ちょっと前のコメント欄で
「霊に不安や恐怖の原因を担ってもらう文化から
公衆の面前で、しかも当人は絶対に見ないところで不平・不満・不快をぶちまけてスッとする、
ネットに痰壺の役割を担ってもらう文化に移ったってことでしょうか。」
てなことを言われたので、ちょっとムキになって反論しておくことにします。
おとなげない態度であることは承知してます。が、霊能者みたいな連中(と、それを擁護することで「ものわかりのよさ」を気取っている人々)を目の前にした時には、おとなげのない対決姿勢を決めておかねばなりません。
ってことで、これまで、私が活字メディアで書いてきた、細木および江原関連の記事を一挙公開することにします。
長いですが、まあ、週末ですし。
※ある意味で死んだふりだったゾンビの復活について
国松元警察庁長官狙撃事件の容疑者として、複数のオウム真理教幹部が逮捕された。なるほど。世間は忘れても、警察は忘れていなかったのだな。いや、世間だって、忘れていたわけではない。あれだけの事件だ。十年やそこいらで忘れられる道理がない。
でも、TBSは忘れていた。
オウム騒動がまだリアルタイムの恐怖であった時期に、坂本弁護士一家の情報をオウム側に漏らすという大失態を演じ、心底から反省していた(←「今日TBSはある意味で死にました」と、筑紫さんは言ってました)はずなのに、またぞろ細木数子なんぞを引っ張り出してきてオカルト商売をたくらんでいる。結局、反省なんかしちゃいなかったということだ。ある意味で死んだふりだった、と。
振り返ってみよう。
オウム騒動が一段落したタイミングで、テレビ業界はオカルト番組の制作放映を一斉に自粛した。
というのも、視聴率目当てに疑似科学を弄ぶテの超能力ヤラセバラエティーや、詐欺師まがいの心霊研究家を起用して、いたずらに視聴者の恐怖心をアオるタイプの怪談番組が、オウムのようなカルト宗教の信者獲得に貢献していた事実が世間の非難を集めたからだ。
以来、テレビの少なくともゴールデンタイムからは、心霊や超能力関連の情報が見事に駆逐されていた。それが、ここへきて徐々に復活しつつある。人の噂も75日、反省ポーズは75週。サルでもオッケー。で、解禁、と。
もちろん、オカルト番組に手を出しているテレビ局はTBSだけではない。
というよりも、最も早い時期にこの禁を破ったのは、むしろフジテレビだった。番組としては「奇跡体験アンビリバボー」という疑似科学寄りのバラエティーが猫の首につけた鈴で、それがさしたる反発を呼ばなかったのを見て、はじめてTBSは動き出したのだと思う。とはいえ、「アンビリバボー」には、最低限「冗談めかして逃げよう」とする半身の姿勢(そもそもタイトルがふざけてるし)がある。ま、製作現場の良心としてはこれぐらいが精一杯ということだ。
ところが、TBSはガチだ。「金スマ」における、陰陽師の脅迫的な演出や、住宅リフォーム風水師の扱いを見ても、完全に本気(マジ)でオカルトをメインコンテンツに持ってこようとしている。
この度の細木数子特番は25.2%(瞬間最高視聴率では34.1%)という驚異的な視聴率を記録した。
ってことは、こりゃ、レギュラー化だろうか?
