ニュース23の愛国心特集をチラ見。
まあ、予想通り。
というよりも、あまりにも陳腐な展開にあらためてびっくりいたしました。
香山リカの言う「プチナショナリズム」は、「プチナショナリズムと言ってみたかっただけちゃうんか」というレベルのおとぎ話だと思う。
たしかに、ネット右翼という現象はあるし、全体として、現代の若者が「右傾化」しているのは事実だ。
が、現在あらわれている「右傾化」は、必ずしも「反動化」や「保守化」ではない。
というよりも、ここで言う「右傾化」は、従来の区分でいうところの「右翼」「左翼」とは無縁な座標軸の上で起こっている現象であって、とすれば、正確には「右傾化」ではない。
あえて名付けるなら「強硬化」「粗暴化」ぐらいな傾向だと思う。
以下、うまくまとめる自信がないので、箇条書きにする。
まず前提。
- 従来の(つまり昭和時代の)枠組みでは、右翼とは「反共的」「国粋的」「保守的」「伝統主義的」な、対する左翼は「社会主義的」「無政府主義的」「急進的」な政治的傾向を意味する概念だった。
- それが、ソビエト連邦の崩壊および社会主義国家群の壊滅を受けて変質した。
- まず「左翼」は、「共産主義的」「社会主義的」「イデオロギー的」な色彩を薄め、対国際問題に関しては「反米リベラル」「平和反核志向」「環境問題重視」、内政に関しては、「人権重視」「市民運動的」「個人主義的」といった、統一イデオロギーを持たない漠然とした市民思想みたいなものにバラけていった。
- 一方、右翼もまた、従来の反共一辺倒の姿勢を改め(←というよりも、共産主義そのものが脅威でなくなりましたから)て、もっぱら「嫌韓」「反中」「反市民運動」ぐらいなところに散開することになった。ちなみに皇室はあんまり関係ない。
……これがどういうことなのかというと、政治的傾向の左右を分かつ重要な対立軸であったマルキシズムが事実上消滅してしまったわけで、とすると、もはや左翼、右翼という分類は無意味になったということだ。
で、ここから先が私の持論ということになるのだが、これも面倒なので箇条書きにする。
- 全共闘華やかなりし頃、「左翼思想」が当時の若者(←銘記せよ。「若者」という言葉を使う人間は、既に若者ではない)の心をとらえた主たる理由は、それが「反抗の象徴」だったからだ。
- さらに言うなら「左翼」は、単なる政治思想ではなかった。「長髪」「Gパン」「Tシャツ」に代表されるファッション傾向や、「ロックミュージック」「テント演劇」みたいな芸術、文化、風俗をも含めた、ひとかたまりの「祭り」みたいなもので、それらをあえて要約するなら「破壊せよ」という反抗の宣言であった。
- はやい話が、発生当初の左翼思想は、ちょっと口に出しただけで警察に引っ張られかねない危険思想であり、明るい場所ではうっかり口にできないヤバい合い言葉だったわけで、だからこそ若い連中にとって魅力的に見えた。長髪も同断。70年代以前の段階では、髪を肩まで伸ばしている男は、学校や職場をはじめとするあらゆる公的な場所で徹底的に忌避排除抑圧された。ロックミュージックの関係者もまた、保守派から露骨な迫害を受けたものだった。
- さてしかし、その「反抗的」であり「抑圧された者の叫び」であった左翼思想は、徐々に変質する。
- 長髪はおしゃれになった。清潔になり、リンスされ、トリートメントを施され、ママたちにも評判の悪くない飼い犬の髪型になった。
- ロックミュージックもまた、先生にほめてもらえる音楽になった。NHKに認知され、「青年の主張」のテーマソングになり、芸術として大手をふるって通用しはじめ、最終的には音楽の教科書に載る文科省推薦のよい子の音楽になった。
- ジーンズ愛好者は表彰されるようになった。
- テント演劇のオヤジは説教垂れになった。
- リベラル思想は、学校の教師が推奨する模範的な作文技術として、学習塾のひとつの到達目標になった。
