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2005/11/30

初期不良リローデッド

松下の温風ヒーター 回収命令

 松下電器産業は4月20日、記者会見し、同社の石油温風ヒーターによって今年1月から3件の事故が発生し、死亡1人を含む7人が重軽傷を負ったと発表(NHKニュースより)

 微妙にコワいニュースだ。
 うちの場合、去年の暮れに買ったM社(松下にあらず)製の石油ファンヒーターが、12月から3月までの間に3回故障している。同じマシンがほんの半年の間に3回だ。どうかしている。
 不調→部品交換→不調→部品交換→不調というせわしないリピート。3回目の故障の時には「火を扱うマシンなんだし、ヘタをすると命に関わるんじゃないの?」と、さすがにちょっとキツ目の電話をいたしました。で、新品に交換となったものの、その新品もコロナの製品と比べると微妙に不調だったりする。
 いや、単なる不調なら良いんだが、不完全燃焼系の不調だけはちょっと困る。一酸化炭素中毒になると、ボンヤリしてるうちに死んじまうらしいから。
 いや、すっきり死ぬんならそれはそれで良いのだ。ボーっとしているうちに、自覚無しに死ねるのは、もしかしてラッキーかもしれないわけだし。
 コワイのは、死にきれなかった場合だ。一酸化炭素にさらされると、死に至らないまでも、脳細胞がものすごいオーダーで破壊されるみたいだから。
 でもまあ、脳細胞がごっそり死んで、アタマがぼんやりするのは、それはそれで幸せな結末なのかもしれない。
 ……ということは、つまり、故障も一酸化炭素もオッケーってことか?
 おい、腹が立たないのか?
 もしかして、オレ、アタマが悪くなってるんだろうか。
 (゚Д゚)ハッ 最近ボーっとすることが多いのは、もしかして
 ((;゚Д゚)ガクガクブルブル

 とにかくこの十年の間に、初期不良が増えているのは動かしがたい事実だと思う。
 思いつくだけでも、この2~3年の間にB社のプリンタ複合機が2回、リコー製のDVDドライブが2回初期不良→交換という手順を踏んでいる。初期不良で交換したマシンがまた不良、というバカなサイクルが2回だ。どうかしている。5000円以下のデジタルギミックの場合はさらに極端で、購入後半年ぐらいまでの間に、3割ぐらいは頓死していると思う。
 2年ほど前に買ったiPod(通算で3台目)も、最近ではバッテリーの持続時間が2時間弱になってきている。
 でも、オレは怒らない。昔からジョブズには甘いんだよ。うん、ゲイツにもね。古い友だちだし。
 それにどうせ、最近はシャッフルしか持ち歩かないから。
 で、ハードディスクタイプのiPodはクルマ専用の固定オーディオとして、シガーライターからアダプター経由で電源を供給しつつ、短い老後を養っているわけだ。うん。よく働いてくれたと思うよ。4万円の商品としては。

 初期不良増加の原因について、思い当たるところを列挙してみる。

  • 商品サイクルの短期化:仕様が安定する頃には新製品が出る。
  • 部品の外注、および組み立て作業のアウトソーシング比率の増加:っていうか、日本製というのはスタンプだけで、実態は中国製。チャイナシンドローム。シナントロプス・デキネンシス。北京原因。うん。後半はうわごと。気にしないでくれ。
  • ブルーカラーのDQN化。というよりも、学歴社会の弊害:受験競争の敗北者が手作業にたずさわるという異常な社会構造。
  • モノ作りマインドの空洞化:だって、クリエイターだのトレーダーだのみたいな虚業の方が金になるわけだし、そっちの方が女にもモテるわけで、だとしたら誰が大まじめにマシンなんか作るかっての。
 うーん。ニポンの将来はどこに行くんだろう。
 技術立国日本の遺言。
 小国寡民、だろうか。
 縄文にダカーポかな。
 素敵だな。

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2005/11/29

初期不良

 午前中、川口にあるメーカーの修理センターにデジカメを持ち込む。
 液晶が割れているらしい。
 どうしてなんだろう。物理的な衝撃は与えてないはずなのだが。
 修理のおっさんは
「無償で修理できるように処理しておきます」
 と、微妙に恩着せがましい言い方。
「保証期間内なんだから無償に決まってるんじゃないの?」
 とは言わなかった。
「買って一ヶ月ちょっとでいきなり壊れた初期不良のブツを、お客様自らが、ウィークデーの時間を割いて手持ちで運んで来てるわけだよ。そういう言い方じゃなくて、口だけでも詫びるニュアンスの発言ができないのか?」
 とも言わない。
「おねがいします」
 と、いたって微温的な言葉を残して退去。
 交戦権はこれを放棄する。
 誰もが最終的には大人になる。
 初期不良を経て模範中年に至る細く長い道のり。
 忍耐という人生の宝物。
 説教くさいポエム。

