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2007/01/13

ファミリーズ

 幡ヶ谷と富ヶ谷で、バラバラ殺人が続いて起こった。
 笹塚に10年ほど住んでいた者として、独特の感慨がある。
 笹塚で暮らしていた時分、私は末期的な酔っ払いで、時々、ひどい抑鬱にとらえられていた。
 あの、イヤな気分を思い出す。
 正月気分が台無し……っていうか、そんな気分はハナっからないけど。
 でもまあ、こんなニュースばっかりだと、テレビを見る気がしなくなる。
 あるいは、トシのせいで気が弱くなったのかもしれない。
 
 いや、気が弱くなるもなにも、その昔、私が若者だった頃は、そもそも、この種の血なまぐさい事件についての報道自体がずっと少なかったと思う。凄惨な事件はそれはそれでたくさんあったと思うのだが、それらの事件について、過度に詳細な報道をすることについては、各局が自粛していた気がするのだな。だからたとえば大久保清がやらかしたことの詳細について私が知ったのは、むしろ最近のことだったりするのだ。
 それが、いつの頃からか、シリアルキラーもののニュースや遺体損壊系の事件は、舌なめずりとともに反芻されるようになった。かくして、エログロナンセンスはニュースの黄金郷になったわけだ。
 ううむ。

 不愉快な景色からは目をそらすのが人間の知恵だと思うのだが、記者諸君はそう考えない。彼らは、どうやら、不愉快な事態に向かってあえて突っ込んでいく姿勢を報道の正義だというふうに理解している。
 いや、取材者の心構えとしては、あるいはそれはそれで正しいのかも知れない。事件記者やレポーターが、グロテスクな事実や、危険な現場や、腐臭漂う事件の背景に対して、ためらっていたり恐れていたりしたのでは商売にならないだろうから。
 でも、肉食獣たる取材記者が血と鉄と毒を恐れないのはそれで良いとして、彼らが取材してきた結果を番組として流す段階では、もうひとつ別の判断基準があって然るべきなんではなかろうか。つまり、真相は真相として、公共性のない事実は、あえて庶民の食卓に供さないのがまっとうな放送業者としての態度……と、書いていて思い出したが、かつて、若貴騒動についてのコラムで似たようなことを書いたことがあった。
《問題は、真相がどこにあるかではない。その「真相」に、公共性があるのかどうかだ。花田家の財産分与について言うなら、それを伝えることには、ひとっかけらの公共性もない。花田家の人間が争えば良いことだ。》
 なるほど。
 で、今回の場合について言うなら、歯科医一家の家庭の内情や、富ヶ谷の若夫婦の日常についての報道に、公共性はあるんだろうか?
 ない、と思う。
 それどころか、有害ですらある。
 被害者やその家族の人権ということもあるが、それ以上に、殺人の具体的な方法や遺体処理の詳細を事細かに紹介することが、よろしくないのだ。
 ここ数日展開されているみたいな脅迫的な報道は、おそらく、身近な人間に対して殺意を抱きつつ、それをなんとかしてなだめすかしながら毎日を暮らしている人間に、非常に良くない種類の、重大な暗示を与えていると思う。テレビ画面から繰り返し流れ出てくる殺人事件の妄想映像は、憎しみや恨みで半分ぐらい正気を失っている人々にとっては、彼らの殺意を現実化するための、絶好の引き金になるはずだ。
 自殺についても同様。
 有名人が自殺をしたり、あるいは有名人でなくても誰かの自殺が印象的な形で報じられたりすると、自殺志願者は、「自殺」というタームから目をそらすことができなくなる。自らの自死についての方法や可能性がアタマから離れなくなってしまうのだ。ふだん、最大限の努力を払ってそのこと(自分が死ぬこと)から目をそらして、そうやってなんとか苦しい日常を維持している彼らの、その生きようとする努力を、自殺報道は打ち砕く可能性を持っている、と、私は思いますよ。ええ、自殺願望を抱いている人たちというのは、意外なほど数が多くて、しかも、その彼らは、とても暗示にかかりやすい人々(←余裕のない人間は著しく被暗示的なものですから)なわけだから。

