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2007/09/30

テレビ出演始末

 テレビに出たので、報告をば。
 いくつか問い合わせのメールも届いているのでね。
 そうだよ。前のエントリーで書いてた「イヤなこと」というのは、これ(テレビ出演)を指している。
 いや、失敗だった。
 人生の半ばを過ぎた人間は、余計なことに手を出すべきではない。
 反省して、向こう10年はテレビに出ないことにしよう。
 10年たったら出るのかって? ははは、還暦を過ぎたら話は別。それに、じいさんになると、うまいぐあいに羞恥心が摩耗して、テレビタレントとしての使い勝手は向上するはず。ま、生きてればだけど。

 出演したのは、9月29日午後11時からフジテレビが放映した「告発!10人の怒れる芸能人」という番組。ちなみに、ラテ欄では「石原真理子VS記者で号泣!まさかのスタジオ退場にア然くりぃむ・柴田理恵がマジ大激論」てなことになっている。ま、改変期に粗製濫造されるタレント大量出演型ひな壇バラエティですね。全員が喚いているみたいな。「人間は人間にとって狼である」って言ったのは誰だっけ?
 オダジマが画面に映っていたのは10秒ほど。発言はゼロ。紹介されてモゴモゴ言いながらアタマ下げただけ。
 収録では、一応しゃべった(といっても、全部あわせて15秒程度)のだが、オンエアではカットされていた。
 過激なことを言ったから編集されたというわけではない。
 発言が削除された理由は、むしろ、私のしゃべりが微温的だったからだと思う。番組の構成上、どっちつかずなヌルいコメントはピックアップする価値がなかったということだ。
 まあ、それ以前に、テンションが低すぎたのかもしれない。いわゆる、現場で言うところの「トーンが悪い」という扱いですね。
 結局、つまんなそうにボソボソしゃべる人間は、あの種の、出演者全員が擬似的な興奮を自らに強いている「ぶっちゃけトークバラエティー」みたいな番組の収録現場においては、不要であるのみならず、有害だということになるのだと思う。エキサイティングであるべき現場の空気を沈滞せしめる悪しき要素なのだろうから。素面の人間が一人いると、酒席がシラケるのと似たなりゆきにおいて。
 いや、余計なことをした。
 反省して、しばらく蟄居しようと思う。
 いまさらながら、安倍ちゃんの気持ちがわかる。
 オレは、好きでオレをやっているわけじゃない。
 他人は地獄だよ。

 出演に至ったいきさつについて一応説明しておく。

  • 9月のはじめに、突然、出演の内意を問うメールが届いた。
  • 「うーん」と思って、一週間ほど返事を保留。だって、テレビだからね。影響デカいし。
  • と、電話がかかってきて、「とりあえずお会いして」という話になる。「まあ、打合せぐらいは、してみてもかまわないかな」と思ったオレは、やっぱり軽率だったんだと思う。軽薄でもあった。反省している。
  • 番組のコンセプトを聞いて、ちょっと尻込み。なんだか裁判仕立てのバラエティーみたいだし。そういうのに出るのってヨゴレじゃないのか、と、そう思ったから。
  • 最初の直感に従えば良かった。
  • でも、出演予定者の顔ぶれを見ているうちに、ちょっと興味が湧く。おい、リアル珍獣館だぞ。
  • 女子アナとかもナマで見てみたいしなあ。
  • 冥土のみやげに、一度テレビの収録というのを見ておくのも悪くないんじゃないか……と、徐々に心が動きはじめる。
  • 「出番は、オンエアでは長くても5分ぐらいだと思います」「まあ、深夜の時間帯ですし」てな話をききながら「じゃあ、話のタネに一回出てみようかな」と決意。
  • まあ、有り体に言えば、好奇心に負けたわけだよ。

