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2007/11/28

敗戦など

 午前中に原稿を1本と打合せをこなして、午後は自転車で神保町に出動。Y氏との対談企画。しばしの間、久闊を叙しつつ、今年のスポーツ界を振り返る。
 よく働いた一日だった。
 帰路、心地良い寒気の中、中山道を走る。午後7時から天皇杯の試合があるのでね。

天皇杯4回戦 浦和レッズVS愛媛FC

 帰宅後、早速テレ玉で試合観戦。
 信じられない。J2 10位の愛媛に完敗。

  • 前半の途中までは押し気味で進行するものの、20分を過ぎたあたりからボールが停滞。30分過ぎからは完全に押されはじめる。
  • 後半、立て直してくるかと思いきや全然ダメ。時間が過ぎるほどにさらにパスが走らなくなる。
  • 一方、愛媛の側は、伸び伸びとボールを動かし、少ないタッチで効果的に人が動いている。まるでこっちが格下みたいな試合ぶり。
  • 結局2-0で敗れる。2点はいずれも田中という若いFWのファインゴール。前線でやっかいな動きをする油断のならぬ選手だった。
  • 今日のゲームを見る限りでは完全な力負けの印象。やはりポンテがいないと中盤の落ち着きどころがないということなのだろうか。
  • 点を取られてから、闘莉王が上がりっぱなしだったが、最後のフィニッシュがうまくいかなかった。
  • とてもまずい。
  • 最近の5試合は、3連続引き分けの後、2連敗ということになる。非常にまずい。
  • 土曜日の試合はなんとしても勝たねばならない。
     

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2007/11/18

清水戦

2007J1第32節 浦和レッズVS清水エスパルス@埼玉スタジアム2002

自転車で行ってきました。
試合は0-0のスコアレスドロー。
消耗戦でしたね。
堅守。
ゲームそのものはアレでしたが、秋晴れで気持ちよく観戦できました。
最終戦まで行くんでしょうかね。
071118reds
※いつも元気なゴール裏のみなさん。いつか何かのテレビ番組で見たザリガニの卵の映像を思い出します。

071118sunset
※帰り道(東川口付近)で遭遇した落日。地震雲みたいなものが出ていましたが、気のせいだと思います。
 地震雲っぽいものは毎日どこかで出ていて、一方、地震も毎日どこかで起こっている、と。

Oshimd
先日描いた色鉛筆のオシムを、フォトショップ上で加工&彩色してみました。
表情に明るさが出たと思います。

Oshim1118
これは、鉛筆描きそのまんま。力作。昨日描きました。うん、わかってるってば。仕事しないとね。

 スタジアムでは、バック側スタンドに座ることが多く、席に着くと、まず双眼鏡でオシムを探すのが習慣になっておりました。今日は、オシムがいないことがわかっていたので、やはりちょっと淋しい感じがしました。
 オシムは、ほぼ必ず同じブースにいつも同じカタチで座っていたので、すぐに見つかりました。
でなくても、彼の特徴的なフォルム(デカくて四角い)は、双眼鏡越しでも容易に確認可能でした。

 オシム師はいつも、どこかおどけたような表情をうかべています。
 老年の稚気というのか、何かを面白がっている爺さんの表情ですね。
 素敵です。
 こういう楽しそうな顔の年寄りになれたら最高ですね。

 この絵のネタモトは、スタジアムで何かのインタビューに答えている時の写真(ウエブからガメてきました)です。なんとも人を食った顔つきでカメラを見ているあたりに、アルバート・アインシュタインと相通ずるものを感じます。ほら、アインシュタイン先生の有名な写真に、、舌を出して目をギョロつかせているのがあるではありませんか。アレです。オシム師には、なんとなくあの写真の醸すムードと同じ何かがあるのですよ。

