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2007/01/27

トラバ規制について

 1月のメンテで、トラックバック公開を保留する機能( ←投稿されたトラックバックについて、管理者が承認するまで公開を保留する設定)がオンになったので、採用してみることにします。
 この半年ほど、トラックバックスパム(エロ、宣伝、記事と無関係なアクセス数稼ぎ狙いのトラバなどなど)が目に見えて、増加していました。この規制で、うまくクリアできると良いのですが。
 コメントについては、とりあえず、現状と同じく、基本的に出入り自由です。通りすがりの皆さんが、マナーを守って捨て台詞を吐いてくださることを期待しています。

※ 「サカ雲」発売開始

 近著「サッカーの上の雲」がアマゾンのサイトに登場したので、左サイドバーにリンクを新設しました。
 NHKで「坂の上の雲」がドラマ化されるみたいですね。しかも3年というロングラン放映だそうです。素晴らしいではありませんか。
 滑舌の悪いビジネスマンだとか、耳の遠い管理職だとかが、八重洲ブックセンターあたりに行列を作ってくれるとうれしいのですが。ついでに、売り子のねえちゃんが大雑把な性格で、なおかつレッズサポだったりしてくれると良いかもしれません。
 それにしても、正岡子規がサッカー派でなかった(野球オタでしたね、彼は)のは、かえすがえすも残念なことです。漱石は胃弱だし。まったく。

 とはいえ、本書は、サッカーファン限定のニッチ本ではありません。ニッチはニッチでも、コラムマニア狙いの隙間商法。ん? もっと狭い? ははは。ナンシーの穴で穴居生活の心。狭いながらも楽しいわが家。たまのよそおいうらやまじ、ですよ。

 と、私がこう申し上げても、やはりサッカーに興味を持たない読者は、手にとることを躊躇されることでしょう。ええ、非サッカーファンは、いきなり飛んでくる殺人パスを怖がりますからね。
 しかし、本書は非サッカー愛好者が読んでも十分にスリリングなコラム集に仕上がっています。大丈夫。買って損しても、1400円。不必要な友達を一人絶交すれば十分モトがとれます。
 道具立てとしてサッカーが選ばれてはいますが、本書に収録されたコラムの主題は、日本人、国際社会、現代文明、生態学、家族、集団の力学……と、いずれも普遍的なものばかりです。っていうか、曲芸としてのコラムの出来を言うなら、あえて「サッカーしばり」という枠組みを守りつつ、各方面に向けて風呂敷を広げている本書は、のんべんだらりと思うところを書き並べているに過ぎない凡百の村コラムより、ずっとレベルが高い……と、そういう先入観を持った上で読むと健康に良いですよ。
 二段組みで文字量もたっぷり。お買い得です。
 ということで、よろしくお願いします。

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2007/01/23

ラック・オブ・ジャスティス

ビートルズ生演奏で著作権軽視、バー経営者に有罪(ヨミウリ新聞)

 ジャスラックは、やりすぎたと思う。
 今回のことで、ジャスに対する民心の離反は決定的になった。利権ゴロ。てか、ヤーたれですね。

  • ジャスティスが正義であることから類推するに、ジャスラックはたぶん正義の欠如を暗示する何かなのであろう、と、日本中の中学二年生がそう考えるように、英語教育のカリキュラムを再編成すべきだと思う。
  • 楽譜の出版・販売に当たって著作権料を徴収しておきながら、その演奏を禁ずるというのはどういうことなのか。
  • つまり、音楽は他人に聞こえないように演奏すべきで、歌もまた、たった一人で歌わねばならない、と、そういうことなのか?
  • 1曲あたり90円という著作権料は適正なのか?
  • でもって、90円×25曲×30日(月額)×12(一年)=81万円(年額)という計算方法は、これはいくらなんでもアコギ過ぎやしないか? 水戸黄門に出てくる悪党の金貸しだってこんな請求はしないぞ。(←詳しくはhttp://www.local.co.jp/news-drift/news-toukou.htmlを参照してみてください)
  • Imagne no possesions. と、ジョン・レノンは歌っている。ちなみに言えば、英単語「ポゼッション」(possesion)には、「占拠」「専有」「財産」という意味とは別に、「悪魔[悪霊,感情(など)]が取りつくこと」(←研究者「新英和中辞典第6版」より)の意味がある。
  • よろしくかみしめてくれ。
  • で、ジャスに取り憑かれたビートルズの元に著作権料が渡っているのかについてだが、おそらくノーだ。1969年に発売された「アビーロード」の中で、既に「you never give me your money」と、今回の騒動を予見する歌を歌っている。「you only give me your funny paper」と。

