« 2008年7月 | トップページ | 2008年10月 »

2008/09/30

恩龍

 イギー氏の容体について、続報など。

 病院での診断後オバタ氏と連絡がつく。事情(死んでいなかったこと。入院したこと)を説明した後、最新剥製事情などについてざっとしたレクチャーを受ける。

 翌日(29日)朝、獣医さんより電話。容態などについて説明を受けた後、治療方針について尋ねられる。

  • レントゲン検査:落下時に骨折や内臓の損傷がなかったかどうか調べるため
  • 血液検査:栄養状態その他病気の兆候を調べるため。

 について、どうするかと。
 値段は、保険がきかないので、それなり。
 お願いすることにする。
 命には代えられない。なあに、働けばよい。
 働く理由を持つ者は幸いである。

 29日夕刻、駒込にて入院中のイギー氏を見舞う。応対に出てくれた女医さんによると、状況は以下の通り。

  1. 容体は大きく変わらず。ほとんど無活動。
  2. レントゲンの結果は異常なし。骨折、内臓の損傷は無い模様。骨格はしっかりしている。
  3. 血液検査の結果:貧血がひどい。普通なら30%程度あるはずの赤血球の濃度が3%に落ちている。非常に良くない。大量出血のためと思われる。
  4. で、貧血のため、本来は赤からピンク色であるはずの舌および口腔内が白っぽくなっている。
  5. 爪の傷口から微量の出血があるため傷口を縫合した。
  6. とりあえず、栄養状態の改善をこころがけつつ様子を見る。明日(30日)には、院長が来院する日なので、詳しい説明ができると思う

  というわけで、本日(30日)も夕刻医院を訪れる。
 院長の説明は、昨日の女医さんの説明とほぼ同じ。血液検査の結果(書類あり)を見せてもらいながら、より詳しい説明をしてくれる。

  1. いずれにしても、現下の問題は、貧血状態の改善にある。
  2. 当面は、点滴、増血剤の投与などをしつつ、しばらく様子を見る。
  3. 状態が良くなったら、退院して自宅での点滴(方法を教えてくださるという。人間の点滴とは違って、輸液のタンクを吊すわけではなくて、栄養注射に近い感じらしい)治療に切り替えることもできる。
    輸血(緊急の場合、輸血用のイグアナから輸血をする場合も可能とのこと。血液型は無いらしい)は、まだ考えていない。

 うむ。
 この際、しっかり治して貰うことにしよう。
 散財といえば散財だが、なあに問題ではない。イギー氏は、これまでに、取材記者を連れてきてくれたりして、それなりに稼いでくれた。
 それに、ネタにもなってくれたし。
 なにより、仕事のモチベーションを与えてくれた。
 そういう意味では恩人ですよ。
 っていうか恩獣だろうか。
 いや、獣じゃないよな。ここは一番、「恩龍」と呼ぼう。
 頑張れ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008/09/28

入院の顛末

 午後、風呂場から異音。いつもの通り、イギー氏が住処の棚からバスタブの蓋にダイビング(最近痩せたイギー氏は、棚の隙間をすり抜けることができるようになった。で、降下用のハシゴを架けていない時も、随時降臨する)した音だろうと思って見に行く。

 と、バスタブの蓋一面におびただしい血。
 どうやら爪が抜けた模様。
 体色も黒変(全体に黒っぽくなる:強度のストレスがかかると体表の色が変わる)している。
 すぐにシャワーで洗ってとりあえず水を与える。
 五分後:状態は改善せず。
 というよりも、ほとんど動かなくなっている。出血多量によるショック症状だろうか。
 見ているうちに、まぶたを開けたままの状態で眼球が下方向に行ってしまう。眼球自体がちょっと引っ込んだ感じにも見える。