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2007/11/16

オシム師

Oshim071116b

さきほどの絵が、なんだか不健康そうな感じに見えたので、もう一枚描きました。
今度は色鉛筆。
なんとか持ち直してほしいです。

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全快祈願

オシム師です。ニュースを聞いて、描きました。
鉛筆&水彩絵の具です。
Oshim071116_2

速やかな回復を願っています。
なんとか回復して、もう一度元気な顔を見せてください。

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2007/11/15

浦和VSセパハン

 昨日、ACL決勝戦に言ってきました。以下、報告をば。

  • O野氏の尽力により発売当日にチケットを入手。感謝感謝。
  • 天気が良いので自転車で出発。
  • 暗くなるまえに到着するべく、午後4時前に家を出る。
  • 秋の日はつるべ落とし。途中、芝川サイクリングロードから見沼代用水東縁を走行中にあたりは暮色に包まれる。

Sunset1104

※見沼代用水東縁(さいたま市緑区大崎付近と思われる)から見た落日。時刻は四時半頃。空がデカい。

  • 四時半過ぎに浦和美園に到着。AEONのショッピングセンターで時間をツブす。
  • ショッピングモール内も赤い人たちでごったがえしている。
  • 11月14日は埼玉県民の日らしい。なんか、仕組んだみたいな展開だな(笑)。

AFCチャンピオンズリーグ 決勝 第2戦 浦和 vs セパハン

  • 座席は、バックスタンド側二階席ピッチを眺めて左寄り(つまり南側)。前半はイラン側のゴールだったので、永井のゴールは比較的近くで見ることができた。
  • 結果だけをみると圧勝。
  • でも途中、特に後半にはいってからは一方的に攻め込まれる時間が続く。
  • とはいうものの、例によって、ボコられつつもなんとかもちこたえる。今シーズンの後半はずっとこんな調子。連戦で疲れているということもあるのだろうが、もしかして、「攻め込まれつつ点を取られない」というのがうちの芸風として定着しつつあるのかもしれない。良いんだか悪いんだか。
  • スタジアムの雰囲気は殺気立っている感じ。旗の数が異常。いや、なかなか盛り上がっていて面白かった。
  • ゴールの瞬間と優勝決定のホイッスルが鳴った時には、スタジアムがマジで揺れていた。きっと少なからぬ数の観客数がジャンプしていたからだと思う。
  • 試合終了後、セレモニーが続くが観客はほとんど帰らない。ゴール裏はほとんど「騒動」という感じ。

Acl1114
※優勝セレモニー。銀色の紙吹雪がきれいでした。でも、何より凄かったのは観客の声。

  • 帰路はひたすら走る。
  • 122号(←コワいのでね)を通らない道を模索して、結局迷う。
  • 浦和美園から続く片側2車線のパイパスっぽい道(自転車通行可能な歩道も素敵に整備されている。段差も無いし、広くて快適)は、「草加・熊谷方面」に行く様子なので、途中から右に折れて東川口駅に向かう。
  • 東川口駅からの新しめの道路(これも快適)は、2キロか3キロで、突然消滅。まわりが暗くなってきたなと思ったら、いきなり工事中になってそれでおしまい。造成途中だったようだ。
  • 来た道をちょっと戻ってまた122号に戻る。相変わらずコワい。トラックがものすごい速度でぶっ飛ばして行く。といって、歩道は路面が悪く(ところどころ波打っていたり、勝手なモノが置かれていたり、雑草の繁茂で狭くなっていたり。それに何より路面が暗すぎる)て、走る気にならない。ママチャリの速度じゃないと危険ですよ。あの歩道は。
  • 橋の歩道には「自転車は降りて通行」とかいう看板が出ている。「えっ?」 という感じ。だって、幅はけっこうあるのに。それでも押して歩けというのか?
  • 要するに、お国(というのか国交省)としては、自転車にはなるべく歩道を走ってほしくない(←「自転車通行可」に指定されている歩道であっても、ということ。普通の歩道は、モロに自転車通行禁止)のだな。速くてアブないから。
  • 歩行者の安全を確保するために、せいぜい15キロ以下で走行してもらいたい、と。
  • で、車道もできれば走ってほしくないわけだ。危ないし、邪魔だし、遅いし、視認しにくいから。
  • ということはつまり、自転車は、できれば押して歩いて貰うのが、一番安全で邪魔にならなくてよろしい、と、お役人の皆さんは、そういう形式でものを考えているんだろうか。
  • まあいいや。とにかく優勝万歳。