 というわけで、仕事に戻りますよ(大声)。

※ちょっと思い出したことがあったので追伸。
 たぶん、この二年ほどのことだと思うのだが、たとえばヤマダ電機に行くと「♪ヤマーダマダマダ」とかいう、異常に音痴(歌っているのはたぶん幼児)な歌がエンドレスでかかっている状況に遭遇する。どこの家電量販店も同じ。必ずや店オリジナルの腐った歌を永久ループで一日中垂れ流しにしている。おかげで、私のような耳弱なオヤジは、音楽が不愉快すぎて、30分以上店にいることができない。
 どうしてこんなことが起こっているのかというと、既存の楽曲(つまりジャスラック管理曲)をBGMとして流すと、ジャスラックから法外な請求が届くからで、それを嫌って、ヤマダさんは、BGMを断念したわけです。といって、まったくの無音だといかにも淋しい。で、ジャスラックとはまったく無縁な、100パーセントヤマダオリジナルの破壊的素人ソングを永久リピートで流すことにした、と。
 病気だね。BGMからカネ取ろうなんて。
 ジャスラックをシャイロックと言い間違える修辞法について、オレは特に著作権を主張していないが、もしかして、オレら物書きは、言い回しや文体についてマネをしたヤツからカネをふんだくる機関を設立すべきなのだろうか?
 話がズレてきた。
 さあ、仕事仕事(ボソッ)

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2007/01/22

そのまんま飢餓死

 今日ママンが死んだ。
 というのは、うそ。
 昨晩、iPodが頓死した。
 というよりも、バッテリー切れによる老衰死。
 一種の餓死だな。マシンとしては。詳細は以下の通り。

  • 2003年以来使ってきたiPod(第三世代・20GBモデル)が息をひきとった。
  • 宮崎県知事選の結果を見て、自分の時代が終わったことを悟ったのかもしれない。
  • 実働3年ちょい。5万円のマシンとしてはまあ標準的なところなのだろう。酷使したし。
  • 一年ほど前からバッテリーが急激にヘタって(再生時間が1時間以下になった)いた。
  • で、最近はもっぱら車載専用機として老いを養っていた。
  • この2ヶ月ほどは、バッテリー容量がほぼゼロになっており、それゆえ、PCと接続した場合の更新(曲の追加など)にもトラブル(更新途中に電源切れを起こしてしまう。とくにUSBケーブルでの更新は、電源供給を伴わないため不可能になっていた)が目立つようになっていた。
  • 昨晩、iLink(IEEE1394)ケーブル経由で更新を試みたところ、案の定、途中で何度か停止。これまでにもよくある展開だったので、PCを再起動したりiPodをリセットしたりなどして、何度かリトライした。
  • でも、何回やってもダメ。しまいにはPCがiPodを認識しなくなった。
  • で、更新はあきらめて、現状のっかっている曲のみで運用(しかも電源付きの場合に限る)することに決定。
  • ところが、AC電源につなげて電源を投入してみると、まるで音が出ない。メニューを見ると、収録曲数がゼロになっている。
  • 「情報」によれば 「曲:0 容量:18.5GB 空き:7.4GB」ということになっている。なるほど。わかった。詳しい事情はともかく、キミが狂っているということだけは了解した。
  • おそらく6000円でバッテリーを交換すれば再生の道が開けないこともないと思うが、それはそれで桑田投手に二億円という感じもするのでね。
  • あきらめるよ。涙を飲んで。
  • そう。オヤジにとって、涙は飲み物だ。
  • オヤジの涙は外に向かって流れ出たりしない。それゆえ、オレたちには涙を拭う必要も生じないし、涙に暮れることもない。ただただ、一心に飲むのだな。ごくごくと。涙を。ちくしょう。
  • バイバイ、iPod。お前はよく働いてくれた。オレは責めない。ジョブズにも恨み言は言わない。
  • オレのことは心配しないでくれ。これからは、シャッフルとともに生きていくから。そう、小さくて、キュートな、あの銀色のオモチャを首からぶらさげて、オレはこれからの短からぬ晩年を生き抜いて行く所存だ。
  • ん? シャッフルはロケンロール中年のアクセサリーとしては華奢に過ぎる、と?
  • なるほど。でも、それじゃあ、オヤジには何が似合うんだ? 
  • いや、オレらみたいなクソオヤジには、どうせ洒落たネクタイなんかよりは首吊りのロープの方が似合う。そんなことぐらいはオレにだってよくわかっている。キミたち若い連中がオレらの衰弱死を望んでいるってことも。でも、だからって、オレらは死ななきゃならんのか? 冗談じゃない。たかだか数万円のハードディスクのために殉死なんかしてたまるものか。

