コモンセンス
ジーコの言っている「自由」は、多分に誤解されていたと思う。
この記事にある「自由」と「規律」を対立概念と受け止める見方がその代表。
自己流を ちょっと伸ばした ジーコ流
てなところでしょうかね(笑)。ええ。アエラみたいですが。
- こういう見方が広まる裏には、川淵キャプテン(←それにしてもこの「キャプテン」という呼称は何だったのだろう。「会長」で満足できない理由は奈辺にあったのか。今後、検証していく必要があると思う)が様々な場所で展開していた、「トルシエの規律からジーコの自由へ」式のあまりにも単純化されたストーリーが大きな力を発揮していたはずだ。
- ジーコが選手個々人の自主的な判断を尊重したのは、もちろん、選手個人の成長を促したかったからでもあるのだろうが、もっと根本的なところで、「代表選手に選ばれるほどの選手なら、当然、フッチバルのコモンセンスを持っているはずだ」ぐらいな思いこみを抱いていたからだと思う。
- しかし、わが代表選手が抱いていたコモンセンスは、ジャパニーズサッカーのコモンセンスであって、サンバのリズムから派生するカリオカのそれではなかった。いや、優劣の話をしているのではない。日本人のセンスや国民性を腐すための道具としてサッカーを持ち出すみたいな人たち(←ムラカミ、お前のことだぞ)がいて、話がややこしくなっているのだが、各国のサッカー選手に固有のリズムがあるのは、考えてみれば、当然のことだ。音楽は音楽、しかし、シャンソンとサンバは違う――みたいな――そういう違いが、ブラジル代表選手とわが代表選手の間にはある。それとは別に根本的なサッカー技術の優劣があるにしても、だ。
- さて、そのジーコが想定していた「コモンセンス」とは、たとえば、「一方のサイドバックが上がったら、もう片方は下がる」とか「ボランチがボールを持ったら、前線の選手は一斉に動き出す」だとかいった戦術的合意事項から(←細かいところは違うかもしれないが、要するに、ブラジルでプロになるようなサッカー選手なら、当然「常識」として備えているはずの、フッチバルのABCみたいなもの)「ツバメが低く飛ぶ日はグラウンダーのパスが良く通る」みたいなほとんど迷信に近いガラクタに至るまでの、すべてを含んだ民族の知恵袋みたいなものだ。
- もちろん、日本の選手だって、代表に選ばれるほどの選手なのだから、サッカーのABCは当然身につけている。ただ、「サンバのエッセンス」だとか、「ジンガー」みたいなブラジルローカルなサッカー方言については、その限りではない。踊らせてみれば一発だが、私たちの踊りは、南米の人たちとはまるで違う。
- 一方たとえば、日本人であるわたくしたちの内奥には、「俳句のコモンセンス」がある。五七五の反復的リズムと季節感の組み合わさった、詩と哲学と美意識の複合的知識データベース……と言っても外人さんにはわからない――そういう何かだ。
- 「4-4-2や3-5-2じゃなくて、5-7-5のシステムだったら勝てた」とか、そういう話をしているのではない。まあ、フォワードが5人ぐらい並んでいたら、そりゃ確かに強いだろうが。
- たとえば、つかこうへいの「熱海殺人事件」だったかに、こんな場面があった。
- 取り調べ中の刑事が、容疑者にいきなり問いかける。「目に青葉、山ほととぎす、あとを続けてみろ」「……野良仕事」「お前、アララギ派だな?」
- このショートコントで笑うためには、俳句のコモンセンスが不可欠で、ブラジル人がこのやりとりを笑うためには、翻訳がついたとしても、やっぱり3年ぐらいの滞日経験が必要だと思う。
- 何を言ってるんだ? オレは。
- つまり、ブラジルサッカーにおけるコール&レスポンスは、連歌みたいなものだ、ということだ。
センターバックがボランチに向かって「目には青葉」とボールを配球し、そのパスをボランチが「山ホトトギス」と言いながら右のサイドバックに渡す。と、ここでサイドバックのセンスが試されるわけだ。たとえば、「糠に釘」みたいなサバき方だと、まるでフットボールにならない。だって、美意識がゼロだから。
ジーコは叫ぶ。
「ヤナギザーワよ、どうして《目に青葉、山ほとどぎす》で《睡眠不足》なんだ? そんなことじゃ詩にならないだろ? 字数さえ合っちゃいないじゃないか。キミには、リズム感が無いのか?」