 非常事態。
 背中を撫でてみるが、動かなくなっている。
 呼吸もしていない。完全にアゴを地面に着けた状態。
 5分ほど観察して、死亡を確信。うわあ。

 以後、十五分ほどのうちに、以下の作業を同時進行でこなす。

  •  まず、オバタカズユキ氏に連絡。ずっと以前、どこかの雑誌で読んだオバタ氏の随筆原稿(あるいは書籍かも)の中に、「子供の頃イグアナを飼っていたことがあって、死後剥製にした」という話があったことを思い出したから。その原稿を読んだ時以来「もしうちのイギー氏に何かあった時には、剥製関連のお話を教えてもらわねば」と、なんとなく思っていたのだった。
  • が、オバタ氏は不在。事務所のスタッフに事情を話してとりあえずこの件はペンディング。
  • ホームセンターに急行。遺体安置&冷却保存用のケースを物色。ちょうど好適なサイズの押し入れ用衣装ケースを発見したので即購入。
  • 帰宅。さて、遺体をケースに移送せねば……と思ってイギー氏を見ると、おお、さきほどと微妙に居場所がズレている。ん? 動いたのか? ってことはもしかして生きているのか?
  • もういちど背中を押してみるとかすかに反応する。さらにアゴのあたりを持ち上げてみると、なんと目を開くではないか。
  • ということで、葬儀&剥製スキームは放棄。急遽病院探しを始める。
  • 以前、本郷界隈を自転車で走っている時に偶然発見した爬虫類専門病院(本郷三丁目)を検索して、電話してみる。こちらの状況を伝えると
    「あいにく本日は予約がいっぱいで診ることができない。近くにイグアナを診られる医者がいるので、そちらに連絡してみてはどうか」
     ということで、駒込にあるエキゾチックアニマル専門の動物病院を紹介される。
  • 電話してみると、「院長は不在だが、とりあえず診ることはできる」というので、早速駆けつけることに。
  • クルマで運ぶ間、多少元気を取り戻しているようにも見えたが、待合室で待つ間にまた衰弱。
  • 診療時には、ほとんど無反応。かすかに呼吸してはいるが、傷口を焼く(小型のニクロム線みたいな)間も、痛がりさえしない。
  • そのまま入院して、院長先生(大学に出かけているとのこと)の診断を待つことに。

  で、帰宅。

  爪が抜けたことは、以前にも2回ほどあった。
 イギー氏は何かの拍子に指一本で全体重を支えてしまう(つまり、ぶら下がるわけですね)場合があるから。で、そういう時には、爪が体重を支えきれず、根本から脱落したり、途中で折れることになる。
 これまでの例では、爪が脱落するとけっこうな出血はあるものの、ドルマイシン軟膏を塗っておけばじきに傷口はふさがり、3ヶ月ほどで新しい爪が生えてくるはずだった。
 ところが、今回は、出血がやけに多い。
 血がかたまりにくくなっていたのか、あるいは傷口が以前のケースと比べて大きかったのか……理由はわからない。

 いずれにしても、衰弱していたことは確かだ。
 出血の量もさることながら、出血のショックに対する耐性自体が落ちていたのかもしれない。
 なにしろ、この春で十三歳だし。
 イグアナとしては長老格だ。

 この四月に、咬傷事件を起こして以来、食欲がめっきり減っていた。
 事件から半月ぐらいは、露骨に気持ちが荒れていて、それがおさまっても、全体的に活動量が衰えていた。で、体重も目に見えて減った。
 心配していたのだが。

 とにかく、この2~3日がヤマだと思う。
 なんとか持ち直してほしい。

 最後に、業務連絡をば。
 ミシマ社の皆さん。コラム道の原稿、お待たせしております。ここに書けないこと(←「いまのところは」ということですが)も含めて、色々と多事多端でありましたもので。
 今週の金曜日までには必ず第一弾をお送りします。いますこしだけお待ちください。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008/09/14