  • さて、仕事だ。
  • 新バージョンが欲しいなあ。できれば80GBのやつ。どうせ命は3年だろうけど。でも、3年もてば上等。おそらく、宮崎の新知事よりは長命になる。
  • さあ、仕事仕事。と。

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2007/01/21

豚に新宿

 新宿に出動。
 西口方面からアルタ前を経て、渋滞の新宿通を伊勢丹方向に進む。
 フロントガラス越しに見る新宿の町はなんだかひどく貧乏くさく感じられる。
 なぜだろう。どうして新宿はこんなにも色褪せて見えるのだろうか。
 高い位置のネオン看板がサラ金の広告に占領されているからか?
 建物が狭小で古いからだろうか。
 あるいは、そうした事情とは別に、歩いている人々のたたずまいがこの町の印象を暗くしているのだろうか。
 理由はともかく、駅前の景色から伝わってくるのは、アジアのダメな観光都市にありがちな脂ぎった混沌ばかりだ。
 ずっと昔、私が若い者だった頃には、新宿はもっと輝いて見えたものなのだが、あれは気のせいだったのだろうか。
 たとえばの話、地方都市から出てきた若いヤツが、はじめてアルタ前から紀伊国屋方向を一望してみたとして、彼は目の前の景色から、ときめきを感じるだろうか。
 感じないと思う。
「ちぇっ、これが新宿かよ」
「博多の方がずっと開けてるぞ」
「っていうか、仙台の方が全然きらびやかだと思うんだけど、これが東京一の都会なのか」
 と、そういう感想を抱くのが普通なんではなかろうか。それほどに、新宿の風景は魅力を欠いて見える。ただただ荒んでいて、やかましくて、猥雑で、要するに貧乏くさいのだ。東京に憧れてやってくる若者がいるのだとしても、あんまりこの町には来ないと思う。
 ……と、ここまで書いていて思ったのだが、新宿がくすんで見えるのは、新宿のせいというよりも私の側に原因のある話で、つまり、私がトシをとったということなのかもしれない。
 新宿が最先端の町でなくなったのは、いまに始まった話ではない。私が頻繁に出入りしていた20年前の段階で、すでに新宿は場末の盛り場だったし、それ以前の20年だって、決して先端的な都会ではなかった。というよりも、新宿は、闇市から立ち上がって以来、一貫して猥雑でやかましくて荒んだ空気の漂う、二級の都会だったのかもしれない。
 むしろ不思議なのは、そのいかがわしい新宿に若い時代の私が愛着を抱いていたことの方だ。そう。どうしてまた私はこんな冴えない町をひいきにしていたんだ?

