孤立力
例の会津若松の高校生が母親を殺害した事件について、思うところを述べておきたい。
報道によれば、容疑者の少年は、中学校時代までは成績優秀でスポーツにも秀でた模範生であったのだそうだ。それが、生まれた町から離れた高校に進学してから様子が変わった、ということらしい。具体的には「暗い」「友達のいない」「何を考えているのかわからない」「孤立した」生徒に変貌した、と。
なるほど。
このテの事件が起こると、必ず繰り返される定番のストーリーだ。ネオ麦茶以来。いや、もっとずっと昔の、それこそ宇治拾遺の時代から連綿と続く挿話ですね。
報道が事実に反していると言いたいのではない。きっと、取材してみると、事件の周囲にいる人々は異口同音にこのプロットに沿ったお話を繰り返すのであろうし、彼らがウソを言っているわけでもないのだと思う。
ただ、私は、この「少年の孤立」という一つ話を、あんまり過大に評価することは、事件そのものの原因究明(←実際、この種の事件に関して、原因の究明なんてことが、本当に可能なんだろうか?)とは別に、日本中の教室と家庭に、誤ったメッセージを送ることになる気がするのだ。
だって、少年というのは、多かれ少なかれ孤立しているものだからだ。
でなくても、この種の報道の過度な反復は、内向的なタイプの少年に対する偏見を助長することになるんではなかろうか。
ただでさえ、この国の社会には、孤立した存在を「気味の悪い異分子」と見なしがちな空気が蔓延している。
そこへ持ってきて、こういう事件についてのこの種の報道が脅迫的に繰り返されると、世間づきあいの苦手なタイプの人間(あるいは私のような偏屈者)は、「犯罪予備軍」ぐらいに判断されかねない。
それでも、大人であるわれわれは、なんとかやって行ける。自分が、世間の善男善女の皆さんとうまくやっていけないことについては、ずっと昔にあきらめているわけだし、孤立も偏見も覚悟の上というのか、ある意味望むところだからだ。
が、高校生は別だ。
高校生がふさぎこんでいることを、世間が責めてはいけない。
高校生というのは、半分ぐらいはふさぎこんでいるものなのだ。
誰もが明るい一方で成長するわけではない。一人の人間が大人になるまでの間には、必ずや困難な何年かが訪れる。思春期の少年が子供時代と比べてめっきり口数を減らすことは決して珍しいことではない。というよりも、多くの人間は、グレたりふさぎこんだりひねくれたりトチ狂ったりする厄介な時期を乗り越えて、そうやってなんとか大人になるものなのだ。とすれば、高校生が無口であったりすることについて、テレビみたいなメディアが、よってたかって異端視することは、非常によろしくない。子供たちにとっても良くないし、その年頃の子供を持つ親たちに対するメッセージとしても最悪だ。
「ま、色々だよね」
と、大人であるわれわれは、高校生に対しては、そういうふうに言ってあげるべきなのだ。
「結局、人それぞれなわけだし」
と。
思い出してみれば、心当たりがあるはずだ。
高校生のすべてが快活なわけではない。クラスの全員が社交的なメンバーだけで編成されているわけでもない。当然、人づきあいが苦手な子供もいるし、一人でいることを好むタイプの少年もいる。また、同じ人間であっても、孤独な精神状態で過ごす時期もあれば、他人を遠ざけたい気分に陥ることもある。
要は、人それぞれ、生き方には違いがあって、必ずしも同調的で社交的で明朗なばかりが青春の実相ではないし、理想でもない、と、そういうことだ。
たとえばの話、40人の教室には、最低でも10人の「暗い」子供が座っている。
私が通っていた高校のクラスでも事情は同じで、同じクラスだったにもかかわらず、最後まで一言も口をきかなかったクラスメートが3分の1ぐらいはいた。
もちろん、口をきかなかったのは、私の側の問題でもある。が、それを抜きにしても、おそらく、クラスの誰とも意味のある会話をせずに過ごして、そのまま卒業していった生徒が各クラスに5人やそこらは必ずいた。そういうものなのだ。
では、その「暗く」て「友達がいない」ように見えた彼らが無価値な人間だったのかというとそんなことはないし、彼らの高校生活が、一概に無味乾燥な体験だったというわけでもない。
というよりも、「明るく」て、「友達が多い」側の人間が、そうでない生徒たちに対して、憐れみを覚えたり、優越感を抱いたりすること自体、どうかしているのだ。
もちろん、意に沿わぬ孤独に苦しんでいる者もいるだろうが、孤独をむしろ楽しんでいる少年だっている。社交よりも、思索を好む子供がいるのだとしたら、それはそれで見事な態度だと言わねばならない。
とすれば、むしろ安易な同調を好まない少年の中にこそ、端倪すべからざる個性が隠れていた……のかもしれない。まあ、結局、最後まで口をきかなかったから、ほんとうのところは死ぬまでわからないわけだが。
