突っ込みどころ
政治ネタは荒れますね。
本来は、政治的な話題であるよりは、単に「言葉」をめぐる解釈の問題だと思うのですが、論争に参加している人々のうちには、どうしても、この話題を党派的な争いに関連づけて考える人々がいるわけで、そういう人の目には、「あいつは、あっち派なのか」というふうに映ってしまう。やっかいなことです。
もうひとつ、場が荒れた原因のひとつには、この種のお話(つまり、女性の権益みたいな問題をはらんだ事柄)について問題を提起する人々の口調が、どうしてなのかいつも高飛車であることがあずかっていると思います。
どういうことなのかというと、フェミ関連の話題は、必ずや「あなたたちは気づいていないでしょうけど、その言い方は差別なのですよ」式の、過度に啓蒙的(つまり、「無神経でアタマの悪いオッサンにものを教えるトーンで語られる」ということ)な口調で語られる、ということです。と、いきおい、教え諭される形で説教を食らった側のオヤジとしては、「オレだって、日本語を使って○十年も生きてるんだぜ」ぐらいな気分にはなろうというもので、とすれば、こういうところから始まった論争が、まっとうな場所に落着するはずなど、はじめからありゃしないわけです。
「オレをバカ扱いにするのか?」
と。
さて、柳沢のオヤジのアタマの中に、優生学めいた管理思想が潜んでいることと、彼が国民を「資源」ないしは「将棋の駒」ぐらいに見なしていることは、どうやらガチです。でなくても、大臣にとって、私どもパンピーは生産単位ないしは消費単位以上のものではなさそうです。
が、私は、そのことをして、別段問題だとは考えません。誰だって同じだからです。政治家というのは、どっちみち国民をコマに将棋をやろうとしている人たちです。野党議員であれ、与党の大臣であれ、区議会の下っ端であれ、です。
今回、ヤナギのオヤジが失敗したのは、うっかり「機械」だの「健全」だのという言葉を使ってしまったことで、内心のガス室を垣間見せてしまったことだと思います。
衣の下から鎧が、という、古いたとえにある通りの状態。見えてはいけないレースの下着が、ワイシャツの下に透けて見えた感じ。うん、ちょっと違いますね。気持ち悪すぎ。
とはいえ、先述したように、失言のレベルとしては、ごくごく軽微なもので、内心をうまく隠せなかった分だけ良心的だったとさえいえるレベルの、牧歌的なエラーです。
私が、この度の「機械&健全発言追及問題」に反応したのは、柳沢大臣の思想傾向がどうだこうだ(だって、そんなことは先刻承知ではありませんか)よりも、それを追及している人々の、居丈高な調子が滑稽に見えたからです。
野党の議員にしたところで、どうせ国民をレゴのブロッグぐらいにしか思っちゃいないことは明白なわけだし、テレビに出てきているキャスターやらコメンテーターやらといった連中にしたって同じです。誰も、「傷ついた女性」の立場をおもんぱかって発言していたわけではありません。
第一、この度の発言で、誰か一人でも傷付いたのかと言うと、該当者はいないはずです。
彼らが、柳沢発言に飛びついたのは、この失言をとらえることで、何らかの「得点」ができると考えたか、あるいは、この種の人権がらみの問題が発生した時には、「弱者」と見なされている側に身を添わせていた方が無難だというふうに考えて保身をはかったかのかの、いずれかです。
とすれば、こんな些細な問題で、いつまでも国会を空転させて良いはずがありません。まあ、私個人は、国会が空転しようが知ったことじゃありませんが、それでも、テレビの中の人たちが眉毛に変な角度をつけて、事態を憂えてみせている芝居をしていることには、いいかげんうんざりしている、と、そういうことです。
うーん。かえって荒れるかなあ。
さて、最初に書くつもりでいたことを列挙して、仕事に戻ります。いや、戻るとか、そういうウソはいかんですね。ようやく仕事をはじめます。ええ。
- もう柳沢大臣の問題には触れないぞ。うんざりだ。
- 「~♪~ 雨の降る日は天気が悪い 悪いはずだよ 雨が降るチョイ」というのは、たぶん、「ドリフのソーラン節」の一節。私の記憶では、私はこのレコードを確かに持っていたのだが、検索しても出てこない。夢でも見たんだろうか?
- 応用のきくフレーズだと思う。
- Google(と、ウィキペディア)が登場して以来、ちゃんとした知識のある人間が、真面目にウンチクを傾けて書いたテキストに対して、「どーせ検索したんだろ」ぐらいな感想を抱く読者が増えた気がする。かわいそうだなあ。
- それどころか、あんまりくどくどとデータを並べると、「そんなことは検索すればわかるんだから、適当に済まして先に進めよ」という読み方をされてしまうおそれがあったりする。ウェブ上の文章では、特に。
- で、書き手の側にも、「詳しくは検索してもらうとして……」ぐらいのところでお茶を濁す怠けた書き方が蔓延しはじめている。これで良いのだろうか。
- ほんの5年ほど前までは、知識を持っている人間は、無条件で尊敬されたし、オタクでさえ一定の敬意に似たものを与えられていた。「データを持っている人」として。
- それが、硬軟取り混ぜた知識が、無料でアクセス可能な形でウェブ上にばらまかれた結果、「物知り」の人たちは、ほぼ無価値になってしまっている。
- オレは別に博覧強記の側の人間じゃないから、たいした被害は受けてないけど、でも、ものの書き方がこんな調子で変わって行くことに、オレは、この先、追随していけるんだろうか?
- 寝よう。
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