 答は、酒だ。
 こたえにくい質問の解答はいつもグラスの底にある。
 私が新宿に関わっていたのは、主として酒にからんだなりゆきからだった。つまり、私は一人の酒徒としてこの町をさまよっていたわけで、そうである以上、私の判断は間違っていたのである。
 ……いや、間違っていたというのは言い過ぎだ。わかっている。
 酒をやめた人間は、極端に走り勝ちになる。
 断酒者は、酒を飲んでいた時代に自分がやっていたことを全面否定したくなる。
 というよりも、そういうふうに酒にからんだ経験のすべてを十把ひとっからげに封印してかからないとなかなか禁酒というのはうまくいかないものなのだ。だから、断酒者は、意図的に手のひらを返す。人生観をひっくり返し、人付き合いを裏返し、生活信条をひるがえして、そこまでやってようやく盃を返すことができる、と、そういうなりゆきなのだよ。勘弁してやってくれ。
 ともあれ、そんなわけで、断酒者は、酒飲みが愛着を抱くタイプのあらゆる事柄を嫌うようになるものなのであって、たとえば、新宿の猥雑さなどは、その典型なのだ。
 大酒のみであった時代の私にとって、新宿は、通り過ぎるだけでもなんだか心が潤う感じのする町だった。
 が、酒をやめてみると、一転、この町に関しては、やかましさや不潔さやうさんくささばかりが目につくようになった、と、そういう次第なのである。

※新刊の見本が送られてきました。
 アマゾンのリンクができましたら、あらためてサイドバーで紹介しますが、とりあえず、以下に本の写真を掲載しておきます。「サッカーの上の雲」駒草出版 1400円+税です。よろしくよろしく。

Kumo

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2007/01/15

ワーキングプア

模写です。

Poorwomen

コピー用紙に鉛筆描きの習作。
いや、習作って、別に画家をめざしてるわけではないんですが。
水彩絵の具で色を塗ったところ、紙が波打ってしまいました。
ひどいですね。

で、補完の意味で農夫のつぶやきを挿入してみましたところ、不思議な味わいが出ました。
DQN印象派。
思うに、あの時代の絵はセリフを入れるとずっと良くなるのではなかろうかと。

ええ、本当はこんなことをやっているヒマは無いはずなんですが。

出かけなければなりません。
ではまた。

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2007/01/13

微罪

高校野球賭博の容疑、総務省の職員ら18人書類送検 

 微罪。
 ふつうは黙認だと思う。でなくても、初犯なら口頭で注意して終わりというのが相場だと思う。
 なのに、ここしばらく、この種の微罪をあえて送検するケースが相次いでいる気がする。気のせいだろうか。
 そもそも、わざわざ警察が乗り出すこと自体が不思議なのだが、もっと不思議なのはこのレベルの事件(←どうせ、サツ番へのリークだよね?)を新聞が記事にして、テレビが全国ネットのニュースで流していることだ。
 なにか、裏がありそうな気がしてならない。
 そりゃまあ、賭け金が1円であっても賭博は賭博で、違法は違法だ。理屈の上ではそうなる。
 でも、大の男が一人1000円ですぜ。これって、職場の親睦とか、そういう範囲の話じゃないんだろうか。

 せっかくだから、以前魚拓をとっておいた記事も並べておく。

NEC部長ら61人、賭けゴルフで書類送検
 これなんか、ひと口200円のゴルフコンペの優勝予想ゲームですよ。
 ニギリで10万賭けてたとか、ひと口1万の勝ちゴルファー投票券を社内中に売り出して盛大に賭場をご開帳していたというのならともかく、ネタになっているのは、いい大人が61人も集まって総額で10万円と7000円が動いたに過ぎないパーティー娯楽だ。こんな素人の余興のどこが賭博だと言うんだ?
 で、部長以下61人が書類送検ですか?
 じっさい、優勝予想馬券を売り出して、コンペの打ち上げの席で優勝者発表と予想的中者への賞金授与がおこなわれるのって、コンペの定番みたいなものじゃないのか?

 去年の11月には、こんな事件もあった。

ビートルズ生演奏で著作権法違反、スナック経営者逮捕

 警視庁石神井署は9日、東京都練馬区石神井町3、飲食店経営豊田昌生容疑者(73)を著作権法違反の疑いで逮捕したと発表した。

 調べによると、豊田容疑者は今年8、9月、経営する同区内のスナックで、日本音楽著作権協会と利用許諾契約を結ばずに、客の求めに応じて、同協会が著作権を管理するビートルズの「イエスタデイ」など外国の曲計33曲をハーモニカで演奏したり、ピアニストに演奏させたりした疑い。

 豊田容疑者は1981年にスナックを開店して以降、生演奏を売りにしていた。同協会では契約を結ぶよう求めていたが、従わなかったため、今年9月、同署に刑事告訴していた。

