自由が丘逍遙
ごぶさたでした。
木曜日に、コラム道を更新しました。3ヶ月ぶり。ははは。
というわけで、ブログの方も更新することにします。延ばしている〆切がなくなってので。
木曜日。原稿をアップした後、自由が丘のミシマ社を訪問。
当然、自転車で行った。遠いけど。久々に好天だったから。
距離にして24キロ。帰りはちょっと遠回りをしたので、往復で50キロ。よく走った。
経路は、赤羽→西が丘→(旧中山道)板橋区役所前→大山→(中丸通り)千川→要町→長崎五丁目→(中野通り)哲学道→中野→笹塚→東北沢→代沢→(茶沢通り)→三軒茶屋→(国道246)→駒沢大学→(自由通り)→八雲→(目黒通り)→八雲三丁目→自由が丘2丁目。
という感じ。
以下、感想など。
駒沢から自由が丘あたりを走っていて印象深かったのは、あのあたりのヤングミセスが、見た目にきれいだということ。
犬を連れていたりベビーカーを押していたり、通り沿いのオープンカフェでお茶をしている主婦のみなさんが、なんというのか、私の家の近所のおばさんたちと比べて、おしゃれなわけですね。
女子高生やOLさんのような十代から二十代にかけての女の子たちは、どこの町にいるコたちでも、全体的な質はそんなに違わない。きれいだったりきれいじゃないかったり。適当にバラけている。
それが、なぜなのか、30代から40代のおばさんたちを比べてみると、世田谷目黒周辺の高級住宅街を歩くミセスたちは、明らかに小綺麗だったりする。
なぜだろう。
- 仮説1:若い女性の美貌が持って生まれた天性であるのに対して、おばさんの美貌はより人工的な、作り込んだ「作品」としての美に近い。それゆえ、主婦の小綺麗さは資本投下量を正確に反映することになる。だから高級住宅街のミセスは美しい。だろ?
- 仮説2:若い女性の場合、おしゃれに無頓着であっても、お化粧がヘタでも、天然の美質がすべてをカバーしてくれる。だから、スッピンの彼女にも、それなりの清楚な美が宿る。が、年齢の行った女性は、努力をしないと美貌を保持できない。地面の値段の高い地域に住んでいる主婦は、きっと努力家なのだろうな。
- 仮説3:女性の美貌は資産に直結する。結婚前の女の子たちは、きれいなコもそうでないコも、色々な町に、まんべんなく遍在している。どこかに偏るようなことはない。が、そんな彼女たちが、結婚というフィルターを通過した後に住むに至った場所を追跡してみると、あらまあびっくり、彼女たちの住所はある基準に沿ってソートされている。つまり、きれいなコは資産価値の高い土地に嫁ぎ、そうでない女性はそうでない土地に新居を構える、と。これ以上は言わない。どうせ証拠のある話じゃないんだし。
- 仮説4:高級住宅街に住む女性は、周囲の住環境に配慮して、自らをブラッシュアップせねばならない。条例でそう決まっている。近所のコンビニに練り芥子のチューブを買いに行くような場合でも、スッピンは禁物。ジャージなんて論外。場末の住人はその限りではない。自由な格好で歩いてもらって結構。好きにしてくれ。
- 仮説5:若い女性は多様だ。彼女たちは、思い思いに清楚で、コケティッシュで、あるいはビビッドであったり、エレガントであったりする。同じ一人の女性でも、ある時はフェミニンなファッションを身に纏い、別の時はボーイッシュにふるまう。彼女たちは、時にセクシーで、時にコンサバティブで、ワイルドでもあれば素朴でもあり、ある場合にはアーバンでキッチュでアーティスティックですらある。で、それらの多様なありようのいちいちは、それぞれに別の、個性的で替えのきかない美を孕んでいる。一方、おばさんには二種類しかいない。着飾ったおばさんと着飾っていないおばさん。それだけ。
わかっている。
どの仮説も、女性たちの不興を買うことになるのだ。
でなくても、上に紹介した見方は、女性差別、資産差別、地域差別、容姿差別といった、様々な穏やかならぬ偏見を含んでいる。
これはよろしくない。
差別を含まない美意識があるのかどうか、私は知らない。が、いずれにしても、不特定多数の人間が読むことになる場所に、あけすけな差別意識を開陳して良いはずはない。自明のことだ。
よろしい。撤回する。
こういう場合は、差別と呼ばれないために、別の差別を並べておくべきだ。
つまり、女性差別批判をかわすために、男性差別を提示するわけだ。
いずれにしても、ひとつの差別を緩和するためには、別の差別を導入せねばならない。
そういうことになっている。
- 仮説6:若い男には色々なヤツがいる。そして人数分の美がある。乱暴なのや知的なのや、二枚目や剽軽者がいる。細身の男前もいるしマッチョなハンサムもいる。で、それぞれに個性的な若い男たちの立ち位置には、それぞれに匂い立つような存在感がある。一方、オヤジには二通りしかいない。カネを持っているオヤジと、カネを持っていないオヤジ。以上。