 以下、当日の様子など。

  • 収録はオンエアの一週間前の土曜日。スタジオ入りは午後3時半からと言われていたのだが、当日になって、4時半からに変更。
  • 場所は、お台場の「湾岸スタジオ」というところ。9月になってオープンしたばかりの、デカくて新しいスタジオだった。
  • 4時過ぎに現場に到着。「週刊誌記者の人々」と書かれただだっ広い控え室に案内される。
  • 控え室は、小学校の教室ふたつ分ぐらいのフローリングの空間。壁面の一つが鏡張りになっている。バレエ教室だとか芝居の稽古場みたいな感じでしょうかね。
  • その広い部屋のド真ん中に会議用のテーブルがポツンとあって、人数分の弁当とペットボトルのお茶と紙コップが置いてある。
  • その淋しい空間に、しばらく放置される。共演することになる2人のライターさん(と、そのマネージャーらしき人)と雑談するも、気持ちはどんどん沈んで行く。私以外の二人は、前回(去年の12月に、似たような番組があったらしい)の時にも出ていたらしく、多少手慣れた感じ。まあ、彼らは若い(20代&30代)わけだし、これからテレビの世界でノシて行く決意を抱いていてもおかしくない。でなくても、テレビを通じて獲得した知名度をほかの場所で生かす道はいくらでもあるはずだ。とすれば、どんな経験だって、糧にすることが可能だろう。
  • でも、オレみたいなモノが、50ヅラ下げて、いまさら、こういう扱い(つまり、タレントでもなく、文化人でもなく、素人でもない、どうにも分類不能な使い捨ての出演者として、薄暗い控え室に放置されている状況のことだが)を受けて、この先何かにつながるようにも思えないのだな。ペーパーバックライターではあっても紙オムツじゃないわけなんだし。
  • 5時過ぎに軽く打合せ。以前、出演打診の打合せの際に話した内容を台本みたいなカタチで要約したペーパーを渡される。なるほどね。
  • ここから7時までさらに放置。最初の段階からスケジュールや場所について連絡を取り合っていた女性は、結局現れず。
  • 7時過ぎに、スタジオに通されて、楽屋(っていうか、巨大なスタジオの、仕切りで区切られた裏の部分)の暗がりで30分間ほど待機する。
  • この段階で、私の気分は、既に安倍ちゃんの辞任会見時ぐらいな水準に低迷していた。「あー、はやく帰りたいなあ」と。血圧はたぶん、100を切っていたと思う。
  • 私は、出版界において「先生扱い」と呼べるほどの厚遇を享受している者ではない。でも、うちの業界の人々は、オダジマのような一出入り業者に対しても、一応、お客様としての扱いを適用することにしているわけで、そういう商習慣というのか、商品管理上の知恵というのか、まあ、「お互いに気持ちよく過ごすために、せいぜいデカ目のお世辞を発動し合おうではないですか」みたいな、暗黙の了解が、わたくしどもの業界をして、なまぬるい常連スナックじみた亜空間たらしめているわけだよ。良くも悪くも。
  • であるからして、その、生き馬の目玉が無闇にウィンクを連発しているみたいなクソ甘ったれた出版業界の中で対人感覚の主たる部分を形成してきた人間であるオダジマにとって、テレビの世界の空気は、非常に荒れ果てた、血も涙もない風土であるが如くに感受せられたわけだ。
  • なにしろ、ひとたびバラエティーの楽屋みたいな場所に置いてみると、オダジマは、いきなりゴミみたいな存在に変貌してしまっていたのだからして。
  • ここでは、売れているヤツが一番偉い。
  • ということは、オダジマは、たとえばくりぃむしちゅーあたりと比べて、100枚ぐらい格落ちになる。それはまあ仕方がないとしても、実際には、小島よしおだとかHGなんかよりもずっと格下で、もちろん軽部アナとか、あのへんの連中と比べても、比較にならない小物ということになっている。まあ、トウの立ったADみたいなもんだ。でなけりゃ、フロアにへばりついた昆虫ぐらいな立ち位置だろうか。
  • うわあ。だよ。叫び出して走り回りたかったよ、オレは。
  • でもって、出演待ちの間、いかにも「そのへんにすわってください」っぽく不規則に並べられたパイプ椅子のひとつに腰をおろして、大道具の影からモニタをぼんやりと眺めていると、そのパイプ椅子の前後を走り回るADのおにいさんやおねえさんたちが、「誰だ、このヒト?」みたいな、そういう一瞥を思い思いに投げかけつつ通り過ぎて行くわけで、これがけっこうコタえるのだな、出番待ちの、無名出演者の、ちょっとばかりナーバスになっている神経には。いや、つらかった。
  • 出番用の台(っていうか、何と呼べば良いのだろうかね、あの「木っ端出演者運搬用ラジコン移動小舞台」みたいな装置を)を見て、さらに意気消沈したよ。「オレは、こんなモノに乗せられるのか?」と。
  • 詳しく説明すると、私と、ほか二人の途中出演者であるライターさんは「畳1枚ほどの大きさの車輪付きの無線移動の箱」の上に並べた椅子に、3人、狭苦しく座らされていたわけです。
  • その「箱」は、畳張りになっていて、なんだかコントで使うバカな装置みたいに見えて、そのことが私には大層つらかった。上から石油缶が落ちてきそうな、そういう安物セット感が横溢していたから。
    ほら、シムラのバカ殿とかが、「イーンダヨ」とか叫びながら小麦粉のプールの中に運ばれていきそうな、そういうあざとい仕掛けにしか見えなかったのだよ。どこからどう見ても。
  • いや、オレだって、万全の先生待遇で、学術的な見解を求められると思っていたわけじゃない。
  • でも、事前の打ち合わせでは、なんとなく「証人」ぐらいの立場で、「雑誌取材の現場」について、知るところを述べてくださいという感じの説明を受けていたのだよ。
  • あらためて考えてみれば、あのテの恥さらしバラエティに、「証人による証言」みたいな落ち着いたトークが混入する余地は皆無なわけで、してみると「証人」という受け止め方自体、オダジマの願望的思考が見た甘い夢だったのかもしれない。うん。反論はしない。
  • でも、とにかく、「先生」や「学者」でこそないものの、「半端文化人」ないしは「事情通」ぐらいな扱いではあるんだろう、と、そういう最低限の予断を抱いたからこそ、出演依頼を受諾したわけだよ、私は。夢見るお年頃を半世紀も過ぎているというのに。
  • ところが、収録の前日になってみると、制作会社の女性が、「オダジマさんのプロフィールは、《読売ウィークリーなどで芸能欄を執筆している芸能ウォッチャーの小田嶋隆さん》ということで良いでしょうか」てな調子の電話をしてくる。
  • 「芸能ウォッチャー」って、そりゃいくらなんでも……と思ったので、「コラムニスト」に直してもらう
  • うん。この時、すごくイヤな予感がしてましたよ、既に。
  • で、当日になってみると、オレは、「芸能コラム」を担当するコラムニストになっている。って、オレが書いてるコラムは、ありゃ「芸能コラム」だったのか? ってことは、オレはナシモトだのマエチュウだのの劣化版だったのか? 
  • いや、それは良い(良くないけどさ)としてだ。オレら3人の扱いは、「本日は、実際に女性週刊誌の記者の方々にもこのスタジオに来ていただいていますので」ということになっている(VTRを見ると、高島彩アナは、モロにこのままの原稿でオレらを紹介している。あんまりだと思う)。
  • ということはつまり、このコーナーは、「告発者」である石原真理子が、「ウソばかり書く女性週刊誌は許せない」ということで動いている時間なわけだから、この場でのオレの扱いは、モロに「被告」という立場になる。ウソ記者オダジマ。おい、話が違うんじゃないか? これ、だまし討ちじゃないのか?
  • ま、しかるべき席を与えられて、オブザーバー的な立場で意見を求められるものだと考えていたオレが甘かったと言えば甘かったのであろう。
  • 「いかがですか、オダジマさん」みたいな、そういう調子で、司会者に直接問いかけられるという想定で、先生文体のお話を用意していたオレは、もう、この時点でツブれていた。だって、あのガチャガチャした珍獣広場みたいな空気の中で、オレみたいなヤツが一体ナニを言えばいいんだ? オオニタが蛮声を張り上げている食肉市場のセリ市じみた場所で、上品な発言が可能だと思うか? 
  • それでも、打合せで箇条書きにしておいた話を棒読みするだけのミッションはこなしたけどさ。使えないよな。あれじゃ。表情も死んでるし。安倍シンドローム。
  • しかも、ライトが凄い。
  • 真向かいにいるアリタの顔を見ると、なんだかめちゃくちゃに白く塗っている。
  • 「……こういう立場のタレントまでもがこんなにもブ厚くドーランを塗ってるってことは、オレはいま、ものすごく汚い顔で写ってるんだろうな……」などと、そんなことを考えながら座っているうちに、出番は終了。出てきた時と逆のコースを通って、ラジコン舞台ごと楽屋に撤収という運び。胴体のついた晒し首という感じの移動風景。まあ、あのトリコ仕掛けの舞台に乗っかってスタジオ内引き回しみたいな状態で動いている時の気分は、経験した者じゃないとわからないだろうな。わかったからって、ひとっかけらの利益があるわけでもないけど。
  • そうだとも、舌を噛んでその場で死ななかったのは、オレがいくじなしだったからだ。そこいらのキザハシにアタマを打ち付けて憤死するのが、まっとうなプライドを備えた男の反応だったはずだよね。でも、死ねなかった。先祖が武士じゃなくて良かった。どん百メリット全開。だよな?
  • で、ADの女性がマイクを外しながら、お疲れ様でした、と言ってくれて、それでおしまい。
  • この程度のねぎらいの言葉が、なんだかものすごくうれしかったよ。
  • まあ、それだけ深く心が傷ついていたということだな。
  • 以後、誰が寄ってくるわけでもなく、誰があいさつに来るわけでもない。オレら3人は、適当にバラけて、そのまま放置されている。
  • ライターU氏は、「じゃあ、私はこのままハケますので」と帰る。
  • もう一人のライター i 氏は、「ボクはもう少し見ていきます」と、現場に残る。
  • オレも2分ほど見て、帰った。誰にということもなく、曖昧なあいさつを残して。

