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2008/07/01

グラフィティと美意識

※上越新幹線に「Hack」と落書き 始発が運休

 新幹線の車両に落書きが発見されたのだそうで、NHKの「ニュースウォッチ9」がけっこう大々的に報道していた。
 やめておけば良いのに。
 というよりも、このテのニュースは、徹底的に黙殺しないといけない。
 ぜひとも無視すべきだ。

 なぜというに、メディアの報道は、そのまま落書き犯のモチベーションになるからだ。
 こういう事件を報じるのは、逮捕された場合に限るべきだ。ニュース原稿も、極力小物扱いで処理し、キャスターならびにコメンテータもノーコメントでスルーしないといけない。片頬で冷笑しつつ次のニュース(どっかの課長がケチなわいせつ事件を起こしたぐらいの事件が好適)に移動するぐらいの取り組み方。ふふん、ぐらい。
 メディアが騒ぐのは、犯人の思うツボ。
 ただでさえ、まんまと侵入して、ものの見事に落書きを描き切った犯人は、彼らの世界の中では「英雄」になっている。おい、えらくクールな仕事っぷりじゃないか、ブラザー、と、そんな不埒なクルーに勲章を与えてはならない。
 なのに、NHKは騒ぐ。古舘はもっと騒ぐかもしれない。ああいうヤツだから。
 いずれにしても、自らの「作品」を全国ネットで紹介され、しかも手がかりひとつ残さず、つかまる気配さえみせていない彼は、今のところ、完全にヒーローだ。

 きっと後追いが出る。
 痛快だしね。彼らにしたら。NHKのネクタイぶらさげたキャスターが眉をひそめたりしてるわけだから。
 こんなに「カッコイイ」ことって、ほかにあんまり無いんじゃなかろうか。

 グラフィティみたいな文化にシンパシーを抱いている人々の美意識からすると、新幹線の土手っ腹に鮮やかに大書した文字は、これはどうしようもなくカッコイイはずだ。議論抜きで。だって、一夜明けたらあポップな電車が誕生してたわけだから。あの、スクエアでビジネスくさいジャパニーズリーマンの希望の流れ星であるところの「シンカンセン」が、ハーレムの裏路地モードに変身だぜ、な、これって、イケてるよな?
 であるからして、この素敵滅法な作品を「落書き」としか評価できないニュースの連中は、ひたすらにダサい。もちろん、「道徳」だの「倫理」だの「公徳心」みたいなところで議論をしてるオヤジたちの恥ずかしさは、申すまでもない。あんたたちがそんなふうにあんまり型通りに恥ずかしいから、オレらとしても、Hackせざるを得なくなったわけなんだ、な、わかるだろ? YOYO(笑)

 先日、新しいサドルを買った時につくづく思ったのだが、人間の美意識というのは、これは本当にどうしようもないものだ。
 自転車に乗り始めたばかりの頃、私はまだママチャリの側に立っている人間だった。だから、ちょっとだけスポーティーなクロスバイクはカッコイイと思ったものの、あまりに細くて軽いロードバイクは、「頼りなくて気味が悪いぞ」ぐらいに思っていた。
「スカしてんじゃねえぞ」とも。
 サドルについても同じ。レース仕様の細くて軽そうなサドルを見て美しいと感じるようになったのは、わりと最近のことだ。
 要するに、自転車屋の店頭に通う機会を重ね、専門のカタログを眺める時間が増えるにつれて、私の感覚は、いつしかローディーの皆さんのそれに近づいていたわけだ。具体的に申し上げると、後頭部のトンガった鋭角的なフォルムのヘルメットを素敵だと思うようになり、股間モコーリのレーサーパンツ姿に異様さを感じなくなり、吊り目型の昆虫人間っぽいサングラスを美しいと思うような、そういう美意識を獲得したわけです。でもって、なんであれ軽くて華奢で痛そうで高そうなブツが欲しいという、不気味な物欲を抱くに至ったのだね。おそろしいことに。

