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2006/04/30

馬鹿と祭り

 昼過ぎに起床。
 散歩
 ……に出て気づく。そういえば、今日は「大赤羽馬鹿祭り」だった。
 どこを歩いても人だらけで思うように動けない。自転車の移動力もほぼ無効。30分ほどで帰宅。
 夕刻、パレードが終わった頃を見計らって買い物に出てみる。
 揃いの法被を着た人々が、傍若無人に歩き回っている。
 毎年同じだ。
 祭り装束を身につけた人々の素行は、どうしてなのか、必ずや修学旅行生の水準に低迷することになっている。
 列挙すれば以下の通り。

  • 路上での車座飲食行動
  • 必要以上のがに股歩き、および横一列での商店街練り歩き
  • 法被男女による威圧的厚化粧&無差別のガン飛ばし
  • 三車線道路の集団任意横断。信号無視どころか、横断歩道さえないルートを、中央分離帯をまたいでまで渡る。それも、しごくゆっくりと。
  • タバコのポイ捨て
  • 未消化なべらんめえ口調による粗放な会話の誇示

 こんなものが町おこしになるんだろうか?
 「国家の品格」以来、日本の伝統文化を見直そうという機運が高まっているようだが、藤原先生、伝統にだって、当然のことながら、善悪の両面があるわけで、なにも奥ゆかしくて美しいだけがわれらの伝統ではないのだと小生は愚考します。
 祭りには、解放と交流の楽しさがあるのだろうし、踊りのリズムには古き良き庶民文化伝統が息づいていたりもするのであろう。
 が、そうした美点の一方には、卑俗で粗暴な昔ながらの一族郎党のいやらしさが……

 この件(法被集団のDQN化傾向)について、以前、どこかで書いた気がするので、サーチクロスでHD内を検索すると、以下の原稿が出てきた。以下転載する。

 今年もまたワイドショーは「荒れる成人式」の映像で明けた。そう、全国津々浦々の田舎町で、茶金赤髪の新成人たちが、市民憲章の弾幕を引きずりおろし、一升瓶をラッパ呑みでまわしていた。
 成人式の羽織袴、慰安旅行の浴衣、祭りのハッピ、あるいはゾクの戦闘服……と、揃いのなりで身を固めた時、わたくしども日本人は、「群集」という一段階レベルの低い人たちになる。で、個人としてのモラルを脱ぎ捨てたわれら群集は、絵に描いたような乱暴狼藉を展開する。
 ん? 絵に描いたような……? 
 そう、騒乱成人式映像は、ある意味、ディレクターが描いた絵なのだな。
 ヤラセとまでは言わないが、こう毎年同じ絵柄が供給されて来る以上、撮影者と被写体の間に、暗黙の了解が介在していると考えざるを得ないわけです。
 でなくても、テレビ局が撮影スタッフを送り込んでいることで乱痴気騒ぎがエスカレートしている一面は否定できない。ということはつまり、取材陣は騒動を煽っているのだよ。
 実際、「荒れる成人式」は、テレビ局にとって、期日ぴったりに所定の場所でカメラを構えていれば、ほぼ期待通の映像が撮れる、おいしい取材先だ。
 他方、被写体となる新成人の諸君にとっても、一生に一度のバカ騒ぎを全国ネットで紹介されるかもしれないスリリングな機会ではあるわけで、なんというのか、若気の至りの記念碑として、後々、面白おかしい語り草になる。
 ってことは、騒ぐ阿呆と撮る阿呆がそれぞれに盛り上がっているのであるから、これはこれで罪の無い祭りなのだ。あるいは、毎年、まったく同じタイミングで、まったく同じ映像を提供するこのイベントは、「シロクマ君ぐったり」(←夏本番を演出する上で不可欠な定番映像)や、中禅寺湖初氷レポートと同じテの「季節の風物詩」なのかもしれない。
 いずれにしても、こういう映像を見て、真正直に憤慨したり、日本の将来を憂えたりするのは、適切な態度ではない。
 ぜひ、無視すべきだ。
 さて、ゾク連中とテレビ局にとってはいざしらず、主催者にとって、成人式は、もはや何のメリットももたらさないイベントだと思うのだが、どうだろう。いや、メリットがないどころか、単純な話、税金のムダ使いですよね? 違いますか?
 なのに、どうして市町村は成人式をやめないのだろう?
 以下、私なりの邪推を列挙してみる。
・前例踏襲という役人のDNA
・市民ホールのためのアリバイ作り。っていうか、大金をはたいて作った箱物は、こういう時にしか使い道がない
・新成人が新たな票田に見えるという、地方政治化の病気
 ……って、考えすぎか?
 ところで、「ザ!情報ツウ」では、成人式の廃止を訴える麻木久仁子に対して、珍しく峰竜太が反論していた。誰に対してであれ、決して反論ということをしない極度に同調的な芸風が売りの、入り婿芸人・峰の反論……何かありそうだ。
・はやくもレギュラー司会者をハズされた後の生活を睨んでいる苦労人・峰にとって、田舎成人式講演営業は老後の保険、半端セレブの金城湯池だから
・定番の取材先である成人式を防衛したいディレクターの意向を代弁しました 
 ……うん。これも考えすぎだよな。
 峰さんのとこって、お子さんはそろそろ成人でしたっけ? で、ヨメさんと姑が大乗り気で振袖を……とか?
 いや、どうでも良いんだけどさ(笑)