 午後、大手町で打ち合わせ。
 帰りは東京駅までブラブラ歩く。
 皇居の紅葉が美しい。
 自分の足で歩けるうちになるべくたくさん歩こう、などと、爺くさいことを考える。
 今年は葬式が多すぎた。

 夕方のニュースは、各局とも、ヒューザーの社長の悪人顔に対する毒消しとして、昨日のドルジ&ジュンイチローのおめでた映像を繰り返し再生している。
 予想通り。
 というよりも、計画通り、ないしは思惑通りだよな。官邸の。
 トロフィーをはさんだ総理と横綱のツーショット。しかも、15秒のニュース映像にぴったりのワンフレーズ演説付き。完璧な仕事ぶりだ。
 純一郎はこういう機会(機嫌の良い人々に囲まれて、勝利者に栄光を分かち与える役割を担う瞬間)を決して逃さない。貴乃花の最後の優勝の折もしっかり総理大臣杯を手渡しに来ていた。で、その時の簡単な演説で、おいしいところをかっさらったわけだ。今回も同じだ。純一郎は、栄光のおこぼれを拾い集めて、栄光に包まれて帰って行った。
 優勝杯の授与やゴールドメダリストの接待が、施政方針演説なんかよりずっと重要な任務だということを、この男ははっきりと認識している。しかも、それを恥ずかしげもなく実行する。

 総理という立場にある人間が、満面の笑みで臨むべき機会は、実はそんなに多くない。
 政治の現場は、難問山積だし、国事行為は厳粛。いずれの場合も、場にふさわしい仏頂面が求められる。
 番記者相手の雑談でも、あんまりニヤニヤしてばかりはいられない。油断した顔を見せていると意地の悪いアングルで写真を撮られて、ヘンなキャプションをつけられる。
 その点、スポーツがらみの栄光の舞台には、何の障りもない。太陽のように笑っておれば良い。
 だから、サッカーのW杯でもオリンピックの金メダルでも、純一郎は必ず顔を出す。
 栄光のおこぼれ。
 国民栄誉賞を辞退したイチローは偉かった。
「ボクがボール球に手を出すと思いましたか?」
 という感じ。
 ヒットよりもクールな見逃し。
 

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2005/11/27

磐田戦

Jリーグ第33節 浦和VS磐田

  • 埼玉スタジアムにて生観戦。
  • 終始押し気味ながら、前半はスコアレスで折り返し。
  • 後半にはいってから、前々節のヴェルディ戦で、後半トイレに立った後に3点はいったことを思い出す。
  • 後半25分過ぎ、縁起をかついでトイレに行く。サポーターは論理的な思考ができない。
  • トイレから帰ってみると福西が退場になっている。おお。。
  • 後半34分。オウンゴール(山田暢久のクロスを磐田のDF金がクリアミス)。年季のはいったサポーターは呪力を身につける。
  • このまま1-0で勝利。最終節まで優勝の望みが残った。素晴らしい。
1126

後半の途中。夕日がきれいだった。

※デジカメ故障
 ↑上の写真を撮っている最中、液晶画面にイヤな感じのスジがはいる。「ん?」と思っているうちに回復。かまわず何枚か写真を撮る。
 帰って写真をPCに取り込むべくデジカメを取り出してみると、おお、液晶画面に目の形の模様。電源を入れると目の形の部分が無反応。白い空白部分としてバックライトを素通しにしている。
 購入は今年の10月なので、まだ保証期間中だろうけど、めんどうくさいなあ。
 排尿呪術の副作用だろうか。

※ジョージ・ベスト氏死去
 59歳。
 分割払いの自殺。
 墓前に酒を供えるのはやめてあげてほしい。
 焼死した人間の墓に火をつけるのと同じことだから。
 合掌。

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2005/11/20

週刊ブックレビュー

※編集子K氏より業務連絡がありました。

12月11日(日)午前8時~(再放送同日深夜0時~)放映分の NHK BS2の書評番組「週刊ブックレビュー」にて、拙著「イン・ヒズ・オウン・サイト」が紹介されるそうです。