ネタ的に週一が無理でも、月一か、でなくても改変期特番として年四回ぐらいの出演交渉はしているはずだ、と見るが、どうだろう。
現場としては、占いはあくまでネタで、細木数子については
1.サッチー追放以来空席となっているパブリックエネミー(国民的嫌われ者)の第一候補
2.停滞する撮影現場に驚愕、怒り、恐怖といった演出以前のパニック感情をもたらす魔法の杖
……的な、特殊タレントとして利用しているつもりなのだろう。
が、細木をナメてはいけない。
プロデューサー、局ともども、必ず後悔することになる、とオレの占いにはそう出ている。
まあ、そういうわけだ。
最後に、断言をする人間はインチキだ、と、断言しておく。
『読売Weekly』2004年7月
※鴨と鷺
地上波民放各局の報道キャスターは、長い夏休みをとる。で、不可解なことに、彼らは、その件(休むこと)について、視聴者にあやまる。
「まことに申し訳ありませんが私○○は、来週の月曜日から……」
あやまるんなら休むなよ……と、テレビ画面を通じて個人的な休暇についてぐだぐだ詫びている図に、毎年私はいらつくのだが、おそらく腹を立てているのは私だけではない。忙しくて休めないでいる連中はもちろん、失業中の労働者も、リストラ自宅待機組の人々もやっぱりムカついていると思う。
それにしても、キャスターさんたちが、ある時期から突然、一斉に長い夏休みをとるようになった理由は何なのだろう。
1.欧米流のバカンス生活をアピールする電波文化人の虚栄心。
2.お国からのそこはかとない圧力(「国民的影響力のある著名人は率先垂範して夏期休暇の普及宣伝にこれつとめ……」みたいな、非公式の通達)
3.単なる心身の疲弊。
4.休暇による一時的な失業不安を現出することで、にわかセレブの増長慢を牽制しようとする局編成部の深謀遠慮。
いずれにしろ、生来のワーカホリック(労働嗜癖者)であり、職業的な空白恐怖症患者でもあるテレビ業界人が、自らの意思で長期休暇を望むなんてことは、ありそうもないことだ。
というのも、レギュラー出演という習慣的洗脳過程を通じてオーラを維持しているテレビ有名人は、視聴者に忘れらたらそれでおしまいだからだ。
ふむ。なんだか泳ぎ続けていないと溺れてしまう鮫(←「芸能人は歯が命」)みたいで、ちょっと哀れだな。
さて、夏休みは、例によって、スペシャル編成(制作現場の休暇確保および低予算省力化のための時間枠水増し傾向)が横行したわけなのだが、今年の場合、アテネ五輪の開幕が重なったため、ことのほかスペシャル(つまりデタラメ)な番組作りが目に付いた。
まずテレビ朝日は、サッカーのアジアカップ(7月下旬~8月第一週)を起点に、なし崩し的にレギュラー番組枠を放棄し、でもって、八月第一週は、朝一番のやじうまプラスから報道ステーション、テレビタックルに至るまで、丸ごと中国ネタで押し通してしまった。スペシャルアジアンウィーク。特殊反日週間。北京の誤銃後日――で、視聴率的には大成功。中華反日傾向様様の夏だった。
フジも露骨だった。27時間テレビ、お台場冒険王(&レアルマドリード来日特番)あたりから既に全局夏休みモードに突入していた。で、八月七日のゴールデンタイムには、視聴者の暑さボケを見透かしたつもりなのか、思い切りナメた心霊スペシャルをかましてくれた。
「江原啓之SP 天国からの手紙Ⅱ」というのがそれだ。自称超能力者(←スピリチュアルカウンセラーだと)の言を鵜呑みにする無批判さもさることながら、視聴者を鴨にする手口のエグさは、水辺の悪食鳥(←鷺のことだが)そのものだった。で、サカナ(←鳥たちのエサ)は、家族の死。最悪だな。ハゲタカ番組。
急死した夫からの長い手紙(←誰が書いたんだ? 放送作家か?)を朗読する恵俊彰。号泣する未亡人。もらい泣きする女子アナとゲスト出演者たち。余裕綽々の表情で愛の不滅を語る江原師。
誰が狂信者で、誰が悪党で、誰が間抜けなのかは、画面を見ているだけでははっきりとはわからない。が、涙の数だけ誰かが儲かっているということだけは、はっきりしている。
『読売Weekly』2004年8月
※感性と霊感
大阪市役所の職員が公費で背広を作っていたことについて、ワイドショーの面々は口を極めて罵っていたが、ナニワのお役人も、まさかテレビの中の人に無駄遣いを指摘されるとは思っていなかっただろう。だって、テレビ局の社員って、30代で1500万円の収入があるんですぜ。……ん?
「テレビ局は私企業。市役所とは違う。税金を無駄遣いするのと、利益を社員に還元するのは全然別の話だ」
と? なるほどね。でも、日本の放送局は許認可事業だ。ってことはキミらは半官半民みたいなものなわけで、心構えとしては、準公僕ぐらいなところで頑張っていてもらわないと困るのだよ。だから利益は、せめて制作費にまわしてください。
さて、週末の番組テーブルには、そのテレビ局が制作する映画の宣伝番組が並んでいたりするわけなのだが、ああいうのは、放送法に違反しないんだろうか? だって、番組枠丸ごとが営利目的の宣伝に終始しているわけで、とすれば、あれは番組ではなくて、長いCMなんじゃないのか?