「……低血糖(ボソッ)」
「誰だ? 今、模範解答をつぶやいたのは。ナカームラか?」
「朝顔につるべ取られてチアノーゼ(ボソッ)」
「……ナカームラよ。キミの句は、リズム的には完璧だ。しかし、何かが違う。どういうふうに違うのかは説明しにくいんだが……ただ、キミに才能があることだけは……
……以上、未完のまま終了。
はい。仕事に戻ります(笑)
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コメント
小野伸二だったらどんな句を読むのでしょうか…
投稿: IQ | 2006/06/24 22:46
俳句がどうしたこうしたなんて、昔どこかで読んだ気がする。
ジーコの求めるレベルに応じられなかった日本選手(中田英を除く)というのも早くから準備されていた「ストーリー」だった。
つまり、このエントリー自体が「日本人のセンスや国民性」でサッカーを語っているので村上氏のことをあてこすれない。
木乃伊になった木乃伊取り、陥穽にはまった小田嶋氏。
ブラジルは選手だけじゃなくて、監督コーチの輸出国でもあるわけで、ジーコ一人でブラジルは……というのも飛躍があるんじゃない?
何かで読んだジノ・サニ・コーチの水際立った指導は印象深かったし。
投稿: あ~胸糞悪い | 2006/06/24 23:31
「熱海殺人事件」のショートコントで笑える教養の持ち主って今どのくらいの割合でいるんでしょうね(横ですみません)。
「アララギ派って何?」
(っていうか頭の中でアララギ派って変換もできてないかも。)
「なんで野良仕事がアララギハなの?」
という認識の人がほとんどじゃないかな。
一応私は笑えますけど(えへ)。
つかこうへいも今や高尚なものになってしまったのでしょうか・・・。
投稿: エンドラ | 2006/06/24 23:45
>つまり、このエントリー自体が「日本人のセンスや国民性」でサッカーを語っているので村上氏のことをあてこすれない。
ううむ。サッカーの話に「国民性」を持ち込む議論をコケにする意味で、俳句を持ち出してみたつもりだったのですが、あんまりうまくいきませんでしたね。
ブラジル人の中にも、国際的なセンスを持った指導者(つまり、「サッカーにおけるメタ言語を使いこなせる」ということ)はたくさんいます。
だから、当エントリーの主旨は、「ブラジル人だからダメ」という話ではありません。
ついでに申せば、日本人選手の中にも、日本人の国民性からはみ出した選手はヤマほどいます。というよりも、プロのサッカー選手であるという時点で、彼らは日本人の典型から大きく外れた人々です。
ただ、ジーコジャパンにおける悲劇は、監督としてのジーコがブラジルローカルな言語しか語れない指導者であり、ブラジルのドメスティックなサッカー(つまり、「本場」のサッカー理論ではあっても、国際的ないしは普遍的な舞台では通用しにくいサッカー理論)しか知らない人間であったということです。
で、ジーコが「ブラジル人向けの指導」を日本のサッカー選手に対しておこなった(←ということはつまり、「ほとんど指導らしい指導をしなかった」ということ)おかげで、彼の仕事は、ほとんど無効に終わりました、と、そういうことです。
投稿: 小田嶋 | 2006/06/24 23:49
「自己流を ちょっと伸ばした ジーコ流」
・・・うまいです。これはアエラには無理です。
投稿: おぶりがど | 2006/06/25 00:37
蜜柑星公共局ですね。
投稿: メルヘンひじきごはん | 2006/06/25 02:08
「リズム的には完璧だ。しかし、何かが違う」
wwwww
投稿: き | 2006/06/25 11:58
日本のサポーターの応援ってヨーロッパのと同じ歌を同じように歌ってるんだ〜とテレビ見て思った。
アフリカ人は太鼓を叩くし、アラブ人は切れ目のないチャルメラみたいな曲を流すのに。和太鼓とかだめなのかな。
サイドをボール持ってかけあがる時、カウンターでFWが攻め上がる時、
ドロドロドロドロドンドンって和太鼓の乱れ打ちが響いたらもっと興奮すると思う。
