元日本代表監督トルシエ氏、イスラム教に改宗
イスラーム?
びっくりだ。
フィリップよ。キミはいつでも私を驚かせる。
そういうえば、「フィリップ」という名前もすでに無効なのか? 私は、キミに対して「オマール」という名前で呼びかけなければならないのか?
オマール・トルシエ……奇妙だ。私は、ムスリムになったキミに対してどんなふうに接するべきなんだ? なあ、フィリップ、とても、奇妙な気分だよ。
私のひそかな野心は、浦和レッズの次期監督にキミを招くことだったのだが、それも、もしかして難しくなってしまったのだろうか。
「相変わらず小心者だな、タカーシ。何も心配は要らない。私は肉屋の息子だ。そして時々フットボールのコーチをやっている。本質は変わらない。オマール・トルシエは、異文化の伝道者であり、国境無き詩人だ。ムスリムになったのも、時のもたらす変化に過ぎない。時間は天才の相貌を様々な形に変える。それだけのことだよ。本質は変わらない」
フィリップ……いや、オマールよ。元気そうでなによりだ。宗教のことは、ぼくにはよくわからない。ただ、食べる肉の種類だとか、アルコールに関する禁忌だとか、一日五回の礼拝だとか、そういう習慣上のことを心配しているんだ。というのも、うちの国で決定権を持っているのは、もっぱらそういうみみっちい習慣みたいなことですべてを判断してしまいがちな人たちなんだから。
「いいかね。タカーシ。禁忌などささいな問題だよ。時には赤信号でも渡らねばならないと言ったのは私であってアラーではない。なぜなら、偉大なる神ははじめから赤信号などお作りにならないからだ。私が浦和レッズの監督になることは、全然不可能じゃない。私の辞書の《不可能》の項目には《ナカームラによるコレクティブなゲームメイキング》という記事以外には何も書かれていない」
いや、キミの方が可能でも、レッズのフロントがキミを拒むだろう。だって、イスラム教に改宗した口の減らないフランス人監督なんて、あまりにも前例がなさ過ぎるからね。
「改宗改宗と、君たちは大騒ぎをするが、そもそも私と神の関係はまったく個人的なものだ。通う教会の名前が変わったからといって、私の信仰が変わるわけではない。インサイドキックであれ、トーキックであれ、パスはパスだ。同じことだよ。重要なのはそのパスが通るかどうかだ」
しかし、キミのパスはいつもぼくのアタマの上を越えて行く。いや、それどころか、キミの蹴るボールは、すべてピッチの外に向かって蹴られているように見える。
「ははは。クリアボールだよ。私は魂のディフェンダーだ。しかもとびっきりクリエイティブな芸術家肌のスイーパーだ。だから凡庸なゲームプランを描いているボールは、それが味方から渡されたものであっても敢然とクリアする。パスは本当に信頼している味方か、でなければ、敵陣のゴールマウスに向けてしか出さない」
フィリップ。マイボールをタッチラインの外に蹴り出すのは、クリアとは言わないよ。
「フィリップじゃない。オマールだ。フィリップは死んだよ。トウキョウで灰になった」
じゃあ、オマール。いつか会えるね。浦和で。
「うむ。 アッサラーム アライクムだ。」
どういう意味だい?
「《諸君の上に平安がありますように》ぐらいの意味かな」
平安? ということは、キミは、まだ日本に来る気はないということだな?
「ははは。友よ。浦和のフロントに伝えてくれ。チンケな平安に飽きたら、オマール・トルシエに電話をしろ、と」
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