(読売新聞) - 11月9日15時18分更新)
 以上の記事は、魚拓をとっていなかったんで、私的にコピペしておいたのを、そのまま載せました。ヨミウリさんごめんなさい。訴える前にご一報ください。消します。
 こんなものを取り締まるためのカネと人員とヒマがあるんなら、パチンコ屋とか雀荘みたいな、事実上の賭博場にガサ入れをする方がずっと世の中のためになると思う。マスコミのみなさんにも、ぜひパチンコ屋の闇を追及してほしい。
 だって、パチ屋さんでは、ふつうの主婦だとかサラリーマンが一日で5万も10万も勝ったり負けたりしてるわけなんだから。
 でも、無理なんだろうな。
 だって、パチ屋さんは、警察官僚の天下り先になっているわけだし、どうせ色々と癒着があるんだろうから。
 テレビ各局にとっても、同断。パチ屋さんは、ここ数年で最も伸び率の高いお得意先だ。
 ……って、話がズレてきてますね。
 寝よう。

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ファミリーズ

 幡ヶ谷と富ヶ谷で、バラバラ殺人が続いて起こった。
 笹塚に10年ほど住んでいた者として、独特の感慨がある。
 笹塚で暮らしていた時分、私は末期的な酔っ払いで、時々、ひどい抑鬱にとらえられていた。
 あの、イヤな気分を思い出す。
 正月気分が台無し……っていうか、そんな気分はハナっからないけど。
 でもまあ、こんなニュースばっかりだと、テレビを見る気がしなくなる。
 あるいは、トシのせいで気が弱くなったのかもしれない。
 
 いや、気が弱くなるもなにも、その昔、私が若者だった頃は、そもそも、この種の血なまぐさい事件についての報道自体がずっと少なかったと思う。凄惨な事件はそれはそれでたくさんあったと思うのだが、それらの事件について、過度に詳細な報道をすることについては、各局が自粛していた気がするのだな。だからたとえば大久保清がやらかしたことの詳細について私が知ったのは、むしろ最近のことだったりするのだ。
 それが、いつの頃からか、シリアルキラーもののニュースや遺体損壊系の事件は、舌なめずりとともに反芻されるようになった。かくして、エログロナンセンスはニュースの黄金郷になったわけだ。
 ううむ。

 不愉快な景色からは目をそらすのが人間の知恵だと思うのだが、記者諸君はそう考えない。彼らは、どうやら、不愉快な事態に向かってあえて突っ込んでいく姿勢を報道の正義だというふうに理解している。
 いや、取材者の心構えとしては、あるいはそれはそれで正しいのかも知れない。事件記者やレポーターが、グロテスクな事実や、危険な現場や、腐臭漂う事件の背景に対して、ためらっていたり恐れていたりしたのでは商売にならないだろうから。
 でも、肉食獣たる取材記者が血と鉄と毒を恐れないのはそれで良いとして、彼らが取材してきた結果を番組として流す段階では、もうひとつ別の判断基準があって然るべきなんではなかろうか。つまり、真相は真相として、公共性のない事実は、あえて庶民の食卓に供さないのがまっとうな放送業者としての態度……と、書いていて思い出したが、かつて、若貴騒動についてのコラムで似たようなことを書いたことがあった。
《問題は、真相がどこにあるかではない。その「真相」に、公共性があるのかどうかだ。花田家の財産分与について言うなら、それを伝えることには、ひとっかけらの公共性もない。花田家の人間が争えば良いことだ。》
 なるほど。
 で、今回の場合について言うなら、歯科医一家の家庭の内情や、富ヶ谷の若夫婦の日常についての報道に、公共性はあるんだろうか?
 ない、と思う。
 それどころか、有害ですらある。
 被害者やその家族の人権ということもあるが、それ以上に、殺人の具体的な方法や遺体処理の詳細を事細かに紹介することが、よろしくないのだ。
 ここ数日展開されているみたいな脅迫的な報道は、おそらく、身近な人間に対して殺意を抱きつつ、それをなんとかしてなだめすかしながら毎日を暮らしている人間に、非常に良くない種類の、重大な暗示を与えていると思う。テレビ画面から繰り返し流れ出てくる殺人事件の妄想映像は、憎しみや恨みで半分ぐらい正気を失っている人々にとっては、彼らの殺意を現実化するための、絶好の引き金になるはずだ。
 自殺についても同様。
 有名人が自殺をしたり、あるいは有名人でなくても誰かの自殺が印象的な形で報じられたりすると、自殺志願者は、「自殺」というタームから目をそらすことができなくなる。自らの自死についての方法や可能性がアタマから離れなくなってしまうのだ。ふだん、最大限の努力を払ってそのこと(自分が死ぬこと)から目をそらして、そうやってなんとか苦しい日常を維持している彼らの、その生きようとする努力を、自殺報道は打ち砕く可能性を持っている、と、私は思いますよ。ええ、自殺願望を抱いている人たちというのは、意外なほど数が多くて、しかも、その彼らは、とても暗示にかかりやすい人々(←余裕のない人間は著しく被暗示的なものですから)なわけだから。

