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2006/02/02

グラフィティ

 世田谷区の大蔵というところにある国立生育医療センターに出動。
 途中、環七が渋滞したので、小茂根から千川通りを走って環八に出る。やっぱり混んでいる。
 帰路、若林にある古い知人の店で昼食。しばし歓談。
 世田谷区役所の横を通って環七に出る。以下→代田→大原→方南→幡ヶ谷→新宿という経路で、懐かしい町並み(笹塚に10年ほど住んでいたことがあるのでね)を走る。
 代田、笹塚、幡ヶ谷界隈は落書きだらけ。ちょっとびっくり。
 落書きのせいか、町全体が荒涼としたムードになっている。なんというのか、サイバーパンクな雰囲気でした。
 私が住んでいた80年代中盤から90年代の半ば頃は、こんなことはなかった。
 当時の笹塚は、もっと暢気な町だった。
 とにかく、非常に良くないことが進行している感じがする。

  • 昨今、東京の町にあふれている落書きは、昔よく見かけた暴走族のマーキングとはだいぶ様子が違っている。
  • おそらく、ヒップホップの人々が「グラフィティー」と呼んでいるものだと思う。抑揚もアクセントもなしで「グラフィティー」とひらべったく発音するアレだ。まあ、あの連中はあらゆるカタカナをアクセントなしで発音するわけだが。
  • グラフィティーは、環七を走っていると、高円寺を過ぎたあたりから俄然増え始め、大原交差点を中心に爆発的に増殖する。
  • 下北沢周辺は特にひどい。
  • 要するに、渋谷、新宿から西に向かう一帯の住宅街がグラフィティ文化(←「文化」と呼びたくない人々もいるだろうが、悪趣味や不作法も、集団化した文脈を有している以上、文化ではある)の中心地ということになる。
  • 言い換えれば「田舎から出てきた若いやつらがはじめて東京に住まいを求めるあたり」それも「多分にブランド志向な連中が家賃の高さをものともせずに見栄を張って住む町」が、グラフィティー濃度の高い地帯であるわけだ。
  • ってことは、これは、「東京」に対する復讐なんだろうか?
  • ヒップホップが、「都市在住の若年低層民による現体制への呪詛」であるとするなら、その彼らの攻撃欲求の視覚的表現であるところのグラフィティーが、アッパーミドルな住宅街の景観破壊に向かうのは、必然といえば必然なのだろう。
  • 平和な国の経済難民は最終的には文化的テロリストとして再出発する、と。
  • でも、細かく見ていくと、落書きの標的になっているのは、必ずしもアッパーミドルやブルジョアジーの邸宅ではない。
  • むしろ、公営住宅の壁面や、パパママストアーのシャッター、公立小中学校の塀といった環境弱者(←なんて言葉はないけどさ)の住宅施設が、落書き被害の舞台になっている。
  • おそらく、グラフィティー作者たちは、単に「描きやすい壁面」「警備の希薄な街」「人目につかない描画ポイント」「逃走経路のとりやすい現場」を選んでいるのであろうが、そうした選択基準は、結果として、都市下層民の生活を圧迫することになっている。

 個人的な感想を述べるなら、あのグラフィティーという絵文字は好きになれない。をというよりも、ヒップホップ音楽の周辺にわだかまっている要素のことごとく(ファッション、リリック、ダンス、DJ、グラフィティなどなど)が、神経にさわるわけです。
 でも、考えてみれば、私のような旧世代の人間の神経を逆なでにするということこそが、彼らの狙いなのであろうからして、ヒップホッパーの活動は的を射ている。
 というか、旧世代のおっさんに評価されたり、ママにアタマを撫でてもらえるようではダメなわけだよな。どうせ。彼ら的には。
 若いというのはやっかいなことだ。
 ヤングーな人々は、凡庸であるということをなによりも恐れる。
 どんなに最悪な評価をされようとも、「凡庸なやつ」と思われるよりはマシだ、と、若い人々というのは、そういうふうにものを考える。
 で、凡庸さから遠ざかるべく、哀れな燃える若いボーイズたちは、営々たる努力を重ねるわけなのだが、その彼らの血の出るような努力は、多くの場合、単に、不遜な態度として結実するばかりで、ほとんど何も生産的な結果を生まない。極端な場合には、犯罪者の道に至る。 
 そしてしかし面白くも残念なことに、人間の幸福は、凡庸さの中にある。
 いや、ここは一番、凡庸さの中に「しか」幸福はない、と、断言しておこう
 なんとなれば、幸福とは、自他の凡庸さを容認する寛大さの果実だからだ。
 というわけで、「世界に一つだけの花」の末尾に、以下の一行を追加しよう。
「オンリーワンにならなくてもいい、もともとありふれたワン・オブ・ゼム」

