おもてなし
※交流不発、自治体肩すかし 洞爺湖サミットhttp://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080708AT1G0704008072008.html
主要国首脳会議(洞爺湖サミット)で地元自治体の「おもてなし」が肩すかしを食らっている。主要8カ国(G8)首脳の直接訪問は相次ぎ不発。主会場のおひざ元の温泉街で連夜開かれている盆踊り大会は外国人宿泊客の“欠席”が目立つ。多忙な日程などやむを得ない事情も絡むだけに、関係者らは盛り上がりを欠く交流行事に思案顔だ。
「浴衣約2000着をそろえたけど……」。洞爺湖町の職員は苦笑する。湖畔の盆踊りは温泉街に滞在する各国関係者との交流を図ろうと、町民らが企画し、5日から始まった。町は宿泊先を通じて竹の繊維でできた「エコ浴衣」を配り、参加を呼びかけてきた。(日経新聞)
当然ですね。
盆踊りとか浴衣みたいなアイテムは、生粋の日本人の、しかも、いい年をぶっころがした中年オトコであるオレでさえ、ぜひ御免こうむりたいと念願しているところのものだ。それを外人さんに押しつけるなんてもってのほかです。
浴衣については、いつだったかこのページで触れたこともあると思うのだが、あれは、海外に発信する日本文化として、あまりにも恥ずかしすぎる。誰かが止められなかったんだろうか。
デザインや機能性の問題ではない。浴衣は、部屋着、寝間着、ないしは文字通りバスローブに相当する役割を担った衣服だ。
その「プライベートな部屋着」を身に纏った人間を、海外の国家元首の目前に晒すというのは、これは、やはり失礼というのか、いずれにしてもとても居心地の良くない見世物になると思う。
「浴衣姿」= 「浴衣でくつろいでいる状態は」、本来、自室でのプライベートな時間に限定されているはずのものだ。たとえば、パジャマでテレビを観ているとか、バスローブ姿で風呂上がりのビールを飲んでいるとか。
それを、自室の外に持ち出すのは、やはりどうかしている。
日本旅館における「おもてなし」の思想は、「(自宅の居間や寝室にいる時と同じように)浴衣姿になってくつろいでください」ということなのだと思う。
そこまでは良い。
が、日本旅館のプライベート感覚は、ロビーや路上にまで延長される。
どういうことなのかというと、温泉街に代表される日本の典型的な観光地は、観光客が、旅館内の公的スペースはもちろん、町内の街路や映画館や射的場といった、あらゆるパブリックな場所を、浴衣姿のまま歩くことが許されている町で、彼らの定義では、そういうふうに、無防備なカタチで、公私の分別なく過ごせるということが、その町の特別さを証し立てている、てなことになっている。
おそらく、宴会における「無礼講」に通じる何かなのだと思う。
肩肘を張ることなく。カミシモを脱いで。一人の裸の人間に戻って過ごせる場所……と。
主旨はわかる。
でも、私には無理だ。
温泉旅館のベタついたサービスや、押しつけがましいもてなしは、一旅行者である私には、ただただ面倒くさい。ホテルのロビーをわがもの顔で闊歩する浴衣姿の団体客と旅先の友情をあたためたいとも思わない。ぜひ放っておいてほしい。なぜというに、オレは無礼講の仲間じゃないし、キミらの身内でもないし、当たり前の話だが、見知らぬ町の人間と公私の枠組みを取っ払ってまで付き合う筋合いはないからだ。
盆踊りの対人感覚も、あれが小さなムラ社会の中の年に一度の祝祭であったからこそ有効だった話なのだと思う。
YOSAKOIソーラン(この度のサミットで、なぜか歓迎イベントのひとつに採用されていた。恥ずかしくて顔から火が出そうだった)みたいな祭は、ムラ社会のサイズ(せいぜい500人程度)でしか通用しない(というよりも500人以内なら無礼講も楽しいのかもしれない)はずの集団的逸脱を、市の規模(つまり数万人から数十万人を相手にしたイベント屋採算ベース)で展開している暴挙なのだと思う。
「交流」とか「おもてなし」とか言ってるけど、要するにPRだから失敗したのだ、と私はそう思っている。
この機会に地域の活性化を、とか、票を、とか、採算ベースの観光資源を、とか、そういう思惑は、かえって外国から来た人には見え見えだったりするのだと思うな。
ええ、恥ずかしいことです。
参考までに、以下、過去記事へのリンクを
※2000年2月22日の日記:観光地の浴衣ピープルについて
http://odajiman.net/diary/20000220.html
※2000年8月13日の日記:トルシエの浴衣について
http://odajiman.net/diary/20000813.html
あるいは、「おもてなし」は、「裏があるよ」ということの隠喩なのだろうか。
ニッサンティーダ (ティアナ) のCMが外人さんのローマ字でアナウンスしている「OMOTENASHI」は、いかにもそんな感じだが。
| 固定リンク
コメント
原住民でございます。
サミットなどは全く関心が向きませんでしたがYOSAKOIソーランについては少々思い当たるところがあります。
あれはあるとき内地の人間が唐突に持ち込んできて、放送ネタに事欠いていた現地のテレビ局などが飛びついて散々持ち上げた結果現在のようなバカ騒ぎの恒例イベントとなりました。
確か香山リカ女史の「ぷちナショナリズム症候群」という本でも触れられていたと記憶していますが、原住民としてはあんな腐ったイベントには無視を決め込むのが正しい態度だと考えています。
投稿: shim47 | 2008/07/10 02:03
でも多少とも救いだったのは「サミット音頭」が出なかったこと。
え、どこかで出たの…?
とにかく今後、××音頭は法律で禁止しませんか?
投稿: taiyo2008 | 2008/07/10 23:57
「無礼講」って「Break on」に似ていますね(^_^;)。
全く関係ない話でスイマセン。
投稿: jokerman | 2008/07/11 14:26
まぁ、平岸天神ならまだ「YOSAKOIソーラン」ですからいいのですが、新琴似天舞龍神は最早「YOSAKOI」でも「ソーラン」でもない唯の創作ダンスですからね。ここから一歩でも先に行くと、あとは有象無象の「珍舞」だらけになってしまいます。YOSAKOIソーラン祭り参加チームの85%は、こういうバカ騒ぎのチームです。
取り敢えず、サミットで見せるに堪えるのは、平岸天神と三石なるこ会くらいですね。ここまで真面目にやってれば、そろそろ伝統芸能にはなるんじゃないかと。
投稿: 五月原清隆 | 2008/07/13 21:11
いつも刮目して拝読させていただいています
本題とずれ気味で恐縮ですが、ニッサンティアナのCMは最初のバージョンでは、和服のトヨエツが登場していました。この人は、雪駄で運転をするつもりなのか、それともOMOTENASHIされるお客さんとして後部座席に座るつもりなのか? はたまた、クルマを置き物として、掛け軸、生け花、蚊遣りの延長線上の室外装飾の新しい接客の提案なのか?、不思議でしたね。
投稿: tokyojoe | 2008/07/14 15:28