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2005/09/30

微苦笑道

 直前のエントリー(「弱者」)について、いくつかコメントをいただいたのですが、答えが長くなりそうなので、新しい項目を立てます。
 友人Mのエピソードは、たしかに、シャレになりにくい話――というよりも、アタマ少年の立場からすれば、いじめそのものです。
 結局、ティーンエイジャーの笑いは、「いじめ」と未分化だ、と。
 しかも、笑いを取ってスターになるのは(紳助やさんまを見れば明らかな通り)いじめっ子の側です。ネタにされた側の人間は、それこそゴミと一緒。
 とすれば、笑いを取るということが、絶対善になっている昨今の風潮は、間違っています。
 1990年代以前の、「お笑い」が一段低い肉体芸として見下されたいた時代ぐらいの感覚がちょうど良い塩梅なのでしょう。
 笑い――特に集団でのアクションをともなう笑い――は、一種の暴力です。
 暴力が絶対にいけないとは申しませんが、その発動に際しては、常に最大限の注意が払われていなければならない、と、自戒をこめてそう思った次第です。
 私のような、中年を過ぎた人間が笑いを取りに行く場合は、極力上品に、間違っても放送禁止用語なんぞは使わぬように気を配ってかからねばなりません。
 で、さんざんもったいぶって、最後の最後に、ジプシーがテントを畳むタイミングで、小声のジョークを置き残して行く。客席の片隅でほんの小さな含み笑いぐらいが起これば大成功、と。まあそういうことですね。
 爆笑は下品。
 餓鬼微苦笑道。
 あ、わかってます。仕事に戻ります(笑)。

 なるほど。
 (笑) と、一人笑いを提示する手法は、人を笑わせるより簡単かつ有効ですね。上品であるかどうかは別として。(微苦笑問題)。

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弱者

※交通弱者

 自転車で川口方面に遠征。
 懐かしい言葉を発見。思わず撮影。

0930
※交通弱者用押しボタン。素直に押せねーぞ。

 交通弱者。すごい言葉だ。
 実際に使われているのを見たのは、はじめてかもしれない。
 最初にこの言葉を知ったのは、いまから30年ほど前のことだ。まだ免許を取ったばかりの頃、友人のMが使っていた。
「オラオラ、交通弱者が国道に出て来んじゃねえよ」
 と言いながら、Mは、クラクションで自転車や歩行者を蹴散らしていた。
「なんだそれ?」
「交通弱者のことか?」
「ああ」
「ほら、自転車とか年寄りとか×××とかみたいな遅くて弱い連中のことを警察ではそう言うんだよ」
 ……なるほど。「弱者」という言い方は、Mのサディズムを刺激するみたいだった。彼は、道路の左側をフラフラ走っている自転車を見かける度に、
「オラオラオラオラ。チョロチョロしてんじゃねえよ、交通弱者が」
 と、クラクションを鳴らしていた。
「弱者はいたわらないといけないんじゃないのか?」
「ははは。甘いなオダジマ君。弱いヤツやノロマな×××は道路から締め出さないと快適な交通環境は構築できないのだよ」
 ……交通弱者という言い方は、失敗かもしれない。
 警察の交通課が、この言葉で呼ばれている人々を「厄介者」と考えているかどうかはわからないが、ドライバーは、そう思っている。
「弱者だからいたわらなければ」
 と考えるドライバーは、日本の殺伐とした交通環境の中では、おそらく少数派に過ぎない。多くの運転者は、弱者を排除しにかかる。
「てめえ、交通弱者の分際で、道の真ん中歩いてんじゃねえよ」
 と。
 (2行削除 2005/10/01)
と、ここで終わると、なんだかMがひどいヤツみたいになってしまうので(いや、実際、ちょっとひどいヤツなんだけど)、彼の名誉のために、もうひとつエピソードを紹介しておく。
 Mは、たしかに、なんというのか、一面、残酷なヤツではあった。が、それはそれとして、なかなか面白い男でもあったわけで、私らはいつも笑わされていたものなのだよ。うん。

