電話の調子が良くない。
ブツは、昨年の大晦日に池袋の家電量販店で購入したプリンタ複合機(プリンタ+スキャナ+コピー+ファックス+電話機)で、不調なのはその子機。普及型複合機だけに、コストはかかっていない。安物といえば安物。何から何まで載っかって3万円ちょい(だったと思う)でしたから。
症状は、よくあるボタンの接触不良。購入後しばらくして、「切」ボタンがセンスしなくなった。でもまあ、切る時には、充電器に戻せばなんとかなるということで、不便は感じつつも、そのまま使っていた。
それが、この3ヶ月ほど「3」のボタンがセンスしにくくなっていた。
指を立てて押しこめばなんとかなるのだが、それでも3回に1回ぐらいは認識してくれない。
で、この一週間ほどは、その認識率が10%程度にまで低下してきている。限界。これじゃ電話がかけられない。東京の番号はほとんどすべて3から始まるわけだから。
ということで、昼過ぎ、川口のY電機に自転車を飛ばす。できれば修理を……と。たしか、オプションで買うと子機1台で8000円ぐらいしたはずだから。こういうものって、本体はやたら値引きしてるけど、インクとか付属品とかはモロな定価販売で売られていたりする。消耗品ぐらいにしか儲けどころがないという事情を反映した値段なのであろうか。ひどい。まあ、PS2用の8メガバイトメモリ(←ギガじゃありません。メガですよ。いまどき)がいまだに2000円以上で売られていることに比べれば、十分に良心的ではあるのかもしれないが。
Yダ電機が修理をやってくれる、と、はじめからそう決めてかかっていたわけではない。ただ、あれだけの大規模店なんだから、修理スタッフの一人や二人置いていたってバチは当たるまい、とか、ちょっとそういう甘い夢を見ていたわけだね。昭和の人間だから、オレも。
甘い夢でしたね。まさに。
レジ横の携帯電話申し込みコーナーあたりでヒマそうにしている店員(男・アルバイト風)にアクセス。「これこれこういう症状なのだが」と、ボタンの接触不良について説明しつつ、修理の可否を問い合わせてみる。
「少々お待ち下さい。今、担当の者を呼んでまいりますので」
待つこと3分少々。女性店員登場
「電話の子機の場合は、親機との通信がありますので、修理は親機も含めてということになりますが、それでもかまわないでしょうか」
いきなり大げさな話になる。
「えっ? 単なるボタンの接触不良ですよ」
と、こちらも必要以上に驚愕してみせる。
「……しかし、電話機の場合には、親子で組になっておりますので……」
「じゃあ、テレビのリモコンが接触不良でも、テレビとコミの修理になるわけなんですか? そんなべらぼうな話は聞いたことがありませんが」
「……すみません。いま、担当の者に話を聞いて参りますので」
担当の者というのは、この場合、店の側で、対応を話し合うということなのだろうな。
待つこと約3分。やや年かさの店員(男)があらわれる。
「申しわけありません。修理は、子機だけで大丈夫です」
と、軌道修正。当然だよな。いくらなんでも、複合機をまるごと持ち込むなんてあんまりバカげている。
- それにしても、どうして彼らは、最初の段階で「親機コミで修理」なんていう無茶を言ってきたのだろうか?
思うに、Yダ電機側の修理応接マニュアルは、以下のようなシナリオを想定していたのだと思う。
客「電話の子機が……」
店員「あ、これは、親機ごとおあずかりしての修理になりますね」
客「修理には何日ぐらいかかるのでしょうか?」
店員「一週間ぐらいはみていただかないと……」
客「ええええ? 一週間も電話無しで過ごすなんて、無理ですぅうう」
店員「いまでしたら、普通紙ファックスの子機付き電話が1万2000円でご用意できますよ」
客「え? 1万2000円? 安いんですね。うーん、1週間待ちで、おまけに修理に何千円も取られるんじゃ……いっそ新しいのを買おうかなあ」
とまあ、この台本通りで、新しいブツを買う流れに乗かってしまう人々も、それなりにはいるのであろう。振り込め詐偽にひっかかる人たちだって、相変わらず何万人単位でいるみたいなのだからして。
でもね、店員君、あるいは、キミが、どこかの鬼派遣会社からマワされてきた、うたかたの使い捨て店員であるにしても、だ。だからって、客の側に苦境のツケを持って行って良いということにはならないと、オレは思うぞ。
あるいは、もしかして、キミらが、一月何十時間のサービス残業を強いらていて、なおかつとんでもない売り上げノルマを背負わされているかもしれない件については、私とて、まるで斟酌しないわけではない。うん、事情はわかる。でも、オレの側にだってさしたる余裕があるわけではないのだよ。だから、キミらが用意した「修理→買い替え説得フローチャート」に乗っかってまんまとニューマシンを買うわけには参らぬのだ。わかってくれ。