 死体の解体について
「理解できない」
 と、テレビに出てくるコメンテーターの皆さんは、異口同音にそう言っているが、私はそんなに理解不能だとは思わない。
 「人を殺す」という極めて高いハードルを超えてしまった人間である殺人者の立場に立ってみれば、死体の解体はそんなにギャップのある作業ではない。抵抗する意思を示さず、血圧を喪失した(つまり、血が「ピュー」と吹き出すことのない)肉体であるに過ぎない死体を切り刻むことは、抵抗する被害者を殺すことに比べれば、ずっと簡単かもしれない。
 それに、殺人者は、殺人の発覚を恐れ、遺体(単独で運搬するには重すぎるし、隠すにしてもデカくて目立ち過ぎる)の処分というノルマに圧迫されている。とすれば、遺体を分解するのは、むしろ当然かもしれない。特に、都市においては。
 これが山奥の一軒家で起きた事件なら、加害者は、遺体の始末についてそんなに思い悩まずに済む。谷底に投げ捨てるにしても、裏山に埋めるにしても、目立たない方法がいくらでもある。が、都会のマンションの一室みたいな場所で、生身の(っていうか死んでるけど)死体を直面させられたら、誰だって困る。第一、人を殺した後の精神状態なんだからして、マトモであろうはずもないわけだし。

 幡ヶ谷の事件(←妹解体)が起こった歯科医院は、かつて十年ほど住んでいたあたりなので、なんとなく他人事のような気がしない。
 いずれにしても、いたましいことだと思う。

 ということで、ルー・リード先生の「ファミリーズ」を引用します。
 ニューヨーク郊外のユダヤ人家庭に育ったゲイの息子であるルー先生が描くところの家族像には、どう言って良いのか、胸に迫るなにかがあります。
 ジャスラックが釣れないので、今回は、逐語訳で、原詞と訳詞を一行ずつ交互に掲載してみることにします。

Families

            by Lou Reed

Mama, you tell me how's the family
母さん、家族のみんながどんなだか、話しておくれ
And papa, tell me how thing's going by you
父さんも、最近の様子を聞かせてくれよ
And little baby sister, i heard that you got married
ほんの赤ん坊だった一番下の妹が結婚したそうじゃないか
And i heard that you had yourself a little baby girl, too
あの子が、赤ん坊の母親になったんだね
And here's some uncles and some cousins i know vaguely
で、うちには、その新しい家族の従兄弟や伯父がいる
And would you believe my old dog chelsea's here, too
それから、われらが老犬、チェルシーも
And would you believe nobody in this family
Wanted to keep her
でも、けしからんことに、うちの家族には彼女を引き取ろうとする人間が一人もいない
And now that dog's more of a part of this family
Then i am, too
結局、チェルシーは厄介者だってことだ。
ぼくと同じで。
I don't come home much anymore
ぼくはもう家には帰らないよママ
No-no-no i don't come home much anymore
Mama
いや、ほんとうさ。もう家に帰るつもりはないんだ。

And mama, i know how disappointed you are
母さん、あなたがどんなにぼくに失望しているのかはわかっている
And papa, i know that you feel the same way, too
父さんが同じ気持ちであることも
And no-no-no-no-no i still haven't got married
いやいやいや、ぼくば結婚なんかしてない
And no-no-no there's no grandson planned here for you
だから、あなたちに孫をもたらす計画もないんだ
And by the way, daddy tell me how's the business
ところで、父さん、仕事はどう?
I understand that your stock she's growing very high
ずいぶんためこんでるそうじゃないか
No, daddy, you're not a poor man anymore
そうだよ、パパ、あなたはもう貧乏人じゃない
And i hope you'll realize that before you die
そのことを、死ぬ前にぜひ理解してほしいな。自分がもはや昔みたいに貧乏じゃないんだってことを
Because i don't come home much anymore
だから、ぼくはもう家には帰らないよ
No-no-no-no-no i don't come home much no more
But daddy
そう、ぼくは家には帰らない

