き乱れた幻想のチーム「横浜フラットマリノス」における、最大の人気キャラクターが「マツさん」こと松田直樹選手だったわけだ。
 ほかにも、「微妙にチームから浮きあがりつつも、一人で熱血している永遠の青春野郎《テソ》こと《キャプテソ川口》」「独立独歩のオタクながらも、技術は天下一品の左甚五郎的職人キャラ《キノコ》」「俳句が得意な風流人、超地味王こと遠藤兄」など、多士済々だったが、そんな中にあっても、破壊王マツのスター性は別格だった。
 実際の松田直樹がどんな性格の持ち主であったのか、私は知らない。
 が、フラットマリノスの「マツ」についてなら、よく知っている。
 マツは、怒りんぼの、感激屋の、それでいてやる時はやる、まるで少年漫画の主人公みたいに素敵滅法な猪突猛進キャラクターだった。
 「ごるぁあああああ」と喚きながら、敵陣ペナルティーエリアに突入して行くマツ。敵方軟弱キャラ・ヘナギを後ろから削って不適に笑うマツ。「てめちくしょう、ざけんな××」と、主審を罵倒しながらスローイングのボールを敵の股間に投げつけるマツ。うっかり愛娘・クルミちゃんの話題を振ると「まあ、そこに座れ」と言って長話をはじめずにはおかないマツ……マツさんは、いつでも百パーセント全力疾走の男だった。
 もちろん、「マツさん」の面影は、ファンの幻想に過ぎない。
 でも、サポーターが描く幻想には、必ず切実な真理が含まれている、と、私はそう考える者だ。たとえば「マツ」の中にある熱血と怒りは、おそらく松田直樹のうちにある情熱とほとんど同質の成分を含んでいるはずなのだ。
 顔を見ればわかる。
 実際、松田ほど表情の豊かなディフェンダーは珍しい。
 いや、優れたディフェンダーは、パオロ・マルディーニやマルセル・デシャンがそうであるように、本当なら、ポーカーフェースを身につけているべき存在だ。というのも、敵方のFWに表情を見破られないことが、ストッパーたるものの臨戦第一課だからだ。
 でも、マツは違う。
 マツは、あまりにも多彩なその表情に敵が混乱しているスキに仕事をする。
 憤怒。笑い。恫喝。そして突然の涙(そう。松田は、負けているのに攻めて来ない敵のあまりのふがいなさに、涙を流しながらプレーしたことがあった)。松田の表情は敵にも味方にも、サポーターにも瞬時に伝わる。
 というのも、彼の表情は、単に顔面表情筋の緊張と緩和が生み出す瑣末な相変化とは別次元の、全身の動きとオーラで表現されるひとつの叫びに似た何かだからだ。
 たとえば、奈良興福寺の阿修羅像を見たことがある人は、松田直樹の面影に、阿修羅のオーラが宿っていることに気づくはずだ。
 ありがたい仏様だが、なにしろ激しく、そして美しい。
 「阿修羅身は三面六臂にして青黒色、忿怒裸形相」と、仏典にある通り、三つの顔と、六本の腕を備え、正面の顔には沈んだ怒りの表情を浮かべている。
 それもそのはず、阿修羅は、サンスクリット語・パーリ語の「アスラ」で、もともとは、ヒンズーの悪神だった。インドの大叙事詩『マハーバーラタ』には、ビシュヌ神の円盤に切られて大量の血を吐きながら、刀、槍、棍棒で打ちのめされたアスラたちが戦場に横臥し、血に染まった彼らの肢体が、褐色の岩の頂のように累々と横たわっているようすが描かれているという。
 で、その争いと血を好む鬼神アスラが、仏に帰依して、仏教を守る八部衆に入った姿が、阿修羅像ということになる。
 いや、細かいことは良いのだ。どうせ受け売りだし。
 大切なのは、阿修羅が、改悛した悪の化身で、そこから彼の本領が発揮されたというところだ。
 松田の場合はどうだろう。
 熱血キャプテンとしての顔、甘々な父の顔、そして、悪鬼の如きストッパーの顔という3つの面を持ち、6つの技を持っているという点では、三面六臂だが、それ以上にポイントになるのは、「改心」「帰依」である。
 キャプテンをまかされた円熟のマツさんが、あの頃のマツさんではない……のだとしたら、これは大変なモノになると思う。
 あの「マツさん」が、審判に対する暴言を断念し、ムカつく敵への報復をあきらめ、無謀な上がりを自粛したら、これは、大変な選手になる。いや、実際、今シーズン、キャプテンをまかされている松田直樹には、阿修羅松田いや、アフラマツダ(←ゾロアスター教における全知全能の最高神)の面影が宿っている。
 とすれば、ジーコは、ぜひ代表に呼ぶべきだ……と思うのだが、なにしろ異教徒だからなあ。
 合掌。

 なお、この原稿は、拙著「サッカーの上の雲」(駒草出版:たぶん絶版)の中に「苦しい時の阿修羅頼み?」として収録されています。

 参考までに掲載時に付加したイラストも。あんまり出来がよくありませんが。

Matsuda00

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2011/08/01

Twitterはじめました。

ツイッターをはじめました。
アカウントは tako_ashi  です。
今日はそれだけを言いにきました。
ブログの再開はどうなるかわかりません。
久しぶりにコメント欄をざっと確認してみてうんざりしました。
再開することがあるにしても、コメント欄は閉じることになる気がします。
コメントは、ツイッターのアカウント宛に送っていただくのがいいのかもしれませんね。

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