 ここから先は、後日談。愚痴だけどね。

  • ちなみに、収録後一週間を経て、オンエアが済んだ現在にいたるも、ギャラの話は一切出ていない。
  • っていうか、振込先を尋ねられてさえいない。
  • なので、もしかして、出ないのではなかろうか、と、半分あきらめている次第です。
  • 事前の打ち合わせでも、ギャラの話は出なかったのだが、この段階では、「そういうものなんだろう」と考えていた。
  • 出版の世界では、事前に金額や支払い方法について話をしないのは、そんなに珍しい話ではない。
  • 以前、ちょっとだけテレビ出演(コメント収録が2回。CSの討論番組への出演が一回)した時も、打合せの段階ではギャラの話はしなかった。
  • だから、出演前にギャラの話題が表面に出てこないことについては、別段、不思議には思わなかった。
  • それに、テレビタレントとして分類されていない人間のギャラは、どっちみち既定の額ということになっていて、交渉してどうなるものでもないのだろうから。
  • 以前の経験では、報酬は、出演後に振込先を聞かれる形で、処理されていた。金額は、入金されてのお楽しみ、という感じ。まあ、ありがちな額だった。
  • ラジオの場合でも、事前に出演料の交渉をしたことはない。というわけで、「文化人というのはこういうこと(具体的には「武士は食わねど高楊枝」的な生活態度の粛々たる実践)なのであろう」と、そういうふうに私は判断しておったことですよ。
  • 今回は、出演後も音沙汰無し。連日、メールボックスにも、各種電話番号にも、間断なくナシのツブテが送られ続けている。堂々たる放置プレイ。これは、ちょっと異例だと思う。
  • もしかして、現在の状況は、「プロダクションに所属していない人間のギャラは果てしなく後回しになる」ということの中途段階の、潜伏期間みたいな一時期に相当しているのだろうか。
  • あるいは、「催促する根性さえないような出演者にいちいちギャラなんか出すかよw」という、現場の覚悟が顕在化している姿だろうか。
  • もしくは、ギャランティというのは、有効な出演時間(つまり、オンエアの中での発言)に対して支払われるものなのであって、拘束時間や編集段階でカットされた発言について、出演料は発生しない、と、そういうふうに考えるのが、ギョーカイの常識なのか?
  • でないとすると、彼らは「テレビに呼んでやって、おまえらド素人の知名度向上に役立ててやったんだから、それだけで充分だろ? それに、スタジオをナマで見られたり、芸能人を間近で見られたんだから、キミらパンピーにとってはなによりの経験だったはずじゃないか」ぐらいなことを言外に匂わせつつオレに因果を含めているのかもしれない。
  • まあ、あんたらの言う通りなんだろうさ。
  • 勉強になった。
  • わかったよ。了解。気持ちはよくわかった。
  • 出ないなら出ないでも良い。オレはあきらめた。
  • でも、せめてネタぐらいにはしないとね。
  • つまり、ここでネタにしたということは、「オダジマはギャラをあきらめたよ」ということだ。そう受け止めてもらってかまわない。
  • じゃあな。

