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2006/04/02

都立校の統計学

 内田樹先生のブログ(←3月31日分のエントリー)に、日比谷高校についての印象的な記述があった。日比谷高校の出身者に限らず、ある時代の都立高校に通った経験を持っている者にとって、心に染みる文章だと思う。
 で、失礼ながら、先生のテキストに乗っかる形で、私が通っていた当時の都立高校についてちょっと書いてみたい。

 内田先生は、ご自身が通っておられた当時の日比谷高校の「空気」を評して

それは、「シティボーイの都会性」と「強烈なエリート意識」と「小市民的なエピキュリズム」に「文学的ミスティフィケーション」をまぶしたようなものだ(書いているだけでうんざりしてくるけれど)。

 と、書いておられる(詳しくは、http://blog.tatsuru.com/archives/001639.php をご覧ください)。
 この「空気」は、実は、私にもなんとなくわかる。うんざりしてくるところも含めて。

 私は、内田先生より6年遅れて、巣鴨にある小石川高校('60年代までは日比谷高校と並び称される都立進学校の一方の雄だった)という学校に入学したのだが、都立の進学校にとって、この6年という月日がもたらした変化は、致命的なものだった。というのも、1967年度(私の高校進学は’72年)から後の20年間ほど、都立高校は「学校群制度」と呼ばれる事実上の学力格差平準化政策(←平たく言えば受験教育の放棄)のうちにあったからで、それゆえ、内田先生の通った日比谷高校が本筋の進学校であったのに対して、私が通っていた小石川高校は、半可エリート校のひとつに過ぎなかった。
 ……それでも、1973年の小石川生の意識の中に、「シティーボーイの都会性」「強烈なエリート意識」「小市民的なエピキュリズム」「文学的ミスティフィケーション」のすべてが、(若干矮小化してはいたものの)残存していたのは事実なわけで、なればこそわれわれの不燃性の青春はシニシズムの砂漠の中で静かに空転しておったわけです。ええ。青春は人をからかう時の言葉でしたよ。完全に過ぎ去ってしまうまでは。

 で、話題は大学に飛ぶ。
 一浪してワセダの教育学部に合格した私は、入学間もないある日、キャンパス内の舗道(←「民青の並木道」と呼んでましたよ)上で、高校時代の雀友に出くわす。
「おお、これから授業なんだ。付き合えよ」
 と、誘いの内容が不毛であればあるほど、都立校の人間である私は、それを断ることができなかった。で、単位にも何にもならない商学部の授業に出ることになる。
「出席取ったら、スキ見てフケるから」
 と、かくして、われわれは、ひとまずわれらがマスプロ大学の200人教室の最後列に座を占めた。
 授業は、統計学のその年度の最初の講義だった。
「まず、生きた統計学というものがどんなものであるのか、諸君のお目にかけよう」
 ぐらいな前置きを述べた後、教師は
「都立高校出身の学生は手を挙げてみなさい」
 と言った。
「いや、手を挙げた諸君をどうこうしようというのではない。統計学の実験だ。正直に高く手を挙げなさい」
 パラパラと、全体の10分の1(20人ぐらい)ほどの学生が手を挙げた。
「手を挙げた学生の分布を見て何か気づかないか?」
 と教授は言った。
「そう。後ろの、しかも出口周辺に集中している。違うか?」
 その通りだった。手を挙げた学生は、みごとなばかりに最後列の出口周辺にかたまっていた。
「つまり、キミたちは《いつでも逃げられる位置》にいるわけだ。そうだな?」
「私は、商学部では《追っかけの○沢》と呼ばれている。なぜなら、私は、授業の途中で逃げる生徒を、おのれの脚力の限りを尽くして、地の果てまでも追いかける執念の教師だからだ」
「私は、教室に残ることになる99人を放置してでも、逃げた一人をどこまでも追跡する。統計学的には有効な方法ではないが、これは信念の問題だ」
「で、逃亡学生の追跡に明け暮れる教授生活を○年間重ねるうちに、私はひとつの統計学的事実に到達した」
「すなわち、逃げるヤツはほとんどすべて都立校出身の学生だということだ」
「いいか言っておくぞ。今後、私の授業から逃げ出すことは許さん。特にいま手を挙げた都立出身の生徒は、全員、最前列の席に移るように。これは偏見ではない。統計学的知見にもとずく適正な……」
 嘘のようによくできた話だが、これは事実だ。
 細部の言葉尻はともかくとして、実際に1976年のワセダのキャンパスで起こっていた真に統計学的な実話なのだ。

 まったく。
 それにしても、わたくしども都立者を逃亡的な学生たらしめていたモノは何だったのだろう。
 一回りしたエリート意識。あるいは夢を喪失した人間の韜晦だろうか?
 たかだか90分の授業時間を我慢して座っていられない生来の懶惰。
 そのくせ、出席だけは確保しておこうとする小ずるさ。
 敵前逃亡を卑怯と考えず、痛快事であるかのごとくに装う腹黒さ。
 いずれにしても、鼻持ちならない都会人根性だと思う。
 まったく。
 