もちろん、何の解決にもなっていない。
男性差別が女性差別を緩和するなんていうのは、ウソだ。
男性蔑視を見て喜ぶのは、差別利権でメシを食っている人たちだけだと思う。誰とは言わない。思い浮かぶ顔が無いのではない。面倒くさいから口をつぐんでいるだけだ。さよう。ジャーナリストとしてあるまじき態度だ、が、私はジャーナリストではない。失礼な呼び方はやめてほしい。
最後にすべての仮説を撤回して、結論を述べる。
- 結論:若い女性は、インターナショナルな存在として生きている。でなくても、全国的だ。彼女たちは、国際的ないしは全国的な流行のうちにあり、全世界に通底する同時代の潮流にリンクしている。
だから、下町の女の子も、山の手の女の子も、ひとつの同じ空気を吸って生きている。田舎のコも海辺や山間部の女の子たちであってさえ、「世界」に向けてアンテナを立てていて、「同時代」に同調しようとしている。それゆえ、彼女たちは、住んでいる地域の影響をさほど受けない。
一方、おばさんはローカルな存在だ。半径2キロより外のことには関心を持たない。それゆえ世田谷の主婦は余儀なく世田谷っぽくふるまい、板橋の主婦はどうあっても板橋らしくなって行く。だから、大阪のおばちゃんの東京のおばちゃんは、まったく別の生き物みたいに見える。
妥当性については自信がない。
言ってみただけだ。
反論しないように。
ではまた。近いうちに。
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コメント
お久ぶりです 毒抜きのユーモアがつまらない
様に差別的なものに過剰反応するのって
かっこ悪いですよね。 50キロはすごいですね。
追伸 花粉辛いです(かしこ)
投稿: H.H 30台メール思い出せず にせです | 2009/03/08 11:41
ラジオデイズ でおもしろいポッドキャストを聞いていますので まあ 大目にみておきますが ぜひ たまには 更新してください。お願いしますよ。今日は本文を読む前に更新御礼ということで 事前コメント。でうs。
投稿: 読者A | 2009/03/08 12:08
初めて投稿します。ほんとうに心配になったもので。
小田嶋先生、酔っておられたのですか?
断酒をされているのも承知しておりますが、今回のあれはちょっと、こう、読んでいて戸惑うというか、酔っ払いにありがちな投げ遣りさというか、そういうものが横溢していたもので。
予め禁じられているので反論は致しません。久しぶりのブログエントリに戸惑った、というだけなのかも知れませんし。
あ、ピース・オヴ・警句も勿論拝読しております。
あれはちょっと長すぎると思います。あの半分でシャープな小田嶋節でキメて頂くと、私としては溜飲が下がるのですが。色々難しいものですね(笑)。直近の、親子丼の話は意表を突かれて面白かったですけど、何だか苦しそうで素直に驚けませんでした。
僭越なことばかり申し上げました。伏してご寛恕を願います。ごめんなさい。
投稿: prapanca | 2009/03/08 12:40
バカボンのパパと同じ41歳の春を迎えた、ただし女であります。
地面の値段のお高い所に棲息していらっしゃる「ヤング・ミセス」が安い所に住む同じような年齢の女に比べて小奇麗というは私も同じように感じています。
そして、仮説1から5、どれも「うーん、そうかも」と思いました。
でも今回、小田嶋さんは仮説を撤回していまい結論を出されましたが・・・結論にはちょっと違和感が。
恐らく仮説の方が真実に近いように思いますが、どうでしょう。
投稿: キリハラ | 2009/03/08 16:54
こんにちは。
女性の美醜を論じることの是非について、「美人論」という本が考察しています。著者は井上章一。
結論はあまり歯切れ良くないですが、美人についての言説を明治時代から緻密に調べて跡付けるあたりは、井上章一の真骨頂かと思われます。
投稿: Inoue | 2009/03/08 17:51
わはははは。
久しぶりの更新、笑わせて頂きました。
ついでといってはなんですが。
「サッカーベストシーン19 THE GOAL!」買いました。
単純にスーパーゴール集のDVDが欲しかったと言うのもありましたが、決め手は小田嶋センセの「特別寄稿」でした。
バッジオと学会の関係を正面から取り上げた文章なんて、他に誰も書けませんからね(山崎浩一さんくらいかな、あとは)。
で、お願いがあります。
今回の「THE GOAL!」のように、連載以外で寄稿文がどこかの雑誌に載る場合、このブログでお知らせいただけないでしょうか?