 死体の解体について
「理解できない」
 と、テレビに出てくるコメンテーターの皆さんは、異口同音にそう言っているが、私はそんなに理解不能だとは思わない。
 「人を殺す」という極めて高いハードルを超えてしまった人間である殺人者の立場に立ってみれば、死体の解体はそんなにギャップのある作業ではない。抵抗する意思を示さず、血圧を喪失した(つまり、血が「ピュー」と吹き出すことのない)肉体であるに過ぎない死体を切り刻むことは、抵抗する被害者を殺すことに比べれば、ずっと簡単かもしれない。
 それに、殺人者は、殺人の発覚を恐れ、遺体(単独で運搬するには重すぎるし、隠すにしてもデカくて目立ち過ぎる)の処分というノルマに圧迫されている。とすれば、遺体を分解するのは、むしろ当然かもしれない。特に、都市においては。
 これが山奥の一軒家で起きた事件なら、加害者は、遺体の始末についてそんなに思い悩まずに済む。谷底に投げ捨てるにしても、裏山に埋めるにしても、目立たない方法がいくらでもある。が、都会のマンションの一室みたいな場所で、生身の(っていうか死んでるけど)死体を直面させられたら、誰だって困る。第一、人を殺した後の精神状態なんだからして、マトモであろうはずもないわけだし。

 幡ヶ谷の事件(←妹解体)が起こった歯科医院は、かつて十年ほど住んでいたあたりなので、なんとなく他人事のような気がしない。
 いずれにしても、いたましいことだと思う。

 ということで、ルー・リード先生の「ファミリーズ」を引用します。
 ニューヨーク郊外のユダヤ人家庭に育ったゲイの息子であるルー先生が描くところの家族像には、どう言って良いのか、胸に迫るなにかがあります。
 ジャスラックが釣れないので、今回は、逐語訳で、原詞と訳詞を一行ずつ交互に掲載してみることにします。

Families

            by Lou Reed

Mama, you tell me how's the family
母さん、家族のみんながどんなだか、話しておくれ
And papa, tell me how thing's going by you
父さんも、最近の様子を聞かせてくれよ
And little baby sister, i heard that you got married
ほんの赤ん坊だった一番下の妹が結婚したそうじゃないか
And i heard that you had yourself a little baby girl, too
あの子が、赤ん坊の母親になったんだね
And here's some uncles and some cousins i know vaguely
で、うちには、その新しい家族の従兄弟や伯父がいる
And would you believe my old dog chelsea's here, too
それから、われらが老犬、チェルシーも
And would you believe nobody in this family
Wanted to keep her
でも、けしからんことに、うちの家族には彼女を引き取ろうとする人間が一人もいない
And now that dog's more of a part of this family
Then i am, too
結局、チェルシーは厄介者だってことだ。
ぼくと同じで。
I don't come home much anymore
ぼくはもう家には帰らないよママ
No-no-no i don't come home much anymore
Mama
いや、ほんとうさ。もう家に帰るつもりはないんだ。