 ※ちなみに、当稿は「読売ウィークリー」誌のために2004年の1月に書かれたものです。編集部のみなさん。あしからず。

 上に引用した原稿の中に

>揃いのなりで身を固めた時、わたくしども日本人は、「群集」という一段階レベルの低い人たちになる。

 という一節があるが、ちょっと訂正しておきたい。
 祭りのハッピを来た人々は、「群衆」ではない。
 「群衆」もまたモラルの低い人々ではあるが、しょせんは、一過性の存在だ。個々人の責任感を集団の中に希釈してしまっているきらいはあるものの、積極的な悪意を持っているわけではない。
 法被姿の「連」や、戦闘服を身にまとった「ゾク」は、群衆とは違う。群衆よりずっと帰属意識が高く、それゆえ粗暴さや品の無さにおいても、より顕著な特徴をそなえた人々だ。むしろ、「徒党」と呼ぶべきだと思う。
 いずれにしても、「徒党」「軍団」「組」みたいな制服集団に帰属した時、われわれ日本人(の、特に男)は、愚劣な人間になる場合が多い。
 つまり、

  • 外部に対しては、粗暴かつ威圧的かつ夜郎自大であり
  • 内部的には、著しく結束のカタい血盟団式の秩序を持った集団
  • すなわち「ギャング」になる

 ということだ。

 しかも、徒党の内にある人々は、多くの場合、集団的自己陶酔に陥っている。
 いやだなあ。
 ってことはアレだ。
 教育基本法の改正はヤバい。
 オレらは、これまでどおり、バラバラでまとまりのない、ピリっとしない、腰抜けの、ゆるーいニポン人であるべきだ、と、そういうことだな。

  

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2006/04/29

大宮戦

J1第10節 浦和レッズ VS 大宮アルディージャ

  • 埼玉スタジアムで生観戦。
  • シートはバックスタンド二階席。寒かった。
  • 渋い勝利。
  • 全体を通じて、危ない場面はほとんどなかったものの、圧倒していたわけでもない。
  • 前半39分。小野伸二がワシントンにスルーパス→これを追ったトニーニョがトラップミス→意外な速さで追いついたワシントンが右足でシュート。見事に決まって1-0。
  • 後半にはいってからは、浦和がゲームを支配。しかし、後半35分。鈴木啓太が2枚目の警告で退場してからは、苦しい時間が続いた。
  • 後半ロスタイム。途中出場の永井がカウンターからのゴール。2-0。試合終了。万歳。
  • アルディージャ土屋選手へのブーイングがすさまじかった。ボールを持つ度に地鳴りのような声と口笛が沸いた。カンプ・ノウにおける、ルイス・フィーゴへの罵声に匹敵するものだったと思う。田中達也への応援として記憶しておくことにする。
  • 小野君は上出来。いくつか露骨なパスミスがあったが、ボールタッチも多かったし、トラップの質は相変わらず最高だった。このまま順調に回復していってほしい。
  • 途中、雨が降ったが、おおむね屋根が防いでくれた。

Reds0429
試合前のスタンド。雨模様にもかかわらず満員。5万4千人以上はいったのだそうだ。すごい。

※通常モードの日記再開は、来月からということにします

 今月は、色々と考えこむ出来事が多かった。
 で、私生活上のあれこれと、ブログ上のテキストの間の距離をうまく保てないような気がして、それで執筆を自粛していた。
 いや、私個人の生活は、いたって平穏で、申し訳ないほど無事だった。ご心配には及ばない。
 知り合いの幾人かが、思いがけない不幸に見舞われている。
 で、それらの出来事やなりゆきについて、色々と思うことがあるのだが、その考えをそのまま書くのは、はばかられる。
 というのも、親しい人々の上に起こった出来事は、あんまりなまなましいからだ。
 プライバシーの問題もある。
 ブログは、世界中に公開されている。そう思うと、無責任なことは書けない。
 興味本位で事実をひっくり返したがる人々がいたりすると、知人に迷惑が及ぶことになる。

