ファーストバイト
夕刻、雨が降り出す前に自転車に乗る。
赤羽台から西が丘周辺の坂を登ったり降りたり。
いや、遠くに行けない時に短時間で運動量を稼ぐには坂道が好都合なもので。
「運動量を稼ぐ」という言い回しに奇妙な感じを抱いた人がいるかもしれない。
さよう。ちょっと奇妙ではある。
説明します。
- デヴにとっての自転車は、事実上、運動器具です。
- だから、どこかに行くための乗り物じゃないのだね。
- 行ったり来たりして、ぐるぐるまわって、堂々巡りをして戻ってくればミッション完了。そういう道具なんだよ。用途としては、ハムスターの小屋についてるネズミ車と一緒。
- ここしばらく、節食だけだと気が滅入るので、ムキになって運動に励んでいたりする。
- でも、スクワットとか腹筋運動だとかは、二日ほどですっかり大嫌いになった。
- なぜかって? 初夏の密室でいい年をした男がたった一人汗ばんで息を荒らげている図が、あまりに陰惨で、自分ながら耐え難いからだよ。
- だから、せめてオープンエアの下で運動にいそしみたいと願ったオレの心を笑うヤツは冷血漢だぞ。
- 多少息が弾んでも、青空の下なら気持ちが良いし。
- それに、汗だって向かい風が吹き飛ばしてくれるから。
- 部屋の中の汗って、最悪だぜ。
- それも五十男の汗なんて。
- 考えただけで吐きそうだ。
- 自転車だと景色が変わるのも良いよね。
- 腕立て伏せを繰り返しても、景色なんか変わらないし。
- あんな運動をするヤツは変態だよ。
と、まあ、そんなわけで、1時間ほど走って、躁状態になって戻ってきたわけでした。めでたしめでたし。
※ポリティカルコレクトネス
- 昨日、藤原紀香&陣内誰だかの結婚式をテレビで見た。
- いや、最初の30分ほどをナマで見て、あとは録画をチェックしただけですが。
- 本来ならこんな番組は見ない。
- とある週刊誌の編集部からコメント取材の依頼があったのでね。
- で、本日の午後、編集部の女性とお会いしてインタビューにお答えしてきたのだが、その内容と重複しない範囲で、ちょっと気づいたことを書いておきます。
- 「ファーストバイト」という演出が気になりました。
- なんか、関西弁でいう「いっちょかみ」みたいだよね。語感として。
- ウェディングケーキに入刀した後、新郎新婦が最初の一口をお互いに食べさせる儀式の由。
- 詳しくは検索してください。 ゴロゴロ出てきます。私は昨日まで知りませんでしたが。
- 当日、司会のアシスタントをしていた日テレの女子アナが解説していたところによると、この「ファーストバイト」は、「新郎の側からは、《一生食べさせてあげるよ》という意味をこめて、新婦の側からは、《一生おいしい料理を作ってあげます》という意味をこめて、それぞれケーキの一切れを食べさせる」ものなのだそうだ。
- なんだそりゃ。
- ネットで検索すると、「ファーストバイト」については、もう少し違うタイプの解説(「これをやっておくと、一生食べるものに困らない」だとか)もある。どうして、諸説ある中で一番性差決定論的な、性別役割を強調するタイプの説明を採用して、それをまた、どうしてわざわざ全国ネットで流したのか、理解に苦しむ。
- こういう露骨なジェンダー差別助長活動みたいなことをテレビ局が大々的に展開することについて、制作側の人間は、ちょっとでも議論をしたのだろうか?
- っていうか、単に結婚式場の側の説明を丸呑みにしただけ?
- じゃないとすると、もしかして、ノリカがハマっているという噂の宗教の関連だろうか?
- いや、夫婦なんてそれぞれなんだから、亭主関白を貫徹したいと願っている人がそれを強行せんするのは全然かまわない。女性が伝統的な女性の役割に忠実であることが夫婦和合の秘訣であると考える人々がいることもまったく問題ないと思う。どんどんやればいい。
- でも、テレビ局がそれ(←ファーストバイトの儀式とそれについての解説を通じて「男が稼ぎ、女が料理をするのが理想のカップルである」みたいな夫婦像を固定化する活動)を推奨するのはちょっと違うだろ?
- だって、あんたたちは、PC(ポリティカル・コレクトネス)みたいな旗印のもとに、えらい勢いで言葉狩りをしている張本人じゃないか。
- たとえば、オダジマの著作からも「看護婦」という言葉が削除されている。おどろくべきことだ。単行本を文庫化する際に、チェックがはいったのだ。
「あのー、校閲の方から、この《看護婦》は、《看護師》に言い換えてくれという要望がはいっているんですが」
「……っていうか、これ、とあるご老人が、《看護婦さんに子供扱いにされた》ことについて述べた言葉を引用した文章ですよ。その文章の中の《看護婦》を《看護師》に変えたら、引用が成立しなくなるじゃありませんか。だって、昭和の時代に《看護師》なんていう言葉を使う爺さんが存在したはずないんですから」
「ええ、おっしゃることはよくわかるんですが、これは会社の方の方針ということで、どうしても《看護婦》はマズいらしいんで」
「……本当に《看護婦》という言葉そのものが丸ごとNGなんですか?」
「ええ、……すみませんが」
「……じゃあ、いくらなんでも《看護師》なんていう薄気味の悪い言葉を使うことはできないんで、《病院の女性スタッフ……》ぐらいにしますか?」
「ええ、申し訳ありませんがそう直してください」 - と、おおよそ以上のようなやりとりがあって、オレの「看護婦」は抹殺されたわけだ。
- つまり何が言いたいのかというと、テレビ局をはじめとするメディア企業は、一方において、クリエイターにPCを理由とした不自由なもの言いを強いているわけだ。で、そうしている一方で、自分たちが番組を作る段になると平気で性差別ネタを流している。ひどいじゃないか。
- というよりも、彼らは、言葉狩りみたいなタイプの、「一律の基準で機械的に実施可能なポリティカルコレクトネス」に関しては熱心に実行するのだ。なんとなれば、表を作って該当する言葉を言い換えるだけで、簡単に実行可能だから。
- そうやって、ロボットみたいな言葉狩りをしている一方で、演出手法にかくされた差別思想をチェックすることや、言葉使いとは別の、より深い場所で(たとえば、ストーリー展開やキャラクター設定の中で)展開されている人権侵害を排除することについては、まったくノータッチだ。
- 結局、言葉狩りをしている連中(つまり、「看護婦」みたいな言葉を自主規制することで、ポリティカルコレクトネスへの配慮を宣伝している人々)は、本当のところ、差別を撤廃したいのではなくて、圧力団体(差別を糾弾してくる人々)との摩擦を避けたいだけなのだな。
- で、われわれの社会は、率直な言葉で語られるまっすぐな差別を表舞台から排除する代償として、より隠微な表現で描出される、より陰湿で根の深い差別を蔓延させることを選んだわけだ。
- オレの看護婦はどうなる? ひとっかけらの差別もしてないのに、どうしてオレの看護婦さんはコロされたんだ?
つづく(かも)……
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