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2007/09/26

停滞

 仕事が滞っている。
 ブログを更新している場合ではない……のかもしれない。
 が、タイピングのリズムが停滞しているこういう時にこそ、ブログを更新するべきだ、というふうに考えることもできる。
 ほら、よく言うじゃないか。呼び水とか誘い水とか魚心あれば水心とか我田引水とか焼け石に水とか低きに流れるを以て尊しと為すとかなんとか。
 ということで、ご迷惑をかけている編集者の皆さんには、もう少しだけお待ち下さい、と、この場を借りてお伝えしておきます。いや、申し訳ない。

 安倍さんの退任会見を見た。
 痛ましいの一言ですね。
 安倍さんについては、これまで、様々な場所で皮肉を言ったりダメ出しをしてきたわけだが、ああいうカタチでモロに弱った姿を見せられると、正直、心が痛む。
 言い過ぎたんではないか、と。
 いや、私の舌鋒が鋭かったから安倍さんがあんなふうになったとか、そういう話をしているのではない。私はそこまで思い上がっていない。オダジマが何を言ったところで、どうせ永田町には届かない。せいぜいが池袋か目白。っていうか、私の言葉は、私の部屋の中で反響しているだけだよ。
 私が言いたいのは、安倍さんは、ああいう立場(日本中のあらゆる階層の人々が発する思い思いのダメ出しを浴びねばならない首相という立場)に立つには、人間がマトモ過ぎた、ということだ。
 きっと、生まれてこの方、かほどにひどい舌鋒の中で暮らしたことはなかったのだと思う。
 だよな。
 だって、筋目のプリンスなんだから。
 権力の頂点にさえ立たなかったら、きっと、誰もがこれまで通り、大切に扱ってくれたはずだ。
 結局、お公家さんの世界に居るべき人だったということだ。
 で、
「麿は賛成でおじゃる」
 とか言って、ホホホ笑いをしつつ安逸な老後をむさぼるべきだった、と。
 衣冠束帯とか似合いそうだし(イラスト略)。

 会見の時の安倍さんのあの表情の乏しさには見覚えがある。
 安倍さんは、自分とほぼ同年配(オダジマの方が2年ほど若い)なので、なんとなく見当がつく気がするのだが、たぶん、鬱状態なんだと思う。詳しい診断名はともかく、あの、独特の生気の無さは、私が直接に知っている鬱の人たちの表情にとてもよく似ている。
 この三年ほど、同級の知り合いの中に鬱病患者が俄然目立つようになった。
 ホルモンの関係なのかどうか、とにかく、そういう巡り合わせの年頃になってきたということなのだと思う。他人ごとではない。
 
 私自身、この三日ほど、ちょっとふさぎ込んでいた。
 ええ、ちょっとイヤなことがあったのでね。
 どんなことかって?
 時期がきたら説明するかもしれない。
 思わせぶり?
 まあ、そうだね。
 でも、話す気持ちになれないのだよ。
 面倒くさいし。
 
 とにかく、そんなわけで、この連休の間は、減量を中断して、クッキーやらプリンやらを食べていた。
 つまり、アレだよ。酒をやめたことから生じた数少ない不利益のひとつとして、今回のように何かの事情で意気阻喪した折りに、一人前の男として、サマになる荒れ方が見つけにくいということがあるのだね。
 でも、カタチはともかく、ポイントは、だらしなく甘いものを食べて、自分を甘やかすところにある。
 ぜひ、そうしないといけないのだよ。
 あんまり追いつめるとロクなことにならないから。
 安倍さんを見てもわかる通り、50歳は危機だからね。三島も太宰も裕次郎も水原ひろしも、みんな五十歳前後で瓦解している。いや、オレは三島や太宰みたいな偉い人間ではない。でも、偉くなくても才能が乏しくても、人間のデキが凡庸でも、五十歳は五十歳で、危機は危機なわけだよ。

 こういう時、自転車はありがたい。
 少なくとも走っている間だけは、心の中に風が通るような感じがするからだ。
 別の言い方をするなら、自転車は、移動手段である以上に、思考のツールとして優秀だ、ということだ。
 どういうことなのかというと、机の前や布団の中で考えることと、サドルの上で考えることは、全然別だということで、だから、何かで考えが行き詰まった時には、机から離れて、自転車に乗ることが解決につながる場合があるのだよ。
 解決にならなくても、ごまかしにはなる。
 で、しばらくの間ごまかせれば、それは、事実上解決したのと同じことになる。
 オレら現実主義者にとっては、ということだが。
 
 そんなわけで、この三日ほど、無駄に食べて、闇雲に走って、仕事を滞らせていた次第だ。
 無駄な人生だと?
 そうだろうともさ。
 でも、根を詰めてクラッシュした人がいたことを、あんたらだって知らないわけじゃないだろ?
 美しい国の強いリーダーにだって、うんざりする瞬間はやってくる。
 そういう時は、無理をしないで、自分を甘やかす。
 オレはそうしてきた。
 な、安倍ちゃん。
 自分の甘やかし方なら相談に乗るぜ。
 

