クロック・アラウンド・ザ・ロック
夜。民放各局が垂れ流している年末特番のあまりのくだらなさに閉口して、ついつい「アメリカン・ミュージック・アウォーズ」(BS2)の中継を見る。
なるほど……絶句ですね。
この10年ほど、自分がミュージックシーンの最前線から疎遠になっているという自覚はあったが、どうやら私は、完全な局外者になっているようだ。
バイバイ音楽、と言おう。いままでありがとう。
以下、気づいた点など。
- マライヤ・キャリーの太り方はヤバい。彼女はどうやら、危険な一歩を踏み出し始めている。歌姫からキリスト狂いのデブに至る、決して引き返すことのできない一本道。ソウル・トレイル。アレサ・フランクリンも歩いた、ゴスペルの回廊。貧困から栄光へ、そして、元の木阿弥へと連なるブルースのブーメラン回路。前車の転覆を後車がなぞるポップミュージックの必然。
- 白人さんと黒人さんが同じ音楽を聴いていた'70年代の状況と比べてみると、21世紀の音楽事情は、完全に白黒分離して見える。
- 受賞会場にテンガロンハットをかぶったミュージシャンが目立つのは、これは、「カントリーミュージックの復権」というふうに解釈すべき現象なんだろうか?
- 違うね。「テンガロンハットの復権」は、おそらく「ロックの断末魔」という潮流の一露頭たるに過ぎない。
- より詳しく述べるなら、「ロックの死滅」→「白人ファンのカントリー回帰&黒人聴衆のヒップホップ志向」という流れが、白黒両人種におけるかぶる帽子の違いとなって現れている、と。
- 白人音楽(カントリーミュージック)と黒人音楽(ソウル、ブルース、ヒップホップ)は、接近して見える(←純粋に音楽的な側面についてのみ言うなら、両者は互いに影響を与え合っている)一方で、完全に正反対の思想を顕現するアジテーションとして、別々の道を歩みはじめている。
- しかも両者が歩み寄るポイントは、ロックではない。ロックは、思い出に過ぎない。それも、どちらかと言えば、悪い思い出。ドラッグがらみだったりする。若気の至り。
- 白黒両人種が和解を模索できる唯一の場所は、はい、そうです。教会です。
- で、アメリカン・ミュージック・アウォードには「クリスチャン・ポップス」などという、不可思議な部門賞が設けられていたりする。でもって、その賞を受賞したミュージシャン(メリーメリー)は、ジーザスへの感謝を述べるとともに、「日曜日は教会に行ってね」という受賞コメントを述べていたりするのだね、気持ちの悪いことに。ぐええ。
- 生演奏を披露したミュージシャンの中では、ローリング・ストーンズとユーリズミックス、それからサンタナが頑張っていた。うん。ロックは還暦のための音楽になってきたってわけだ。たぶん、立ち位置としては、テレビ東京の「演歌の花道」みたいなポイント。すなわち崖っぷち。
結論:見るんじゃなかった。
寝よう。
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