弱者
※交通弱者
自転車で川口方面に遠征。
懐かしい言葉を発見。思わず撮影。
※交通弱者用押しボタン。素直に押せねーぞ。
交通弱者。すごい言葉だ。
実際に使われているのを見たのは、はじめてかもしれない。
最初にこの言葉を知ったのは、いまから30年ほど前のことだ。まだ免許を取ったばかりの頃、友人のMが使っていた。
「オラオラ、交通弱者が国道に出て来んじゃねえよ」
と言いながら、Mは、クラクションで自転車や歩行者を蹴散らしていた。
「なんだそれ?」
「交通弱者のことか?」
「ああ」
「ほら、自転車とか年寄りとか×××とかみたいな遅くて弱い連中のことを警察ではそう言うんだよ」
……なるほど。「弱者」という言い方は、Mのサディズムを刺激するみたいだった。彼は、道路の左側をフラフラ走っている自転車を見かける度に、
「オラオラオラオラ。チョロチョロしてんじゃねえよ、交通弱者が」
と、クラクションを鳴らしていた。
「弱者はいたわらないといけないんじゃないのか?」
「ははは。甘いなオダジマ君。弱いヤツやノロマな×××は道路から締め出さないと快適な交通環境は構築できないのだよ」
……交通弱者という言い方は、失敗かもしれない。
警察の交通課が、この言葉で呼ばれている人々を「厄介者」と考えているかどうかはわからないが、ドライバーは、そう思っている。
「弱者だからいたわらなければ」
と考えるドライバーは、日本の殺伐とした交通環境の中では、おそらく少数派に過ぎない。多くの運転者は、弱者を排除しにかかる。
「てめえ、交通弱者の分際で、道の真ん中歩いてんじゃねえよ」
と。
(2行削除 2005/10/01)
と、ここで終わると、なんだかMがひどいヤツみたいになってしまうので(いや、実際、ちょっとひどいヤツなんだけど)、彼の名誉のために、もうひとつエピソードを紹介しておく。
Mは、たしかに、なんというのか、一面、残酷なヤツではあった。が、それはそれとして、なかなか面白い男でもあったわけで、私らはいつも笑わされていたものなのだよ。うん。
※アタマの思い出
高校一年の時のことだ。
私とMは陸上部に所属しており、その日は、入学以来はじめての大会のために、どこかの競技場に出かけていた。文京区民大会だったか、都大会の予選だったか、細かいことは忘れたが、とにかく、高校一年生の部員が初出場する、小さめの競技会だった。
「おお、アタマだ」
と、横にいたMが、突然、笑い転げている。
「なんだ?」
「ほら、あそこで、100メートルのスタートを待ってるヤツがいるだろ? あいつは、オレの中学の時のダチで、アタマって言うんだよ。アタマでけえからアタマ」
「おお、確かにデカい」
「な、デカいだろ? バランス最悪だろ? ……でさ。あいつがスタートしたら、イチニノサンで、『アタマー』って声かけるから、お前らも一緒に言ってくれよな」
「いいのか?」
「大丈夫。アタマはアタマ。怒んねえよ。……いくぞ、いちにーの、さん。『ア タ マ ァアアアア!』」
「ア タ マ ァアアアアア!!!」
……と、アタマは、われわれが声をかけた瞬間、スタートから5歩ほど進んだ地点で、いきなり転倒した。
「おい、コケたぞ。アタマが転んだぞ」
「ははは、アタマが重すぎたのか?」
「ははははっはは。面白すぎる。腹いてぇ。はははは」
「おい、見ろ。あいつのスパイクの針は、ありゃツチ用だぞ」
たしかに、よく見ると、転んでいるアタマの足には、土のグラウンドで走る時に使うえらく長い針(たぶん18ミリ)が装着されている。それでタータントラックを走ったのだから、転ぶに決まっている。
「はははははは。なあM。あのアタマには何が入ってるんだ?」
「はははははは。芯まで骨。完全に骨百パー。はははははは」
「骨百。助けてくれ。ははははは。骨百のアタマかよ。おかし過ぎる。ははははは。腹いてえ」
われわれは、その場で、5分ほど笑い転げた。
「おい、アタマのところに行くぞ」
Mが言い出した。
そして、Mは、アタマが所属しているK園高校の陸上部にあいさつに行った。
見事な口上だった。
こういう時のMは、まるで何かが乗り移ったみたいに弁が立つ。
「K園高校の陸上部のみなさん。はじめまして。ボクは、K石川高校陸上部一年生のMと申します。そこにいるT君とは、中学時代一緒に勉強した仲間です。ところで、みなさんにお知らせがあります。さきほどの百メートル走で即転倒したT君の正式名称は『アタマ』です。みなさんも、これから『アタマ』と呼んでやってください。ありがとうございます。アタマです。アタマ。ちなみに、芯まで骨です」
K園高校陸上部のテントが爆笑に包まれたことは申すまでもない。
気の毒なのはアタマだ。
中学時代、アタマ少年は、おそらく、底意地の悪いMにつきまとわれて、「アタマ、アタマ」と、なにかにつけてはやし立てられていたに違いない。
つらい3年間だったと思う。
K園高校の陸上部は、そんなアタマが、ようやくMの魔手から逃れて、新たに船出するはずだった新生活の舞台だ。T少年は、新しい友だちにかこまれて、あの昔なじみのいまいましいあだ名とは無縁の、新しい生活を営むはずだった。
が、Mはやってきた。
そして、あの、古い、忌まわしい、残酷にして的確な、一度聞いたら忘れられないジャストなニックネームの引き継ぎをしていったのだ。
かくして、T少年の高校生活は、引き続き「アタマ」として過ごす日常の中に組み込まれて行ったのであった。
いや、いま思い出してもおかしい。
1.8ミリのピンを履いて、いきなり転倒していたアタマ。
元気だろうか。
元気でいてくれればいいのだが。
できれば、Mの目の届かない場所で。
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コメント
笑えませんよ。
Mって最低ですね。勝谷とダブるのは私だけかな?