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2007/09/16

余り物には福

Fukuup

 フクダさんです。
 サミットの記念写真に写る姿が、想像できないのは私だけでしょうか。
 仮に、サミットまで政権がもったとして、あの笑い方はやめないとマズいでしょう。
 プーチンあたりに殴られる気がします。
「てめえ、なにがおかしいんだ! オレのアタマに何かついてるか?」
 とか、言われつつ。

 まあ、日本のリーダーが英米露仏の元首を嘲笑する絵を、死ぬまでに一回見てみたい気はしますが。

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2007/09/12

あべはパルプンテをとなえた

Abecchi_3

 辞意表明だそうで。
 いや、びっくりいたしました。
 つまり、昨日の所信表明は自慰だった、と。
 で、明日からは爺。
 若き引退老人としての長い静かな老後。
 ちょっとうらやましいな。

 官房長官、幹事長など、党幹部が異口同音に「健康問題」を示唆しているのが興味深い。
 つまり、アソーさんやヨサノさんからしてみれば、
「せめて、《主治医と相談した結果、国政の重圧を担うに足る体調では……》ぐらいな言い訳はしとけよ」
 という気分があるのだと思う。

 ウソであれ言い逃れであれ、一国の首相が職と引き換えに残した言葉であれば、記者諸君も、しつこく問いただしたりはしない。
 ああ、そう、病気なら仕方がないよね。
 と、世間も、一応の納得はしただろう。
 なのに、今日の記者会見では、その、お約束の弁解さえ使わず、カタチだけの謝罪さえ述べなかった。
 これでは「投げ出した」と言われても仕方がない。

 登校拒否とか、ちゃぶ台返しと言われるでしょうね。ブチキレ辞任。プッツン辞任。オウンゴール
 アカギさんの更迭といい、今回のことといい、この人は決断のタイミングが一拍遅かった。
 参院選の直後に責任を取って辞任しておれば、何年か後に復活の目がなかったわけでもない。
 「第一次安倍内閣は、大臣がハズレ続きで気の毒だったよね」ぐらいなことで、3年後か5年後かに、待望論が出てくる可能性は充分にあったと思う。まだ若いんだし。

 でも、今回のふてくされ辞任で、政治的生命は完全に終了。
 で、長い老後に突入だな。
 政治的お荷物。死に体名誉議員としての日常。
 かくしてトンビがタカを産まなかった政治一家の没落物語は、三代目のヒナがゾンビ化したことをもって終幕を迎えたわけだ。
 哀れな話だなあ。
 さようなら、アベちゃん。
 あなたの美しい国で、達者に暮らしてください。

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乱戦

 日本代表VSスイス代表@TBS

 深夜3時過ぎキックオフの試合をナマで観戦。
 うん。道楽者だよな。

 結果は4-3のスコアで奇跡の逆転勝利。
 オシム就任以来、一番劇的な試合だったんではなかろうか。
 まあ、最後の20分ぐらいは、ただの殴り合いみたいなサッカーだったけど。
 とにかく、起きてて良かった。
 こんな熱戦になるとは。

 以下、雑感など。

  • 前半10分で瞬く間に2点取られて、そこから延々20分ぐらい横パスとバックパスばっかりしているうちの国の代表を眺めながら、私は絶望しておりましたよ。
  • 「おい、こりゃ5-0もあり得るぞ」と、前半30分までは、完全にそんな風に思っておったです。
  • なにしろ、スイスのプレスがあまりにもキツかった。
  • だから、DFは中盤にボールを出せない。
  • で、2点も負けているのに、DF同士で横パスばっかし。
  • 前に出すと思えば中盤省略のロングパス。
  • いや、これは完全な惨敗だぞ、と、覚悟を固めました。甦るサンドニの悪夢。
  • 仏の顔もサンドニ。
  • つまり、正直に告白すると、オレは、前半の段階では、オシム翁を見限っていたわけだよ。これはもしやメダカの学校じゃないのか、と。みんなでお遊戯しているよ、と。
  • 済まない。テレビの前に座っているこの走らないメロスを思いっきり殴ってくれ。
  • 信じない者は救われない。爺さん、あんたのひねくれた格言が、今日ほど身に染みた日はないよ。
  • 前半の終盤になって、敵のプレスが甘くなる。
  • でも、この段階でも、「スイスは流し始めたな。こういうふうに勝ってるチームに余裕のパス回しされるとどうしようもないぞ」ぐらいに思っておりました。うん、オレは見る目がないんだな。つくづく。
  • 後半が始まると、スイスはウソみたいに走らなくなる。
  • なるほど。ああいう鬼プレスは、やっぱり90分は続かないんだな。考えてみれば、当たり前だけど。あんなむちゃくちゃなプレスを90分貫徹できるチームがあったら、そりゃ奇跡だよな。
  • で、ボール保持率が明らかに日本よりになる。
  • と、俊輔、遠藤の中盤がラストパスを配給できるようになる。
  • まあ、色々あって、4-3。
  • めでたしめでたし。

 眠いので、選手個々人の寸評は省略。
 巻が良い仕事をしましたね。
 やっぱり、前線には、ああいう華の無い選手が必要なのかも。

 寝よう。
 明日は明日のホイッスル。
 だろ?