 というわけで、来月からよろしくです。

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2006/04/22

清水戦

清水VS浦和@静岡スタジアム

 イヤな負け方。
 論評する気持ちになれない。
 でもまあ、あんまり間が開くとまた長期休養にはいってしまいそうだから、とりあえず気づいたことだけ。

  • 家本主審はなんだかムキになっていた。
  • で、結局レッズには8枚のイエロー。
  • こういう日もある。
  • 勝つべきゲームを落とすことがあるのもサッカーのうち。まあ、負けるべきゲームをいくつか拾っていたりもするから。
  • 来週の試合はスタジアムに行くことになっているのだが、ポンテがいないのは淋しい。坪井の欠場も地味に痛い。
  • でも、大宮戦で復帰する見込みの小野伸二のにとって、ポンテの不在は、案外好材料になるかもしれない。ちょっと役割がカブり気味だったりもしたわけだから。
  • ともあれ無敗記録が途絶えて、次戦から肩の力が抜けることを祈ろう。

 、

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2006/04/15

浦和VS京都

浦和レッズVS京都パープルサンガ  埼玉スタジアムにて生観戦。
 珍しく空席が目立つ。公式発表は4万人ちょい。土曜日のリーグ戦(かつ埼スタのホームゲーム)でのこの数字は、最近ではかなり少ない部類だと思う。もしかして、レッズサポは連勝に倦んでいるのだろうか。
 ともあれ16戦負け無し(←試合前の段階での記録)という結果は、凄すぎる。
 想定の斜め上を行っている感じだ。
 暗黒時代からのサポの中には、狼狽している組の人間が少なくないと思う。だって丸々半年間まったく負けてないんですぜ。なんというのか、高級レストランのテーブルに座らされて、どういうふうに振る舞ったら良いのかわからずにいる貧乏人みたいな気分ですよ。ええ。

  • ゲームは圧勝。こういうのを圧勝と言うんだろうな。圧敗という言い方は無いけど、負けた方は、ペチャンコに圧延された気分であろう。
  • 前半はベタ引きの相手に苦しむも、ボールポゼッションは圧倒的にわが軍。0-0のハーフタイムには、時間の問題という空気が漂っていた。
  • 後半10分:中央山田(←ビデオで見たら闘莉王でした)から左サイドアレックスに絶妙のスルーパス→エンドラインぎりぎりまでえぐったアレックス先生、ゴール前のスペースにマイナスのクロス→走り込んできた長谷部さんがこれをダイレクトで決める。たぶん右足のアウトサイド。すばらしい。
  • 27分:またしても左サイドをフリーで抜け出したアレックスから中央ワシントンへのクロス。右足アウトでのワンタッチシュートを敵DFが一度はクリアするも、ワシントンが再度ねじ込む。2-0。
  • 39分:左サイドを深くえぐったアレックスから、ゴール前ドフリーの正直者ワシントン大統領へのドンピシャリのクロス。大統領閣下は一度トラップした後、落ち着いて右隅に蹴りこむ。さすがに落ち着いている。
  • 1点目が入った後、京都がもう少し攻めてくるかと思ったのだが、意外にもベタ引きのまま。プレスも前半より弱くなって、なんだか戦意喪失の様相。大丈夫なのか? 
  • なんだか今年のJ1は上位と下位の実力差が際だってきたように思える。まあ、いいんだけど、楽勝のゲームは大好きだから。
  • 良かった人:アレックスさん。長谷部さん。闘莉王さん。ワシントン閣下。それから、途中出場の野人岡野が素晴らしく元気だった。
  • 闘莉王の攻撃力は驚異。惜しくも得点には結びつかなかったが、強力なヘッドやストライカーはだしのバイシクルなど、いくつも見せ場を作っていた。ヘアスタイルも現状では日本一の破壊力だと思う。
  • ポンテはいつになく静かなプレーに終始。相手が弱いと力がはいらないというのは、ある意味ワールドクラスの証なのであろう。
  • 鈴木啓太は豊富な運動量と素敵なポジショニングで勝利に貢献していた。でもミドルシュートは1年に1本しか枠に行かない。
  • 山田ノブヒサは相変わらず絶好調。ジーコ、見てるか? うちのノブヒサが本気になったら加地君なんかメじゃないんだぞ。問題は、滅多に本気にならないところなのだが、昨年来、ムラッ気がカゲを潜めている。もしかしてギドは名将なんだろうか。そういうえば、先週のナビスコ杯ではFWとして起用していたが、案外、ノブヒサという男は、ああいう見え透いたおだて(「ヤマよ。お前は、日本一のフットボーラーだ。キミならどんなポジションでもできる。オレは信じているぞ」とかなんとか)に弱いのかもしれない。