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2007/11/10

スピード考

 前のエントリーが、あんまり建前論に傾いている感じがするので、軌道修正をしておく。環境野郎みたいに思われると、ちょっと窮屈なのでね。

 正直な話をすれば、私自身、スピードは好きだ。
 飛ばすと気持ちが良い。
 これは、言葉では説明できにくいタイプの感覚で、なんというのか、単純に速い速度で移動していると、心が晴れ晴れするのだな。スキーにしても自転車にしても自動車にしても。

 速いクルマに対する憧れも、捨てられずにいる。
 ハイパワーなクルマに特有な排気音や、走りに徹した自動車のフォルムにも、抵抗しがたい魅力を感じる。うん。そうだよ。フェラーリの318とかを見ると溜め息が出るのだよ。
 ついでに申せば、カマロみたいなタイプの凶暴なアメ車が走り出す時の野放図な力感も好きだし、値段の高いクルマだけが備えている工芸品じみたツクリの美しさにも惹きつけられる。

 ただ、私は、自分のスピード好きを全面肯定しようとは思っていない。
 アクセルを踏み込む時には、せめて後ろめたさを感じようではないか、と、そういうふうにして自らを律している。

 別の言い方をするなら、スピードの快感と、それに対する没入が必要以上に美化されている現状に違和感を感じている、ということだ。ほら、徳大寺のオヤジの美文だとか、五木の爺さんの逆ハンなんたら以来脈々と流れている、スピードとロマンチシズムみたいなマッチョ自慢の系譜があるだろ? オレは、アレが苦手なんだよ。スピードおやじの自分語りの周囲5メートルに漏れ出ている覆いがたい口臭が。

 快楽そのものを否定しようというのではない。
 ただ、快楽は罪を伴っているということを自覚するのが、文明人のたしなみだと愚考するわけです。

 たとえば、暴力には暴力の快感がある。窃盗には窃盗の快楽があるのかもしれない。あるいは、もっと罪深いことのうちにも、それぞれに隠微な、人に言えないタイプの快楽が潜んでいるのかもしれない。
 でも、「人を殴る楽しさ」や「破壊の面白さ」は、公認されていない。だから、それらについて語る人々は、決して大いばりで自らの愉悦を語ったりしない。
 かくして、ボクシングは四角い狭いリングの中に押し込められ、厳しいルールと制限の中でかろうじて生き残っている。エロもそうだ。ポルノショップや売春宿はどこの国に行っても路地裏に隠れている。
 ボクシングを見る愉しみについてさえ、心あるファンはきちんとした「うしろめたさ」を感じながら、観戦することを自らに課している。

 なのに、スピードの快楽は、それが明らかに反社会的かつ破壊的であるにもかかわらず、なぜか、いつでも美文調で語られることになっている。
 ハリウッド映画でも、ハードボイルド小説の中でも、スピードへの欲求は、明らかに特別扱いを受けている。なんだかそれが「男の甲斐性」で、「少年っぽさ」の尻尾で、要するに「愛すべき逸脱」であるみたいな調子で。あるいは、スピード好きが「心の純粋さのあらわれ」であるみたいな、そういう扱いがデフォルトになっているわけだ。
 だから、スピード好きを公言する人たちの口調にも、微妙なヒロイズムとナルシシズムが漂うことになる。
 どこからどこまでを何分で走ったとか、どこそこのカーブを何キロで走り抜けたといったタイプのエピソードも、反社会的な逸脱というよりは、無邪気な自慢話として語られ、それを聞いている少女たちの表情にも、これといった非難の色は浮かんでいない。
「男の人が何かに夢中になっている姿って素敵」
 みたいな、方向違いの美化。
 狂っている。
 どうかしていると思う。

