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2005/10/30

浦和VS川崎

昨日のゲームについて

浦和VS川崎@埼玉スタジアム

 イエローが10枚にレッド1枚。ひどいゲームになってしまった。
 今年は、例年に比べて奇妙な判定がとりわけ目立つ。
 前節、田中達也に対する土屋のプレーにファウルの判定が出なかったことにもあきれたが、今日の家本主審の判定は、それ以上に狂っていた。
 今日の判定は、いずれも浦和側に有利に働いていただけに、痛し痒しというのか、腹が立つと言うよりは、居心地の悪い感じだが、とにかく、前半の序盤にカードを出しすぎたことで、試合の流れを制御不能なものにしてしまった罪は大きい。

  • ささいなファールにイエロー
  • 前のイエローの顔を立てて、似たようなささいなラフプレーにイエロー
  • 試合荒れる→イエローが増える→選手荒れる。
  • 選手の抗議に感情的になった審判がさらにイエロー連発
  • 三都主に対する佐原のプレイにPKの判定。川崎側は不信感を増幅
  • 選手の不信感に「毅然とした対応」を見せようとする主審が強引なゲームコントロールを連発
  • 川崎のゴール取り消し→不信感確定
  • PA内でのラフプレー→報復→赤&黄
  • クソ試合決定

 まあ、川崎が降格や優勝とほぼ関係のないチームだったことが救いといえば救い(いや、川崎のファンは納得しないだろうけど)だろうか。

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2005/10/28

ジョージ・ベスト

リンク: スポーツナビ | ニュース | ベスト氏、意識不明の危険な状態=サッカーの元名選手.

サッカーの元北アイルランド代表で、イングランドの名門マンチェスター・ユナイテッドなどで活躍した往年の名手ジョージ・ベスト氏(59)が、腎臓疾患などのため、危険な状態に陥っていることが27日、分かった――のだそうだ(引用失礼)。

 何年か前、トヨタカップでマンチェスターユナイテッドが来日した折、日テレがゲストとしてハーフタイムの放送室に呼んでいたことを思い出す。
 さんまは大喜びだったが、画面に映ったベスト氏は「イカれたオヤジ」そのものだった。
 女にモテて大酒飲みで、クルマ狂いの長髪のサッカー選手。まあ、絵に描いたようなスーパースターですね。
 確か「5人目のビートルズ」という言い方もあったような。
 まあ、さんまのヒーローだったというのはよくわかる。
 でも、さいごはアル中。
 ここ数年のニュースは、アルコールがらみの入退院や暴力事件の話ばかりだった。
 合掌。
 ディエゴ君にはぜひ立ち直ってほしい。

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ウヨ曲折

 ニュース23の愛国心特集をチラ見。
 まあ、予想通り。
 というよりも、あまりにも陳腐な展開にあらためてびっくりいたしました。

 香山リカの言う「プチナショナリズム」は、「プチナショナリズムと言ってみたかっただけちゃうんか」というレベルのおとぎ話だと思う。
 たしかに、ネット右翼という現象はあるし、全体として、現代の若者が「右傾化」しているのは事実だ。
 が、現在あらわれている「右傾化」は、必ずしも「反動化」や「保守化」ではない。
 というよりも、ここで言う「右傾化」は、従来の区分でいうところの「右翼」「左翼」とは無縁な座標軸の上で起こっている現象であって、とすれば、正確には「右傾化」ではない。
 あえて名付けるなら「強硬化」「粗暴化」ぐらいな傾向だと思う。

 以下、うまくまとめる自信がないので、箇条書きにする。
 まず前提。

  • 従来の(つまり昭和時代の)枠組みでは、右翼とは「反共的」「国粋的」「保守的」「伝統主義的」な、対する左翼は「社会主義的」「無政府主義的」「急進的」な政治的傾向を意味する概念だった。
  • それが、ソビエト連邦の崩壊および社会主義国家群の壊滅を受けて変質した。
  • まず「左翼」は、「共産主義的」「社会主義的」「イデオロギー的」な色彩を薄め、対国際問題に関しては「反米リベラル」「平和反核志向」「環境問題重視」、内政に関しては、「人権重視」「市民運動的」「個人主義的」といった、統一イデオロギーを持たない漠然とした市民思想みたいなものにバラけていった。
  • 一方、右翼もまた、従来の反共一辺倒の姿勢を改め(←というよりも、共産主義そのものが脅威でなくなりましたから)て、もっぱら「嫌韓」「反中」「反市民運動」ぐらいなところに散開することになった。ちなみに皇室はあんまり関係ない。

 ……これがどういうことなのかというと、政治的傾向の左右を分かつ重要な対立軸であったマルキシズムが事実上消滅してしまったわけで、とすると、もはや左翼、右翼という分類は無意味になったということだ。