投稿: ゴミイ | 2006/06/25 12:08
こちらこそ、読解が浅かったようで大変失礼しました。
ただ、日本(人)のユニークさを語る手口がほぼ「何でもあり」であるのと同様、それと連動した、日本サッカーの駄目さ加減の深層を語る手口もほぼ「何でもあり」の状況ですね。
それこそ、和歌俳句の幽玄侘び寂びから、家の中で靴を脱ぐ生活から、横断歩道での振舞いから(3番目は懐かしいネタ)、何でもあり。
「電波」という括りなら、あるところで区切りができますが、こちらの方は油断していると皆ついついやっちゃうので、それができないところがある。
今回の結果を受けて、あちこちのサイト・ブログで、え~? こんな人がこんなことを書いてるよ、というのを観察できるのは、日本のサッカーファンの心性をあぶり出すようで興味深いです。
投稿: あ~胸糞悪い | 2006/06/25 12:34
↑おい、今時どこ行ったら和太鼓なんか聴けるんだよw
おまえみたいのが居るから話が余計にややこしくなんだよ
おとなしく喜太郎でも聴いてろ
投稿: フニクリグリゲラ | 2006/06/25 13:38
俳号
「せるじお小田嶋」で解説デビュー願います。
村上龍さんとの紙上対決も待っています。
投稿: ここで一番 | 2006/06/25 13:51
オシム監督でどこまでやれるのか?
まずは退屈な4年間にならないようにしてほしいです。
>解説デビュー
おもしろそうですね。できればスポーツ誌以外の媒体か単行本化でお願いします。
投稿: カスタム | 2006/06/25 18:39
もう、最高!です。
ジーコには哲学と使命感はありました。
あとは、それを日本語に翻訳するふりして、持論を語るせるじお越後が通訳にはいり、
さらに、それをうけて、実践に落とし込む岡田武士がコーチになれば、よかったのかもしれないですね。
でも選手だけでなく、きっと首脳陣のコミュニケーションもうまくいかなかったかも。
結局、ジャポネスは献身的かつハングリー精神にかけている自己完結した幸せな国民であるので、
「僕だけシュートしたら、もうしわけない」という礼節ゆえ、決定力に欠けていたと解釈した、神様は、「いいんだよ、シュートして」と柳沢を解脱されるためにシュート練習を繰り返させたにちがいない。
でも鹿島以来の愛弟子・柳沢の原因は、そんなに純粋にしてナイーブなものではなかったのかもしれない。期待された本人が一番苦しかったのではないだろうか。
もっと忠臣蔵の屈折があったとおもいます。オウンゴールしちゃいたいくらいの。何がしたいのかわからないぐらい、ぐるぐるまわる柳沢をみてそんな風におもいました。
やっぱり新撰組を演じるつもりでキャステイングしたほうがよかったということなんだろうか。それでも中田は土方歳三にはなれなかったわけですね。宮本みたいに、骨折の痛みに耐えて出場みたいな献身的な美談がないとむずかしいんでしょうね。
投稿: 田口亮子 | 2006/06/27 01:13
しかし、まあ、あっちこっち見回してみると、わけのわからない民族論・文化論が跋扈してますねぇ。
(折込済みとはいえ・・・)
小田嶋さんのような存在は希少ですよ。
「ナンバー」あたりでも一発こいてみませんか?
投稿: あ~胸糞悪い | 2006/06/30 22:00
http://www.president.co.jp/pre/backnumber/2006/20060814/1140/
ジーコ前監督の顔の
表情分析
. 指揮官の感情表現は、チームメンバーの心理に多大な影響を及ぼす。
ワールドカップで見せたジーコ前監督の表情の変化を、
世界的に評価されている感情研究の第一人者は、どのように見たのだろうか。
. サンフランシスコ州立大学心理学部教授 PhD.
デイビッド・マツモト = 文
text by David Matsumoto
でいびっど・まつもと●
1959年、ハワイ生まれ。ミシガン大学BA、カリフォルニア大学バークレー校MA、PhD。専攻・社会心理学。邦訳著書には、『日本人の感情世界』『日本人の国際適応力』ほか。柔道の指導者としても著名。国際柔道連盟公式研究員・六段。
投稿: 4年たっても胸糞悪い。 | 2010/12/06 00:44