雨と無知
午後に打ち合わせ。
日経ビジネス誌の公式ページ(日経BP社「NBオンライン」)内で、書評欄(「日刊新書レビュー」というコーナーらしい。無茶な企画だなあ)担当のメンバーの一人に加わることになった。
執筆の頻度はとりあえず二週間に一冊程度。
報酬や作業量の点を抜きにしても(抜きになんかできないけどさ)、強制的に本を読む機会を持つことは無意味ではないのだと思う。
というのも、ここ数年、Googleとウィキペディアにもたれた生活をするうちに、物理的な読書時間が、減っているからだ。
読書量が減っていること自体は、年齢も年齢なんだし、そんなに大きな問題ではないのかもしれない。が、自分の中で「知識体系」(というほどのものでもないが)が、バーチャル化している感じがして、それがなんだかヤバいように思えるのだ。
たとえば、たまに仕事上の必要か何かで、書籍を何冊かまとめて読んだりすると「おお、オレって、おそろしく勉強してないんだなあ」と、改めてびっくりするわけだ。
問題は、不勉強ではない。
不勉強は昔からのことだし、いまさらどうなるものでもない。
問題は、ふだんの生活の中で、私が、不勉強の自覚を喪失しているというそこのところにある。
つまり、なんというのか、ウェブ発の情報をあてにした生活をしているうちに、自分の中で「知識」の位置づけが水ぶくれしてきている感じがするのだ。
実際、ちょっとしたことは、いつでもGoogleで調べがつくし、疑問に思った事柄についても、即座にウィキペディアが答えてくれる。だから、なんだか、自覚として、「知らないこと」がなくなってしまったみたいな気分になっている、と、そういうことだ。
で、どうかすると「オレは何でも知ってる」みたいな自覚が、いつの間にやら、自分の中に育っているわけで、これは、考えてみるに、けっこうおそろしいことなんではなかろうかと思うわけです。脳内「知の巨人」状態。蔵書の中に棲んでいる立花隆みたいなセルフイメージを抱いている怠惰なパンピー、と。ヤバいぞこれは。
……いや、いくらなんでも、自分がそこまで博覧強記になったと自負しているわけではない。でも、あらゆる分野の細かいことについて、「ああ、それなら知ってるよ」という感じを抱くようになってはいるわけで、でなくても、その場で分からないことについて、3分後には分かった気にさせてくれるツール(インターネットのことだが)を手にしていることは事実なわけだ。
で、3分遅れのもの知り博士がここに誕生する。ほとんど、Google&ウィキペディア経由の、3分間検索の2000文字要約レベルのお手軽知識を読みかじっただけであるにもかかわらず、だ。
ということはつまり、われわれは、最も大切な知識(←無知の知、ないしは、自分が何を知っていて何を知らないのかについての知識)を、喪失しつつあることになる。
10年前は、自分が知らないことと、多少とも知識を持っている分野については、自分で区別がついていた。だから、自分がたとえばヒンズー教やシックハウス症候群やコスタリカみたいなことがらについて、知識を持っていないことについては、自分できちんとした無知の自覚を持っていた。
で、しかも、ここが大切なポイントなのだが、その当時(10年前)は、自分がよく知らない事柄について情報を得ようとする場合、とりあえずは書籍に当たるぐらいしか方法がなかった。だから、ヒンズー関連の新書を読んでみるか、それが面倒くさい場合には、「ヒンズー教のことは知らないよ」という自覚を堅持したまま無知でいることを選ばざるを得なかった。
であるから、そういう生活が便利であったのかどうかは別として、知識がわれわれとかけ離れた場所にあったあの時代、われわれは、知ってもいないことを知っているかのように錯覚する危険性から自由だった。
ところが、ウェブ上にあらゆる知識が公開されてしまっている現在、わたくしどもは、瞬時に無知を解消できるようになった。それも、ほとんどあらゆる分野のトリビアルな事柄について、概括的かつコンパクトな三行情報が揃っていたりする。と、使い捨てのにわか勉強が楽になっただけでなく、身の回りのあらゆる事態について、あらかじめ事情がわかっているみたいに思いこむこともまた可能になったわけだ。
もしかして、知識が遠かった時代の記憶を持っていない若い人々は、情報に関して、生まれつきの全能感みたいなものを抱いているのだろうか。
実際、ものごころついた時にはインターネットがあって、どんなことでもググれば一瞬で調べがつく時代に生まれた人間が、「知識」というものの全体像について、いかなる種類のイメージを抱くものなのか、私にはちょっと見当がつかない。
ん?
「昔はあんた、上野ぐらいまでなら、みーんな歩いたもんだよ。三時間かけて。今の若い人たちは、どこに行くんでも、気軽に電車使うけど」
などと、私は、そういうことを言っていた明治生まれのご婦人みたいなものになりつつあるのだろうか。
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