ともあれ「映画『MAKOTO』2月19日公開~アナタには霊が見えますか?~」というその番組は、映画の宣伝番組であるとともに、心霊番組復活キャンペーン放送でもあった。
いや、エンターテインメントとして心霊現象を扱った映画があってもかまわないし、ドラマやフィクションが科学的である必要はないと思う。でも、映画の宣伝のために霊能者(江原某)を呼んで霊の実在をアピールさせたりするのは筋違いじゃないのか?
江原某という自称霊能者も、恫喝営業の除霊商売タイプではなさそうだが、癒し系であれカウンセリング系であれ、キワモノはキワモノなのだから、安易に先生扱いしてはいけない。
「霊が見える」と言う人間は、パラノイアか嘘つきのいずれかだ。でなくても最低限、自己肥大人格ではあるわけで、「オレはあんたたち一般人とは違う」「私は感覚が鋭い」「ボクは選ばれた人間だ」という意味のことを主張しているヤバい人間だ。
こういう人間を甘やかしてはいけない。私見を述べるなら、私は、われわれオヤジ世代の人間が、自称霊能力者みたいなモノに対して及び腰でいるから、霊感商法にハマる若者が減らないのだと思っている。
昔のオヤジは違った。霊だのたたりだのと言う男に対しては正面から「ウソをつきやがれ」と言っていた。こうでなくてはいけない。
が、平成のオヤジは弱気だ。霊の存在を信じていない組の人間でさえ
「いやあ、私はいたって鈍感なタチで、霊とかは見えないんですが……」
といったあたりに防衛ラインを敷く。つまり「アタマのカタいヒト」と思われたくないのだな。というのも、面白話大好きの仲間づきあいのうちでは、「見たことのないモノを頭ごなしに否定する人」は「想像力の貧困な人」ということになっているからだ。若い人たちにそういうふうに思われるのは、やっぱりちょっと悲しいな、と。
そう。平成の人間は「アタマがカタい」「ユーモアがわからない」「センスがない」と思われるとことを極度に恐れる。しかも、インテリを自認する人々の中にこういう人が多い。
かくして、「知識」「教養」「科学」は、「硬直的」で「権威主義的」で「排他的」だってなことでしりぞけられ、「感性」と「霊感」が、スタジオの「空気」を席巻しているわけだ。
あるいは、オレらはみんなゆとり教育の犠牲者なのかもしれない。
『読売Weekly』2005年2月
※運の悪い人たち
世の中には「運の悪い人たち」というのが一定数いて、彼らは、自分の運の悪さを自覚しているからなのか、あるいは少しでも運気を向上させたいと願っているからなのか、占いにハマり勝ちな人々なのだが、当然のことながら、そんなことで運の悪さが改善される道理はない。
というよりも、「占いにハマっている」という状態が、すでにして運気の停滞を示唆しているのであって、より忌憚のない言い方をするなら、「占いみたいなものをうっかり信じてしまう脳味噌を持って生まれてきた」ということこそが、その人間の運の悪さの本質なのである。南無。
さて、テレビというのは、一面、この種の運の悪い人たち(←つまり、暗示にかかりやすいカモ)の上前をハネることで成り立っている稼業(しょうばい)だ。
特に、二十一世紀に突入して以来、テレビは、「テレビを見る以外に選択肢を持たない人々」向けのメディアになり下がりつつある。
そう。テレビ視聴が、時代をリードする有力な娯楽であった時代は既に過ぎ去った。現代のテレビは、姥捨て山ないしはニート慰安室に過ぎない。であるから、平成のゴールデンタイム番組を眺めている人々は、もっぱら、自宅の外で過ごすための可処分所得を持っていなかったり、書籍やインターネットに挑むスキルや知的探求心を欠いていたり、そもそもテレビ以外に友だちがいなかったりする、「負け組」なのであるよ。まことに遺憾なることに。
で、細木数子だ。
運の悪い人たちは、細木先生を好む。
というのも、運の悪い人々は、自分の運の悪さが、自らの無能力と怠惰に起因する現象ではなくて、なにかしらの外部的な要因による一時的な状態なのだと思いたがっている人々でもあるからだ。そういう考え方をしているようだから、いつまでたっても状況を改善できないでいるわけなのだが、それはともかく、この人たちは、最終的には、前世だとか運命だとかいったタイプの外部的な決めつけにすがりつく道を選ぶことになる。なぜなら、運命とは、別の言葉で言えば、無責任だからだ。
で、無責任なこの人たちに向けて、細木数子や江原啓之といった無責任鑑定配給業者が、予言だの前世だのを乱発する番組が、高視聴率を記録しているのが、平成のテレビの現状なわけだ。まあ、三木谷クンが買い叩いてたたき直そうと思ったのも、ある意味必然だよな。
で、そのTBSは、どうやら運気が落ちている。その証拠に、彼らはマジで細木数子にすがりつきはじめている。
ゴールデンタイムに冠のレギュラーを持たせただけでもたいしたギャンブルだと思うのだが、改変期ごとに長時間特番を組んでいる。
一蓮托生。運命共同体。同じ泥船のカチカチ山。ずぶずぶ。
三木谷氏の株買い占めについて、細木先生は、何の警告も与えてくれなかったのだろうか?