 で、ここから先が私の持論ということになるのだが、これも面倒なので箇条書きにする。

  • 全共闘華やかなりし頃、「左翼思想」が当時の若者(←銘記せよ。「若者」という言葉を使う人間は、既に若者ではない)の心をとらえた主たる理由は、それが「反抗の象徴」だったからだ。
  • さらに言うなら「左翼」は、単なる政治思想ではなかった。「長髪」「Gパン」「Tシャツ」に代表されるファッション傾向や、「ロックミュージック」「テント演劇」みたいな芸術、文化、風俗をも含めた、ひとかたまりの「祭り」みたいなもので、それらをあえて要約するなら「破壊せよ」という反抗の宣言であった。
  • はやい話が、発生当初の左翼思想は、ちょっと口に出しただけで警察に引っ張られかねない危険思想であり、明るい場所ではうっかり口にできないヤバい合い言葉だったわけで、だからこそ若い連中にとって魅力的に見えた。長髪も同断。70年代以前の段階では、髪を肩まで伸ばしている男は、学校や職場をはじめとするあらゆる公的な場所で徹底的に忌避排除抑圧された。ロックミュージックの関係者もまた、保守派から露骨な迫害を受けたものだった。
  • さてしかし、その「反抗的」であり「抑圧された者の叫び」であった左翼思想は、徐々に変質する。
  • 長髪はおしゃれになった。清潔になり、リンスされ、トリートメントを施され、ママたちにも評判の悪くない飼い犬の髪型になった。
  • ロックミュージックもまた、先生にほめてもらえる音楽になった。NHKに認知され、「青年の主張」のテーマソングになり、芸術として大手をふるって通用しはじめ、最終的には音楽の教科書に載る文科省推薦のよい子の音楽になった。
  • ジーンズ愛好者は表彰されるようになった。
  • テント演劇のオヤジは説教垂れになった。
  • リベラル思想は、学校の教師が推奨する模範的な作文技術として、学習塾のひとつの到達目標になった。
  • 市民主義もまた大学の先生にほめられる立派なモラルに成長した。

 ってことは、左翼思想は「悪い子の思想」から「よい子の思想」に転向したわけだ。
 ここが一番大切なポイントだ。

  • 若いヤツは、今も昔も「ヤバ」くて」「悪そう」で、「大人が眉をひそめ」るファッションや思想を好む。
  • で、70年代までは、一番ヤバくて、参入するのに度胸がいるキーワードは、「左翼」だった。
  • つまり、当時の「左翼」ファッションが醸していたメッセージは、「おい、オレは優等生じゃねえぞ」「オレはママの言いなりになってるイイコちゃんじゃないぞ」てなことで、なんのことはない、インテリ暴走族です。

 さて、一方、21世紀のイケているつもりでいる若い連中は、左翼思想に満足しない。なぜなら、21世紀の左翼(すなわち「リベラル市民主義」)思想は、大学教授の先生方が称揚してやまない「よい子の行動規範」以外のナニモノでもないから。

 で、彼らは、もっとはた迷惑でワイルドで無遠慮な思想は無いかと探してみると、おお、「嫌韓」があるじゃねえか、と、そういうところにたどりついたわけだ。

※↑「嫌韓」「反中」の背景には、左翼陣営が、党派的なつながりと歴史的な成り行きから(つまり、本来の思想性とは別の理由において)親韓、親中および北朝鮮擁護の立場に立ってきたことと、「反国家主義」「反宗教主義」の見地から、靖国参拝に反対していることが、厭な感じでシンクロして、結果的に「土下座外交の先導役」「特定亜細亜諸国の利益代表」みたいな役回りになってしまっているという、近年の不幸な状況がある。ま、どうしようもないけど。

 思うに、現在の「ウヨ」と「サヨ」を分けているのは、「マルキシズム」や「リベラリズム」ではない。「国家」や「皇室」や「愛国心」ですらない。たぶん、「偽善」というキーワードだ。
 どういうことなのかと言うと、反抗の思想として出発した左翼思想が、主流派のスローガンになり、日教組の行動指針となり、洗練、漂白、消毒されたあげくにたどり着いたのが、「偽善」だったということだ。
 いや、左翼思想そのものが偽善だと言っているのではない。
 ただ、左翼思想がもたらした(あるいは勝ち取った)運動の成果が、「人権を守ろう」「平和のために祈りましょう」「戦争って哀しいね」「いのちを大切に」「つちとみどりと太陽」みたいなスローガンとして結実した時、それを上から(教師やマスコミから)聞かされる立場にある子供たちの耳には、「ろうかを走ってはいけないよ」「せすじをのばしてよいしせい」「月曜日はツメ検査」「右左見てまた右見て渡る」みたいなうすらみっともない標語と区別がつかないわけで、結局、偽善にしか聞こえないということだ。

 とすれば、彼らが左翼を「ブサヨ」と呼ぶのは、これはもうどうしようもない。
 
 「上から押しつけられた《男らしさ》や《愛国心》を敢然と拒否して、あえて卑怯者の汚名を着て身につけた個人主義」は、いまの若いヤツには、わかってもらえないわけです。
 というのも、上が男らしさや愛国心を押しつけなくなくなってみると、自分の権利を主張する人間は、単なる卑怯者みたいなことになっちまってるわけですから。

 だから、筑紫さん。左翼復活のためには、愛国教育復活しかないわけですよ。

 教室では、竹刀を持った教師が、蛮声をあげている。
「この中に、お国のために死ぬのがイヤだというヤツがいるんだそうだな?」
「愛国作文コンクールへの出品を拒否した生徒がいるそうだが、誰だ?」
「立て非国民。立って理由を説明してみろ」
 ここで、ゆらりと立ち上がった左翼中学生が言う。
「あんたがうざいからだよ、軍曹」
 うん、かっこいいぞ。
 やっぱり左翼は弾圧と闘ってナンボ。
 先生にほめられてるようじゃダメです(笑)。

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2005/10/26

カリスマ議長

 秋晴れ。
 午前中はテレビをザッピング。
 米FRBの次期議長が指名されたというニュースを見る。
 ニュース自体はどうでも良い(関心ありません)のだが、アナウンサーが前職のグリーンスパン氏に対して「カリスマ議長」という言葉を使っていたことにちょっと注意をひかれた。
 放送原稿はこんな感じ。
 《「カリスマ議長」と呼ばれたグリーンスパン氏の後を受けることになるバーナンキ氏にとって……》
 呼ばれたって、誰が呼んだんだ? こんなこっ恥ずかしいカビカビの流行語をいまだに使ってるのは日本のマスコミの、それもワイドショー関係者だけなんじゃないのか?
  第一、「カリスマ議長」に相当する英語がアメリカに存在するのか? 