放映日が近づいたら、関係各方面に告知のチェーンメールを出しまくりましょう(笑)。

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ヴェルディ戦

 浦和レッズVS東京ヴェルディ1969

 埼スタにて生観戦。
 快勝。というより、ヴェルディの自滅だろうか。
 後半20分頃まではどっちに転ぶかわからない展開だった。
 後半30分を過ぎてヴェルディの足が止まってから、ワンサイドゲームになった。
 ヴェルディはおかしい。
 なにより、ラフプレーが多い。こんなチームではなかったはずだが。
 浦和の3点目が入った後は、無意味に乱暴なプレーが続発。2人の退場者が出る結果に。
 電光掲示板に並んでいる顔ぶれを見ると、最下位を争うようなメンバーとは思えない。でも、現実には、開幕以来、降格圏内をウロウロ。どうかしている。
 以下、スタンドから見て気づいたヴェルディの問題点。余計なお世話だが。

  • 最終ラインが驚くほどモロい。サイドからのクロスに競るDFがいない。なぜ?
  • 選手の間に意思の疎通がない。たとえば、相馬が何回か良いところ(←浦和にとってヤバいエリア)でボールを奪って縦の突破をはかっていたのだが、フォローが無い。誰も近づいて来ない。で、DFに囲まれて自滅。あるいは散々走った後の苦し紛れのサイドチェンジ(だって、近くには誰もいないから)。全然コワくなかった。
  • FWが個人プレーに走っている。玉野のこまっしゃくれたドリブルは何回かサイドからの切れ込みに成功していたし、ワシントンの突破も脅威だったが、いずれも単独のプレイなので、ディフェンスとしては対応しやすかったはず。

 というわけで、結果は4-1の圧勝。

1120r
※帰路、フットボールの神が住むという西の空に優勝の行方を問いかけると、「心して見よ」という答え。見上げると、いましも日輪がスタジアムの空を真紅に染め……

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2005/11/11

シャルル専用ザク

 JASRACから反応が無くてさびしいので、追い打ちをば(笑)。
 映画「ノッティングヒルの恋人」(←見てません)の挿入歌として有名になった「She」の歌詞&翻訳を掲載します。
 
  映画では、エルビス・コステロのバージョンが流れたらしいのだが、オリジナルはシャルル・アズナブール。
  実は、私自身てっきりコステロのオリジナルだと思っていたのだが、アズナブール先生は、「忘れじの面影」というタイトルでレコーディングしているんだそうだ。

原詞は以下のリンクで

訳詞

忘れじのおもかげ(she)

彼女は 忘れ得ぬ面影
歓喜 それとも 悔恨の傷跡
尽きせぬ宝 そして 支払うべき対価
彼女は、夏が奏でる調べ
秋のもたらす冷たい風
あるいは、一日を通過する無数の出来事だろうか

彼女は美神、もしくは野獣
恩寵 または 不毛
日々を地獄ないしは天国に変える
 私の夢の反映 でなければ 水面に映る微笑だろうか
否 彼女は目に見える通りではないのかもしれない
 彼女自身の貝殻の裡にあっては

俗塵にあって 常に晴朗なその瞳は
誇り高く 孤高で 誰も涙を見出すことができない
彼女は 永遠を望まない愛
そしてそれは 過ぎ去った影に由来し
 死に至るその瞬間まで 私に忘れることを許さない何か

彼女は生存の理由
私がなにゆえに生き、どうしてこの場所にいるかの答え
この寄せ集めの歳月の中で、ただひとつ、心を傾けるに値する対象
だから私は 彼女の笑顔を賛嘆し 涙を受け入れ
彼女にかかわるすべてを 記憶のうちに所蔵し
彼女のおもむくあらゆる場所に走り至るだろう
なぜなら彼女こそが私の人生であり、私の生きている意味は彼女だから