投稿: ar | 2005/09/30 20:35
>arさま
ご指摘の通り、Mはちょっとヤなヤツです。
「いたずら坊主がそのまま」という、よくある形容の悪い側の側面、すなわち、「いたずら坊主→いじめっ子→声のデカいオヤジ」を代表するみたいな男です。
私自身、彼には、何度か厭な思いをさせられました。
でもまあ、総体として面白いヤツではあるわけで、子供時代の友だちとしては合格なのですよ。
二十歳を過ぎてから知り合いたいタイプの人間ではありませんが。
かっちゃんは、面白いところもあるけど、総体としてヤなやつですね。
投稿: 小田嶋 | 2005/09/30 20:54
「ヤな奴だが、こういう点で人様の役に立っている」
というエピソードであってほしかった。
投稿: Inoue | 2005/09/30 21:02
うーむ。小田嶋さんのコメントを読んでも笑えない。
幼少から中学生くらいまでの間に「イジメ」に遭った人には、あまりに残酷な、忘れてしまいたいものを思い出させる話です。
この「アタマ」氏も間抜けな人なのかもしれない。
しかし、中学生ぐらいまでは早生まれ遅生まれやその他の条件で、幼少期のレッテルから逃れられない人も多いわけですよ。
そういう人にとっては、進学ってのは自分を進歩させる大きなチャンスなんですよ。
無残に打ち砕かれるリセットされたはずの人生。想像するだに恐ろしい。
いまこんなトンデモ本を読んでいるので、余計に上記の感情が増幅された面はありますけどね。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4872902297/
M氏も、かっちゃんと同じく、20歳過ぎには知り合いたくない人なんですよね。
逆に、10代のうちなら、かっちゃんとでも小田嶋さんが友情を育めたかもしれないわけですね。
投稿: すばるん | 2005/09/30 22:20
本文から2行ほど削除しました。ついでに私のコメントもちょっと改竄しました。
M氏の身元特定につながり得る情報が書かれていましたので、念のため。
いや、某ジャーナリスト氏のblogが炎上(@2ちゃんに喧嘩を売ったようですね)している姿をナマで目撃したりして、ちょっとナーバスになっている次第でして。ええ、われながら小心ですが。
深手負い かわいそうなり 藪の蛇
と(笑)。
投稿: 小田嶋 | 2005/10/01 04:29
歩道を歩いていて、後ろから自転車の
>>チョロチョロしてんじゃねえよ
が聞こえても一切無視していますが、
皆さん私を耳が不自由だと思っていただけるのか、
今のところ一度も鈴を鳴らされる以上の行為を
されたことがありません。
クラクションを鳴らす人=交通強者
クラクションを鳴らされる人=交通弱者という
認識が、固定観念に縛られているのでは?
鳴らされてどかなかったからって、
轢かれたら運転手があっという間に弱い立場に
なりません?
投稿: 歩道強者 | 2005/10/01 07:23
「交通弱者」という言葉が新鮮だったので、インターネットで検索してみませた。その結果、この言葉が出てきたHPは直接警察、とか行政の側のそれではなく、鉄道総研とか交通事故被害者の会であるとか、為政者ではないものばかりでしたから、たしかなことはいえませんですが、道路行政を取り締まる側の用語であることは確かなように思われます。そして、「自家用車を持たない(持てない)交通弱者である老人や子ども、身障者」という使用例にあるように、
「交通弱者」という概念は、道路行政における、道路での自動車の対立概念である歩行者のうちから、交通事故への適応力(?!)において劣るであろう上記のような人たちを指しているようにうかがえました。それが、「そんなこと言われても素直に従えない」という小田嶋さんのコメントのように歩行者一般に拡大解釈しているところに、この文章が持つ“危うさ”が生まれる余地を持たせ、話は少しずれますがこの文章の後半部分へのコメント欄での過剰な反発を誘う一因にもなったんじゃないか、と愚考する次第です。勿論、この写真のケースでは横断歩道を使用して自動車との物理的接触を避けなければならないのは歩行者一般なわけですが、それはこの標識を設置した当局の用語解釈~使用場所の誤り(インターネットでは尼崎の交通協会で今もこの形で使用していた!)にあるわけで、当局のその矛盾を小田嶋氏は的確についたともいえるのですが、誤解を生じ、問題をこじらせる結果になってしまったことを残念に思いました。
なんちゃって、いい子すぎたかな?
投稿: あおきひとし | 2005/10/03 15:44
>あおきひとしさん
そうですね。
1.「交通弱者」という分類について、行政側は、「弱者だから、優先してあげようね」という意味を持たせたつもりでいる。
2.でも、それを受け止める市民の側に「弱いヤツはすっこんでろ」という感情が潜んでいる。
3.さらに「弱者」に分類されている人々の側には、「ばかにするな」ぐらいの反発があったりする。
4.やっかいな言葉だぜ
ぐらいの内容で話がまとまれば成功だったのですが、Mというやっかいな男の話を紹介するついでに、ついつい笑いを取りに行ってしまったのが私の失敗でした。
投稿: 小田嶋 | 2005/10/03 15:58
小田嶋様(敬称がついている、相手の出方次第で態度が変わるおいらってのも、やな奴ですなぁ)、わざわざ小生のコメントごときにマジレスして頂き恐縮です。でも、そのとおりだなぁ、と思いました。
今後とも、本業にさしさわらない限りでのご健筆をお祈りしています。
投稿: あおきひとし | 2005/10/04 13:08