 とかなんとか言いつつ、私は、高校を出てからこっち、なぜか、都立出身の人間とばかり付き合って来た。
 地方県立高校出身の熱血な人々や、私立出身のスマートな人たちのいずれともなんとなくウマが合わず、結局、いつも都立出身の、惰弱な人々が集まる内弁慶なテーブルに身を寄せてきたわけです。
 なぜでしょうね。
 この謎は、簡単には解けそうもないな。
 寝よう。

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コメント

 その一くさりの演説だけで講義に出た価値はあったと思います。
 私の思い出に残っています大学の講義は、一度も出席を取らずに、3学期間、1年半も延々と続いた化学の講義です。最初の1ヶ月で学生の8割がわからなくなってしまうのですが、出席学生が3人になろうが、誰も聞いていなろうが、ひたすら定理の証明と演習問題の解説を続けたあの大学教員はすごいです。私だったら、面倒くさいところは端折って(証明されたことにして)先に進んで”わかりやすい授業”にするとか、あるいは出席を取ってしまいます。

 高校のエントリのはずが大学の話をしてごめんなさい。私の出身高校は語るほどのものはありませんでした。授業が終わると一目散に家に帰って、留守録しておいたアニメ見ていたものですから。

投稿: Inoue | 2006/04/02 11:10

初めまして。というか同じ高校・同じ大学出身の者です。私なりの「都立高の統計」があったので、思わずカミング・アウト、じゃない、カキコしたくなりました。
大学の女子の服装ですが、ジーンズにTシャツのたぐいのお金のかからないバッチイ服装はたいてい都立出身。素敵なワンピースやふりふりのスカート、お金のかかったブランド系は、私立というより地方出身のお嬢様たちでした。服装が違うからといって、つき合う上での障壁はほとんど何もありませんでしたが、見分けはつくんですよね~。しかしあの大学、ストッキングなんてはいていっても、一回授業に出ると伝線しちゃうんですよ。なんせひどい椅子だったから。
でも都立出身者のひねた(醒めた?)感覚に比べて、ストレートな夢をもつ他の人たちがちょっとはうらやましかった(かなあ、どうかなあ……)。
昔を思い出させてくれて、ありがとうございました~。

投稿: アン子 | 2006/04/03 02:49

4年下の都立出身者&サッカー部OBです。私は短髪&シゴキ&がイヤ(チャラチャラと恋愛もしたい大学進学もしたい)で私立強豪高校(帝京、本郷、久我山)を避けたクチですが、当時、となりの目黒X中の宮内というヤツが日比谷を蹴って帝京に行ってサッカー部に入ったという話を聞いて、なんというもったいない選択をするんだろうと思ったことを覚えています。

投稿: ジャイルジーニョ | 2006/04/03 11:52

千葉県にある某理系私学に進学しましたが
オリエンテーションが終わってふと周りを
見渡して、なんとなく集まっていたのは
学区はバラバラでしたが全員が都立校出身者でした
例えようのない自由な空気の中で育った者同士は
なんとなく気配がしたのでしょう。
内田先生の日記にあった日比谷高校生評を読んで
何時の時代も都立校生ってのはこんな感じだったのかなと
思ってしまいました。
ただ、うちの高校は群レベル的には内申も偏差値も
平均で二次募集合格者や中学浪人さんたちが
成績とイベントを引っ張っていましたので
エリート意識ではなく、都落ち・脱ガリ勉という意識が
蔓延してました。
それはそれで後に自分らしいことを追求する方向へ
行きましたがそのかわり部活が体をなさなくなりました。
年を追うごとに衰退していく部活と反比例して増えた
8割以上のどこにも所属しない子のことを
自虐的に帰宅部と言っていました

投稿: みけ | 2006/04/04 00:26

読売の朝刊教育面で3日から、高校の連載が始まりました。
初回はバンカラと男女別学が特徴の仙台一高、仙台二高のルポと、仙台一高OBの井上ひさしの寄稿(インタビューだったけ?)などでした。
何でも、一高と二高(旧制一中と旧制二中)の野球の対抗戦は1900年に始まり、早慶戦より伝統があるとか。
いいですね、東京でも地方でも伝統のある高校は。
え?
私(♂)の高校ですか?
名もない地方の、県庁所在地でもない田舎の、元女学校ですが何か

投稿: pon | 2006/04/04 00:40

>都立者を逃亡的な学生たらしめていたモノは何だったのだろう。

ノブレス・オブリージュの裏返しでしょうか。
いざという時に備えるため、無価値なことには徹底的に手を抜く、
みたいな。

投稿: よし | 2006/04/05 00:21

そもそも早稲田にもそういう空気ありますよね?
「早慶戦の時に授業に出るなんてなにごとか」
みたいなことを総長が言っちゃうような。

投稿: ken | 2006/04/05 09:44

ご無沙汰しております。
そういえば私も都立高出身でした。
そういえご縁だったのかもしれませんね。

投稿: 09 | 2006/04/14 11:41

初めまして。
小田嶋さんと同じく小石川高校出身の者です。
都立出身者の印象については、なるほどそんな雰囲気だったなと思い出に耽ってしまいました。(私は1992年入学です)

プロフィールにある「放牧場のようだった」という表現が気になりました。よろしかったら、詳しく聞かせていただきたいです。

投稿: gen | 2006/04/19 22:48

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