※アタマの思い出

 高校一年の時のことだ。
 私とMは陸上部に所属しており、その日は、入学以来はじめての大会のために、どこかの競技場に出かけていた。文京区民大会だったか、都大会の予選だったか、細かいことは忘れたが、とにかく、高校一年生の部員が初出場する、小さめの競技会だった。

「おお、アタマだ」
 と、横にいたMが、突然、笑い転げている。
「なんだ?」
「ほら、あそこで、100メートルのスタートを待ってるヤツがいるだろ? あいつは、オレの中学の時のダチで、アタマって言うんだよ。アタマでけえからアタマ」
「おお、確かにデカい」
「な、デカいだろ? バランス最悪だろ? ……でさ。あいつがスタートしたら、イチニノサンで、『アタマー』って声かけるから、お前らも一緒に言ってくれよな」
「いいのか?」
「大丈夫。アタマはアタマ。怒んねえよ。……いくぞ、いちにーの、さん。『ア タ マ ァアアアア!』」
「ア タ マ ァアアアアア!!!」
 ……と、アタマは、われわれが声をかけた瞬間、スタートから5歩ほど進んだ地点で、いきなり転倒した。
「おい、コケたぞ。アタマが転んだぞ」
「ははは、アタマが重すぎたのか?」
「ははははっはは。面白すぎる。腹いてぇ。はははは」
「おい、見ろ。あいつのスパイクの針は、ありゃツチ用だぞ」
 たしかに、よく見ると、転んでいるアタマの足には、土のグラウンドで走る時に使うえらく長い針(たぶん18ミリ)が装着されている。それでタータントラックを走ったのだから、転ぶに決まっている。
「はははははは。なあM。あのアタマには何が入ってるんだ?」
「はははははは。芯まで骨。完全に骨百パー。はははははは」
「骨百。助けてくれ。ははははは。骨百のアタマかよ。おかし過ぎる。ははははは。腹いてえ」
 われわれは、その場で、5分ほど笑い転げた。
「おい、アタマのところに行くぞ」
 Mが言い出した。
 そして、Mは、アタマが所属しているK園高校の陸上部にあいさつに行った。
 見事な口上だった。
 こういう時のMは、まるで何かが乗り移ったみたいに弁が立つ。
「K園高校の陸上部のみなさん。はじめまして。ボクは、K石川高校陸上部一年生のMと申します。そこにいるT君とは、中学時代一緒に勉強した仲間です。ところで、みなさんにお知らせがあります。さきほどの百メートル走で即転倒したT君の正式名称は『アタマ』です。みなさんも、これから『アタマ』と呼んでやってください。ありがとうございます。アタマです。アタマ。ちなみに、芯まで骨です」
 K園高校陸上部のテントが爆笑に包まれたことは申すまでもない。
 気の毒なのはアタマだ。
 中学時代、アタマ少年は、おそらく、底意地の悪いMにつきまとわれて、「アタマ、アタマ」と、なにかにつけてはやし立てられていたに違いない。
 つらい3年間だったと思う。
 K園高校の陸上部は、そんなアタマが、ようやくMの魔手から逃れて、新たに船出するはずだった新生活の舞台だ。T少年は、新しい友だちにかこまれて、あの昔なじみのいまいましいあだ名とは無縁の、新しい生活を営むはずだった。
 が、Mはやってきた。
 そして、あの、古い、忌まわしい、残酷にして的確な、一度聞いたら忘れられないジャストなニックネームの引き継ぎをしていったのだ。
 かくして、T少年の高校生活は、引き続き「アタマ」として過ごす日常の中に組み込まれて行ったのであった。
 いや、いま思い出してもおかしい。
 1.8ミリのピンを履いて、いきなり転倒していたアタマ。
 元気だろうか。
 元気でいてくれればいいのだが。
 できれば、Mの目の届かない場所で。