 ※許諾は、当然のことながら、シャルルの爺さんから直接もらっている。
  以下、証拠というほどのものでもないが、シャルルとの会話を採録しておく。
 

「ムッシュ。ごぶさたをお詫びいたします。わたくしです。あなたの忠良な聴き手、タカシです」
「おお、わが極東の小さな友よ。われら二人の間をつなぐやっかいな友人フィリップ・トルシエがモロッコの代表監督に就任したのを知っているか?」
「はい。要らぬ摩擦を起こさなければ良いが、と懸念しております」
「ははは。タカーシよ。交流は摩擦の別名だ。軋轢のないところに友情は生まれない。フィリップという男は、あれはあれで友情の種なのだよ。ある意味」
「そうですね、ある意味では。ときに、パリは移民の暴動で物騒なことになっているようですが、御身はご無事ですか?」
「キミは知らないのか? 私もまた移民の息子だ。私の父親はアルメニアからやって来たのだ」
「存じ上げませんでした。申し訳ありません」
「いいのだよ。ちょっとさかのぼれば誰もが移民の子なのだから。そうでなくても、人々の魂はいつも流浪のうちにある。だからこそ、思い出の波止場として、われわれにはシャンソンが必要なのだ」
「シャルル。今日はひとつお願いがあって参りました」
「言ってみたまえ。口に出さなければ何も手に入らない」
「実はあなたの歌を引用させてほしいのです」
「私がガンダムにクレームをつけたかね?」
「……はあ? おっしゃっていることの意味がわかりませんが」
「キミの国に「ガンダム」というものがある。違うか?」
「はい、大げさなアニメ映画です」
「それにシャアという登場人物が出てくるそうじゃないか」
「ええ、キザな野郎です」
「彼のフルネームを知っているか?」
「……シャア……アズナブル……ああ」
「そう。シャア・アズナブルは私の名前をインスパイアしたものだと、弁護士が言ってきたことがある」
「おお、なんということだ……シャルル、どうかお気を悪くなさらず……」
「ははは。どうして私が気を悪くする? そのシャアという男は、あらゆることを3倍の速度で成し遂げるというではないか。素晴らしいじゃないか」
「……ええ、シャアはある意味主役ですので」
「いいかねタカーシ。心が空気なら、歌は風だ。心が動く時、風が起こる。わかるか? 恋も、情熱も、シャンソンも、すべては風なのだ。とすれば、誰が風の行方を制限できるだろう」
「しかし、ジャスラックが……」
「ん? シャイロックがどうかしたか?」
「いいえ、ジャスラックです。あなたの歌の日本における著作権を管理している財団社団法人です」
「そのジャスに言っておけ。誰も人の心を密閉することはできない。だから、君たちには、私の歌が起こす風を止めることはできない、と。なぜなら、歌は空気の振動であり、心臓の鼓動であり、魂のバイブレーションであり、それらをあえて止めることは殺人だからだ」
「シャルル。恩に着ます」
「いいか、タカーシ。3倍速だ。シャイロックが心臓のまわりの肉を要求してきたら、すぐに私に連絡しなさい。私は3倍速でニポンに飛んで、すべてのザクに指令を出す」

※訳詞だけではJASRACは釣れないかもしれないので、英語の詞も載せてみることしします。コマセコマセ。(11/11 09:45)

    She  (Tous Les Visages de L'Amour)
               ――Charles Aznavour and Herbert Kretzmer


She
May be the face I can't forget
A trace of pleasure or regret
May be my treasure or the price I have to pay
She may be the song that summer sings
May be the chill that autumn brings
May be a hundred different things
Within the measure of a day.

She
May be the beauty or the beast
May be the famine or the feast
May turn each day into a heaven or a hell
She may be the mirror of my dreams
A smile reflected in a stream
She may not be what she may seem
Inside her shell

She who always seems so happy in a crowd
Whose eyes can be so private and so proud
No one's allowed to see them when they cry
She may be the love that cannot hope to last
May come to me from shadows of the past
That I'll remember till the day I die

She
May be the reason I survive
The why and wherefore I'm alive
The one I'll care for through the rough and ready years
Me I'll take her laughter and her tears
And make them all my souvenirs
For where she goes I've got to be
The meaning of my life is

She, she, she

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2005/11/10

チルドレン

 夕刻、原稿の想を練りつつ(←ここ重要)テレビ朝日「スーパーJチャンネル」を軽視聴。
「チルドレン官邸へ」
 というテロップを出してニュースをやっている。
 自民党の新人議員が首相官邸を訪れたというお話なのだが、なぜ普通に「新人議員」と言わないのだろう。
 なんとかして「小泉チルドレン」という言葉を使いたい、ということなのか?
 「チルドレン」以外にも、「マドンナ」、「シスターズ」、「劇場」、「サプライズ」……と、21世紀のニュース原稿は常套句の嵐。まったく。