 で、私は、かくのごとくにスピードが美化されている理由について、以下のように考えている。
 つまり、スピードが美しい本能であるみたいに語られている背景には、スピードが産業化された快楽で、エンジンパワーの増大が資本主義の動力源になってきたということがあるわけで、マスメディアが、スピードを暴力やエロと区別しているのは、産業社会からの無言の圧力に対応しているからなのだ、と。
 考えすぎだと思う人々には、そう考えてもらってかまわない。
 たぶん、考えすぎだから(笑)。

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2007/11/09

ガソリン

 ガソリンが高い。
 ちょっと前に比べて3割ぐらい高騰した印象がある。
 まあ、仕方がないかな。地球環境のためには望ましいことなのかもしれないわけだし。

 環境云々については、本来、ガソリン消費の節約が本命であるはずだ。
 が、現実には、ガソリンの節約は、あまり熱心に叫ばれていない。
 その代わりに、レジ袋の追放だとか、ペットボトルのリサイクルみたいな、瑣末なゴミ拾いレベルの活動が強調されている。
 なぜだろう。温暖化へのインパクトにしても、省エネルギーの効果にしても、ガソリンの方がずっと影響力が大きいと思うのだが。

 理由は、おそらく、ガソリンの節約が、非産業的ないしは反産業的だからだと思う。景気後退につながりかねないし。
 引き比べて、レジ袋追放やペットボトルのリサイクルは、あくまでも生活レベルのお話で、ガス抜きないしは気休めぐらいな活動ににとどまっている。だから、産業界にとっては、こっちの方が都合がよろしい。つまり、実効性よりも宣伝効果が重視されている、と。
 ま、アレですね、海岸の工場が廃液を垂れ流しているのに目をふさいでおいて、砂浜の空き缶拾いに精を出すみたいな話です。

 今回のモーターショーでは、GT-Rの何年かぶりの新作(480馬力!)が注目をあびている。
 こういうクルマは、どこからどう考えても地球に優しくないと思うのだが。
 でなくても、100km/h以上で走れる道路が通っていないこの国で、300km/h走行が可能なクルマを販売すること自体がどうかしている。スジとしては、公立中学の購買部でタバコを売るのとそんなに変わらない話だと思う。
 どうしてお国は、スピード違反を取り締まるばかりで、ちょっと踏むと200キロ出ちゃうクルマを野放しにしてるのだろう。
 売人は野放しで、中毒患者は容赦無く逮捕ってことか? なぜ元凶の連中にナワをかけないんだ? 売人が上納金を払ってるからか?

「日産のゴーン社長は、『なぜわざわざスーパーカーを発売するのか』という質問に対して、『GT-Rは私たちの情熱の証だからだ』と答えた」……という、このお話が、この10日間ほどの間、あらゆるメディアに掲載されている。ものすごい出稿量だ。
 っていうか、プロモですよ。記事というよりも。
 要するに「スーパーカー」「旗艦の復活」「情熱」というのが、日産の新しい宣伝戦略だと、そういうことなわけだ。
 こういうのって、アリなんだろうか。
 サーキットで飛ばすのはドライバーの勝手だし、自動車メーカーがモータースポーツを通じて新技術の開発に夢を託すのもオッケーだ。技術者がテストコースでの限界走行に情熱を傾けるのも大いに結構なことだと思う。でも、公道を走る市販車に、480馬力のエンジンを搭載することは、話として別だ。
 実際、60キロ制限の国道を140キロでクルーズしているお兄さんだとか、片側一車線のタイトコーナーを四輪ドリフトで駆け抜けていく先生方の破壊的な(いや、自己破壊は自己責任だけど、交通事故は自己破壊にとどまらないわけだから)ドライビングについては、責任の半分ぐらいは自動車メーカーにあると思う。
 もちろん、銃を撃つのは人間であって銃自身ではない――みたいな理屈はあるんだろうし、ビニールロープのメーカーが首つり自殺の責任をとる必要はない。
 でも、銃を売っている商売人にも一定の責任はあるはずだし、ちょっとしたことで人死ににつながりかねない道具を売っている人間には、やっぱり相応の慎重さが求められるんじゃないのか?
 とすれば、480馬力は、道楽としてあまりに危険だぞ。刃渡り80センチの果物ナイフみたいなもので。
 で、日本刀で鉛筆を削ってるみたいな阿呆が怪我をしたら、自己責任なのか?