And mama, i know how disappointed you are
母さん、あなたがどんなにぼくに失望しているのかはわかっている
And papa, i know that you feel the same way, too
父さんが同じ気持ちであることも
And no-no-no-no-no i still haven't got married
いやいやいや、ぼくば結婚なんかしてない
And no-no-no there's no grandson planned here for you
だから、あなたちに孫をもたらす計画もないんだ
And by the way, daddy tell me how's the business
ところで、父さん、仕事はどう?
I understand that your stock she's growing very high
ずいぶんためこんでるそうじゃないか
No, daddy, you're not a poor man anymore
そうだよ、パパ、あなたはもう貧乏人じゃない
And i hope you'll realize that before you die
そのことを、死ぬ前にぜひ理解してほしいな。自分がもはや昔みたいに貧乏じゃないんだってことを
Because i don't come home much anymore
だから、ぼくはもう家には帰らないよ
No-no-no-no-no i don't come home much no more
But daddy
そう、ぼくは家には帰らない

And please-please-please-please-please
Come on let's not start this business again
たのむよ。おねがいだから、あの話を蒸し返すのはやめてくれないか
I  know how much you resent the life that i have
ぼくの生き方に、あなたたちはとても腹を立てている。そのことはわかっている
But one more time, i don't want the family business
でも、もう家族ごっこみたいなことは、ぼくにはたくさんなんだ
Don't want to inherit it upon the day that you die
あなたたちが死んだとしても、ぼくは何も相続するつもりはない
Really, daddy should have given it to my sister
すべては妹に残してあげてくれ
You know elisabeth, you know elisabeth
そう、エリザベス。エリザベスだよ。わかるだろ?
She has a better head for those things than i
彼女は、ぼくが持っているあれこれと比べて、ずっと立派なアタマを持っている
She lives practically around the corner
そして、現実に、すぐ近くに住んでもいる
That's really the kind of child you could be proud of
彼女こそあなたたちが誇るべき子供だよ
But papa, i know that this visit's a mistake
父さん、この訪問は間違いだった
There's nothing here we have in common, except our name
わかるだろ? ぼくたちの間には、名前以外に、なにひとつ共通の基盤がない
And families that live out in the suburbs
Often make each other cry
一緒に住んでいる家族は、お互いの悩みのタネになるものなんだ
And i don't think that i'll come home much anymore
だから、ぼくはも家に帰るつもりはない
No-no, i don't think i'll come home much again
うん、きっともう、二度とこの家に顔を出すことはないよ。
Mama、Papa
ママ、パパ
Families Often make each other cry
家族っていうのは、お互いを泣かせるものなんだね
No, i don't think that i'll come home much anymore
ぼくは、もう家に帰らないよ

(how's the families)
家族はどうだい?
 ※括弧内はバックコーラス。

 ルー先生は、こういう短編小説みたいな歌を書くのが上手だった人ですね。
 長くなってしまいました。
 ルーさんが示唆している通り、現代の核家族というのは、ひとつの密室です。特に、都市の、コンクリート壁とサッシ窓に囲まれた、四角い空の下の家族は、金魚鉢の中の金魚に似ています。
 ですから、雑居房の空気を息苦しく感じる年頃になったら、すみやかに出て行くべきなのですね。
 もちろん、一人暮らしの孤独もまた、それはそれでより狭い密室ではあるわけですが。
 いずれにしても、孤独の複数形よりはマシかもしれない、と。
 うん。新年そうそう微妙に不機嫌ですが。
 
 

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2007/01/02

一年の計

第86回天皇杯決勝 浦和 VS G大阪 @国立競技場

  • NHK総合にて、テレビ観戦。
  • モロに押され気味。っていうか、グダグダ。
  • でも勝つ。
  • 強さを感じさせないまま、不思議に勝ち続けた今シーズンの締めくくりを飾るにふさわしい押され勝ち。
  • 岡野のアシストが嬉しかった。
  • 小野君をはじめとして、岡野、永井、都築、相馬……と、天皇杯ではシーズン中に故障やらなにやらであんまり出場機会のなかった選手たちが活躍してくれた。素晴らしい。

 一年の計は元旦にあり、ということわざについては、若い頃から、「なーにを言ってやがる」と思ってバカにしてきたが、天皇杯に勝った去年から、考え方が変わった。やはり一年の計は元旦にあるのかもしれないぞ、と。

 というわけで、今年もよろしくお願いします。

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