土曜日の昼過ぎに、アロハ&ハーフパンツで現れた50男は、やっぱりまるっきりのIT音痴に見えるものなのだろうか。あるいは、縄文人ぐらいに。
で、話は続く。
「で、子機をお預かりした場合、メーカーの方に修理を依頼することになるわけですが、その前に手数料をいただくことになっています」
と、店員君は、なにやら書類を持ち出してきて、説明をはじめている。
「は?」
理解できない。何を言っているのだろう。
「つまりアレですか? 修理をするのはメーカーで、オタクは、間をつなぐだけということですか?」
「ええまあ。そういうことになります」
「で、そのことのために、メーカーの修理費とは別に、手数料を取る、と?」
「……ええ」
「つまり、マニュアルの後ろのところに載っているサービスセンターだかに私が自分で電話すれば、それで済むという話になりますよね」
「……ええ、そうですね」
……なんだかクレーマーみたいな感じに思われるのもナニなので、このあたりで矛を収めることにした。
「どうもお手数かけてすみませんでした。月曜日にでもウチからメーカーに直接電話してみることにします」
「……駐車券の方は大丈夫ですか」
「いえ、お気遣いなく。自転車なんで」
「どうもお役にたてませんで」
と、最後はお互いに礼儀正しくあいさつをいたしましたことですよ。ええ。日本人って素敵だなあ。
悪いのは店員ではない。
おそらく、われわれが住んでいるこのハイパー消費資本主義の世界が、地球に優しくないということなのだと思う。
エコ替え?
関根君。キミは、最近ちょっとおかしいぞ。
白熱電球を電球型蛍光灯につけ替える件については、私もおおむね「エコ替え」案に同意しようと思っている。
でも、それにしたって、タマ切れまで使い続ける場合と比べて、いずれのケースがより省エネルギー的かつ省資源的であるのかを判断するためには、照明のスイッチング頻度と使用時間と電気使用量を細かく試算してみないと答は出せない。
クルマのエコ替えは、話が全然違う。規模も値段も違うし、燃費を云々する以前に、クルマを一台生産するためにかかる環境負荷を計算しなければ話にならない。
まだ乗れるクルマを、より燃費の良いクルマに買い替えるプランは、自動車会社の経営にはやさしい。でも、地球には優しくない。ドライバーにも。ガソリンスタンドにも。
月間の平均走行距離が数千キロで、なおかつ、新しいクルマとの燃費格差がリッター当たり5キロ以上だというのなら、そりゃたしかに、買い替えた効果はあるだろう。でも、そんなのはレアケースだよ。それに、一般的に言って、燃費の改善は、クルマをスケールダウンしないと達成できない。同グレードのクルマだと、新型が多少低燃費傾向だと言ってもせいぜいリッター2キロ程度。あるいはもっと少ないかもしれない。
一方、クルマをスケールダウンすることは、ドライバーにとって、かなり大きな心理的障壁を超えないと達成できない作業だったりする。うちみたいな横並び空気読み国家の場合は、特に。だってたとえばセルシオのオーナーが、次のクルマをカローラにできますか? いや、カローラでないにしても、ウィンダムぐらいでも、格落ち感横溢、負け犬認定確実でしょうが。おいおい、ミズムシのクスリに乗り換えかよ(藁)ですよ。
いずれにしても、1トンの新しい鉄クズと一月数リッター程度のガソリンの節約が、バランスするとは、私には到底思えません。よって、クルマのエコ替えは欺瞞。っていうか、エコエコ詐偽だよ。トヨタ流の。
シンプルマチコさん(←ニッサン・マーチのCMキャラ)も、ちょっとヘンだと思う。
「エコバッグでお買い物」とか言ってるけど、クルマで買い物に行ってたら意味ないだろ?
地球に優しいのは不景気。あと、恐慌と戦争と天災と少子化。疫病も。
心構えとしては、貧乏と吝嗇が必須。最エコ。
最悪なのはおしゃれ、流行、グルメ、モテ志向あたり。
その意味では、原油を投機対象に金儲けをたくらんでいる悪党どもが、一番エコなのかもしれない。
広告屋が提案するエコは、決して省消費の方向には向かない。
エコ消費だとかいう、新たな消費を提案してくる。
つまり、「パンが無いならケーキを食べればいいのに」的な、そういう発想だよね。
クルマに乗ってエコバッグで買い物とか、世界中からセレブを集めて、エコを考えるイベントを開催して入場料の一部(っていうか、現場でのテキヤ商売の売り上げのそのまた一部だけど)を寄付とか。
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