« 閉店 | トップページ | 負傷 »

2008/02/17

モバイルな一日

 昼過ぎから、自転車に乗る。
 ここしばらく、雪が降ったり風が強かったりで、思うように走れなかった。まとまった距離を走るのは10日ぶりぐらいになる。
 赤羽から、十条仲原、西が丘、国立トレーニングセンター、大和町、仲宿、板橋、巣鴨を経て、本駒込、本郷、根津、谷中と、17号線の裏道を探しながらダラダラと走る。
 根津から谷中にはいったあたりで、すぐ近所に古い友人の墓があったことを思い出す。
 もう20年も墓参をしていないが、正確な場所にたどり着けるだろうか、と、そんなことを考えながらしばらく谷中近辺を走り回る。
 線香をあげようと思ったわけではない。私は、その種の信心深さとは無縁だ。
 が、偶然であれ、気まぐれであれ、いま自分がこういう場所を走っているということは、もしかして故人が呼び寄せたからなのかもしれない……と、そういう考えを抱く程度の迷信深さは、持ち合わせている。で、なんだかんだ30分ほど、日暮里と西日暮里の間の諏訪台通り周辺を探し回った。
 目的の寺は見つからなかった。
 私の記憶が間違っていたのか、それとも周囲の景色が変わっているのか。寺の名前を覚えていないだけに、どうしようもなかった。

 自転車で走る場所も、さすがにネタが尽きてきた。
 河川敷のサイクリングロードを上下するのは、この時期、冷たい北風が強すぎてあんまり気がすすまない。苦行っぽいし。
 で、都内を走ることになるわけなのだが、情けないことに、私の輪行は、孫悟空の飛翔やハムスターの疾走と同じで、決まった範囲から外に出ることができない。堂々巡りを繰り返している。
 その「範囲」は、簡単に言えば、山手線の北半分、もう少し詳しく言うと、「山手線を新宿と秋葉原を結ぶ総武線で切断した際にできる半円の北側に、赤羽・田端・池袋を結んだ三角形の帽子をかぶせた地域」ということになる。
 私は、このとんがり帽子から外に出ることができない。
 山手通りを走っていても中野区に足を踏み入れるととたんに心細くなるし、明治通りも台東区まで行くとにわかに里心がつく。大田区だとか世田谷区品川区あたりは検討の候補にさえのぼってこない。だって、クルマで走っていてさえアウェーな感じがしてくるこの世の果てなのだからして。

 北、板橋、豊島、文京の4区は、どこをどう走ってもなじみ深い。ホームタウンだからね。
 この4区は古い時代の都立高校の学区分けにおける第四学区に相当する。ここには、高校の同級生の自宅が散在している。それゆえ、すべての町名に、何らかの手がかりがある。
 この「旧第四学区」に、新宿周辺とお茶の水秋葉原界隈を加えたものが私にとっての「東京」のほとんどすべてということになる。ついでに言うなら、私にとっての「日本」も、8割方はこの範囲内に格納されている。うん。わがことながらケツめどが小さい。ヒデよ、笑わないでくれ。3LDKの国際感覚。携帯祖国。

 ともあれ、私の記憶のほとんどは、旧第四学区圏内にある。
 だから、このあたりを自転車で走っていると、土地に結びついた様々な記憶が去来する。
 良いことも悪いことも。
 あらゆるくだらないすべてのことどもが。

Denki
※帰途、田端新町で見かけた縄のれんの酒場。再開発対象になっているようだったので撮影しておきました。

 それにしても、輝かしい記憶や、懐かしい思い出が、いつも悲しみに似た感触を伴って思い出されるのはなぜなのだろう。
 それらのかけがえのない記憶と結びついている場所や時代に、二度と立ち戻れないことを、われわれが既に知っているからだろうか。
 反対に、辛い記憶や、苦い思い出が、それを思い出しているわれわれにさしたる苦しみをもたらさないのは、私たちが既にそれらを克服しているからだろうか。

 いずれにしろ、ペダルを踏んでいると実にたくさんのことを思い出す。イヤフォンの中で'70sのロックが鳴っていると特に。
 ワープロ付きの自転車が発明されるべきだと思う。
 あるいは文字通りのモバイル(←車輪付き)PCが。
 そうすれば、200キロの走行で、素敵な青春小説がひとつできあがる、はずだ。
 
 どうせ、警察が禁止するんだろうけど。
 

 

|

« 閉店 | トップページ | 負傷 »