 とはいえ、これはこれでけっこう使われている表現みたいで、「グリーンスパン カリスマ議長」でgoogle検索をかけてみると27件ほどヒットする。
 http://www.google.co.jp/search?num=50&lr=lang_ja&ie=sjis&oe=sjis&q=グリーンスパン カリスマ議長
 神戸新聞の社説は、
「カリスマ議長の名をほしいままにした」とまで言っている。うーんほしいままに、ですか……。
http://www.kobe-np.co.jp/shasetsu/00005352ss200605230900.shtml

 通常、この「カリスマ○○」という言い回しは、特にニュース原稿みたいなカタめの文脈で使われる場合、単純な称揚を意味しないことが多い。声望の高さを持ち上げている一方で、その裏に2割かそこいらは揶揄のニュアンス――具体的には、「軽薄才子」「バブル人気」「うさんくさいヤツ」「虚名」「ハッタリ野郎」ぐらい――を含んでいるのが普通だ。
 とすれば、グリーンスパンのような人物(つまり、マジで尊敬されているヒト)に対してこの接頭辞をつけることは、表現として不適切であるのみならず、報道として死んでいる。――って大げさか。
 いずれにしても、「カリスマ○○」という、既に手垢でベカベカになっているこの語法は、「カリスマ経営者の堀江氏(笑)」だとか「カリスマニートの○○君」といった感じのヒネリというのか、「対象に向けた微妙な屈折」みたいなものを介在させないと使い物にならない、はずだ、と私は思うのだが、ニュース原稿を書いた記者君はどうやらそう思わなかった。
 有名人だからカリスマ議長――と。
 まあ、ジャーナリストは、素直な方が良いのかもしれないけどさ。

 「カリスマ○○」の「○○」の部分には、本来、「軽い」肩書きが置かれる。
 「カリスマ美容師」「カリスマ店員」「カリスマ主婦」と、この言葉が使われはじめた当初、カリスマに擬せられた人々はいずれも、取るに足らないと思われる職種に連なる人々だった。
 からくりとしては、「スター性」や「威厳」とは無縁な立場にありながらなお輝いている人物がカリスマと呼ばれたのであって、神々の座にあってではなく、地味な立ち位置で輝きを放っていたからこそ、彼らは「カリスマ」と呼ばれたわけだ。
 つまり、「カリスマ」は、少なくとも発生当初は、純粋に傑出した個性を賞賛するための下克上の形容辞だった。

 しかしながら、マスコミで多用されるうちに、「カリスマ」の語義は微妙にひねくれてくる。カリスマと呼ばれた人々自身も、周囲からのジャパナイズ(同調化、矮小化)圧力にさらされて、徐々に変質して行く。盲目的な賞賛。見世物みたいな知名度。監視に似た注目。あら探しの視線。執拗な当てこすり。で、彼ら自身、根っこの方から腐ってくる。
 と、そうこうするうちに、この接頭辞のニュアンスは、俄然「床屋の分際で芸術家気取りのクソ野郎」を攻撃し、「洋品屋の販売員ふぜいが、何を勘違いしてるのかタメ口で客に応対して、のみならず演説までぶってやがる」女をたしなめる響きを帯び始める。
 そう。
 「身の程をわきまえない人間への過剰な非難」
 いつものプロット。この国の病理です。

  • 分際を忘れた人間。
  • 調子コイてブイブイ言わせてるヤツ。
  • いい気になってる女。
  • 天狗になっている男。
  • オレ流なヒト

 と「カリスマ」は、いまやニッポンの保守層が最も嫌うキャラクターなわけで、そういう言葉をグリーンスパンみたいなひとのアタマにかぶせるのは、やっぱりジャーナリスト失格。
 カリスマ首相のコイズミさん。
 この言い方はアリ。コイズミさんは、カリスマですね。良い意味でも悪い意味でも。

 カリスマ知事の田中さん。
 うーん。これはちょっと違うな。だってそもそも魅力が無いんだから。

 かりそめ知事 ぐらいがいいところでしょう。

 

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2005/10/20

再会

 久々の晴天。自転車で河川敷に出る。
 調子に乗って平井大橋まで走る。距離にして約15Km。すごい。
 途中、千住のあたりで、8月に見かけた豚君に再会。
 懐かしさ(まあ、先方はおぼえてないだろうけど)に思わず自転車を降りる。
 で、 飼い主(60歳代の女性でした)に
「写真を撮らせてもらってかまいませんか?」
 と尋ねる。こういう場合、赤ちゃんを連れているママに対するのと同じマナーで対応しないといけない。明るい声。賛嘆の表情。
 快諾を得て撮影。

pig1020
※ 豚児君はこれで3歳。既に大人だという。体長60cmほどか。ブヒブヒ鳴いている。素晴らしくかわいい。
撮影中、靴を食べられそうになる。けっこう人なつっこいようだ。

 平井大橋から町なかに出てみる。蔵前橋通りを亀戸まで走る。
 亀戸の「オリンピック」で、自転車のライトを購入。なんだか、暗くなってきてあんまり心細いので。
 明治通りを走る。小村井→曳舟→東向島。夕刻の国道はめっちゃコワい。

  • 車道を走るとバイクとクルマに幅寄せを食らう。

  • iPodを挿入型のイヤフォンで鳴らしながらの走行なので、後方からの接近は特に怖い。

  • かといって、歩道を走ると立ち止まっているおばあちゃんとかを轢きそうになる。

  • 沿道の商店から飛び出してくるおばさんもヤバい。

  • 無灯火の自転車は、かなり近づくまで視認不能。夜目がきかなくなっているのかもしれない。

 川筋に戻ることにして、東向島で明治通りを右折。水戸街道を走って四つ木橋から河川敷に降りる。
 あとはひたすらに土手下の舗装路を走る。真っ暗。闇の中に突然野球少年やランナーが現れる。こわい。ライトを買って良かった。
 帰りはなんだか距離が倍ぐらいあった気がする。