それとも、彼女自身が大殺界(←らしいぜ)で、それゆえに、「大殺界の期間中には何をやってもうまく行かない」という自らの予見通りに予言をハズしているわけだから、予言は当たっている、と、そういうことなのか?
ズバリ、予言しておく。
「ズバリ言うわよ」は、せいぜいあと半年しか持たない。バイバイ(笑)。
『読売Weekly』2005年10月
※細木家の恥
まずは新聞記事から。
「茨城県警日立署は27日、信用金庫から3000万円をだまし取ったとして、東京都町田市上小山田町、画家、細木久慶容疑者(66)を詐欺の疑いで逮捕した。細木容疑者は、占師の細木数子さん(67)の実弟だと供述しており、同署で確認を急いでいる」1月27日毎日新聞
……特定の犯罪について、その容疑者の血縁にある人間の責任を問うのは、筋違いだ。実の弟が詐欺をやらかしたのであれ、またそれが累犯であったのだとしても、姉である細木数子とは本来無関係な話だし、一人前の成人が自己責任で為したことについて、保護者でもない身内が非難されるいわれはない。
でも、細木数子については、ぜひ責任を追及したいのだな。オレとしては。
というのも、彼女は、いつでも「家」(「血」と「先祖」)を最重要視し、「身内」が一体であるとする人生観を主張しているテレビタレントだからだ。
また、彼女は、「女」が「耐える立場の性」であり、「家」の「男たち」を支え、その背後で裏方の仕事をこなすべき陰の存在である旨を常々力説している一種のオピニオンリーダーでもある。
とすれば、「細木家」の「表の顔」である実弟が犯した不祥事は、「細木家の台所」である数子が処理せねばならない。だって、「男の尻ぬぐい」こそが「女の晴れ仕事」だと、あんたはそういうお話を、いつも繰り返してるじゃないか。
いや、私とて、細木数子が、個としての女性の独立自尊を認め、その自立を応援する立場の論者であるのなら、こんな無理は言わないのだ。
が、細木数子は、常に女性を「一段低い種族」として扱い、女性全般が「一歩退いた生き方」に閉じこもるべきである旨を、テレビを通じて、全面的に開陳流布宣言強要している存在だ。
とすれば、身内の責任を追及せぬわけにはいかないのだよ。
それでもたとえば、「女三界に家無し」に代表される旧世代の道徳を主張してやまない細木数子が、実際にそういう生き方を貫徹している「おんな」であったなら、私は何も言わなかっただろう。
が、細木数子は、「一歩退く」どころか、「常に最前面にしゃしゃり出てくる」女だ。「男を立て」「男に従う」生き方をしてきた様子もないし、「貞淑」「謙虚」「楚々」みたいな単語とも、まるっきりかけ離れた存在だ。
なのに、細木数子に、面と向かって
「弟さんの運命は鑑定できなかったんですか?」と、尋ねる者は誰もいない。のみならず、テレビは、詐欺事件の報道自体を、完全に黙殺している。
野球選手の従兄弟ぐらいの者が何かをやらかすと、それこそ鬼の首をとったみたいに騒ぎ立てるくせに、だ。
そもそも、このたびの一連のホリエモンバッシング報道の中で、選挙応援に出かけた自民党の幹事長とかが執拗に謝罪を要求されていたりするのに比べて、細木数子が無事なのは、どうかしている。
細木数子は正月特番でホリエモンを大々的におだてあげ、のみならず、「ライブドア株が五倍に値上がりする」と断言したのである。って、これ「風説の流布」じゃないのか?