プギャーの死

 12日の昼過ぎ、晋遊舎のT氏より電話。
「ご相談というか、ご報告なんですが……」
 いやな予感。
 なんとなく、声のトーンから伝わってくるものがある。それと、会話の間、ないしは「沈黙」を通して、のっぴきならない何かが。
 沈黙は雄弁だ。電話線を介してさえ。
 ライターが苦心して醸し出しているつもりでいる「行間」や「余韻」は、多くの場合、ほとんどまったく何も語っていない。が、受話器の向こう側のほんの2秒ほどの沈黙は、大方の事情を語り尽くしている。
 わかりました。Tさん。短い間でしたが、お世話になりました。まだ何かの機会にどこかでご一緒することがあったらその時はよろしく。ええ、決まり文句ですが。私たちの世界は、ずいぶん昔から、こういう決まり文句が無いと先に進まなくなっているのですよ。
「残念ながら、m9は休刊ということになりました」
 了解。
 前日に、このブログで雑誌の廃刊が続いている件について書いたのは、やはり虫が知らせたということなのかもしれない。

 「m9」誌は、今年の5月から隔月で出ていた雑誌だ。「えむきゅー」と読む。
 含意は「プギャー」。@2ちゃんねるでおなじみのAA(アスキー・アート:文字と記号のみで作られた絵文字)だ。人差し指でこっちを指さしている時の手の形をあらわしている。
 より明示的な形では、
m9(^Д^) プギャー 
 という表記になる。ムカつく絵文字だが、私は好きだ。

 最初の打合せの時に、
「これ、もしかして《ぷぎゃー》ですか?」
 と尋ねたら、担当のT氏は
「あ、やっぱりわかりましたか(笑)」
 と、嬉しそうに笑った。
 私も嬉しかった。いや、こういう文字が雑誌名になるなんて、面白い時代に足を踏み入れたものではないか、と。
 雑誌の内容は、《時代を読み解く新世代「ライトオピニオン」誌》と銘打っている通り、最近の若者向け雑誌の中ではちょっと硬派なノリだった。
 が、部数は期待していたほど伸びず、結局、通算で3号を出したところで、早めの撤退を判断することになったようだ。
 私は、スポーツコラムを担当していたのだが、連載は3回で終了ということになった。残念。あれこれとしがらみや制約の多い大手の雑誌からは発信しにくいプギャーなご意見を存分に吐き出す覚悟でいたのだが。
 スポーツジャーナリズムの世界は、メディアと競技団体と興業組織と選手会と専門ライターが、まるで互助会みたいに肩を寄せ合って生きている、金魚鉢みたいな世界だ。それゆえ、水中生活に慣れたえら呼吸のできる人間以外には、取材パスがまわってこない仕組みになっている。
 で、私のような部外者のライターは、金魚鉢の外から見ると、金魚たちの泳ぎがどう見えるのかといった視点で、記事を書いていたわけなのだが、そういうご意見は、残念なことに、あんまり需要がない。
 というのも、読者もまたすべては金魚鉢の外に住んでいる存在で、価値ある情報は、水の中にしか無いと思いこんでいたりするからだ。
 うん。負け惜しみだけどさ。