 ぐったり。往復の走行距離は、概算で三十キロちょい。マラソンランナーって偉いなあ。
 

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2005/10/19

ミッキー2

miki1019

あんまり似てなかったもので。
リベンジ(笑)
どっちみちたいして似てないけど。
なにしろ、本人が本人に似てない(っていうか、平凡過ぎるんですね。顔から何からが)わけだし。
もう描かないぞ。と。

お詫びに、TBSはあんたにあげます。
つまらないものですが

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2005/10/17

ハコテン

勘違い原稿がトップにあると、なんか恥ずかしいので、照れ隠しにイラストをば

miki1017

追っかけリーチ専門。下家のホリエモンとオナ待ち。しかもプンリー。ヤな雀士だなあ(笑)

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阿Q戦犯

 「A級戦犯」。
 何回聞いてもヘンな言葉だ。
 極東軍事裁判の言い方をそのまま引っ張ってきたものなのだろうが「A級」の「A」をあえて翻訳しなかったところに、戦後社会の底意のようなものを感じる。いや、考えすぎと言われればその通りなんだろうけど。

 英語の"Class-A war criminals"という単語からは、「最高度に重い戦争犯罪人」というニュアンスがストレートに伝わってくる。
 また、その"Class-A war criminals"なる英単語を日本語に翻訳するにあたって、「第一級戦争犯罪人」というふうに、きちんとアタマから尻尾まで日本語化すれば、それはそれで言葉としての一貫性は確保できる。ミステリファンにおなじみの「第一級殺人罪」との照応関係からしても、訳語としては、「第一級戦犯」の方が自然だ。
 にもかかわらず、どうして「A級戦犯」などという生煮えの訳語が一般に通用しているのか。
 おそらく、訳語を採用した側の人々(ジャーナリストなのか法曹関係者なのか、それとも役人なのか、私は知らないが)が、「これは、外国から押し付けられた犯罪なのであって、オレらは納得してないぞ」というメッセージを残したかったからだと思う。
 潔くないよな。

 いずれにしても、「A級」という不徹底な半可英語を生殺しのまま残して、なおかつその曖昧な接頭辞を「戦犯」のアタマにつけた「A級戦犯」は、あまたある英和合体語(「インテリア畳」みたいな)がそうであるように、木に竹を接いだような、なんだか信用できない(←「ダン野村」参照)ムードの法律用語になってしまっている。
 まあ、狙い通りなのかもしれないが。

 「A級」には、「高度な」「優秀な」「Aランクの」という感じの、「良い」ニュアンスがある。
 と、「A級戦犯」は、俄然「優秀な戦犯」「良心的な戦犯」「高級な戦犯」「セレブな戦犯」という感じの「素敵な」響きを帯びてきてしまう。
 いいのか?
 トージョーは、ありゃセレブなのか? カリスマ戦犯か?

 もうひとつ音の響きの上で「A級」が「永久」とまぎらわしいこともちょっと問題かもしれない。
 なんというのか、「永久戦犯」という言葉の響きがムゴいわけです。
 死のうが灰になろうが、永久に絶対に、幾万年たっても許さないニダ、という感じの恨五百年な執念深さが、うちらの山紫水明の死生観にそぐわないわけです。
 でもって、「永久戦犯を合祀」なんて言われると、事情を知らない常民は、「もう死んだヒトなんだから、いいかげんに許してやれよ」
 と、そういうふうなジャッピーな感想を抱いたりするわけだ。良し悪しはともかく。

 ついでに言えば、「永久戦犯」という言葉の響きは、
「ん? 臨時戦犯というのがあるのか?」
「っていうか、普通の戦犯は暫定戦犯なのか?」
 みたいな誤解を生じる余地を残している点でも問題だと思う。

 で、提案。
 トージョーは阿Q戦犯と(ry

※上記エントリは、オダジマの誤解に基づくテキストでした。(ノ∀`)アチャー
以下にWikipediaの語釈を引用します。

「なお、A級のAとは、同条例の英文 Charter of the International Military Tribunal for the Far East において同条(イ)が (a) となる事に由来する単なる分類上の名称であり、罪の軽重を示す意味は含んでいない」

訂正 2005/10/17 19:53:14 (´・ω・`)ショボーン  
 

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九段の上

 午前中、テレビをつけると、テレビ東京以外の全局(NHK総合、民放4局)が小泉首相の靖国参拝を生中継している。
  放っておけばいいのに。
  あえて報道することは、わが国にとっても近隣の国々にとっても、建設的な結果には結びつかないと思う。
  どう伝えたところで、不快な波紋を招くだけだ。

 靖国は、基本的には過ぎ去った感傷に過ぎない。
  そのくせ、このひからびた感傷の背後には、死者の骨を利用せんとする勢力が手ぐすねを引いている。しかも、左右の両陣営に、だ。
  バカな話だ。
 
  小泉さんが、特定アジア諸国の反発をかえりみずに、靖国参拝を強行し続けてきた理由について、私は、ずっとその真意をはかりかねていたのだが、もしかしたら、この人は、「近隣のアジア諸国の反発を買うことが、自らの支持率の向上につながっている」といったあたりの機微を、本能的に把握しているのかもしれない。
  だとすると、たいしたセンスだ。
  隣町の臥煙の親玉に啖呵を切ってみせる鳶の親分みたいな人気。
  なるほどね。
  近所の嫌われ者に限って、身内には頼りにされているという微妙な力関係、と。
  でも、あぶないぞ。
 