Reds0415
※試合前の練習風景。小野伸二がいないのが残念。さびしい。

帰宅後は原稿執筆に専念、と、日記には書いておく。
もの言へば くちびる曲がる おぼろ月

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2006/04/02

浦和VS名古屋

 浦和VS名古屋

BS-iにてテレビ観戦

 前半は浦和の圧倒的優勢のうちに推移。
 パスが面白いようにつながって、攻守に名古屋を圧倒。
 でも、最後の最後のシュートが枠に行かない。イヤな予感。
 後半は、一転、守勢。
 80分過ぎはまったくの亀の子状態。
 で、そのまま0-0で引き分け。
 つまらないゲームだった。雨も雨だったし、スタジアムに居なくて良かった。

 小野君は、上出来だったと思う。久々に躍動している感じがあった。
 運動量も、ポジショニングも、パスの精度も、ここ数試合では一番良かった。
 ただ、シュートが入らなかっただけだ。
 そう。6本のシュートは、すべて大きくハズれていた。
 こういう日もある。
 6本もシュートを打ったというその事実を評価しよう。
 大丈夫だ。
 と、そう考えることにしよう。

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竜頭蛇足

 松本竜助(旧名・竜介)が亡くなった。
http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20060402-14161.html

 脳出血だという。
 年齢がまったく同じなので、ちょっと特別な感慨がある。
 それに、竜介には多少個人的なかかわりがある。
 直接の知り合いというわけではないが、われわれは同じ会社のOBで、具体的に言うと、私が新卒で就職したAGFというインスタントコーヒーの会社に、竜介も在籍していたことがあるのだ。
 もっとも、高卒現地採用の工場勤務(鈴鹿に工場があった)だった竜介氏は、私が入社した時には、既に退社していた。
 それでも、私がいた当時、社内には竜介の噂がまだ残存していた。まあ、あんまりパッとした話ではなかったが。宴会では目立とうとして色々やっていたけど、あんまり面白くなかったとか、変わり者だったとか……
 AGFは、当時、離職率の低さが自慢で、「竜介が辞めて以来一人も退職者を出していない」というのが、管理職スピーチにおけるマクラの定番になっていた。
 私は、だから、その次ということになった。
「竜介以来ちゅうことになるでェ」
 と、同僚は言った。
 良い前例なのか悪い予兆なのか。
 縁起が良いのか、悪いのか、私は、どう考えるべきなのか、わからなかった。
「後悔しない自信はあるのか?」
 と、副部長は尋ねた。
「どっちみち後悔はすると思います」
 と、私は答えた。
 副部長は笑わなかった。
 私はちょっと笑った。
 楽しかったからではない。
 どういう顔をして良いかわからなかったからだ。
 竜介以来の、笑えないジョークを言った社員は、こうして会社を去った。
 そして、竜介はこの世を去り、竜介の後を追った社員はまだ生きている。
 余生、と思うことにしよう。
 おまけだ。
 そう思うと気楽で良い。
 というわけで、仕事は明日。
 明後日から二泊三日で沖縄に行ってくる。
 だから、明日一日で、原稿を3本上げねばならない。
 なあに、余生と思えば余裕の余勢。
 寝よう。
 

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都立校の統計学

 内田樹先生のブログ(←3月31日分のエントリー)に、日比谷高校についての印象的な記述があった。日比谷高校の出身者に限らず、ある時代の都立高校に通った経験を持っている者にとって、心に染みる文章だと思う。
 で、失礼ながら、先生のテキストに乗っかる形で、私が通っていた当時の都立高校についてちょっと書いてみたい。

 内田先生は、ご自身が通っておられた当時の日比谷高校の「空気」を評して

それは、「シティボーイの都会性」と「強烈なエリート意識」と「小市民的なエピキュリズム」に「文学的ミスティフィケーション」をまぶしたようなものだ(書いているだけでうんざりしてくるけれど)。

 と、書いておられる(詳しくは、http://blog.tatsuru.com/archives/001639.php をご覧ください)。
 この「空気」は、実は、私にもなんとなくわかる。うんざりしてくるところも含めて。