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2007/09/08

ゴー・トゥー・ヘルメット

 はじめに訂正。
 昨日のエントリーで、「無残に流された河川敷のボードウォーク」の写真を掲載しましたが、あのキャプションは間違い。ボードウォークは完全に水没していて見えない。ゆえに、写真にも写っていない。写真中央に写っている構造物は、水上バスの船着き場だったようだ。船着き場の階段の手すりが斜めに傾いているため、壊れた橋の欄干に見えたというわけ。以上、謝罪して訂正。賠償は無し。訴訟は受けて立つ。来るなら来い。

 冠水していた荒川サイクリングロードも、水が引いて、復活していた。泥だらけだったけど。
 というわけで、扇大橋まで走る。
 ついでに、谷中まで走ってギャラリーkingyoにて中込氏と談笑。
 ついでのついでに、御徒町の自転車ショップを再訪。

 しばらく、新品のヘルメットを前に、型通りの逡巡。
「2回も足を運んでおいて、2回とも何も買わずに帰るのは、あんまりケチくさくないか?」
「っていうか、今度もまた無駄足かよ」
「本当に欲しくなったとして、もう一回来るのはキツいぞ」
 ……と、物品購買前の儀式的思考過程を経て、結局ヘルメットを購入。型番とかは言いたくないな。
「ああ、あの中途半端なデザインのヤツね」
 とか
「要するに、吹っ切れてないオヤジが手を出しがちな、腰の引けたメットでしょ」
 みたいな、そういうコメントが来るとヤだから。
 勢いに乗ってバイザーに装着するタイプのフリップミラーを購入。うん。こういうギミックが装着可能だったりするところが中途半端なわけだけどさ。

 早速、新購入のヘルメットを装着して爆走。
 カーブミラーでおのが姿を確認すると、短パンアロハにヘルメットのライダールックは、かなりアヤしい。たぶんこの姿で道を尋ねたりすると、子供は逃げるな。うわっ、とか言って。
 でもまあ、オヤジライダーは、物品だとか姿形みたいな部分から外堀を埋めていかないと、走行モチベーションが維持できないわけでね。だからとにかく、ブツを買うのだよ。世界経済のためには、良いことだろ? 地球に優しいかどうかは知らないけど。

 帰路のコースは、昭和通り経由で、千住大橋→千住新橋→荒川SR。6時過ぎに帰宅。走行距離は37キロほど。
 ヘルメットをかぶっていると、自動車の側方通過の距離が若干縮まるような気がする。
「おっ、こいつ、メットなんかかぶってやがるぜ」
 という感じで、思い切って(あるいは安心して)幅寄せをしてくる感じ。
 あるいは、敵意だろうか。
「ちょこざいなチャリンカーめが」
 とか。
 いずれにしても、こういうカブリモノで身を固めてしまうと、引き返せない道に足を踏み入れてしまった実感がこみあげて参ります。

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2007/09/07

ケラの家

 台風の度に、海岸だとか用水路だとか裏山だとかの「様子を見に行って」そのまま帰ってこなかった人たちについてのニュースが流れる。
 たぶん、日本中のリビングで
「どうしてわざわざ見に行くかなあ」
「ってか、自業自得じゃね?」
 みたいなツッコミが同時多発していると思われるのだが、見に行きたいものは仕方がないのだ、と、私はそう思う。
 ええ、行ってきましたよ、台風一過の荒川。
 見物人がいっぱい来てました。
 みんな、好きなんですね。

Taifu01
無残に流された河川敷のボードウォーク。
川が増水するなんて夢にも思ってなかったんだと思う。

  正解は、「半分水没した水上バスの船着き場」でした。(07年9/8訂正)   

Kera

※土手に避難してきたケラ君。たぶん、草深いあたりにあった住居が水没してホームレスになったんだと思う。流浪のおけら。サブタレニアン・ホームシック・ブルース。このほか、半水没した岩の表面とかを仔細に観察すると、ハサミムシだのゲジゲジだのヒルだのみたいなグロな生き物(土中および石の下の虫たち、ならびにそれらを狙う水棲昆虫をはじめとする有象無象)が、ぞわわわわわわ、と、狂ったように這いずりまわっていて、それはそれはものすごい景色だった。ゲゲゲの唄ヒップホップバージョン。苦手な人にとっては地獄ですね。私にもちょい地獄でした。ムカデあたりはリアルにコワいので。
※モザイクをかけました(07年9/8)。
ページを開くたびにドキッとするのでね。グロいし。苦手なのですよ。こういう奴らは。

Taifu02
※水没したゴルフ場。
 いや、ゴルフ場なんか水没しようがメルトダウンしようが全然かまわないのだが、そのゴルフ場のかたわらを走っている荒川サイクリングロードが水没してしまったのが残念。
 早めの復旧をお願いしたいです。

  • 水量だけでなく、今日の荒川は、やはりちょっと異様だった。
  • 上流から流れてくるゴミが、面白かった。構造物や謎の植物。橋の上から一日眺めていれば、牛とか豚を見られるかもしれない。
  • 水鳥がたくさん飛んでいた。それも、いつものユリカモメだけじゃなくて、デカいカモメや、見慣れないカモの類も。
  • もしかして、上流から魚がたくさん流されてきているんだろうか
  • 荒川ローディー(←ロードレーサーに乗る人たちの自称……らしい)が、けっこう来ていた。平日の午後にレーサーパンツ姿で河川敷に駆けつけることのできる男である彼らは、いったいどういう素性の人たちなのだろう。

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2007/09/06

平成

 台風関係のニュースを見ていて気づいたのだが、過去の台風データを紹介する際、どうやらNHKだけが「平成」「昭和」という、元号を使っている。
 NHK以外の民放各局は、「2005年の20号は……」という具合に、西暦で放送原稿を書いている。