And please-please-please-please-please
Come on let's not start this business again
たのむよ。おねがいだから、あの話を蒸し返すのはやめてくれないか
I  know how much you resent the life that i have
ぼくの生き方に、あなたたちはとても腹を立てている。そのことはわかっている
But one more time, i don't want the family business
でも、もう家族ごっこみたいなことは、ぼくにはたくさんなんだ
Don't want to inherit it upon the day that you die
あなたたちが死んだとしても、ぼくは何も相続するつもりはない
Really, daddy should have given it to my sister
すべては妹に残してあげてくれ
You know elisabeth, you know elisabeth
そう、エリザベス。エリザベスだよ。わかるだろ?
She has a better head for those things than i
彼女は、ぼくが持っているあれこれと比べて、ずっと立派なアタマを持っている
She lives practically around the corner
そして、現実に、すぐ近くに住んでもいる
That's really the kind of child you could be proud of
彼女こそあなたたちが誇るべき子供だよ
But papa, i know that this visit's a mistake
父さん、この訪問は間違いだった
There's nothing here we have in common, except our name
わかるだろ? ぼくたちの間には、名前以外に、なにひとつ共通の基盤がない
And families that live out in the suburbs
Often make each other cry
一緒に住んでいる家族は、お互いの悩みのタネになるものなんだ
And i don't think that i'll come home much anymore
だから、ぼくはも家に帰るつもりはない
No-no, i don't think i'll come home much again
うん、きっともう、二度とこの家に顔を出すことはないよ。
Mama、Papa
ママ、パパ
Families Often make each other cry
家族っていうのは、お互いを泣かせるものなんだね
No, i don't think that i'll come home much anymore
ぼくは、もう家に帰らないよ

(how's the families)
家族はどうだい?
 ※括弧内はバックコーラス。

 ルー先生は、こういう短編小説みたいな歌を書くのが上手だった人ですね。
 長くなってしまいました。
 ルーさんが示唆している通り、現代の核家族というのは、ひとつの密室です。特に、都市の、コンクリート壁とサッシ窓に囲まれた、四角い空の下の家族は、金魚鉢の中の金魚に似ています。
 ですから、雑居房の空気を息苦しく感じる年頃になったら、すみやかに出て行くべきなのですね。
 もちろん、一人暮らしの孤独もまた、それはそれでより狭い密室ではあるわけですが。
 いずれにしても、孤独の複数形よりはマシかもしれない、と。
 うん。新年そうそう微妙に不機嫌ですが。
 
 

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コメント

妹が、夫が殺された事件。
どちらも被害者と遺族にはお気の毒ですが、おっしゃる通り、あまり、というか、ほとんど公共性はありません。
平成17年版の犯罪白書によると、殺人事件の認知件数は年間1419件。
前年比で33件、2.3%減っています。
それだけでは言い切れませんが、ここ数年、殺人事件が急に増えているわけでもないでしょう。
なのに殺人事件のニュースが目立つ原因は、ただ一つ。
そうしたニュースの「インフレ」が進んでいるのではないでしょうか。
各メディアは、なんだか底なし沼に入りつつあるような気がします。

投稿: pon | 2007/01/14 03:31

「ニュースのインフレ」というより「ニュースの価値の暴落」ではないでしょうか
事実を報じるだけでは飽き足らず、加害者の背景を暴き立てなければ(実家突撃、卒業文集の発掘…)
視聴者のニーズに応えられないというメディア側の強迫観念がもはや後戻りできないレベルに達した感があります

投稿: chaka | 2007/01/14 03:42

 「報道されない何か」の隠蔽をいつも感じます。私はいつ頃からか、マスコミというのは報道機関というよりも広告媒体だと定義するようにもなっちゃいましたし。それから、ルーさんの歌は本当に身につまされる内容が多くて私には辛いです。(だから好きなんだけど)