 個人的には、「小泉チルドレン」という言い方は、好きになれない。

  • もともと、この言い方は、'70年代の音楽雑誌でしきりに使われていた「ディランズチルドレン」のパクリだと思う。初出はたぶん、ローリングストーン誌あたり。
  • いや、パクルのはかまわない。でも、なんだかパクリっぷりが不愉快なのだよ。リスペクトがない、というのか。
  • 「ディランズチルドレン」における「チルドレン」は、「ディランの影響下にある」「ディランのスタイルを継承している」「ボブ・ディランへの尊敬を表明している」という感じのニュアンス。だから、チルドレンたちは徒党を組んだりはしない。
  • それが、「小泉チルドレン」の場合、モロに「子分」という意味合いで使われている。
  • 第一、パクるにしても「小泉チルドレン」と、きちんと「ズ」をつけるのが礼儀なんじゃないのか? ディラン、および英文法への。
  • 小泉ズが、ヘンな日本語だというのはわかる。でも、それを言うなら、小泉チルドレンだって十分にヘンなわけなんだし、そもそもこういう場面で安易に横文字に頼ることをやめればこんな奇妙な言葉は生まれていない。
  • 小泉組、小泉軍団、小泉派……という、日本語のキャッチフレーズがどれもピッタリ来ないというのは、まあわかる。
  • 「非派閥的で、集団としてまとまってはいないんだけど、なんとなくわらわらと寄り集まっている感じ」を表現するには、どうしても「チルドレン」みたいな軽薄なニュアンスの英語が必要だった、と、そういうことなのだろうな。
  • 百歩譲って、小泉チルドレンは許すとして、こいつをまた無批判に応用するのはどうなんだろう。原チルドレン、野村チルドレン、星野チルドレン……少なくともオレは気持ち悪いぞ
  • いや、わかった。原チルドレンその他も認めてやる。でも、「ボビーチルドレン」だけは勘弁してあげてほしい。だって主体であるボビーが外人さんなわけだから、せめてボビーズチルドレンと呼んでやってくれ。たのむ。

  さあ、仕事仕事(棒読み)

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中傷記事

中田英、HGに間違われた

しかしまあ、ひどい記事だよな。
 ということで、若干ルール違反だけど、リンク切れ対策として記事をコピー&ペーストしておくことにする。なあに、リンク先の記事が犯しているルール違反に比べれば、なにほどのことでもない。

 マントだ、フォー! 16日のアンゴラ戦(国立)に参戦するボルトンの日本代表MF中田英寿(28)が9日夕、日本航空便でロンドンから帰国した。  到着ロビーを意気揚々と歩く司令塔の背中に、居合わせた中年女性から厳しい一言が突き刺さった。「あれ、フォーの人かしら」。超人気芸人、レイザーラモンHGと間違えられたのだ。ハードゲイに見られるのも無理はなかった。  黒のサングラス。ジーンズに茶色のウェスタンブーツまでは恒例のスタイルだが、今回は漆黒のポンチョでマントのように体を包んでいた。右手には黒のカウボーイハット。相変わらず報道陣には無言で通したが、珍妙な格好は空港の人々に強烈なインパクトを残した。リーグ戦3戦で1得点1アシストと波に乗る男は、代表年内最終戦でも衝撃の働きを見せる。 (11月9日 web報知より)

 なお、中田のファッションについては、ここでは深入りしない。ファッションはファッション。悪趣味も趣味のうちだからだ。
 いや、というよりも、「悪趣味を含まない趣味は趣味と呼ぶに値しない」というふうにわたしたちは考えるべきなのだ。だって、通るパスしか出さない選手は、フットボーラーとしての適格性に欠けるからだ。だろ?

 この記事は、報道はもちろん、批評の範囲さえも逸脱して、完全な誹謗中傷の域に達している。
 見出しとして使われている「HGと間違われた」というファクトを支えている根拠は、見物人の中にいた中年の婦人がつぶやいたとされる発言(「あれ、フォーの人かしら」)に過ぎない。
 で、このおばちゃんの発言を受けて、記者は、「ハードゲイに見られるのも無理はなかった。」という結論を提示している(まあ、その後にとってつけたようなフォローを付記しているが)わけだ。

 こういう手法がアリなら、たとえば、
『とある芸能人が六本木を歩いていると、通りがかりの幼稚園児が「あ、ブタ」と言った』
 という事実を受けて
「出川 ブタのくせに六本木を闊歩」
 ぐらいな記事が送出可能になる。
 あるいは、
『オダジマの友人の一人は、かつて報知新聞について「ケツを拭くにも値しない赤新聞」と言ったことがある』
 を根拠に、
「報知。トイレットペーパーに敗北」
 程度の見出しを打ってもかまわないということになるわけだ。
 で、結びの一文は、
「ムダなインクが使われている以上、ケツ拭き紙失格の判定も無理はなかった。」
 うん。全然無理ない(笑)。