 個人的な感想だが、私は、民放の原稿の方がわかりやすいと思う。
 平成13年とか言われると、正直、イメージが湧かない。
「ん? 何年前だ?」
 と、いちいち計算する気持ちにもなれない。

 もしかして、NHKの社内基準に、元号を使わねばならないシバリみたいなものがあるんだろうか。
 公共放送だから、とか。
 お役所からの内々の通達があるとかないとか。あるいは、有形無形の圧力があったりなかったりとか。

 とにかく、放送における元号の使用については、ぜひ再考をおねがいしたい。
 っていうか、放送原稿や新聞記事みたいな影響力のデカいテキストは、この際、西暦に統一してくれるとありがたい(ついでにいえば、役所の連中が使う「年度」という概念も、ぜひ撲滅したい)わけです。

 いや、皇室に含むところはないのだよ。
 ただ、私の中の数学的潔癖が、元号の存在をうとましく感じる、と、そういうことだ。
 そう。ウザいのだよ。なんだかゴチャゴチャしていて。
 だから君が代も日の丸も、ぜーんぶ認めてさしあげるから、その代わりに、元号を廃止するわけには参らぬものだろうか。

 平成にはいってから、色々なものの計算がますます面倒になった。本来なら一本道の加減計算のみで済ませられるはずの日時計算に「元年」という例外要素が混入すること自体、なんだか不愉快だし、昭和時代に通用していた「西暦の下二桁に25を足せばオッケー  西暦の下二桁から25を引けばオッケー(←平成壱九年九月八日訂正)」みたいな簡便な計算法が通用しなくなったことも痛い。

 わが出版界では、この10年ほどの間に、著者プロフィールの中に登場する生年月日や卒業年次は、ほぼ西暦に統一されつつある。まあ、世紀もまたいだわけだし、当然の措置だと思う。このほか、雑誌原稿の中の時代表記や、世代論や時代風俗を語る時の単位も、西暦のディケイド('60s とか、80年代とか)が主流になっている。

 この調子で、ぜひ「平成」という単語を死語に追い込んでいきたいものだ。
 いや、だから、皇室を軽視してるんじゃないんだってば。
 悠仁さまプリティーだし。

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2007/09/05

誘導ミス

 先週は世界陸上をかなり熱心に見た。
 競技そのものの面白さと、なにより、アスリートの肉体がすごい。ので、ついつい見てしまった。
 色々と問題(以下参照)はあったけど。

  • キャッチフレーズ:「モザンビークの筋肉聖母」「侍ハードラー」「エチオピアのゴッドねえちゃん」「日の丸スカイハイ」「ハローワークの星」「追い込み白虎隊」「阿波の怪力娘」「ロシアンビューティー」……ひどいよね。全体を通してどことなく白人崇拝&黒人軽視な気分が伝わってくるし。あたしは、「走る爆弾娘@オウム・菊池直子」を思い出しました。
  • アナウンサー:土居うるさいよ土居。
  • 選手紹介VTR:k-1のアオリVと同じツクリ。亀田メソッドの悪影響。
  • テロップ:「67億の1位」というやっすいCG製の金色テロップが、決勝種目の終了後に必ず送出された:これ、100メートル男子決勝とかなら、一応ハマるかもしれないけど、女子限定の種目で、世界人口を分母にモノを言われても困る。円盤投げや3000メートル障害みたいなマイナーな競技でこのテロップを見るのもキツかった。別に分母のデカさが金メダルの価値を決定するわけでもないんだから、普通に優勝を祝福していればそれで充分だったのではなかろうか。

 それでもまあ面白かった。TBSは次回から関わらないでほしい。ぜひ。

 最終日近くに、50キロ競歩で不幸な事件があった。係員の誘導ミスで、選手が失格になったのだ。http://www.asahi.com/sports/update/0901/OSK200709010021.html

 VTRを見ていて、電撃的に思い出した出来事があるので、記録しておきたい。

 いまから30数年前、私が高校一年生だった時のことだ。

 私が通っていた小石川高校は、体育祭(つまり運動会ですね)に力を入れている学校として名高かった。なにしろ、期間が半年。いや、マジです。開会式が5月で、11月の「体育祭最終日」まで、各種の競技について個別の大会が開催されていた。種目別の競技大会は、「卓球大会」「バドミントン大会」「水泳大会」という感じで、毎週、放課後に開催されており、バスケットやバレーについても、各クラスが代表選手を選出して、放課後に対抗戦が行われていた。で、そうやって積み上げたクラスごと(1年から3年まで、縦割りのクラス対抗でチーム分けをしていた)の得点を集計して、最後に、「体育祭」の点数を加点して優勝を争っていたのである。
 だから、体育祭最終日の盛り上がりは凄かった。当日の配点が総得点の半分近くを占めることもあって、各クラスとも、かなり熱狂していた。

 事件は、そんな体育祭の最終日当日に起こった。
 私は、陸上部の一年生として、運営側の係員の末端に連なっていたのだが、与えられた仕事は、走り幅跳びの計測係だとか、次の競技に向かう選手の誘導(スタート位置まで連れて行く)だとかいった、地味な役回りに限られていた……はずなのだが、おそらくなにかの手違いで、急遽、オダジマがムカデ競走のスターターをつとめることになった。
 
 で、キャプテンであり当日の責任者でもあったS藤先輩が、スターターの仕事について、レクチャーをしてくれた。
「いいか、オダジマ、『よーい・・・・パン! 』だぞ、『よーい・・・・パン! 』だからな」
 と、S藤先輩は、手を叩く身振りを繰り返して、ピストルを撃つタイミングを何度も確認した。