いたづらに 九段の坂をのぼり来し
 大殿の身に 銃弾の雨

 
  みたいな展開だってあるぞ。
 
秋深し 九段の杜は 銃弾の下

  いずれにしても、コイズミさんは気をつけた方が良い。
  近隣諸国の跳ね上がりだけではない。
  むしろ敵は身近にいる。

英霊に 取り付くダニや えせ国士


ははは。東シナ海の天然ガスが、見かけ倒しであることを祈ろう。日中両国のために。

灘のガス 匂うばかりで火はつかず

 と(笑)。

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2005/10/14

並び大名

negero1014
 ネゴロさんです。
 まだコミッショナーをやっていたんですね。
 あんまり顔色が悪く見えたもので、銅像を連想してしまいました。

※当イラストは、架空のゴクツブシを描いた習作であり、現実の人物、団体、コミッショナーとはちょっとしか関係がありません。

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2005/10/13

ウクライナ戦

日本代表VSウクライナ代表@キエフ

 あまり語るべきことも無いので、彼に代わってみなさんにお詫びの言葉をのべておきます。

nakatako

うん。あんまり似てないけどさ。仕方ないだろ。闘志が湧かないんだから。

今日はヒデが頑張ってましたね。

さあ、仕事でもするか(棒読み)。

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2005/10/11

民青遊泳化

 風呂から出て「ニュース23」を見ていたら、たったいま、筑紫キャスターが猛烈に批評的な発言をしたので記録しておきます。
 筑紫さんは、
「民青遊泳……あ、郵政民営化」
 と言いました。すごい。
「郵政民営化を言い間違えただけじゃないのか?」
 と、おっしゃる向きもあるでしょうが、筑紫さんを甘くみてはいけません。彼は一流のジャーナリストです。
 とすれば、彼のような経験豊富なジャーナリストの発言に対しては、われわれ視聴者としても、当然、裏を読んでかかるべきです。
 でないと、筑紫さんが、「噛んでばかりいる困ったじいさん」ということになってしまいます。
 思うに、筑紫さんは、郵政の民営化が全逓の弱体化を促し、それらの複合的な影響力が民青の遊泳化を招来し、さらにそれが最終的には共産党の解体に結びつくという、悪夢のような近未来を示唆しています。
 「遊泳化」は、耳慣れない言葉ですが、おそらく、「中央からの指令系統が途絶えて、独立独歩の身勝手な組織として動き出す」という一流ジャーナリストならではの、映像喚起力に満ちた、素晴らしい造語だと思われます。
 とすると、民主青年同盟の末路は……セクト化→分派→内部抗争→内ゲバ→共食いの末消滅、というでしょうか。
 うーん。炯眼

tikusi

 ※↑あんまり似てないけど(23:51追加)
 ※イラスト、差し替えました。似てなかったんで。(2005/10/12 12:41:50)

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2005/10/10

軽率ということ

 中田浩二選手のプレーについて、ちょっと補足しておく。
 本人が読んでいるかもしれない(笑)ので。

続きを読む "軽率ということ"

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2005/10/09

ラトビア戦

日本VSラトビア@日刊スポーツ

 Jリーグオールスター(←今見ている)の緊急招集メンバーたちの方がずっとチームっぽいプレーをしているように見えるのはどういうわけなのか。
 後学のために、一応メモを書き起こしておく。角沢君はよく読んで反省するように。
 

  • 実況:角沢アナ→実況技術の拙劣、サッカー知識の欠如、語彙の貧困など、問題はあらゆる範囲に及ぶが、最大の欠点は、上司の考えた(←だろ?)標語を無批判に連呼する精神の空虚さであろう。それにしても「決意のヨーロッパ遠征」とは、一体何を訴えているつもりなのか。
  • 解説:松木さん→たとえばNHKの野地アナみたいな堅実地味系の実況者と組めば、試合に活気を与えるための鳴り物とし機能する場面もあるのかもしれない。が、同じく絶叫系の角沢とのコンビネーションは最悪。お互いのやかましさが強調される。「あぶなーい」と百回ぐらい絶叫していたが、本当にあぶないのは自分のクビだと思う。

※寸評

  • 高原:得点となったロングシュート以外ほとんど仕事をしなかった。
  • 柳沢:頑張っていた。それだけ。
  • 中村俊輔:相変わらず巧い。でも後半露骨にバテた。
  • 中田英寿:なんだかヘタになったような……。トラップはバラけるしパスは長すぎる。どうしたんだろう。心配。
  • 松井大輔:独特のドリブルは、キープ力があって良かった。パスはちょっと空振り気味。
  • イナモト:時々見せる軽率なプレーを大目に見れば、よくやっていた。運動量は少ないかも。
  • 中田浩二:このヒトのミスは、判断ミスや技術上のミスではない。性格ミス。っていうか人間性の根幹から漏出する魂のミス。よって、矯正不能困難
  • 駒野:不毛なゲームに感動を与えるのは運動量のみ。がんばっていた。
  • 田中誠:1点目はこの人のクリアミスが遠因。ちょっとバタついていた。
  • 茂庭:がんばっていた。
  • 土肥:がんばってたけど転びすぎ。
  • 途中出場組:坪井はまだ代表で出られるコンディションじゃない。レッズでも激ヤバなわけだし。

表現を緩和 2005/10/09 16:56:37

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2005/10/06

人食いファンド

mura1006
※村上さんです。
 なんか、サメみたいですよね。いきなりガブリと来るところが。

虎の子を つぎこんだとて積み上げて買う 張り子かな

 たぶん、売っ払うつもりです。マジで買いに来ているのだとしても、早晩手放すでしょう。だって、アタマの良いこのヒトがタイガースの体質に耐えられるはずがありませんから。