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2005/11/05

歌詞

 先日、コメント欄のやりとりの中で、Lou Reedという人の歌詞を引用した。で、つい懐かしくなって、しばらくぶりにブックマークしてあった歌詞サイトを巡回して、びっくり。なんと、優良歌詞サイトの多くが、いつのまにやら、消えているではないか。
 インターネットがもたらした福音のひとつに、古いロックミュージックの歌詞が、いつでも閲覧可能になったということがある。Lou Reedみたいなマイナーなミュージシャンの曲も、だ。google検索の「Web全体」で「"Lou reed" "I'm waiting for the man" "lyric"」を検索すると、436件のページがヒットする。全部が全部歌詞掲載サイトではないが、たどって行けば色々と面白いページにぶつかる。
 訳詞についても、ちょっとしたアーティストに関しては、マニアが自分なりの翻訳を発表していたりして、その中には、非常に高レベルな仕事も含まれている。
 私の知っている例では、ポールサイモンについて、それはそれは素晴らしいウェブサイトがあった(←過去形)。
 7~8年前にweb上でそのサイト("Think too much"。管理人はプロの翻訳家で、「庭師チェシャ猫」という名前でサイトを運営しておられた)を発見した時、私は狂喜したものだ。レコードのライナーノーツに載っている訳詞で、なんとなく納得できずにいた部分や、「誤訳じゃないのか?」と疑っていた(とはいえ、正確な訳を自力で見つける力は無かった)歌についての20年来の疑問が、このサイト載せられていた訳詞のおかげで、いくつも氷解した。
 そのThink too muchが、無くなっている。
 移転を疑って、サイト名、管理人のハンドル名、記憶している訳詞のフレーズなどをキーにさんざん探したが、どうしてもみつからない。おそらく、データを削除して、サイトを畳んだのだと思う。残念。

 海外のウェブサイトでは、様々な歌詞が自由にやりとりされている。
 それどころか、bobdylan.comや、loureed.comといったアーティスト本人の公式サイトに、全作品の歌詞が掲載されているケースも珍しくない。
 なのに、この国(←と、他人行儀な言い方をしたくなる)では、なぜかインターネット空間での歌詞共有文化が、絶滅に追い込まれようとしている。

 詳しくは、ここを見てほしい。
http://sevenz.com/iHateJasrac.html

 
 このページも素晴らしい歌詞紹介サイトだったのだが、リンクしたページに書いてある通り、ある日JASRACからのクレームが来て、掲載済みの歌詞を削除せざるを得なくなっている。
 結局、JASRACは、アーティスト本人が自分の公式サイトで無料公開している歌詞を、なぜか、日本のサイトでは「掲載してはいけない」と言っているわけだ。何なんだあんたたちは? 何の権利があってそういうことを言うんだ?
 自分の好きなミュージシャンの大好きな歌について、みんなに知ってほしくて、内容を紹介しているページのどこが著作権を侵害しているというのだろう。
 どうかしていると思う。
 
 というわけで、問題提起と言ってはナンだが、Don't think twice,It's all rightの訳詞を掲載してみることにする。JASRACがどう言ってくるのか、ちょっと楽しみですね。
 原詞については、公式サイトへのリンクを貼る。まさか、シャイロックじゃなかったジャスラックもリンクに著作権があるとは言わないだろうから。

Don't think twice,it's all right

    くよくよするなよ
                       by Bob Dylan

座り込んで考えても仕方がないよ、ベイビー
そんなことをしてもどうにもならない
なぜなのか答えを探してもムダだよ、ベイビー
いまだにわかっていないようじゃね
夜明けにニワトリが鳴く時
窓の外を見てごらん
ぼくはもういなくなっている
ぼくが出発する理由は君
もうこれ以上考えない
これでいいんだ

明かりをつけても役に立たないよ、ベイビー
ぼくにはとどかないから
明かりをつけてもどうにもならないよ、ベイビー
ぼくは道の暗い側にいるんだから
ぼくの決心を変えさせて、引き止めるために、きみが何かを言ったりしたりすることを、ぼくはいまだに心のどこかで期待している
でも、ぼくたちはあんまり多く語りあうこともなかった いずれにしても
だから、もうこれ以上考えないことにしよう これでいいんだ

ぼくの名前を叫んでも無駄だよ
いままでしたこともないのに
ねえ、ぼくの名前を叫んでもどうにもならないよ
もうぼくには聞こえないから
ぼくは、考えながら、いぶかりながら、道を歩き、進んでいる
かつて一人の女性を愛した
彼女はぼくを子供と呼んだ
ぼくはその人に心を捧げた
なのに彼女はぼくの魂を欲しがった
くよくよし考えてもしかたがない
これでいいんだ

長いひとりぼっちの道を、ぼくはあるいている
どこに行くのかを 教えることはできない
さようならは、キミには上等すぎる
だからたったひとこと、さらばと言おう
君が不親切だったと言うつもりはない
もっと良くできたはずだけれど、別に気にしてはいない
きみはぼくの大切な時間を浪費しただけだった
もう二度と思い出さない
これでいいんだ