コメント

そういえばウェアラブルPCてどうなったのでしょう。最近とんとうわさを聞きませんが。

投稿: かくた | 2008/02/17 19:46

>その「範囲」は、簡単に言えば、山手線の北半分、

 この感覚は西日本の人間が東京駅-新宿を結ぶラインより北に違和感を持つのと同じですね。上野や日暮里が地の果てに思えますから。

投稿: えいじ | 2008/02/17 20:08

えいじさん、なんか全然違う気がします、
単にあなたが知らないだけw。
安易な一般化(西日本の人間とか)しないで下さいよ。

投稿: 臣民 | 2008/02/18 20:31

川口育ちの私も京浜東北で王子の飛鳥山が見えると
ちょっとホットします。
赤羽に着くと八起で一杯やろうかと誘惑にかられます。

投稿: KAJII | 2008/02/18 21:16

はじめまして。内田樹さんのブログを見ていたら、小田嶋さんのことが書いてあっておじゃましました。
私も第四学区の人間で、私の東京の範囲とほぼ同じなので、内田さんと同じように「おお、シンクロニシティ。。」
私の散歩コースは、自宅→お茶→秋葉原→上野→自宅ってな感じです。

投稿: うー | 2008/02/18 22:08

過去の辛い体験は記憶の中ではこれ以上悪くなりようがないのに対して、過去の栄光は回想の中では常に8分目なんですよね。
「ああ、ここでこう言えば良かった」
「もう少し努力と気配りが出来ればもっと上に行けた」

あるいは栄光の時期ををリアルタイムで自覚出来ずに漠然と時間を流させてしまった後悔
「今、思うとあの頃が絶頂だったよな。それに比べて今は・・・、いや10年後にはひょっとしてこの2008年が絶頂だったと思い返してるかも知れない・・・まさかね」

幸福を測るメーターがあればいいんですけどね。

投稿: 44 | 2008/02/18 23:41

はじめまして。
2002年頃よりいつも興味深く拝見しております。
我が家の近所の風景が写っていたのでついつい・・・
貧しさと富裕さの加減が程よくて、城北地区に住みついたのです。
3月以降の休日、赤い恰好でいそいそ歩いているのが私なんですが・・・

投稿: くられ | 2008/02/19 16:52

>それにしても、輝かしい記憶や、懐かしい思い出が、いつも悲しみに似た感触を伴って思い出されるのはなぜなのだろう。

'99年版ベスト・エッセイ集に収録されたエッセイスト・小田嶋隆先生の片鱗を垣間見ました。
私は旧東京第三学区のエリアを未だに逍遥しています。中野北口の喫茶店「クラシック」はついに消滅しましたが。

投稿: 丹沢山人 | 2008/02/19 17:48

くられさん

> 貧しさと富裕さの加減が程よくて

これ、すごく同感です。ちょっと懐かしい感じもありますしね。
王子から西巣鴨まで高速が出来ちゃったときはショックでした。
いい感じでさびれたパチンコ屋があったりして好きな道だったんだけどな。

投稿: まる | 2008/02/19 18:17

>えいじさん、なんか全然違う気がします、
>単にあなたが知らないだけw。
>安易な一般化(西日本の人間とか)しないで下さいよ。

出身は西日本というより南日本で、でも今は「南栗橋」とか「久喜」とかへ向かう鉄道の沿線にお住まい。上野や日暮里から見たら、用賀フタコから向こうは地の果てかも知れない、などとは考えません。中央新幹線が松本を経由すると思ってるらしいですよ、この人。

投稿: 牛込駒込馬込 | 2008/02/19 23:43

有栖川有栖川ってどったな川なのすか。

読んでおけばよかつたコテンとかゆうてないで、したらば今からでもとかも勘がエマする。考え!まする。しっかり、えいとっく。である。

投稿: NS9遣い | 2008/02/20 03:00

久しぶりに訪ねてみたら、素敵な文章に出会うことができました。

>大田区だとか世田谷区品川区あたりは検討の候補にさえのぼってこない。

小田嶋さんとは2つ違いの私ですが、品川区に生まれ、世田谷区に住んでいるので、感覚が全く逆ですね(^_^;)。赤羽は、未だに、通ったり乗り換えたりすることはあっても、降りたことはなく、地の果てに思えます。今はそうでもないですが、若い頃は東横線と京浜東北線と多摩川と山手線に囲まれた地域は庭だけど、その外側はちょっと、みたいな感覚がありました。

投稿: jokerman | 2008/02/20 10:11

俺はどこでもいってました。ただ、自由が丘だの世田谷どまんなか辺りはやはしすこうしきおくれが。えーっと。今つっこみが入ったので。代官山は拒否のないかんじですたる。NTTのブースがちょいとこじゃれてて。あととしょかんのあるひろお。

よよこーはさいこーでしたるー。イヤーあのころのしゃーわせとりもどすのである!

ふたりのげきてきはあすかやまのべんちからおきますたる。

投稿: n-tto | 2008/02/21 00:53

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: モバイルな一日:

« 閉店 | トップページ | 負傷 »