私自身、ハッピー一辺倒の思春期を送ったわけではない。クラスでは明るく振る舞っていても、そう思えていない時期もあったし、塾みたいな場所ではまったく別の人格に変貌してもいた。
そう。思い出すのは、小学6年生から中学2年生まで通っていた英語塾で、自分が猛烈にシャイな子供だったことだ。
実際、私は、誰かに話しかけられると真っ赤になってうつむいてしまう、どうしようもない子供だった。
というのも、私が通っていたのは、私の叔母に当たる人が個人的に主宰している英語塾で、ほかにも色々と事情があったからだ。
まず、私は、ほかの生徒よりも年齢がひとつ下だった。うん。英語は、早くはじめた方が良いってなことで、小学校6年生の時に、中学一年生のクラスに編入していたのだね。いま思えば、バカな先走りだった。
次に、私は、一人だけ都電に乗って20分ほど離れた町の、別の中学校から通っていた。ということはつまり、ほかの生徒からしてみれば、私は、一人だけ「一年年少」で、「先生の身内」である、しかも「違う中学」から来ている生徒だったわけで、とすれば、ちょっと距離を置くのは仕方のないことだった。
一方、私はといえば、最初の授業で自己紹介をする時にアガってしまったことを、最後まで克服できなかった。
それまで、人前でアガるなんてことは経験したことがなかったのだが、一度「アガる」ということを経験してしまった人間は、自分でそのことを意識して、次から、必ずアガるようになる。結局、「アガる」ということの原因は、「アガってしまった」記憶と経験の反復にあるわけで、とすると、それは到底中学生に克服できる種類の感情ではなかった。
と、周囲も「ああ、この子は、えらく内気なんだ」という扱いをする。
で、そうした環境のうちにある子供は、ついにその「内気なあいつ」の役割からどうしても逃れることができない。
そんなわけで、週に2回、3年間、その塾に通っている間、私は、最後まで、その自縄自縛のシャイネスにとらわれていた。
結局、われわれが自分の性格だと思っているもののうちのかなりの部分は、ある特定の「場」における「役割」に過ぎなかったりする。
会津の少年の場合でも同じだ。遠い町から通っていた高校生が、クラスとうまくなじめなかったというのは、別に珍しいことではない。というよりも、むしろ当然の反応と言って良い。
私が、違和感を感じるのは、容疑者の少年の「孤立」が、犯罪の原因(でなくても遠因)だったとするものの見方の安易さだ。
このデンで行くと、高校生の2割かそこいらはシリアルキラー予備軍てなことになってしまう。
アタマの中で妄想することはともかく、現実に母親の首を切り落とすみたいなことを実行に移す少年は、何年かに一人しか出てこない。
つまり、彼は、何千万人に一人の、特殊な人間なわけで、こういう明かな特例が為し得た事柄や考えた理路を、安易に一般化するのは、やはりどうかしているし、それ以上に、彼のような人間の孤立と日本中に数十万人はいるに違いない孤立した少年たちを同一視することは、さらにどうかしている。
とりとめのない話になってしまった。
寝よう。
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コメント
「明るく元気なよい子」でなければ人に非ず
そんなメッセージを受け取った”思索を好む大人しい”若者が「暗く反社会的な犯罪者」に変貌していくのでしょうか・・・。いや、これもまた安易な一般化ですね。
「明るく」「元気で」という(架空の)理想・目標・スローガンがいつのまにやら「そうでなければならないモデル・鋳型」になっていることが往々にしてあるような気がします(改憲論にもその変形を見出しますが)。
「孤立力」を持った青年を異端とみなすような社会のあり方(というか”癖”)をこそ改めて検討すべきなのかもしれません。とか言って孤立型がメジャーになれば(あり得ないでしょうが)、今度はいつの間にか孤立力のない(人当たりの良い)人間が孤立させられちゃうのが日本の社会のような気もしますが(笑)
追伸
ブログの再開を「今日は、いや明日こそ」と楽しみにしておりました。
投稿: UBSGW | 2007/05/20 11:50
みんなが体育会から一流企業にスムーズな就職をできるわけではないので(まあ就職したとしても継続という問題もありますが)、そういうルートを選択できない若者のための受け皿が必要です。
吹き溜まりに見えるようなところでもかまいません。
自分自身としてもそういうところで、ずいぶんと救われたわけですし、そこでこきつかっていた若者の母親と電話で話したときに、ひきこもっていたのが嬉しそうに出かけていくと感謝されたときの驚きは今でも覚えています。
投稿: koz | 2007/05/21 07:23
小田嶋さん、遅くなりましたがブログに帰ってきてくれてありがとうございます。
投稿: iyon | 2007/05/22 21:58