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2005/09/28

お知らせ

 10月4日発売の「週刊朝日」著者インタビューのコーナー(「習慣週刊図書館」の「ひと」欄)にて、拙著「イン・ヒズ・オウン・サイト」が、紹介されます。著者(←オレ)の写真つきです。インタビュー&撮影は、9月16日に既に収録済み。たぶん、絵柄は「民家の庭の草むらに立つオダジマ」です。お楽しみに。
 興味のある方は、立ち読みしてみてください。購入してみてもバチは当たりませんよ。
 なお、「読売Weekly」の10月2日発売号でも、読書欄の小さいコーナーで取り上げてくれるそうです。読売新聞社の度量に乾杯。ついでにワタナベツネオ主筆にも乾杯。ビバナベツネ。フォルツァ築地。

※おまけ。9/27に北区自然観察公園で撮影したトンボ(種とかはわかりません)です。tombo

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2005/09/25

ありがとう出来レース

※ありがとう競艇
 自転車で住宅街を走っていると、けっこうな頻度で日本財団提供の福祉車両に遭遇する。
 で、その福祉車両には、日本財団のロゴマークとともに、「ありがとう競艇」のステッカーが貼られている。
 なるほど。でも、アレだよな、モーターボート競争(←競走)の収益金は、もともとは競艇で負けたおっさんたちの財布から出てきたものなんだから、ありがとうを言うべきは、彼らに対してなんじゃないのかなあ。
「ありがとう負け組」
「ありがとうインケツ」
「ありがとうスッテンテン」
「ありがとうケツの毛」
「ありがとうホームレス」
 とか。

※ふれあい
 それはそれとして、その福祉車両の名前は、例によって「ふれあい号」だったりする。
 なんだかイヤだな。恩着せがましくて。オレが年寄りだったら、「ほっといてくれ」と言うかもしれない。
 「訪問入浴車」とか「介護支援車」は、正義の味方なのだから、「流星号」とか、「紫電」とか、そういう凛々しくて強そうな名前を使ってほしい。そうすれば、少なくとも福祉関連アイテムに特有なベタベタ感が、ずいぶん軽減される。
 子供っぽいのがイヤなら、「欣求浄土」みたいな仏教用語でも良いし、いっそ素敵な横文字でもいい。「ボイジャー」とか。
 いずれにしても、ひらがなはダメ。
 ひらがなのネーミングには、「小腰をかがめて話しかけているような感じ」がある。
 のど自慢のアナウンサーが出演者のご老人に話しかける時の口調。
「はーい。おばあちゃーん。どーですかあ? おわかりになりますかぁ?」
 みたいな感じ。
 あるいは、アイドルさんとかがロケを見に来ている幼稚園児に話しかける時の態度。白々しくしゃがみこんで
「はーい、あややでちゅよー。きょうはごきげんでちゅねー」
 とか言っている空気ですね。
 NHKやお役所みたいな組織が、ひらがなを使いたがるのは
「われわれは官僚的な組織ではありません」
 ということをアピールしたいからなのだと思う。
 「NHK番組視聴者公聴会」とするよりは、「ふれあいミーティング」と名乗っておいた方が、より視聴者の立場に寄り添った感じがする、と、そういうふうに判断したわけだ。
 でも違うんだな。
 この種のひらがなの背後からは、
「お前ら教養のない庶民は、公聴会だとかヒヤリングだとか言ってもイミわかんねーだろ? だから、ふれあいって、ひらがなで言ってやってるわけ。わかる?」
 という声が聞こえてくるわけです。ええ。ひがみっぽい庶民の耳には。
 さらに言うなら、たとえば、「ふれあい」には
「本来、オレらはあんたたちと接触するべき立場の人間じゃないんだけど、特別に交流の機会を設けてやるから、ありがたく思ってくれよな」
 みたいなニュアンスさえ感じられるわけですよ。