 許諾は、ボブ・ディラン氏本人から取ってある。なあに、オレとボビーの仲だ。何も心配することはない。
 証拠と言うわけでもないが、ボビーとのやりとりを以下に掲載しておく。
「先生、お久しゅうございます」
「おお、タカーシか。変わりはないか?」
「おかげさまで。先生もご壮健で何よりです」
「その”先生”というのをやめろよ。同じ詩人同士、立場は対等なんだから」
「……とんでもない。私が詩人だなんて」
「一度でも詩を書いたことのある人間は詩人だよ。いいかね、タカーシ。詩人は国家資格じゃない。自称だ。誰が決めるものでもない。ある日詩人たることを決意した人間は、その日から詩人なのだ」
「……でも、私のゴミみたいな詩は……」
「詩に優劣はないよ。すべての詩は宝石だ」
「ありがとうございます。でしたら、詩人同士ということで……ディランさん」
「ボビーと呼んでくれ」
「では、ボビー。さっそくお願いがあるのですが」
「OKだ」
「要件を聞かずに承諾するのですか?」
「詩人は詩人の申し出を断らない。それがどんな内容であっても、だ」
「実は、ボビー、あなたの歌詞を引用させて欲しいのです」
「引用? 変なことを言うじゃないか。詩は詩人の口から外に出た瞬間に万人の共有財産になる。違うか? それとも、私の詩が人類の財産ではないと?」
「ああ、ボビー。わかっているんです。あなたの詩は、私の血肉です。でも、ジャスラックが」
「ん? シャイロックがどうかしたのか?」
「いえ、ジャスラックです。日本音楽著作権協会、あなたの作品の日本における著作権を管理している財団社団法人です」
「私は、自分の作品を他人にまかせたおぼえはないぞ」
「でも、ジャスラックは、あなたの歌の引用を許諾しないと言うのです」
「タカーシよ、イエスキリストがペテロに託したものが何だったか知っているか?」
「信仰の権威でしょうか?」
「違う。誰もイエスキリストの代理はできないということを、イエスはペテロに伝えたのだ。だから、みだりに主の名をかたる者はニセ者だということのみが、ペテロの立場のすべてなのだ」
「では、ボビーの言葉を私のブログに書いてもいいのですね?」
「私の言葉はキミの言葉だ。聖書も同じだ。主のみことばは、生きとし生けるすべての子らの心のうちにある。聖書に著作権があるか? そのジャスラックという偽預言者は、人々の日々の祈りにも著作権使用料を要求しているのか? タカーシよ。私の歌を歌う者は私の権利を害する者ではない。私の歌を歌う者は、私の兄弟だ」
「ありがとうボビー」
「礼なら詩の神に言ってくれ。私もきみも、詩神のしもべにすぎない」

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2005/11/04

ブログと知識

 毎月のことながら第一週は忙しい。
 そして、忙しい時ほど、ブログ更新意欲が高まる。
 理由は、たぶん以下の3点。

  1. 逃避行動:うん、原稿を書きたくないんだな。でも、義務感だけはある。で、その義務感がブログ更新に向けられる、と
  2. 雑誌用の原稿を書いている時に、付随的に思いついたアイディア(←でも、雑誌原稿の主題とは別なので当該原稿の中では使えない)を、どこかに書き留めておきたくなる心情。一種の貧乏性
  3. ワープロを打ってないと落ち着かないという、締め切り期の脅迫強迫神経症状

 当エントリーは、2の理由から書いている。ええ、ちょっと思いついてしまったもので。

 書評のために本を5冊ほど並行して読んでいる。
 面倒くさい。
 たしかに書物は知識の泉ではある。が、多くの書籍は、「それがどうした?」という感じのデータを偉そうに並べているだけ。食傷。
 Webやblogの世界に慣れると、活字経由の知識に対して、かつてほどのありがたみを感じなくなる。
 今後、単に情報を提供するタイプの書籍は、販路を失っていくことになると思う。21世紀の書籍は、webとは一線を画した高品質の娯楽や芸を提示できないと生き残れない。
 でなくても、成功者の自慢話本とかは、さっさと駆逐されてほしい。
 
 知識には、いくつかの種類がある。

  • 受動的な知識:書物やテレビを通じて、一方的に入ってくる知識。ランダムかつ多量なので、知識の枠組みを広げるのには有効。ただし、定着率は低い。
  • 自発的な知識:まず疑問があって、それを調べる過程で得た知識。このテの知識は定着率が高い。
  • ちなみに、ほんの10年ほど前まで、知らないことを調べるためには、どこに資料があるのかをあらかじめ知っていて、なおかつ、専門的な情報探索技術を習得していなければならなかった。(←つまり取材力が必要だった)。ということは、アカデミズムやジャーナリズムの内部にいる人間以外は、事実上知識と隔離されていたわけだ。それが、現在では、Googleをはじめとする各種検索エンジンや、Wikipedia、CD-ROM百科事典などの知識データベースが自由にアクセス可能な形でネット上に公開されている。おかげで、素人にもそれなり資料探索力がついた。で、ちょっとした疑問は、その場で解決がつけられる。ばんざい。