 私は、内田先生より6年遅れて、巣鴨にある小石川高校('60年代までは日比谷高校と並び称される都立進学校の一方の雄だった)という学校に入学したのだが、都立の進学校にとって、この6年という月日がもたらした変化は、致命的なものだった。というのも、1967年度(私の高校進学は’72年)から後の20年間ほど、都立高校は「学校群制度」と呼ばれる事実上の学力格差平準化政策(←平たく言えば受験教育の放棄)のうちにあったからで、それゆえ、内田先生の通った日比谷高校が本筋の進学校であったのに対して、私が通っていた小石川高校は、半可エリート校のひとつに過ぎなかった。
 ……それでも、1973年の小石川生の意識の中に、「シティーボーイの都会性」「強烈なエリート意識」「小市民的なエピキュリズム」「文学的ミスティフィケーション」のすべてが、(若干矮小化してはいたものの)残存していたのは事実なわけで、なればこそわれわれの不燃性の青春はシニシズムの砂漠の中で静かに空転しておったわけです。ええ。青春は人をからかう時の言葉でしたよ。完全に過ぎ去ってしまうまでは。

 で、話題は大学に飛ぶ。
 一浪してワセダの教育学部に合格した私は、入学間もないある日、キャンパス内の舗道(←「民青の並木道」と呼んでましたよ)上で、高校時代の雀友に出くわす。
「おお、これから授業なんだ。付き合えよ」
 と、誘いの内容が不毛であればあるほど、都立校の人間である私は、それを断ることができなかった。で、単位にも何にもならない商学部の授業に出ることになる。
「出席取ったら、スキ見てフケるから」
 と、かくして、われわれは、ひとまずわれらがマスプロ大学の200人教室の最後列に座を占めた。
 授業は、統計学のその年度の最初の講義だった。
「まず、生きた統計学というものがどんなものであるのか、諸君のお目にかけよう」
 ぐらいな前置きを述べた後、教師は
「都立高校出身の学生は手を挙げてみなさい」
 と言った。
「いや、手を挙げた諸君をどうこうしようというのではない。統計学の実験だ。正直に高く手を挙げなさい」
 パラパラと、全体の10分の1(20人ぐらい)ほどの学生が手を挙げた。
「手を挙げた学生の分布を見て何か気づかないか?」
 と教授は言った。
「そう。後ろの、しかも出口周辺に集中している。違うか?」
 その通りだった。手を挙げた学生は、みごとなばかりに最後列の出口周辺にかたまっていた。
「つまり、キミたちは《いつでも逃げられる位置》にいるわけだ。そうだな?」
「私は、商学部では《追っかけの○沢》と呼ばれている。なぜなら、私は、授業の途中で逃げる生徒を、おのれの脚力の限りを尽くして、地の果てまでも追いかける執念の教師だからだ」
「私は、教室に残ることになる99人を放置してでも、逃げた一人をどこまでも追跡する。統計学的には有効な方法ではないが、これは信念の問題だ」
「で、逃亡学生の追跡に明け暮れる教授生活を○年間重ねるうちに、私はひとつの統計学的事実に到達した」
「すなわち、逃げるヤツはほとんどすべて都立校出身の学生だということだ」
「いいか言っておくぞ。今後、私の授業から逃げ出すことは許さん。特にいま手を挙げた都立出身の生徒は、全員、最前列の席に移るように。これは偏見ではない。統計学的知見にもとずく適正な……」
 嘘のようによくできた話だが、これは事実だ。
 細部の言葉尻はともかくとして、実際に1976年のワセダのキャンパスで起こっていた真に統計学的な実話なのだ。

 まったく。
 それにしても、わたくしども都立者を逃亡的な学生たらしめていたモノは何だったのだろう。
 一回りしたエリート意識。あるいは夢を喪失した人間の韜晦だろうか?
 たかだか90分の授業時間を我慢して座っていられない生来の懶惰。
 そのくせ、出席だけは確保しておこうとする小ずるさ。
 敵前逃亡を卑怯と考えず、痛快事であるかのごとくに装う腹黒さ。
 いずれにしても、鼻持ちならない都会人根性だと思う。
 まったく。
 
 とかなんとか言いつつ、私は、高校を出てからこっち、なぜか、都立出身の人間とばかり付き合って来た。
 地方県立高校出身の熱血な人々や、私立出身のスマートな人たちのいずれともなんとなくウマが合わず、結局、いつも都立出身の、惰弱な人々が集まる内弁慶なテーブルに身を寄せてきたわけです。
 なぜでしょうね。
 この謎は、簡単には解けそうもないな。
 寝よう。

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