 とにかく、ファン・トゥー・ドライブみたいなはた迷惑なドリームは、ぜひともサーキット限定で追及していただきたい。
 たぶん、彼らは、自分たちの運転技術に自信を持っているのだと思う。
 でも、公道でタイヤ鳴らしてる時点で、巧いとかヘタ以前に、危険ドライバーなわけですよ、実質的には。
 反射神経や運動神経が不要なわけではない。おそらく、咄嗟の事故回避や危険除去のために必要な要素ではあるのだと思う。
 が、そもそも反射神経だとか運動神経みたいなものが要求されるような運転をしている時点で、そのドライバーは危険なのだ。
 普通に運転をしていれば、コンマ何秒の判断みたいな超絶的なテクニックは必要ない。というよりも、公道における運転のうまさは、「パニックブレーキだのカウンターステアだのといった変態的な技巧を発動しないで済むための技術」を意味している。
 だから、現実的には、運転のうまさを自覚しているドライバーの運転が一番コワかったりするわけだ。皮肉なことに。
 
 話がズレた。

 お国は、馬力競争を事実上容認することにしたのだと思う。
 この20年ほど、日本の自動車産業における馬力の限界点は、事実上(っていうか、業界とお役人の妥協線として)280馬力という線で固定されていた。私に言わせればこれだって充分に馬鹿げた数字なのだが、まあ、それでも280馬力枠は、それなりに機能していた。
 それが、どういうわけなのか、撤廃されつつある。
 結局、お国にとっては、交通安全や地球環境保護よりも、自動車産業の国際競争力の方がより重要だった、と、そういうことなのだと思う。
 うちの国だけの問題ではない。
 要するにオレらが住んでいるこのグローバル国際産業社会は、お金持ちがカネを使ってやらかす環境破壊(ベンツのゴーマルにゴルフバックを積みっぱなしにしてそこいらへんをブイブイ走り回ったり、アウトバーンを250キロでカッ飛ばしたり、フェラーリでタバコ買いに行ったり)に対しては、思い切り寛大なわけだよ。なぜかといえば、金持ちの環境破壊は産業規模の拡大に貢献するから。
 で、その一方で、オレら貧乏人には、レジ袋追放みたいなケチくさい節約を要求している、と。
 まったく。