※世襲
 ところで、日本財団のホームページを見に行ってみたら、あれ? いつの間にやら会長が笹川陽平になってる。
 うっそでー。
 世襲だよね、これ。ワンクッション置いたってだけで。
 してみると、曾野綾子先生は場つなぎだったのか? データ転送用のサーバか?
 いや、むしろ目くらましの迷子札だよな。メディア対策の。
 まあ、いずれにしても、利権継承用の暫定アイテムではあったわけで、実態としては座席確保のためにパチンコ台の玉受けに置かれるタバコみたいなものだったわけだ。
 ふむ。
 ありがとう曾野綾子。
 ありがとう護送船団競艇
 ありがとう鉄板レース、と。

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2005/09/24

浦和VS横浜

浦和VS横浜@さいたまスタジアム

reds0924
※アッパー席41列。高い。高所恐怖症のヒトにはキツいかも。

 埼玉スタジアムにて生観戦。
座席は、メイン側アッパー席の一番上のあたり。遠い。
 結果はスコアレスのドロー。凡戦でした。最近のマリノス戦はいつもこんな感じ。互いにゴール前を固めて、ロングボールの蹴り合いに終始という退屈な展開。レッズのシュートは、ほとんどがミドル。しかも枠に飛ばない。ペナルティーエリアまでボールを運ばせてもらえなかったということですね。
 決定機は圧倒的にマリノスの側に多かったが、最終ラインの粘りと都築の頑張りでなんとかしのぐ。硫黄島ライクな不毛な消耗戦。坪井が負傷退場したのが心配。何事もなければ良いのだが。

 帰途、赤羽で残念会。帰宅は9時過ぎ。

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モリゾー

 愛知万博がようやく閉幕する。
 開幕当初は不調だった観客動員も、最終的には、つくば万博の入場者を上回って、2000万人の大台を超えることになるのだそうだ。
 集客成功の要因について、昨日放映された民放のイブニングニュース番組は、万博協会の対応の機敏さ(弁当持ち込み禁止の撤回。人気館への集中を緩和する各種の措置などなど)を第一に挙げていたが、本当だろうか。っていうか、本気か?
 単に、全マスコミ相乗りの洗脳報道の成果じゃないのか?
 だって、電通をはじめ、朝日、読売およびNHKが軒並み協賛企業に名を連ねているんだぜ。

 下のurlは、電通による愛知万博報告。全メディア相乗りの大本営体制がシレっと描写されている。
http://www.dentsu.co.jp/books/dhou/2005/h4469-050101/index2.html

 てなわけで、批判的な報道は、雑誌(文春とか)の誌面にいくつか散見していたのみで、残りはすべて、広告まがいのパブリシティー(←参照:「王様のブランチ」のディズニー情報コーナー)情報の提供に終始していた。
 私自身は、ふたつの新聞系の雑誌で、万博関連の原稿を書いた。いずれの場合も、担当編集者に要らぬ緊張を強いる結果になった。気の毒なことをした。でも、やっぱり個人名のコラムで、万博を後押しすることは不可能です。だって、ショボいものはショボいんだから。
 実際、愛知万博に足を運んだ知り合いで「最悪最低」という評価をしなかった人間を、私は一人も知らない。
 行列。不手際。営利第一主義。役人根性。民芸品売り場……
 にもかかわらず、テレビ新聞の報道は、集客を煽る方向で一貫していた。特にNHKのマンセーぶりは突出していた。
 国策ということになると、ここまで露骨なヨイショ報道がまかり通ってしまうわけだ。
 偏向報道は、第一義的には、国家権力側の圧力によって引き起こされるものではなくて、むしろメディア自身の欲心が、偏向をドライブするのだと思う。

 モリゾーよ。
 地球を守るためには、まず人類を駆除すべきだというキミの直感は、おそらく正しい。
 うんこは、便所を浄化できない。
 同様にして、人類は地球を救えない。
 キミの言う通りだ。

 モリゾーよ。キミは目つきが悪い。
 オレは心がけがなっていない。
 オレたちは友だちじゃない。
 キミとオレは共倒れだ。
 自然と人間が友だちになるためには、その前にまず、共倒れを経験せねばならない。
 険しい目つきで、森に入る人間を監視しているキミは、いつか山火事で灰になるだろう。
 