六甲の 灘の誇りの高ければ まだふみもみず 虎の尾の泥

 てなところですね。

買収に 大儀はあらず 大我のみ
大義無き 金の大河に 飲み込まれ

※追加します。10/07 0時44分

よこしまを 腰巻きにする 鬼畜かな

 って、言い過ぎだな。ごめん村ちゃん。
 むしろ、責めるられるべきは、阪神経営陣のアタマの古さなのかもしれない。

縦縞を 横にもしない 石頭
 と(笑)

赤字は10/7 訂正文です。

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2005/10/05

ボールパイソン

東京・新宿区で逃走したヘビ、飼い主の元に戻る

 朝のうちテレビ(←どの番組だかは忘れた。5秒ごとにザッピングしてるんで)を見ていたら、このボールパイソン発見のニュースが紹介されていた。
 ちょっと驚いたのは、飼い主の映像。
 同区内に住むアルバイト男性(41)ということだが……
 顔出しは無し。胸から腰のあたりとポケット周辺のアップのみ。プライバシー保護ということもあったのだろうが、なにより
「これは、全国ネットで配信して良い人間ではない」
 というカメラマンの直感が、顔出し映像をストップさせたのであろう。
 だって、とにかく汚いから。
 着ているモノから判断すれば、ホームレスと判断するのが普通だと思う。
 手の汚さも異様。
 で、警察から返還されたヘビ君を、なんとポケットに入れて持ち歩いている。
 おい、警察は、保管用(ないしは運搬用)の袋なりケージを持参して来る程度の常識さえ持っていないレベルの飼い主に、あっさりヘビを返しちゃうのか? 厄介払いできればそれでオッケーということか?
 まあ、警察にしたって、拾得物を返還するにあたって、所有者の適格性みたいなことをいちいち判定するヒマもなかろうし、そうする権利も持っちゃいないんだろうが、それにしても……
 と思う間もなく、飼い主氏は、インタビューの最中にポケットからヘビを出していじくりまわしている。
「家にいると窮屈そうだったから」
 窮屈って……
 同じ爬虫類キーパーとして、ちょっと悲しい気持ちになった。
 なんとなれば、この飼い主は、
「ヘビとかを飼ってるちょっとヘンなヒト」
 という世間の偏見を補強するために、あまりにもドンピシャリな存在だったから。
 スタジオは、コメントなし。
 うん。当然だよな。
 こういうヒトについてうかつなことを言うと問題になりかねないからね。
 っていうか、この人物のたたずまい見て
「おっと、うっかり率直な感想を述べると差別問題が立ち上がってきそうだぞ」
 と、咄嗟にそう判断できるようでないと、テレビ人はつとまらないわけだな。
 
 

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2005/10/04

シャイロック

PCからiPodへのコピーをできなくすれば問題は解決する--法制小委第8回審議

 ↑ ちょっと面倒な記事ですが、ぜひ読んでみてください。
 リンク切れ時のために、一部を以下にコピペしておきます。

また、音楽のネット配信について、iPodなどを補償金の対象とする場合、「補償金の二重取りになるのではないか」という意見があるが、その一方で、JASRAC関係者は「配信事業者がJASRACに支払っているのはあくまでPCへダウンロードするまでの利用料」との主張を貫いており、同関係者からは「極端な話だが、PCを通じた音楽のコピーをできないようにすれば(iPod課金に関する問題は)解決する」といった発言もなされた。

 工エエ(´Д`)エエ工
 PCからiPodへのコピーをできなくすれば、って……
  つまり、オレのiPodは、ブロック崩しゲーム専用機みたいなことになるわけだけど、いったい誰がそんなものに何万円も使うんだ?
  要するに、これ、iPodツブしだよね?
  で、仮にまんまと黒船iPodを撃退できたとして、だ。
 そうすると、結局、音楽そのものがツブれることになると思うんだが、そこのところはどうなんだろう。
 自分たちのメシのタネをツブしつつあることに気づいてないんdなろうか?
 というよりも、こんなこと(iPod排除)をしたら、音楽配信のみならず、世界中のAVビジネスから置いていかれることになるはずなんだが、彼らは、それで良いと思っているんだろうか?
 鎖国? 検地刀狩り禁教令渡航禁止ですか?

 だって、この発想って、
「国道への車両の進入を不許可にすれば交通事故の問題は解決できる」
 というのと、基本的に同じだよ。
 ブラックユーモアにさえなっちゃいない。
 たぶん、JASRACの皆さんは、万引き防止のために足の速いお客さんの入店を制限するとかなんとか、そういう種類の対応をこれからも繰り返して行くのであろう。
 あわれな老人たち。
 あるいは、病気というふうに考えた方が適切なのかもしれない。
 利権病。
 おそらく、JASRACは、文部科学省にとっては貴重な天下り利権団体なのでありましょう。
 貧乏官庁の文科省は、ほかには、法科大学院とか、大学入試センターとか、そんなものぐらいしか持ってないわけだから。
  まあ、私立学校&塾産業も広い意味で言えば、文科省の天下り団体ではあるのかもしれないが。
  とすると、公教育を荒廃させているのは、彼らの深謀遠慮……
 さあ、陰謀論なんか吹いてないで仕事仕事、と。

追伸:よい子のみんな。ジャスラックについて言及する時には、「シャイロック……じゃなかった、ジャスラック」と、必ずお約束の言い間違いを挿入した後に話しはじめるようにしような。約束だぞ。

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2005/10/03

ジャイアンの周辺

 友人Mの行動を描写したここ3回ほどのエントリーに関して、様々な反応がありました。
 「いじめ」は、一筋縄で片付く問題ではありませんね。今回の書き込みについても、私が思っていた以上に、読む人の立場や経験によって、受け止め方が違っていたようです。
 以下、この度の一連のやりとりを通じて、あらためて気づいた点を列挙してみます。