……需要があるのはわかる。
テレビの前には、他人に決めつけて貰わないとスリッパひとつ選べない優柔不断な視聴者が3割やそこいらはいて、そういう人々にとって、細木の断言は一時でも心強く響くのであろうから。
細木数子がこの事態を無傷で乗り切るのかどうかは、彼女の問題ではない。
テレビ業界でメシを食っている人間たち全員の、倫理の問題だと思う。
ズバリ消えてほしい。
『読売Weekly』2006年2月
※恥部
番組改編期のテレビは、例によって特番ラッシュでぐちゃぐちゃだが、仔細に観察すると、各局の現状が見えてくる。結局、火事場のどさくさで組まれるこの時期の番組編成には、ふだんは隠しおおせているテレビの恥部がうっかり露呈しているわけで、してみると「スペシャル」の訳語は「恥部」とすべきなのかもしれない。
たとえば、3月28日のテレビ欄を見ると、TBSが「祝!ズバリ言うわよ!細木数子生誕祭!2週連続2時間スペシャル」というのをゴールデン(午後7時~9時)に持ってきている。しかも、午後2時~4時が「新春もズバリ言うわよ!細木数子2006年大予言――以下略――SP」と、これまた細木特番の再放送。つまりアレだ。TBSは今クールも細木先生と心中する決意なのだな。乗りかかったタイタニック。航海先に立たず。
思うに、細木数子の命脈は、本人の才能やタレント性ではなく、鑑定の対象となる芸能人の恥部に依存している。より詳しく述べるなら、細木数子は、テレビ局が、芸能人のプライバシーをネタに商売をする際のキー(鍵)として機能しているのであって、鑑定そのものは鍵穴に過ぎないわけなのだ。仮に、鍵と鍵穴を除けて番組を作ったら、細木スペシャルは、そのまんま出演者の私生活&恥部暴露番組になるはずだ。
ちなみに、翌29日のテーブルを見てみると、「恥部」がモロな形で番組になっている。「ザ・放送ヲ阻止セヨ!! これ知られたら芸能界明日から生きてけない絶体絶命スペシャル2 クイズ不正解だと激ヤバVTR流出…極秘結婚バレたのは誰だ?&写真週刊誌より早く人気芸人マジ密会激写&整形女優実名が&美人タレント元カレ」(3/29 18:55~20:55 TBS系)……テレビ欄だけでおなか一杯という感じ。かんべんしてほしい。
見る人がいるのは、まあ仕方ないとして、こういう番組に出る人間はいったい、どんな気分なんだろう。いや、一番不可解なのは、このテの番組を企画して作っている連中の神経だな。出演者や視聴者は、どっちにしろ、犠牲者に過ぎない。
さて、28日の読売新聞には、以下のような記事が載っている。
――番組の人権侵害について審理する第三者機関「放送と人権等権利に関する委員会」(BRC)は28日、関西テレビに対し、昨年夏に放送したバラエティー番組「たかじん胸いっぱい」に「著しいプライバシーの侵害があった」と決定し、再発防止のための体制整備を勧告した。
バラエティー番組について、BRCが委員会決定を下したのは初めて。
決定によると、昨年6月、関西地域で放送された同番組に出演したタレントの杉田かおるさんが、当時、夫だった男性との結婚生活などについて暴露。翌月の番組では、杉田さん以外の出演者が、関連するトークを繰り広げた。――後略:読売新聞3月28日――
テレビの人権侵害が、これまで問題にされていなかったのは、犠牲者の選び方が絶妙だったからだと思う。具体的に言うと、彼らは、モロな弱者は相手にせず、「一見強者に見える弱者」(←弱小プロダクション所属の芸能人。下っ端の役人。下り坂の政治家)をネタにしているのだ。
その意味では、たとえば「旧財閥に連なる無名人」である杉田かおるの元夫などは、「庶民の素朴な嫉妬の対象にはなるものの、実質的な権力や知名度はゼロ」だったりする点で、テレビにとって絶好の生け贄だったわけだ。
杉田かおる自身も、本人の破滅志向につけ込まれた形で社会的自殺の一部始終を公開されたわけだから、その意味では犠牲者でもある。
公開先に立たず。うん、笑えないな。
『読売Weekly』2006年4月
ちょっとした言及だけならまだまだあるんだけど、そうなるとなんだか「全集」みたいになっちまうんで。それらについては、待て単行本化ってことで(笑)。
というわけで、それではみなさん。よい週末を.。
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