 私は、どうしてそう思ったのか、先輩の「よーい・・・パン!」の仕草を、スタートの正しい方法だと思いこんでいました。
 …………
 つまり、ご説明申し上げると、S藤先輩は、スターターピストルを鳴らすタイミングを示す意味で、「よーい」と、「パン」の間の呼吸を繰り返し再現していたのであって、「パン」の時に手を叩いていたのは、あくまでも「このタイミングで引き金を引くのだぞ」というサインだった、ということだ。
 なのに、オダジマは
「なるほど、スタートの合図は、手を叩くのだな」
 というふうに思いこんだのでした。なぜか。ピストルを渡されて、紙火薬の装填の仕方まで教えられていたにもかかわらず。
「ムカデ競走みたいなマイナー競技では、わざわざピストルを鳴らすまでもない、と、そういうことなわけだ」
 と、そうアタマから決め込んだわけです。おそるべきことに。
 で、競技は、オレの手拍子とともに、スタートいたしました。

 一瞬、静寂が広がりましたね。
 で、しばらく後に、どよめき。
 なんだなんだどうしたんだという観客のとまどい……

 ぐずぐずと第一コーナーを回るA組からI組までの、9匹のムカデたち。
 騒ぎ出す観客。
 しばらくして、ゴール位置からS藤先輩が走って来る。速い。さすが11秒2。
「おい、ピストル撃ったか?」
「いえ」
「じゃあ、どうしてムカデがスタートしてるんだ?」
「……手を叩いたんで」
「……えっ? 手って?……」
「……こうやって、パーンと……」
「…………」
 ということで、既にトラックを半周していたムカデたちを止めて、彼らに事情を説明して、競技はリスタートということになった。
 スタート無効の知らせを聞いてグラウンドに倒れ込み、そして、口々に苦情を述べながらトラックを横切ってくる9匹のムカデたち。
「おまえ、顔、おぼえたからな」
 と、言われましたよ、あたしは。こわい3年生のお兄さんたちに、ええ。
 しばらく、学校に行くのが憂鬱でした。

 というわけですので、誘導ミスをした係員を責めないでやってください。
 あいつにも、あいつなりの事情というのか、ミスに至った誘導係なりの理路というやつがあるはずで、それは確かに他人には理解しにくいタイプの筋道ではあるのだろうけれども、やはり本人は、そう考えるほかに……まあ、許してやろうじゃありませんか。私らが直接に被害を受けたわけじゃないんだから。
 というわけで、怒って良いのはムカデの皆さんたちと、山崎選手だけ、と、そう思うことにしようではありませんか。

 悪いのはTBSだよ。

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上野

 昨日(9月5日)の記録。
 上野に出動。
 デカい自転車屋があるというのでね。
 途中、谷中のギャラリーkingyoに顔を出して、中込靖成氏の個展を見る。
 中込氏は、30年来の知友。
 ずっと昔、装丁画を描いてもらったことがある(「わが心はICにあらず」の文庫版)。
 ここ数年、素晴らしい作品を発表し続けている。いや、素晴らしい。

Landscape
※展示されていた作品のひとつ。大きさは幅2メートルほど(←たぶん)。塗り重ねた絵の具を表面から削り落として行く独自の手法で描かれた「風景」(実在の風景ではない。キャンバスから削り出した風景ライクな抽象画だと思う)は、見る者を思索の世界に誘う。

 デカい作品は私にはとても買えない(値段もさることながら、オレら庶民はなにより「壁面」を持っていない)。でも、やっぱり大きい絵は良い。ほしいなあ。

 どなたか企業のインテリア担当のヒトだとか、ホテル関係者、オフィスのロビーをアーティスティックに演出しようと考えているムキ、あるいは100平米のリビングでくつろいでいるホンモノのお金持ちの皆さんとか、ご興味があったら検討してみてください。ぜひ。作品の素晴らしさはオダジマが保障します。まあ、オレが保障したからといって、どうということもないわけですが。

 4時過ぎ。御徒町の自転車屋で、ヘルメットなどを試着。でも、結局買わず。
 現在、ヘルメットについては、「欲しいんだけどかぶりたくない」という微妙な段階。
 とりあえず、試着してみたりして、どういう感触のものなのかを体験してみた次第。

 帰路。上野駅前付近で、土砂降りに遭遇。ドトールで雨宿り。
 店内はヘンなヒトだらけ。

  • 低い声でうなり続けているオヤジ。これは、完全にイッてるヒトだと思ったのだが、携帯がかかってくると至極正常な声で受け答えをしている。なるほど。ドトール店内限定でガイ○チを演じることで正気を保っているヒトであったようだ。
  • 80歳過ぎと思われる耳の遠い爺さんに向かって、明らかに怪しい投資話をデカい声で吹き込んでいる営業マン。爺さんは、かなりボケている。で、話がわからない。でも、営業マン氏は、必死で説得している。周囲はヘンな顔で見ている。詐偽の現場?
  • 2階は喫煙席。最初、一階が混んでいたので、2階を目指したのだが、阿片窟みたいだったので、すぐに階下に降りました。あんな煙だらけの中でどうしてモノが食えるんだろう……と、たった5年前までは一日60本もタバコをすっていた男が、こう申しております。

 雨は30分であがる。上野から、昭和通り、言問通り、言問橋、白髭橋、墨堤通り、日光街道、千住大橋、荒川サイクリングロードを経て帰宅。走行距離は全部で40.60km。7月以来のOdoは718.8km。すごい。メットかぶらないと死ぬかな。

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