  1. いじめっ子の悪質さのひとつに「面白い」ということがある。逆にいえば、たちの悪いいじめっ子は往々にして「面白いネタ」のひとつとしていじめを展開する。だから、荷担している人間や傍観している人間は、ついつい行われている行為を見過ごしてしまう。
  2. いじめている人間の中には、いじめをひとつの「勲章」と思っているタイプの人格がいる。つまり、「オレは、強い側の人間だった」「オレは、世論をリードするタイプの男だった」と。
  3. その一方には、いじめ被害を、「恥」と考える風潮がある。すなわち被いじめの過去を「弱かった」「友だちがいなかった」「嫌われ者だった」ということに対するひとつの帰結だする考え方。
  4. いじめた側の人間こそが自らの行いを恥じねばならない。いじめられた人間は、自分が孤立を恐れない自我の持ち主であることに誇りを持つべきだ、というふうに考える人はあまりいない。おそらく、これは日本という国が強度なムラ社会(同調的であること、空気を読むことをなによりもまず第一に考える集団)であることと無関係ではない。
  5. それゆえ、「お前いじめられっ子だったんだろ?」は、そのまま相手に対する侮辱の言葉として通用している。
  6. 一方、「オレ、いじめっ子だったから(笑)」という独白は、反省や自戒の言葉としてではなく、一種の自慢ないしは武勇伝として語られている。
  7. ここ数日いくつかのblogが2チャンネラーの餌食になって炎上している(「エアロバキバキ」氏および「かかって来んかい」氏など)が、共通しているのは、荒らされているblogの主がいずれも「いじめ自慢」「恫喝自慢」「武勇伝ひけらかし」系の「オレ様キャラ」、すなわち「ジャイアン」であることだ。
  8. つまり、ネット上では、いじめっ子キャラは、通用しない。なぜなら、誰も同調してくれないから。いじめは、周囲のスネオたちの同調や支持、あるいは出来杉君やシズカちゃんの黙認がないと成立しない。
  9. それゆえジャイアン系のblogは、逆に、匿名ネットワーカーのいじめにさらされることになる。
  10. おそらく、少なからぬ人々が、この種の「無反省なジャイアン」に内なる怒りを抱いていたからこそ、blogは代償行為の矛先として、炎上せざるを得なかった。自業自得だが。
  11. いじめは、人間形成の途中の段階で刻印された経験であるだけに、当事者にとって、簡単には克服できない。
  12. 克服するためには、加害者との関係を見直す必要がある。しかしながら、成人した大人が、子供の頃の怨みをネタに、同じく成人した人間に対して苦情を言ったり復讐をしたり、賠償を求めたりという筋書きは、世間の人々に理解されにくい。
  13. といって、被害者が、自分の心の中だけで、いじめ被害の心理的外傷を処理するのは思いのほか、困難だったりする。
  14. 私自身、中学の教師に殴られた悔しさがいまだに整理できていない。
  15. とはいえ、殴られた後に、「大変だったな」と言ってくれる友人を持っていた私は、本格的ないじめの被害者と比べればはるかにラッキーだった。
  16. というのも、いじめの最も深刻な被害は、暴力の数や量ではなくて、「孤立」という状況にあるから。いつだったか、テレビに出てきたいじめ被害の少女が「たった一人でも友だちができれば、いじめなんて何でもない」という意味のことを言っていた。なるほどと思った。

 ところで、上記テキストは弁解ではないよ(と、弁解)。
 と、こんなところで仕事に戻ります。どうして締め切りが重なるとblog更新モチベーションが高まるのでしょうか。不思議です。はい仕事仕事(と、マジに弁解)。

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2005/10/02

友情と人生(笑)

 以下は、9月30日のエントリー、「微苦笑道」へのコメントに対する返事です。
 長くなったので、項目を立てます。

 事態の矮小化ってあなたね(笑)、30年前のお話ですよ。しかも高校一年生が、昔なじみの友だちをニックネームでからかったというほとんど牧歌的なエピソードです(←どうせ「牧歌的」にかみつくヒトが出てくるんだろうけど)。
 当件は、紳助の事件とは違います。違法性のある物理的な暴力を行使したわけでもなければ、受忍限度を超えた罵詈雑言を執拗に繰り返して相手をいたぶったというのでもありません。

 もちろん、他人の肉体的特徴を揶揄することはほめられた態度ではないでしょう。
 が、ほめられたことではないにもかかわらず、それが、「よくある話」であることは事実です。
 いいですか?
 私は「よくある話」だから許せ、と言ったのではありません。「よくある話」だから無罪だ、と主張しているのでもありません。
 友人Mを擁護してもいない。「ちょっと厭なヤツでした」「残酷なところのある男だった」と、書いています。
 その上で、あくまでも程度問題として、このレベルのトラブルを「時効」「よくあるひどい話」と評価しているだけのことです。
 決して暴力を免罪しているのでもなければ、いじめを肯定しているのでもない。ふつうに読めばわかるはずです。

 人間と人間が付き合う以上、当然、軋轢はある。誤解に基づく摩擦もあるし、感情的な行き違いもあります。ましてティーンエイジャー同士なら、意図的であれそうでないのであれ、互いに傷つけ合うことは、決して珍しいなりゆきではありません。
 だからこそ、「自戒をこめて」という前言を振った上で、私は、お笑いネタの扱いと言葉の使い方について語ったわけです。

