減量開始以来約3ヶ月半で、10kgの体重減に成功。まずはめでたい。
7月に買った自転車の累計走行距離もお盆前に400kmを超えた。うん、そうだよ。オレはムキになっている。いい年をぶっころがして、必死になっているわけだ。笑うんなら笑えよ。
ともあれ、当初の目標値は達成した。
で、乗りかかったガレー船というのか、毒を食らわば沙羅双樹というのか、このまま減量を続行して、とりあえずあと5kgほど体重を減らしてみようかと考えている。で、60kgを切ったら、またそこで考えよう。
ん? 減量の自己目的化は危険だと?
余計なお世話だよ。
拒食症になろうが、倒れようがオレの勝手だ。違うか? 別にオレが無理な減量をしたからってあんたのアタマがハゲるわけじゃなかろう?
っていうか、当方は20歳になるかならないかの頃、栄養失調で入院(←忙しかったり二日酔いだったりで3日ほどモノを食べずにいたら、食べ物をうけつけなくなった。食べると吐く、の繰り返し。で、医者に行くと、「脱水症状ですね」ということでそのまま緊急入院。丸三日点滴を受けて退院)した経験を持っている男なわけで、そのへんの機微には、多少通じている。だから、見栄っ張りのド素人が自己流の減量にハマることの危険性について、まったく無知なわけでもないのだ。
でも、考えてみてくれ。
危険じゃない減量法があるのか?
……いや、あるんだろうさ。安全で賢明で自暴自棄でない、オシャレでロハスで世田谷っぽい、マガジンハウスご推薦のエレガントかつセレブハートなダイエットプログラムみたいなものが。どうせ。
でも、安全な減量法は、微温的だという点でパンクな中年には魅力を欠いているわけで、だからオレらとしては、そんなどんよりした取り組みに残り少ない人生の時間を割くわけには参らぬのだよ。
わかるかね、先生。50歳を過ぎた人間が実践する健康法には、ある激越さが不可欠なのであって、不健康な要素を持たない健康法は、退屈であるという意味で、実践的にはまったく無効なのだ。
別の言い方をするなら、リスクもスリルも無い、セーフティーでクレバーな健康法に大真面目で取り組むことができるような退屈な心根の持ち主は、そもそも不健康の側にはみ出すいわれもないわけで、とすれば、そういうチキンハートは、原理的に健康法とは無縁な衆生だ、と、そういうことだ。
減量中の人間が、体重計のもたらす達成感に中毒するという側面は確かにある。
じっさい、この三ヶ月の間、私の感情の起伏は、体重計が示す値への一喜一憂にほぼ終始していたわけで、それはやはりトータルで見れば、病的な生き方だったと言わざるを得ない。
でも、世間は、10kg程度の体重減ではあんまりびっくりしてくれない……どころか、気づいてさえくれない。
いや、本当のことだ。
10キロも減らしたのに、誰も気づかないのだ。
当方としては、そこのところがどうしても納得できない。だから、このままでは、引っ込みがつかないのだよ。わかるだろ?
だって、あんまり不当じゃないか。オレが肥った時は、あんなに口やかましく口角泡を飛ばしてネタにしまくったくせに、痩せたら痩せたで、今度は見て見ぬふりなんだから。
「あれ? ちょっと痩せましたか?」
とか、それぐらいな反応はしてもよさそうなものじゃないか。なのに、世間の連中は全員で結託してオダジマの減量をスルーしている。驚くべきことだ。
たぶん、そういう秘密決議みたいなものがどこかで採択されて、それで、あいつらはシカトを決め込んでいると思うのだが、いずれにしても、10kg程度の体重減については、どうやら、世間は「気のせい」で片付けることにしている。不当な上にも不当なことに、だ。
減量生活が辛かったかというと、実のところ、たいしたことはなかった。実感は、腹が減るということ以上でも以下でもない。
ただ、朝食と昼飯を抜くという生活については、各方面から、否定的な反応が山ほどあって、これらのご意見に対応するのが思いのほか面倒だった。
具体的に申し上げると
「大丈夫なの?」
「無理がいちばんいけないらしいぞ」
「倒れたら元も子もないぞ」
「食べたいものも食べないで、生きてる甲斐があるんですか?」
「ダイエットはダイエットだけどさ。昼メシぐらい付き合うのが社会人だろ?」
と、こういった調子のご発言に対して、その場で喧嘩腰の返事をせずにおくために、多大な自制心を要した、と、そういうことだ。
おそらく、ある種の人々は、目標を持って生きている人間を、目障りに感じるのだと思う。だから、禁酒でも禁煙でも、減量でも、何かしら、困難な課題に取り組んでいる人間を見つけると、必ずや邪魔をしにかかるわけだ。
禁酒の時もそうだった。
「酒をやめたからって人生が変わるわけじゃないぞ」
と、酒飲みの皆さんは、異口同音にそう言って当方の断酒に待ったをかけようとしたものだった。
もうひとつ気づいたのは、減量企図を揶揄してくる人間(←「ふふっ。おなかがすかないの?」)が、肥満を笑った人間(「また一段と肥ったんじゃない? んふふ」)と同一人物であるということだ。
結局、野放図に食べても肥らない体質に生まれついた人間は、肥満者に対して軽侮の念を抱いているのみならず、減量実践者に対しても優越感を抱いているわけだな。無理な努力をして、やせようとしているかわいそうな人、とかいった調子の上からの目線で。
あいつらを一夜にしてデブに変換する魔法があると良いのだが。
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