 美意識はあなどりがたい。
 先日、話のタネ に「チャンプロード」という雑誌を買ってみたのだが、一通り目を通してみて、私はこう考えた。つまり、ヤンキーというのは、思想や生き方である前に、まずなによりも、美意識なのだ、と。
 私自身は「チャンプロード」が提示する美意識に与する者ではない。彼らの言う「オトコっぽさ」が有効な哲学であるとも考えない。でも、あれを見てぐっと来る人々がいることは理解するのである。
 要するにキーワードは「美意識」なのだ。
 「チャンプロード」を熟読するとこのことが良くわかる。あの雑誌の主要な読者層である「ヤンキー」の人々とて、遡ってルーツを辿れば、単に「かっこいい」と思うから革ジャンを着るみたいな、至極単純なところから出発したあどけない少年に過ぎなかった。’60sの子供(しかもエリートを自認する洋楽カブれの小学生)であった私が、長髪&ミリタリースーツの異様なファッションに憧れたのとまったく同じように、だ。
 どうして小学校6年生だったり中学の一年坊だったりする子供が、エナメルの白いベルトを見て「イカすぜ」と思ったり、ズボンを膝のあたりまで下げて歩いているお兄さんに憧れたりするのかは、これは別の問題としてひとつじっくり考えてみなければならない課題ではある。が、それはそれとして、本格派ヤンキーの若者たちが、「チャンプロード」の読者ページで口々に語っている通り、彼らがこの道にはいったきっかけは、必ずや「カッコイイから」なのである。
「地元の先輩で、えらくカッコイイ人がいて、その人のやることなす事をマネしたわけッス」
 と、そのテのエピソードで埋まっていることであるのだよ。この種の雑誌の自分語りコーナー(←少年院卒業インタ。彫り物師探訪。ヤンチャ史連載。オレらのチーム紹介などなど)は。
 で、皮ジャンを羽織り、タトゥーに憧れ、逆立てた金髪を「イケてる」と自認し、ヤンチャと補導歴が自慢で、この世で一番大切なのは「仲間」であると主張する人々ができあがって行くのだ。もちろん、親とか先コウとかはまるで眼中に無いし、「漢」は必ず「おとこ」と読む。これは、思想や覚悟の問題ではない。反抗や逸脱を自覚的に目指した結果でもない。本人たちとしては、あくまでも「カッコイイ」と感じることを自然に追究した結果の暫定的な立ち位置に過ぎないのである。

 うむ。話がズレたな。
 寝よう。

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コメント

自転車について

ふっふっふっ、とうとうこちら側の人になってきましたね(笑)
そのうち、三大自転車雑誌のうちどれかを毎月読むようになって、
でも、1年か2年そうしていると、もう飽きて読まなくなり、
そうこうしているうちに、フルカーボンのロードがどうしても欲しくなります。
そうなると、今乗っているようなクロスバイクは、どうしようもなく鈍重に見えて、
自転車で歩道を走る気は、まったくなくなります。
だって、危ないから。ママチャリと歩行者がうようよいるのですよ。
そのころには、腹も少しは引っ込んでいるでしょう。


美意識について

そうなんです。何がかっこいいか?というのが行動の原点というか、衝動の基本なのだと思います。
これはヤンキーの兄ちゃんだけじゃなく、リーマンとかすべての人も。
というか、生物は美意識によって進化してきた、というのが私の昔からの(誰にも言わない)持論(妄想ともいう(笑))でした。
なんで居心地のいい海から陸に上がってくるやつがいたか?--そういうのがかっこいいと思った魚がいたからじゃないのか?
首の長いやつがかっこよくてエライと思われたから--キリン。
というわけ。
ダーウィンぐらい頭が良くてヘリクツが回れば、学説でも書けたかも(笑)

今回のネタは得意分野なので飛びついちゃった(笑)

投稿: ベガルタファン | 2008/07/02 09:21

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