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2007/11/08

近況など

 また、更新が途絶えてしまいました。
 とりあえず、近況報告などを。

※減量について

  • ブログの中で、「減量」という文字(その他、「ダイエット」なども)を使うと、トラックバックスパムが山ほどやってくる。コメントスパムも、おそらくココログの方で止めてくれているのだろうが、来ているはず。
  • 類推するに、特定の文字(「減量」、芸能人の名前、健康関連、病名、ガン関連、エロ関連の言葉などなど)を採取しているロボットみたいなヤツがいて、そいつのアンテナにひっかかると、減量ビジネスだとか、エロ商売に関連したトラックバックやスパムメールみたいなものが山ほどやってくるという仕組みになっているのだと思う。 結局、産業化された妄想が存在する場所は、スパムの巣になるわけだ。
  • だから、このエントリーにもきっとたくさんのスパムが届くはず。まあ、好きにしてくれ。
  • 体重は8月以来増減なし。リバウンドはしていないものの、まったく減っていない。
  • 8月半ばの段階で、目標値の10kg減量を達成したことは既報の通り。で、当時の気分としては、引き続き一日一食ダイエットを続行して、とりあえずあと5kg落とすつもりだった。
  • が、落ちない。一日一食の食習慣を守っているのに、まるで体重が減らない。
  • って、そんなに不思議な話ではないのですね。要するに、食事らしい食事はとっていないものの、菓子や果物を気分次第で食べていたわけで、その間食の量が無視しがたい水準にあったわけだから。
  • まあ、根気が尽きたわけだよ。
  • 腹を減らしてイライラしてるのも3ヶ月ぐらいが限度、と。
  • 書評のために入手したO氏の著書「いつまでもデ○と思うなよ」(←結局、書評は書かなかった。あんまり失礼な原稿になってもいけないと思ったので)の読後感も、若干影響していると思う。
  • 読む前の予断では、「いつまでも……」は、そこそこにユーモアを含んだ書物なのだと思っていた。
  • が、読んでみるとどうも様子がおかしい。
  • 氏の持ち前であったはずの余裕やユーモアが消失している。
  • で、なんだか微妙に説教臭い。
  • しかも、ひがみっぽくて押しつけがましい。
  • うん。ちょっと反省しましたよ。
  • いやつまり、減量程度のことに血道をあげて、誰彼かまわず演説をカマしがちになっていたこの数ヶ月のわが身を振り返ったわけです。
  • 中年男の減量においてカギになるのは、前にも書いたかもしれないが、知識や情報やメソッドではなくて、モチベーションの作り方だと思う。でも、その「中年男の減量モチベーション」は、ハタから見るとやっぱりちょっと異常な感じがする。
  • 恋愛中だっりする若い娘が、痩せたいと思うのは、これは当然の反応だし、周囲の目から見ても、ギャルさんたちの減量モチベーションは、なんとなくいじらしく見える。でも、いい年をした男が、ムキになってやせようとしている姿は、ちょっとアレなわけです。はっきり言えば不気味、と。
  • 私自身、自分がムキになっていることは自覚していた。
  • でも、減量にたずさわっている当事者にしてみれば、痩せるということは、「ムキになる」ということとほとんど同義語なわけだから、それはそれでかまわないと考えていた。
  • そんな時に、O氏の本を読んで、ちょっと考えこんだわけです。
  • 具体的に言うと、「いい年をした男が半年以上ムキになり続けていると、アタマの中の何かが暴走し出すのかもしれないぞ」という感じを抱いた、ということだ
  • 減量モチベーションを維持し続けるということは、言葉を変えれば、自らをパラノイアに作り替えるということにならないか? と。
  • そんなわけで、一日一食ダイエットは、10月をもって撤退いたしました。
  • だって、間食で菓子ばっかり食ってたら、炭水化物野郎になるだけだしね。
  • どうせ痩せないんなら、普通の食事をとってバランスを心がけた方が得策なんだろうから。
  • ……ん? これって、オレが減量をはじめたころに、各方向から色んな人たちがアドバイスしてくれたお話そのまんまだぞ。「無理はいけません」「バランスを考えて」「極端に走ってはダメ」と。
  • で、それらの穏当かつ微温的かつ常識的なアドバイスに対して、減量実行当時のオレは、反発を感じていたわけだ。「うっせえな。マトモな精神状態の人間が痩せるわけねえだろ」と。
  • むずかしいものだ。
  • 結論:成人した人間の体重が減るというのは、いずれにしても異常事態である。とすれば、そんな状態は、長く続くはずがない、というよりも、かような異常事態を長く続けるのは、精神にとって良くない。だから、一休み。
  • 今後は、せいぜい体重をこまめに計測して、リバウンドしないように注意……と、日記には書いておこう。

結局、減量の話だけで根気が尽きてしまいました。
近況についてはいずれまた。

※追記@11/9: 00:15

  • 「減量」という用語自体、あんまり適切じゃないのかもしれない。
  • だって、結果のみを暗示するばかりで、誤解を招くから。
  • ここはひとつ「飢餓コントロール技術」ぐらいな言い方をするべきだと思う。実態にも近いし、減量がもたらす危険や鬱陶しさ(飢餓コントロール過程の中にいる人間が自我肥大になりがちであること。減量者の過剰演説傾向などなど)への事前警告にもなるだろうから。
  • いまにして思えば、テレビ出演依頼みたいなものにうっかりひっかかってしまったこと自体、減量脳の影響だったのかもしれない。
  • テレビ出演者は、「巨大な注目」という、格好の減量モチベーションを与えられる。
  • で、やっぱり痩せた人が多いわけだが。同じぐらいの確率でパラノイアが多いような気がするぞ。エゴマニアックスも。

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