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2006/08/06

老師

ついでなので、オシム老師の記事も公開。
フッチバル誌、04年3月に書いた原稿です。
良い雑誌だったんだけどなあ。

Oshimu

 頭足人をご存知だろうか?
 知らないとは言わせない。描いたことがあるはずだ。というよりも、頭足人は、誰の心にも、必ず住んでいるのだ。もちろん、読者諸兄の心の中にも。
 頭足人は、読んで字のごとく、頭から足が生えている人間のことで、「とうそくじん」と読む。児童心理学の教えるところによれば、幼児は、どこの国の、どの文化圏の幼児であっても、必ずある発達段階で、この、顔に手足がついた人物像である「頭足人」を描くことになっているのだそうだ。ヨーロッパ人であれ、アジア人であれ、世界中どこの国でも、3歳から5歳ぐらいまでの子供は、必ずや、このモノを絵に描いているのである。
 おそらく、幼児の目には、顔と手足だけが映っている。つまり、最も重要で最も印象的な部分だけを彼らは知覚し、描写しているわけで、子供たちが、胴体を省略して、顔に直接手足をつけた形で人間を描写するのは、表現力の不足や観察力の未熟さというよりは、むしろ、彼らが天才だからなのだ。
 天才とは、直感だけですべてを把握する者のことを言う。天才は、だから、不要な部分を無視し、意味のある部分だけを知覚する。
 人間は、誰しも、ある年齢段階までは、直観力という天才を持っている。また、そうでなければ、成長することができない。
 幼児は、「大切なものが大きく見える」というまさに天才的な視覚を備えていて、それゆえ2歳児の目に映る飴玉は、サッカーボールに等しい。見たものを見たままに把握し、感じたものを感じたとおりに再現する能力。素直さとイマジネーション。完璧な模倣力。まったく幼児にはかなわない。
 さて、老人は幼児とはまったく対照的な能力を持っている。文化だ。
 一般に、豊かな文化を持った国では、老人が尊敬されている。なぜなら、老化とは、人間が、生物学的な存在から文化的な存在へと変化していく過程であり、人間の叡智の結晶である文化は、二十年や三十年で身に付くものではないからだ。
 そんなわけで、伝統のある国には、あらまほしき爺さんの理想像が息づいている。たとえば、中国やフランスには、
「ああ、こんな年寄りになりたいなあ」
 と思わせる、見事な爺さんが山ほどいる。アメリカの年寄りが、単に若者の出涸らしであるのとは大きな違いだ(←って、偏見か?)。さらに、アフリカに行くと、古い部族の長老は、部族中の若者たちに崇拝されていたりする。見事だ。古い文化を持つ国の人々は、死や老化と和解する術を知っている。若い国の若い人々は、資本の論理と生存競争の原理しか知らない。
 スポーツにおいても同様だ。
 歴史の古いスポーツの世界には、理想的な戦士としての爺さん像がある。必ずある。
 どういうことなのかって?
 つまり、競技者の競技能力が、彼の運動能力の絶対値でしかないようなスポーツは底が浅いということだ。
 たとえば、スノボのモーグルはどうだ?
 あれをやっている爺さんの絵柄を、あんたは思い浮かべることができるか?
 あるいは、引退した元ボーダーの爺さんが、素敵な老後を送れると思うか?
 サッカーの話をしよう。
 サッカーは、奥行きの深い、文化的な競技だ。だから、サッカーネーションのサッカー世界には、あらまほしき老人像がある。
 たとえば、オシムだ。
 ボールに年輪を刻み込んだかのような風貌。豊穣極まりないサッカー知識。そして、含蓄のある言葉。彼はまるでサッカーの惑星からやってきた賢人ヨーダそのものだ。
 オシムを目の前にすると、サッカー選手は、たちまち幼児に戻ってしまう。すなわち素直で直感的な、成長力の権化である3歳の天才に立ち戻るのだ。
 オシムが「走れ」といえば、選手は走る。
 理由なんかいらない。走ることがサッカーの真実であることは、オシムが言っているというそのことで証明不要の公理になる。汝、労を惜しむなかれ。洒落ではない。真実だ。
 オシムの顔は、デカい。
 彼を畏怖する選手たちの目には、身長の半分ぐらいに見えているはずだ。
 まるで頭足人。幼児にとっての脳内の友人であり、彼らの悪夢と憧憬であり、彼ら自身でもある頭足人。顔だけでできあがっている純粋存在としての人間。そう、オシムは、顔だけで相手を威圧し、ひとにらみで若い選手たちを走らせることができる。
 ただ走らせるだけではない。
 昨年の8月23日、対ガンバ戦の前のミーティングでオシムはこう言ったという。
「今日は、ボールを走らせて、相手を走らせろ。暑い日にはエコノミックなサッカーが必要だ。」(←ジェフ市原公式ホームページ「オシム語録」より)
 見事なディシプリン(規律)だ。
 ディシプリンは、恋愛に似ている。口に出すのは簡単だが、貫徹するためには血の出るような苦難が伴う。
 そのディシプリンを、彼は、ほぼ顔だけで実現し、おかげで、ジェフの年間順位は、昨年、2位にまで上り詰めた。
 もし市原が優勝したら……ジーコを市原に研修に出して、オシムには、そうだなあ、代わりに代表監督でもやってもらおうか。


 さて、仕事に戻るとするか(棒読み)

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コメント

俺、小学校高学年まで描いてましたが…

投稿: メルヘンひじきごはん | 2006/08/06 16:37

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