 モリゾーよ。キミも知っている通り、与作は木を切る。
 女房はハタを織っている。
 そして、与作は反省をせず、女房もまたそれをたしなめない。
 オレたちは、救われない。 
 愛・地球・吐く、とキミは言った。
 愛とは地面に向けて吐き出されるもの、すなわちゲロだ、と、そういうことだね?
 とてもキミらしい見解だ。
 ゲロだけが人間と地球の間に有機物の連鎖を作る、と。
 オレの見方はちょっと違う。
 本命は死体だ。
 地球は、オレらの死体を食って生きている。
 というよりも、地球は、死そのものなのだ。
 食物連鎖だなどと、おためごかしを言うのはよしてくれ。大地は、太古からの死体で覆われていると、はっきりそう言おうじゃないか。
 キッコロ?
 キッコロ=キック+殺す=キッ殺す=蹴り殺す、ということか?
 モリゾーよ。オレの返事を言おう。
 ヌッコロ。

 そう。決裂だ。もう話し合いの余地はない。
 お前の正体が森喜朗であることにオレが気づいていないとでも思っているのか?
 

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2005/09/23

嫌犬権

 自転車で散歩。
 河川敷をちょっと走って、岩淵水門→鹿浜橋→足立区新田→新田橋→北区豊島8丁目→北区神谷町→赤羽というコース。ダラダラ走って約1時間。

dog0923

※豊島馬場遺跡公園という小さな公園にあった嫌犬看板。
北区建設部河川公園課にとって、犬は「糞便製造源」ないしは「移動脱糞装置」ぐらいの位置づけ。

chapel0923

※母校、聖母の騎士幼稚園のチャペル。このアングルから撮るとなかなか立派ですね。

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2005/09/21

ダブルオッケー

 火曜日(9月20日)。所用で新宿。出来心でデジカメを購入。
 背景を説明します。

  • 7月末、シンガポールへの旅行に伴って、ビデオカメラを新調。
  • 手荷物の重複を避ける意味もこめて、写真DV(←「ダブルオッケー」というアレ)タイプのムービーカムを選択。
  • これまで愛用していた単焦点のカード型デジカメは、子供に与えることに。
  • 帰朝後、散歩時のスナップ用に何回か「ダブルオッケー」を持ち歩いたのだが、とても撮影する気持ちになれない。
  • だって、町中で昼間っからビデオカメラを構えてる姿は、ちょっとナニですから。
  • 中年男の場合、昼間歩いているだけでもあやしいのに、ましてビデオカメラなんか持ち歩いていたら、一発で「盗撮男」認定だぞ。って、考え過ぎだろうか?
  • とにかく、ポケットにはいるサイズの簡単なカメラがほしいという思いこみが発生。要不要とは別。ヒキーコの欲望には羽が生えている。
  • で、ここ数日2チャンのデジカメ板を徘徊したりしつつ購入意欲の沈静化を期待しておりました。「まだ時期ではない」とか。
  • 昨日、野暮用のついでに新宿のビックカメラに出動。あくまでも下見のつもり。
  • 実物を見たら物欲爆発。辛抱できなくなってあっさり購入。

 と、まあ、そういうわけです。
 機種は、カシオのExilim Zoom EX-Z750。700万画素光学三倍ズームのコンパクト機。値段は、42200円×ポイント15パーセント。ついでに、ソフトケースとSDカードも購入。しめて5万円弱。働かねば。
 下は、撮影サンプル。ウェブ用にリサイズ済みなので、写りをどうこう言うべきものではありませんが。