 惜別の挨拶として、以下、m9に掲載したコラム(「横綱ニュース審議委員会」)の初回分原稿を転載しておく。

 はじめまして。当欄で「横綱ニュース審議委員会」というコラムを連載することになったオダジマです。
 最初に、連載の趣旨などを。
 横綱審議委員会については、ずいぶん前から違和感を抱いていた。プロのアスリートである者の競技資格や資質について、専門外の年寄りが、あーでもないこーでもないと文句をつけているわけだから。いや、文句をつけるのは良いのだ。われわれ一般のファンとて、自らの貧弱な肉体を省みずに、選手たちにあれこれと注文をつけたりダメ出しをしたりしている。それがスポーツを見る愉しみであると言えばそれまでの話だからね。
 問題は、横審の人々が「上から目線」で力士の品格を問うているその立ち位置の異様さだ。一体、何の資格で彼らは、横綱の「品格」や土俵の「美」を云々しているんだ? 彼らは相撲の専門家なのか? せめて若い頃に村相撲で横綱を張っていた程度の競技経験は持っているのか? 
 否。横審メンバーズは、どうにもならない素人だ。というよりも、そこいらへんの有名人に過ぎない。新聞社の社長、大学の教授、あるいは流行作家だとか。俗世の虚名を享受しているセレブ以上のものではない。で、その個々の委員たちの資質について審査する機関が、あるのかというと、なんということだろう、そんなものは存在していないのだ。
 べらぼうな話だと思う。
 なので、私がそれをやろうと決意したわけです。「横綱審議委員みたいなものに関する資格審査委員会」、あるいは「スポーツ報道の真偽を考える一人審議会」、ないしは「これで良いんかいてなことについてマジで考える委員会」でも良い――こういう問題について、右顧左眄の、横並びの、審議アタマで意見を調整するのではなく、ニュース、スポーツおよびメディアやその他あらゆる事象について、委員会を通すことなく、審議なんかせず、個人のアタマで考えよう――「世間」の「空気」や、「社会」の「風」を読むのではなく、個人の独立したアタマで考え、個人として責任を取ろうじゃないか、と、かように考えて一人審議会を立ち上げた次第なのである。よろしくよろしく。
 てなわけで、初回は、五輪の話をする。ゴリゴリの五輪押し。
 メディアの声は、日々ブレている。というよりも、事実上「声」なんかありゃしない。ただ、海外報道が反響しいるだけだ。
 たとえば、「報道ステーション」の古舘伊知郎は、毎日ちょっとずつ立ち位置を変えつつ、まったく定見を示さないカタチで、この件から逃げようとしている。
「暴力はいけません」
「五輪は平和の祭典です」
「オリンピックに政治を持ち込むのはタブーだよね」
「聖火妨害って、野蛮じゃね?」
 などと一方の正論を吐きつつ
「人権はかけがえのないもの」
「チベットに自由を」
「五輪は意志表示の場でもある」 と、もう一方の側からの正論を提示していたりもしている。
 結論として、古舘はどっちに立っているのだろう。北京五輪を支持しているのだろうか。それとも、チベット人民の抗議を支持し、北京政府の弾圧に疑義を表明しているのだろうか?
 どっちでもない。
 いや、古舘に限った話ではない。
 ほとんどすべての局のキャスターは、「平和の祭典の成功」と「チベット人民の幸福」と「人権の拡張」と「秩序の維持」を共に願うみたいな立場に立っている。
 まあ、アレですよ。コギャルさんたちが考える「満腹と減量の両立」みたいな話です。地球温暖化について説教をカマしつつ私生活ではベンツのゴーマルあたりを乗り回しているキャスターさんたちからすれば、北京政府の思惑とチベット人民の願いをダブルで請け合うぐらいな態度は朝飯前、と。
 面白いのは、本件に関しては、リベラルVS保守、左翼対右翼、人権派バーサス公権派、親中or嫌中or親米or反米といった、従来の色分けが無効になっている点だ。
 だから、親中と見なされていた人権寄りの左派ジャーナリストが五輪開会式ボイコットの声明に賛成していたり、逆に、保守派の論客である元スポーツ選手がガチガチの親中五輪擁護発言を繰り返していたりする。
 おそらく、この先、様々な問題について、単純な色分けはますます困難になって行くことだろう。
 ま、その方が正常なのだが。
 さて、山中秀樹だ。
 私がウォッチングしていた中では、このヒトの意見が一番はっきりしていてわかりやすかった。
 要約すれば、「商売に政治を持ち込むのはよそうぜ」ぐらい。
 いや、言葉に出してこう言ったわけではない。テレビ局の立場を代弁して、「平和」だの「人権」だのという言葉を使いつつ、そういうカタい話ともかく、なんであれ「祭り」を成功させたいよね、てなことを大強調していたわけ。
 そう。テレビ局はぜひとも五輪で商売がしたい。家電業界も同断。そのほか五輪のスポンサーになっている各種飲料メーカーやサービス産業も、本心では、五輪営業を成功に導こうと必死になっている。
 平和=ピンフの祭典=国士の反対、と、そういうことだろうか。
 そういえばパチンコ業界にも「平和」という名前のメーカーがあったな。あるいは、オリンピックをめぐる議論の外形は、パチンコ愛好家からの搾取で成り立っているパチ屋が、案外パチンカーに支持されていたりする構図と似ているのかもしれない。
 開会式に南京虫をバラ撒くのとかどうだろう。南京虫テロ。
 で、痒痒式とか。胡錦涛は笑ってくれないだろうな(笑)。