  • 実践的な知識:ブログのコメント欄や掲示板でのやりとり(もちろん、リアルな空間でのフェイストゥーフェイスの会話も含まれるが、機会はずっと限られる)の中で得た知識。たとえば、「A級戦犯について、誤解に基づくエントリーを書いて、それを読者に指摘されることによって身に付いた知識」(笑)とか。これは、たぶん一生忘れないぞ(笑)。
  • 体験的な知識:自分の足で登った山や自分の目で見た風景についての五感を総動員した上で獲得した知識。当然、血肉化される。とはいえ、「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ(by ビスマルク)」とい言葉にもある通り、経験を絶対化している人間は、硬直しがちだったりもする。

 ……と、ここまで書いたところで仕事に戻ります。
 賢者もまた苦い体験には学ぶべき、かもしれない、ので。
 続きはいずれ。

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2005/11/02

タケシ's

 以下、10月28日のエントリー「ウヨ曲折」のコメント欄で延々と応酬を繰り返しているうちに、ふと思い出したことについて書く。

 ネット右翼の先兵というのか、反良識派パンク右翼の先祖として、まず第一にビートたけしの名前を挙げなかったのはうかつだった。
 
 まだツービートでやってた頃だから、80年代のことだと思うが、「週刊プレイボーイ」(←たぶん)誌上で、たけしは「オイラは右翼だぜ」という主旨の、右翼宣言をしている。
 若者向けのテレビタレントが右翼を自称することは、当時としては、非常に奇異な感じのすることだった。
 で、私はその後の彼の言動に注目していたわけなのだが、たけしは、別に民族派でもなければ、国家主義者でもなかった。もちろん、国粋にも愛国にも見えない。皇室への尊崇の情を示したこともないし、公への挺身みたいな思想は、ひとっかけらも漏れ出てこなかった。それどころか「お上なんかクソくらえ」という立場からのやけっぱちのしゃべくりこそが、彼の真骨頂だったわけで、強いていうなら、たけしは、アナーキスト、ないしはニヒリストぐらいに分類するほかに整理のしようのない、バリバリの個人主義者だった。
 にもかからずの右翼宣言である。
 奇妙だ。納得できない。

 では、たけしはどういう右翼だったのか?
「おい、オレはインテリなんかじゃねえぞ」
 という意味での非インテリ宣言としての右翼カミングアウト。ないしは、
「おい、オレは良識派じゃねえぞ」
 という、一種の露悪趣味、というふうに私は解釈している。しかも、この露悪は、彼自身の無頼な暮らしぶりと、メディア横断的なスーパーな活動を背景に、なんだかえらくまぶしく輝いて見えたわけだ。
 
 私は、当時のたけしが右翼だったとは思わないし、現在の北野武が、特に定まった形の思想性の持ち主だとも考えない。
 でも、右翼を自称することを、ちょっと無頼でカッコイイみたいな方向に持って行った最初の人間は、この人だったのだと思っている。
 みごとな無頼芸だ。
 以来、「単純で強情で怒りっぽい、バカで冗談のわからない右翼」(←俵孝太郎)対「先鋭的でおしゃれでとんがっていて冒険主義的で、笑いのセンスにあふれた左翼」(たとえば、70年代までの野坂昭如とか)という図式は、徐々に崩壊していった。

 で、社会や政治の主流が左右のいずれに傾いているのかということとは別に、人物像として描かれるカリカチュアの魅力度において、左翼は敗北への道を歩みはじめる。

 生硬で、格式張っていて、知識人ぶった、文化主義的な、サロン教養人臭ふんぷんの、啓蒙的で、説教くさい、そしてなにより、冗談のわからない人間としての左翼。イコール、筑紫さん。ホント、魅力ないよね。
 
 政治的な事柄を話題にする時、私が、いつも幾分不真面目な態度で語っていることについて、腹を立てている向きがあることは承知している。
 が、いまや、笑いは右翼の専売特許になっている。
 対して、左翼陣営には、笑いの取れる人材が一人もいない。
 それを思えば、多少不謹慎でも、笑える左翼芸は、なんとしても盛り上げねばならない。
 左翼芸能フェスティバル。
 お笑い第九条全国コンテスト。
 靖国スラップスティックゲリラ。
 こういうものを誰かが立ち上げねばならない。
 オレ?
 やだよ。

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