 とはいえ、14歳にして鉄壁の諦観を身につけた少年が、幸福な青春時代を過ごせるのかといえば、それはまた別の話で、たぶん、粋がらないガキは、ナニモノにもなれない。
 世界に一つだけのありふれた犬のクソ。
 

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コメント

かつて府中から新宿を毎日電車で眺めてた頃、あの路線の界隈はそれこそ「グラフィティ銀座」だった訳ですが、確かに
「汚しがいのある」
ような場所に書いてたのが気に障るなぁ、このヘタレどもが、みたいに思っていたことを思い出しました。でも、そのヘタレさこそ大切なワン・オブ・ゼムと生暖かく見守るべきなのか。

投稿: 有芝まはる(ry | 2006/02/02 20:11

「カタにはまるのが嫌い」とか言っておきながら、みんな同じような服を着て、同じような言葉遣いで、同じような悪さをしてるんですよね、こういう人たちは。結局『カタにはまらぬ若者』像をなぞっているだけ。突出の方向性がベタ。
昔、鼻毛を口元まで伸ばしたリアルバカボンパパなヤングマンを見かけたことがありますが、「何でもいいからオンリーワン」にこだわる人もそのくらいやれば見所があるのにと思います。

投稿: タロスのパン | 2006/02/03 00:11

足立区あたりだと「グラフィティ」というより未だに落書きなのですが
ガード下に書かれていたその文字は日蓮の直筆のように
はらいが強調された派手な書体。
落書きという行為やヤンキー文化色濃い当て字文化との不釣り合いさに
「いったいどこでそんな教養を?」といぶかりましたが
ま、日常的に日蓮の書が飾られている家庭の出身だったりするのか…
というプロファイリングに落ち着きました。

近頃は暴走族OBが「旧車会」と名乗って
旧社会へのノスタルジーに浸っているわけですが
Hip-Hop系の彼らもこの先ずっとギャングに憧れて生きるのでしょうか。

投稿: くまだ | 2006/02/03 02:03

そういえば、ピンク・フロイドに「Another brick in the wall」という素敵な歌がありました。

"All in all, you're just another brick in the wall"
「つまるところ、オレらはみんな壁の中のレンガのひとつに過ぎないってわけだ」
 さすがに階級国家のワーキングクラスは根性の座り方が違います。

投稿: 小田嶋 | 2006/02/03 13:19

もののついでに。
ジョン・レノン "Workingclass hero"より

There's room at the top they are telling you still
But first you must learn how to smile as you kill
If you want to be like the folks on the hill

最上階には まだ君のための部屋がある と 彼らは言う
でも そのためにはまず 笑いながら殺す方法を学ばねばならない
もし君が 丘の上の連中みたいになりたいなら

堀江君はきっと誤解したんだな

投稿: 小田嶋 | 2006/02/03 13:52

エスタブリッシュメント(存在するのか?)
が欲しいのは優秀な羊。
で、優秀な羊を養成するためには
「お前は狼。羊なんかになるな。」
とメディアで洗脳し、でも結果狼になんて
なれっこなくて、結果羊。思う壺。

はじめから羊を羊として育てようとすると
羊以下にしかなれないわけで。
でもたまーにマジで狼が育つと
一斉射撃。誰のこと?

