脱記者クラブ
二つ下の項目「表現者の王国」にコメントをくださった、六月五月さんのお言葉への答えです。長くなったので、新項目で書きます。
えーと、記者クラブ制の弊害については、田中康夫の主張にも一理あると思っています。
簡単に言えば
・取材チャンネルの固定化による取材活動の利権化
・既存の商業マスコミによる情報の独占とその恣意的な利用
・取材者と被取材者の間に生じる癒着
ということですよね。
ええ、困ったことです。
でも、対公権力(国や地方公共団体、各省庁、政治家)に話を限れば、記者クラブが睨みをきかせているという面もないわけではない。
実際問題、不祥事があった際など、行政側も、記者クラブの取材要請をそうそう無視することはできないわけですから。
このほか、定例的な取材活動の省力化と、パパラッチの排除といった、実務的な御利益もあります。
で、それらの御利益の副作用として、ぶら下がり記者の廊下トンビ化。番記者の自己肥大。政治記者のナベツネ化が……と、色々と論点はありますが……まあ、一長一短、と。
さて、田中県政における、脱記者クラブは、一見、全面的な門戸開放であるように見えますが、実際には、そんな単純な話ではありませぬ。
というのも、すべての取材要請に対して平等かつ包括的な取材許可証を発行するなんてことは、事実上、不可能だし、無意味ですから。
となると、取材を受けるか否か、会見要求に応じるか否かは、県側の(つまり田中康夫氏の)恣意ということになる。
とすると、これは、取材チャンネルの許認可業者化ないしは、茶坊主化ですから、取材チャンネルの機械的制限である記者クラブ制よりさらにタチの悪いことになる。
無制限の取材が不可能である以上、どこかで制限を設けなければならない。
現状の記者クラブは、それに対する(はなはだ不完全かつ問題の多い)答えのひとつだと思います。
田中康夫の脱記者クラブは、答えにさえなっていません。
記者クラブを廃止するなら、それに代わる有効な代案を出さないとダメです。
「表現者」などという曖昧な述語に逃げ込むのではなく、もっと形として明確なシステムを提示すべきでしょう……と、ちょっとえらそうでしたね。ええ。ということで、お待たせしている方の原稿に戻ります。
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コメント
なるほど、そうかもしれません。包括的な取材許可を全てのメディアに与える代わりに、取材許可そのものに権力者の趣味が出るようになる、ということになると思います。それで結局誰も異なる視点を求めず、例えば大マスコミ一社にしか話さない権力者を許すのであれば、記者クラブの方がましだったということになるでしょう(おっしゃる通り政治に関する言論空間は死に絶えることになります)。ただし、政治が利益配分ではなく言論になっていくことを期待するのであれば、田中康夫の取材チャンネルの取捨選択は、それ自体彼の政治姿勢を示すものであり、より一般的には権力を見る視点の多様性に門戸を開いたと言えるのではないでしょうか。
記者クラブなるものが存在せず、日本よりもジャーナリズムがオープンに確立しているといわれている諸国で、いったいどのように取材が行われいてるのか、調べてみる必要があると思いました。いずれにせよ、さっそくに丁寧なご回答をいただきありがとうございました。いつも楽しみにご著作・ブログ、読ませていただいています。
投稿: 六月五月 | 2005/09/02 01:03
記事を拝読致しました。その点については私も考えたことがあるのですが、もし取材要請をして却下・拒否・無視されたとしても、その黙殺されたという事実を報道すればそれなりの効果は得られるのではないでしょうか。
投稿: マツモト | 2005/09/02 09:50
>マツモトさん
なるほど。そういうテもありますね。
とすると、記者クラブを廃止したことに、一定の意味はあった、ということになります。
いずれにしても、実際の運用をきちんと調べてみてからでないとうかつなことは言えませんね。
ご指摘ありがとうございました。
投稿: 小田嶋 | 2005/09/02 10:48