※「m9」vol.1(2008年6月1日発行)掲載
 

 ところで、ご存知の方は既に知っていると思うが(って、同語反復だな)、8月から、アサヒ芸能(週刊誌)で、2ページモノのスポーツコラムがスタートしている。
 気が向いたらそっちも読んでみてください。
 

| | コメント (14) | トラックバック (0)

2008/09/11

雑誌

 雑誌の休刊(←事実上「廃刊」であっても、現場の人間はそうは言わない。背景にある事情は、医療関係者が「死ぬ」という言葉を使わないのと同じなのだと思う)が相次いでいる。
 つい先日「論座」が休刊になったと思ったら、この9月には、「現代」(講談社)「ラピタ」と「Latta」(ともに小学館)の休刊が発表された。
 Lattaという雑誌には、最後まで縁がなかったが、ほかの3誌は、そこそこに関係があって、いずれも私には、なじみの深い仕事場だった。

 論座には、結局、最後までコラムを連載していた。創刊の頃もなにかで関わった記憶がある。振り返ってみれば短命な雑誌だったが、個人的には縁の深い雑誌で、その意味で、終刊は残念だ。
 「ラピタ」では、おそらく2年間ほど仕事をしている。2ページの取材モノを連載していて、けっこう色々なところに行った。なぜか名古屋のアンティークショップに買い物に行ったり、六本木のディスコで15センチのロンドンブーツを履いた写真を撮ったりした。元来が出不精な私にとっては、貴重なバカ体験だった。
 「現代」では、ルポルタージュじみた仕事をやったことがある。そのほか、対談記事や書評などで何回かお世話になった。

 ほかにも、休刊が噂されている雑誌がいくつかある。
 月刊のPlayboyも無くなるらしい。
 いくつかの雑誌の終焉と赤塚不二男先生の永逝が、タイミングとして一致したのは、偶然なのだろうか。

 雑誌の時代が本当に終わりつつあるのかどうかは、まだわからない。
 曲がり角に来ていることは確かだが。
 でもまあ、人間が文章を書くという営為が滅びるはずはないのだし、他人の書いた文章を読むという習慣が消失するわけでもない。
 媒体の形が変わったり、メディアをスポンサードする主体が変化したりということはあっても、広い意味での「雑誌文化」は、不滅だと思う。
っていうか、不滅であってほしい。
 できれば。
 業界のために、というだけではなくて。

 9月は、ぼちぼち更新する所存です。

 ついでに告知しておきますが、「コラム道」という書籍のためのネタ(←おそらく「コラムのためのコラム」になるはず)をミシマ社という出版社のブログに連載する予定です。
 ……と、こう書いておくことで、外堀が埋まる仕掛けですね。

 ミシマ社には、本当は7月から毎週金曜日にテキストをお送りする予定でした。
 それが二ヶ月も延びてしまっているので、非常手段に出た次第です。
 初回分は、まだ送っていませんが、今後、順次更新予定です。よろしくよろしく。

 ざっとした見出し案などを。

コラムとは何か
枠組みと額縁
構図と視野
書き出しと結語
推敲とアドリブ
パターンとカオス
着想と着地
文体と個性
比喩
修辞
ミッションとモチベーション
貧困と観察
視点と論点
平明な思想をひねくれた技法をもって表現する上での基礎的な応用

 ……と、以上に挙げた事前の思いつきは、おそらくこの通りの形で実現することはない。
 というよりも、構想を逸脱した着地点に至る道筋にこそ、コラムという規格外の枠組みを……とか、デタラメを言うのはよそう。
 とにかく、なんとか形にせねば。ねばねば。

 

 

| | コメント (10) | トラックバック (0)

« 2008年7月 | トップページ | 2008年10月 »