投稿: slider | 2006/02/03 22:40

早稲田に通いながらDJしてます。批評毎回楽しませていただいておりますが、今回はちょっと知り得ない領域に批評を加えておられるせいか、ちょっと違うと感じたのでコメントさせていただきました。まず当然家などに落書きをする行為はイリーガル(法律違反)であり、あってはならないことですが、その切り口からHIPHOPやDJを「非社会的で大人になりきれていない無理解な若者」と完全に結びつけるのは違うと思います。傾向はたしかにありますが、そういうものはいわゆる商業HIPHOPといわれる物であり、リアルHIPHOPというそれとは別個に存在する世界と異なります。それはしっかりとこの音楽を聴いてる人でないとわかりません。それは確かに発端として抑圧された黒人の「抵抗」の音楽ではありますが、それはJAZZも同じであり、それら古きよきブラックミュージックをサンプリングという手法で再構築し、ラップという新しい表現を加えたいわばブラックミュージックにおけるJAZZの進化系であり、最も新しい黒人の表現手段です。マイルズデイビスも積極的にとりいれていましたし。ジャンルとしての完成度は絶対ロックに劣りません。TVにうつるチンピラを観て、その傾向だけでその文化を詳しく知らずに本質的に無理解な若者と結びつけるのは、そういう音楽を純粋に愛し、亜流であれ真剣に取り組んでいる人々に対して失礼であるし、批評として浅はかだと思います。

投稿: keikei | 2006/02/03 22:53

「古きよきブラックミュージックを
サンプリングという手法で再構築し、
ラップという新しい表現を加えた
いわばブラックミュージックにおけるJAZZの進化系」
であるところのリアルHIPHOPって、いったい誰のための音楽なんだ?
本場のブラザーたちか? 
日本の洋オタ大学生か?
スプレー缶持って、
命がけで落書きするブラザーが聞いてるHIPHOPはリアルじゃないのか?
なぁDJ教えてくれ、君のいうリアルHIPHOPで誰が踊ってんだ? 

えっ、マイルスがどうしたって? 
ジャンルとしての完成度? 
頼む、そんなもん犬に食わせてやれ。

ごめん、言い過ぎた。

投稿: スノーケラー | 2006/02/04 01:48

親切にありがとうございます。感謝!
自分も書きながらグラフィティへの理解を欠いたまま(そこがメインでなかったので)書いたのでグラフィティにはその世界があるという事に目を向けてなかったと思います。初歩的な事を質問します。命を懸けるほど熱中するのは素晴らしいことですが、それにより他者に甚大な被害が及ぶ事に対してグラフィティの方々はどのような認識なのでしょうか?いちお知っときたいです。マイルスを出したのはHIPHOP馬鹿論に対してあくまで音楽の造詣が深い人も魅了するという一面を提示しただけです。ジャンルとしての完成度は犬に食わせたり、否定する事でもないと思います。いいものの大半にはその理由があるというだけです。グラフィティもあれだけの人を魅了するには理由があると思います。感情的に好きだという事はもちろん前提として。その文化の中で、真剣にとりくんでいる人はリアルだと思います。でもその人が聞いている音楽がリアルHIHOPか、一年後には誰も聞かなくなるような大衆HIPHOPかは、人によると思います。例えば真剣なグラフィティライターでレゲトンを聞いている人は、リアルHIPHOPを聞いていないリアルなグラフィティーライターなんだと思います。誰のため?と聞かれましたが、音楽は聴く人を選ばないと思います。DJが踊る人を選ばないのと同じです。挑発的な文に受けとってしまったら申し訳ありません。

投稿: keikei | 2006/02/04 03:17

日本のHIPHOPは全部商業HIPHOPだよね。日本にもリアルHIP
HOPの「ファン」は少数いるけど、全員、日本のHIPHOPは
軽蔑していると思う。
まぁ、全部・全員、じゃなくて、ほぼ全部・ほぼ全員、と書けば
表現は柔らかくなりますが。w

投稿: b | 2006/02/04 15:55

単に、「ウチは汚さないでおこ…」っていう、きゃわゆい香具師r(ry

投稿: メルヘンひじきごはん | 2006/02/05 11:15

現代のもっとも大きな詐欺のひとつは、ごく平凡な人に何か言うべきことがあると信じさせたことである。


<ヴォランスキー>

投稿: shake your hip | 2006/08/02 23:44

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