一ファンからの願いです。
投稿: ノラネコ | 2009/03/08 22:01
初めてコメントさせていただきます。
個人的には、仮説1が強く作用していると思います。
ついでに、エリアと「自由恋愛(不倫とも言いますが)」にも一定の関係があるのでは、と思います。
投稿: kiss-K | 2009/03/09 19:48
顔の美醜は判断が分かれるところかも知れませんが、横浜駅そばの高層マンション街には、若くて背が高くて細くて胸の大きい母親がぞろぞろいて嫌な気分になりますよ。
投稿: k-tsuka | 2009/03/10 00:06
仮説3に一票。
トロフィーワイフという英語もあるように。金持ちが美人の嫁はんを持つ傾向が高いのは万国共通かと。プロ野球選手の嫁とか。分かりやす過ぎ。羨望も込めて。
「逍遙」
日本語勉強させて頂きました。
投稿: 近隣住民 | 2009/03/10 10:55
自由が丘ということで、学校の1年後輩で、或る証券会社の自由が丘支店にいた男がしてくれた話を思い出しました。
なんでも彼によれば、証券営業のコツは、「まず、デカい家を訪問すること」なんだそうです。
貧乏な人がデカい家に住んでる可能性より、金持ちがデカい家に住んでる可能性のほうが全然高く、株を買う余裕もあるものなんで、ということでした。
なるほど。
さらに、そのデカい家の住人が首尾よく金持ちであった場合、そこの奥さんはほとんど例外無く、綺麗なんだそうです。
へー(なんか、納得しました)。
その話を聞いた数年後、その後輩が、我が家に遊びに来ました。
で、自室に家内がお茶ををいれてきてくれ、
「いつも主人がお世話になっております、むにゃむにゃ」
「いえいえこちらのほうこそ、むにゃむにゃ」
みたいな会話のあと、家内が退室。
後輩は、ひと呼吸おいて、
「…可愛いひとじゃないですかあ!」
と言いました。
大袈裟な言い方でした。
ちょっと不愉快になりました。
投稿: よし | 2009/03/13 04:21
明日、面接結果待ちッス
学会にはいずれ顔ださしていただければと。
人工筋肉の反応のいいのが既報になる頃がいいですね。
投稿: vaio遣いにもなりたい | 2009/03/16 00:08
はじめまして。いつも楽しく拝読しています。御コラムの欺瞞のなさには、天晴れと感心してばかりです。
ところで小倉千加子氏が、結婚は(男の)「カネ」と(女の)「カオ」の交換だとはっきり言ってました(出典は『結婚の条件』)。仮説3はあたってると思います。
これからも更新を楽しみにしています。
投稿: 焼売餃子 | 2009/03/17 03:26
町なかを歩いていると、リッチでキレイなお母さんが押すベビー・カーに、みにくい乳幼児が乗っていることが、しばしばあります。
結婚が男のカネと女のカオの交換(である場合も)あることの傍証かも、と思います。
投稿: よし | 2009/03/18 05:13
自由が丘を歩いている人に目黒区や世田谷区の住民はほとんどいないですよ。みんな渋谷にいます。
投稿: あ | 2010/12/16 12:10
自由が丘を歩いている人に目黒区や世田谷区の住民はほとんどいないですよ。みんな渋谷にいます。
投稿: あ | 2010/12/16 12:10