投稿: shim47 | 2007/01/14 03:50

 これらのニュース(なのだろうか)をなんだかんだいってけっこうきちんと見てしまったので、私はちょっとつらいですね。

あと、ルー・リードに直接ならお金払いたくなりますね、引用(翻訳)者にもです。

投稿: N・B | 2007/01/14 06:06

>身近な人間に対して殺意を抱きつつ、それをなんとかしてなだめすかしながら毎日を暮らしている人間に、非常に良くない種類の、重大な暗示を与えていると思う。
>ふだん、最大限の努力を払ってそのこと(自分が死ぬこと)から目をそらして、そうやってなんとか苦しい日常を維持している彼らの、その生きようとする努力を、自殺報道は打ち砕く可能性を持っている

こういう考え方自体を、マスコミ連中は理解できないのではないかと思います。
彼ら(誤解を恐れず言えば「犯罪者予備軍」)を白日の下に晒し社会的制裁を加える、あるいは矯正することが自分たちの使命だと思っている節がありますからね、マスゴミは。

投稿: Noisy | 2007/01/14 11:17

ニュース素材として「無難」だから、こういう猟奇的なテーマを執拗に追っているのではないでしょうか。
だって、企業の不正を追及すれば、広告は打ち切られるし訴訟ざたにもなる。政治問題を暴けば政府からクレームがつく。

その点、こうした犯罪を報じても、懐が痛むことも、経営を揺るがすようないちゃもんがつくことも無い。

だから、扱いやすいので、こうしたネタに走るのではないでしょうか。

投稿: なまけもの | 2007/01/14 17:49

ルー…

ルカ?


(ゴメンナサイ×∞)

投稿: MeXi | 2007/01/14 20:41

この手のことは結構調べている人がいて
陰惨な事件(線引きは難しいのですが)の
発生頻度はそう変わらず(むしろ減少している)
報道頻度もそう変わらず(気持ち増加している)
であって、個々人の経年変化のほうが影響大のようです。
実際私は小田嶋さんより年上ですが、第一印象は
昔から大して変わって無いじゃん、ニュースだって
ワイドショーだって取り上げまくってたしって感じです。

ただし、その手の番組(報道バラエティとでも言うべきもの)
が編成上増えているので時間は増加しています。ですから
視聴習慣によっては昔は見る機会が無かったものの現在は
見かけるようになったということはあります。

投稿: 遊撃手関係者 | 2007/01/15 11:45

あ、そうそう。
件のルーリードの詩ですが
元ネタはご存知ですか?
それを絡めればさらに面白く仕立てられたと思うのですが。

投稿: 遊撃手関係者 | 2007/01/15 11:49

>実家突撃、卒業文集の発掘…

最近ではミクシー日記を無断公表しちゃってますね。一応「会員制」(笑)なのに。これ、確か京大のアメフト部員レイプ事件辺りからテレビ局の報道の一手段になったと記憶してるんですが、歯科医の妹さんの日記も公開されちゃってましたね。

投稿: 卒論ヤバス | 2007/01/16 10:59

彼らには「公共性」や「報道の義務」や「真実の行方」などはまったく関係がないわけで・・・。

彼らの興味はひたすら「数字」!レーティング!

「○○ちゃん!昨日の良かったよ~!結構シリアスさが出てさぁ~!**%は行ってんじゃないの!」という局の廊下での会話が聞こえてきそう。

彼らの行動を変えようとする唯一の方法は、その数字を落とす以外にないでしょうな。「○○ちゃん!やばいよ!やりすぎだよ!おかげで**%切ったじゃん!」「殺人(猟奇)もんをやったら絶対数字が悪い!」という定説が生まれたら、彼らはいったいどうやって報道基準を修正するのだろう?

投稿: 読裏クラブ | 2007/01/17 18:14

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投稿: Wendy | 2007/02/04 15:19

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