 言葉が批評性を持つ以上、それが他者に不快感を与える可能性は排除できません。はやい話が、私自身、自分のブログのコメント欄に匿名で書き込まれる言葉に対してちょっとムっとしていたりするわけですから。
 でも、私は、
「オレは傷ついた。これは暴力だ。謝罪を要求する」
 とは言いませんよ。
 ムダですから。
 それに、軋轢を乗り越えて付き合って行くからこそ、人と人は友だちになれる……って、武田鉄矢の言い草だな、これはまるで(笑)。

 私は、暴力を好みません。
 というのも、かつて暴力の被害者(中学の教師に何百発も殴られました)であった経験を持っているし、一貫して非力な側の人間でしたから。
 ですから、そこいらへんのオヤジの腕力自慢や子供の強がりにさえ、不快感を感じるテの人間に育ったわけです。幸か不幸か。
 
 ただ、若い人たちの間に、暴力賛美や腕力への傾倒が広がっている背景には、一部の人々が依って立っている「弱者利権」が、あんまり偽善的に過ぎるという事情があるとは思っています。
「人権、弱者、抑圧、被害といったような言葉をネタに個人や組織を恫喝している人々に対する苛立ち」といったらまた誤解を受けるかもしれませんが、行き過ぎた人権合唱団が、良心的な人々をもうんざりさせているということについて、わたくしどもの文明社会は、一度真剣に考えてみるべきではないのでしょうか。ご静聴ありがとう。

 

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ID

 とあるブログで見かけた記事なんですが、すごいですね。これ。
■「反進化論」米で台頭 渡辺久義・京大名誉教授に聞く@産経web

 文科系の学者さんの中には、時々、自分の専門分野以外の学問について平気で大胆な仮説をカマしてしまうヒトがいます。困ったものです。
 たとえば、電気工学あたりの学者さんが法哲学だとかについて自説を開陳している場面に出くわすことは、まずあり得ません。が、一方、文学部の教授さんが医学やら地球物理学に堂々口を出しているシーンを見つけることは、そんなに難しくなかったりします。不思議です。
 リンクを辿っているうちに、この先生が「世界日報」(←統一協会の機関誌みたいなものでしたよね?)に寄稿した記事を紹介しているサイトを発見しました。
http://blackshadow.seesaa.net/article/4226935.html
 世界日報。なるほど。ID(インテリジェントデザイン)だなどと、新しげな言葉を使っていますが、主張の内容そのものは、私が30年前にワセダの原理研に受けたオルグとほぼ一緒です。

 ……ちなみに、オルグは、こんな感じでした。

 学部前広場でぶらぶらしていると、いきなり声をかけられる。
「キミ、一年生?」
「……はい」
「ちょっとアンケートなんだけど、いいかな?」
 アンケートは、全体として毒にもクスリにもならないテのものなのだが、そのうちにいくつか、世界観やら宗教観を問う質問項目が潜んでいる。ここがミソ。
「未知の世界や、真理に関心がありますか」
 とか。
「えーと、この未知とか、真理というのは、女の子の名前ですか?」
 と、まぜっかえしてみる。
「いえ。違います」
 ニコリともしない。ん? この人たちは……と、ここではじめてピンと来る。そう。原理だよ原理。原理は笑わない。っていうより、いつでも同じ原理顔という表情をうかべている。
 適当にあしらっているつもりなのだが、いつしかラウンジに引っ張って行かれている。若気の至り。自信過剰の報い。
 当然、ラウンジは原理のスクツだ。
「進化論を肯定するということは、あなたは、生物や自然が偶然の産物だと考えているわけですね」
「人類が猿から進化したなんてことを本当に信じられるのですか」
 数人の男女に囲まれて質問責め。
「じゃあ、仮に原子というものがあるんだとしてですよ。それが集まって分子になります。で、その分子が集まって細胞を形成して、細胞の集合が人間になるわけですよね。そこまではいい。でも、だとすると、原子の目的は何です?」
「どうして分子は細胞になったんですか?」
「原子は、何のために集まって何千億分の一の確率を超えて、人間を形作ったのでしょう。答えられますか?」
「そこに、神の意志を感じることは不自然でしょうか」
 ……これは、やられてみるとけっこうキツい。
 大勢を相手の議論でやりこめられない唯一の方法は、マジで相手にしないことなわけなのだが、そういうことを一年生はまだ知らない。
「んー。わかりません」
 という、この簡単なセリフがなかなか言えない。自分が質問に答えられないことを認めるのは、20歳前の小生意気な小僧には、非常にハードルの高い作業なのでした。それでも最後には「わかりません」と言わなければならない。でないと、質問は一生続く。で、答に詰まった時に
「ほら。答えられないでしょう? ということは、どこかに統一的な真理があるということをキミは認めたことになるんですよ。違いますか?」
 ぐらいな決めつけを食らうことになる。
 苦しい。とても苦しい。
 結局、3時間ぐらい責め続けられて、自分の無知と論理性の欠如を白状することで、ようやく解放される。
 いやな敗北感。
 でも、論破できない相手(原理を論破することは不可能。サルに四則演算を教えることも)に対しては、白旗を揚げるほかに有効な対処法が無いわけで、この場合、冷笑を浴びながら帰ってきた態度は正解だったのだ、と日記にはそう書いておこう。
 こういう場面で撤退できない学生は、原理にハマるか、革マルに引きずり込まれるか、民青につけ込まれるか、でなければ東洋思想(S価学会)あたりに足を取られてオルグ三昧の学生生活を送ることになる。
 ん? オレは、すべての論敵を論破し去ったぞ、と?
 ……すごいですね。
 こういうヒトはスルー。
 負けるが勝ち。2ちゃんねるを相手に喧嘩を売ったり、コメント欄にマジ切れしたりせず、静かに尾てい骨をくるくる巻く。
 大人の智恵。
 不死身の逃げ腰。
 しつこいか?
 わかったよ。もう黙る。人権に配慮して、永久謝罪、と。

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