午後、一橋如水会館にて会合。名目はF君を偲ぶ会。今年で七回忌になる。といっても、宗教色は無し。会費も無し。服装も平服。素晴らしい。主催者のI氏に感謝。
でも、次回があるようなら、せめて適正な会費を徴収してください。でないと、F君が心配すると思います。
幾人か懐かしい顔を見つける。いずれも、故人の告別式以来の再会。なるほど。40歳を過ぎた知人同士は、誰かの葬式でしか会わなくなるのだな。
まあ、それもまた好し、と、故人の引き合わせということで、午後のひとときを歓談のうちに過ごす。
二次会の喫茶店の中で話した思い出話のうち、さしさわりのないところをひとつ。
話の流れで、故F君のお気に入りだったという編集者の名前が出た。
おお、T君。
いや、T君なら私も大のお気に入りだった。彼が担当する仕事は大歓迎でしたよ。
というのも、T君は、とてもとても優秀だったから。
故人であるF君と私が、ともにかかわっていたのは、とあるパソコン誌のソフト評価の仕事だった。はじめのうち、それは、ちょっとした新刊本の書評程度の作業量の、お手軽な仕事だったのだが、ビジネス用のソフトウェアが大型化、複雑化、高度化するうちに、なんだかシジフォスの刑罰にも似た力仕事に変貌(つまり、アレですね。私がF君と行き来していたのは、そういう、パソコンバブル初期の、あわただしくもいかがわしい時代だったということです)して行った。
で、ソフト評価においては、担当編集者のこなすべき役割が次第に大きくなってきていた。
具体的には、評価用ソフトの入手、各種資料(過去記事、旧バージョン、競合他社の比較対象ソフトなどなど)の収集、あるいは、必要に応じて評価用機材のセッティングや画面写真の撮影など。ほかにも、メーカーとの交渉(評価記事公表後に起こる様々なトラブルの尻ぬぐいも含めて)も、もっぱら編集者がこなしていた。
で、われわれ評価委員(うん。そう呼ばれていましたよF君も私も)が、彼ら担当編集者のサポートのもとで、ソフトウェアを試用、調査のうえ原稿を執筆していたわけなのだが、T君の場合は、下調べ、交渉、資料収集のみならず、評価ポイントの洗い出しからソフト試用レポートまで丸ごと一人でこなしてくれたのである。
おそらく、並はずれた勤勉家であり、また生来の完全主義者であるT君は、原稿の遅いわれわれの仕事ぶりががまんできなかったのだと思う。
「あのぉー、一応参考までにですけど、私なりに評価記事のポイントを整理しておきましたので、良かったら目を通してください」
ぐらいなセリフとともに手渡されるT君のレポートは、ほぼ完パケ原稿だった。
「おい、これ、直すとこないぞ」
と、私は、当時、同僚であったY田氏やH野氏に報告したものだ。
「うん。完了じゃないか。おめでとう」
ということで、われわれはT君の資料レポートに簡単なリードを付加した程度の原稿を提出して原稿料(いや、ソフト評価委員として、通常の原稿料よりもかなり割の良い報酬を受け取っていた)をせしめていた。
「担当がいつもT君だと良いなあ」
と、われわれは言い合ったものだ。
いや、T君とて、最初から完パケ原稿を仕上げてきたわけではない。
何回か組んで仕事をするうちに、だんだん関与の度合いを深めて、最終的にゆりかごから墓場までの編集者に成長した、と、そういうことです。ええ。
「Nパソの記事は、そろそろ締め切りじゃないのか?」
「大丈夫。担当がT君だから」
「おお」
「ってことは、熟成待ちだな」
「うん。もうすぐT君が完成原稿見本をを持って原稿を受け取りに来る」
おそらく、T君のような几帳面かつ優秀な編集者にとっては、いつになれば書き始めるかもわからないヤクザな書き手の、どうせがラフな原稿を待つよりは、一から自分で書き起こす方がずっと楽だったのだと思う。
教訓:過剰に優秀な編集者は執筆者を怠慢にする。
ついでん、もう一人、編集者の話をする。
名前は忘れてしまった。仮にA君ということにしておく。
彼もまた非常に優秀な男だった。
時はバブルの頃。
おそらく'90年前後。
A君は、音楽系の出版社が創刊した、おしゃれな月刊誌(バブルの頃は、畑違いの会社が思いつきで雑誌を立ち上げることが珍しくなかった。素敵な時代だった)の若手の編集者だった。
彼が私に持ってきた企画は、新進の写真家とのコラボによる2ページもののエッセーだった。
テーマは、写真家がその月に撮ってきた写真を見てその都度決める。
で、毎月A君は、締め切りが近づくと写真を持って私のところにやってくる。
打ち合わせでは、けっこう話がはずんだ。
というのも、A君は実に優秀で、彼が持ってくるアイディアはいつも面白かったから。
で、和気藹々のうちに打ち合わせを終えて、さあ執筆にかかろうとすると、これが書けない。
なぜかって?
だって、オレのアイディアじゃないから。
確かに面白い着眼だったりするんだけど、でも、それって、オレが見つけたネタじゃないわけだから、書き手としては面白くないわけですね。はなはだ勝手ながら。
だから、書いてるうちになんとなく不機嫌になってくる。
それも、アイディアが面白ければ面白いほど、オレは面白くない気分になるわけです。
で、なんとかして違う形で着地してやろうとか、よけいなことを考えて、おかげで遠回りして苦労したあげくに、デキの悪い原稿を書いたような気がする。
いや、原稿はもう手元に残ってないし、わからないわけです。
とにかく、私は当時アル中のもっとも最終的な段階にいて、情緒不安定だったりまるで根気が無かったりしたもので、いずれにしてもたいした仕事はしていないはずで、事実、その雑誌の連載も、たぶん3回かそこらで終わった(はず)。
うん。
A君には悪いことをした。
彼にしてみれば、一生懸命アイディアを出して執筆を促したのに、どうして散々に待たされたあげくに逆切れまでされるのか、理解できなかったことだろう。
教訓:過剰に優秀な編集者は執筆者をスネさせる。
※追記:T君とA君の違いについて。
T君は、ほぼ完パケの原稿をタダで書いてくれた。しかも、無記名原稿で、原稿料は高い。
とすれば、こんなありがたい話はない。
A君の場合、アイディアはタダでくれたわけなんだから、やはり、一見素敵な編集者ではある。
でもくれたのは、アイディアであって、完成原稿じゃない。
ってことは、書くのはあくまでもオレ。
つまり、原稿を書く労力は減っていない。
そのくせ、原稿を書く楽しみ(つまり、アイディアをあれこれ考える部分)は、あらかじめ奪われてしまっている。
いや、実際、他人のアイディアを書き起こす身になってみると、これはけっこうツラいわけです。
「なんで、オレが他人のネタを文字に起こしてやらなきゃならないんだ?」
「オレはあいつのゴーストか?」
しかも記名原稿だしね。
原稿を書く人間というのは、無駄にプライドが高い。
だから、執筆者の前で、アイディアを出すのは禁物。
だって、セコいネタだったら腹が立つし、デキの良いネタだったら、やっぱりそれはそれで腹が立つから。
寝よう。
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