- 市民主義もまた大学の先生にほめられる立派なモラルに成長した。
ってことは、左翼思想は「悪い子の思想」から「よい子の思想」に転向したわけだ。
ここが一番大切なポイントだ。
- 若いヤツは、今も昔も「ヤバ」くて」「悪そう」で、「大人が眉をひそめ」るファッションや思想を好む。
- で、70年代までは、一番ヤバくて、参入するのに度胸がいるキーワードは、「左翼」だった。
- つまり、当時の「左翼」ファッションが醸していたメッセージは、「おい、オレは優等生じゃねえぞ」「オレはママの言いなりになってるイイコちゃんじゃないぞ」てなことで、なんのことはない、インテリ暴走族です。
さて、一方、21世紀のイケているつもりでいる若い連中は、左翼思想に満足しない。なぜなら、21世紀の左翼(すなわち「リベラル市民主義」)思想は、大学教授の先生方が称揚してやまない「よい子の行動規範」以外のナニモノでもないから。
で、彼らは、もっとはた迷惑でワイルドで無遠慮な思想は無いかと探してみると、おお、「嫌韓」があるじゃねえか、と、そういうところにたどりついたわけだ。
※↑「嫌韓」「反中」の背景には、左翼陣営が、党派的なつながりと歴史的な成り行きから(つまり、本来の思想性とは別の理由において)親韓、親中および北朝鮮擁護の立場に立ってきたことと、「反国家主義」「反宗教主義」の見地から、靖国参拝に反対していることが、厭な感じでシンクロして、結果的に「土下座外交の先導役」「特定亜細亜諸国の利益代表」みたいな役回りになってしまっているという、近年の不幸な状況がある。ま、どうしようもないけど。
思うに、現在の「ウヨ」と「サヨ」を分けているのは、「マルキシズム」や「リベラリズム」ではない。「国家」や「皇室」や「愛国心」ですらない。たぶん、「偽善」というキーワードだ。
どういうことなのかと言うと、反抗の思想として出発した左翼思想が、主流派のスローガンになり、日教組の行動指針となり、洗練、漂白、消毒されたあげくにたどり着いたのが、「偽善」だったということだ。
いや、左翼思想そのものが偽善だと言っているのではない。
ただ、左翼思想がもたらした(あるいは勝ち取った)運動の成果が、「人権を守ろう」「平和のために祈りましょう」「戦争って哀しいね」「いのちを大切に」「つちとみどりと太陽」みたいなスローガンとして結実した時、それを上から(教師やマスコミから)聞かされる立場にある子供たちの耳には、「ろうかを走ってはいけないよ」「せすじをのばしてよいしせい」「月曜日はツメ検査」「右左見てまた右見て渡る」みたいなうすらみっともない標語と区別がつかないわけで、結局、偽善にしか聞こえないということだ。
とすれば、彼らが左翼を「ブサヨ」と呼ぶのは、これはもうどうしようもない。
「上から押しつけられた《男らしさ》や《愛国心》を敢然と拒否して、あえて卑怯者の汚名を着て身につけた個人主義」は、いまの若いヤツには、わかってもらえないわけです。
というのも、上が男らしさや愛国心を押しつけなくなくなってみると、自分の権利を主張する人間は、単なる卑怯者みたいなことになっちまってるわけですから。
だから、筑紫さん。左翼復活のためには、愛国教育復活しかないわけですよ。
教室では、竹刀を持った教師が、蛮声をあげている。
「この中に、お国のために死ぬのがイヤだというヤツがいるんだそうだな?」
「愛国作文コンクールへの出品を拒否した生徒がいるそうだが、誰だ?」
「立て非国民。立って理由を説明してみろ」
ここで、ゆらりと立ち上がった左翼中学生が言う。
「あんたがうざいからだよ、軍曹」
うん、かっこいいぞ。
やっぱり左翼は弾圧と闘ってナンボ。
先生にほめられてるようじゃダメです(笑)。
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