suimon
荒川水門。曇天。寂寞……

※NHK

 午前中、「NHKは変わります」(←NHKの受信料取り立てプラン解説番組)をちょっとだけ見た。

  • つまり、アレだ。この「受信料不払い者に対する恫喝放送」にも受信料は乗っかっている、と、そういうわけだな? 
  • なんだか、「苦情電話で儲けている」NTTの商売みたいだぞ。
  • 本当かどうかわからないが、NTTが出している雑誌広告は、問い合わせ電話番号にかかってくる電話料金収入だけで制作費ぐらいはまかなえるものらしい。
  • 「それで、NTTの広告は、ほんのちょっとわかりにくくできてるわけです。問い合わせ電話の本数を稼ぐために」とは、あるカメラマンから聞いた話だが、うーん。マジだろうか。
  • それはともかく、「NHKふれあいミーティング」(←NHKへのご意見ご希望に広く耳を傾けるための集会だそうです)って、ネーミングからしてダメな感じがいたします。
  • ガス抜きにもなりゃしないぞ。
  • っていうか、NHKにあまたいるはずの話し言葉のエキスパートたちは、「ふれあい」がイケてる言葉だと本気で考えているんだろうか?
  • ふれあいに代表されるひらがな四文字言葉(「ぬくもり」とか「のびのび」とか「いきがい」とか)には、老人福祉臭ないしは偽善臭が横溢していると思う。

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2005/09/17

サイン本

 Asahiパソコン誌からの依頼で、著書にサイン。
 気は心 ということで、座右の銘を付記。
 魚心あれば水心。絵も付加。
 乗りかかった船で色もつける。

signature

 犬馬の労。

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2005/09/16

またインターネットかっ

Ftachi

 古舘伊知郎キャスターです。
 ここ数週間、芝居がかりが深刻化しています。
 新劇キャスター。
 怒れる滝野川の向上心。
 イッセー尾形あたりが演じる「怒りっぽいバーのマスター」とかのほうがまだナチュラルな気がしますね。

 以下は、昨日(9月15日)の「報道ステーション」でのひとコマ。

  1. 「女性消防士がインターネットネット経由で殺人依頼をした事件」を報道
  2. 明けに「インターネット規制も仕方がない側面が」……みたいなコメント
  3. 続いて「遠赤外線でガンを治す――マッサージ師を詐欺で逮捕」のニュース
  4. 「だまされた人はインターネットでこの治療院の存在を知りました」というセリフのあと
  5. 「また、インターネットか!」(←吐き捨てるように)と、慨嘆
  6.  絵は、この時の顔です(ネットで拾った動画から描き起こしました)。

 なんというのか、「赤城の山も今宵限り……」じみた大見得でしたね。

 気持ちはわからないでもありません。
 というのも、古舘伊知郎のような立場の人間(←巨大な知名度と責任を背負わされている一種の架空キャラ)は、インターネットでは、悪口しか言われないことになっていますから。特に2ちゃんねるあたりでは、キャスター諸氏は、誰であれ、あれやこれやと、およそ不当な罵詈雑言の標的になっています。
 で、本人がそういう掲示板を見たら……まあ、生身の人間ならどうしたって傷つくでしょう。
 というわけで、多少とも知名度のあるもっともらしい立場の人間は、ほぼ例外なくネット忌避の感情を抱くに至るわけです。
 でも、無責任な2ちゃんねる雀(←こんな言葉はないけど)のアオリを真に受けるのは大人げない。っていうか、立場を考えれば、あまりにも子供っぽい反応です。
 百歩譲って、ネットに悪感情を抱くのは仕方がない(←バカな反応ではあるけど)としても、だからといってテレビを通じてインターネット攻撃を展開したりする態度は、ばかげています。
 おそらく、テレビの現場にいる人間の多くは、インターネットを嫌っているのだと思います。
 実況掲示板は不埒な感想ばっかりだし、番組ホームページ宛に届くメールも、どうせ品の無い罵倒がほとんどなのでしょうから。
「なんだこいつら」
 と、普段、パンピーのあこがれの視線の中で暮らしている彼らは、やっぱりネットに反発を抱く、と、そんなわけで、テレビ発のインターネット情報には、常に底意地の悪いバイアスがかかることになっています。
おそらく、このあたりに、ホリエモンの不可思議な人気の秘密があるのですね。
実際にはただの調子に乗ったデブなのだとしても、インターネットアノミーの中にいる無名の有象無象からしてみれば、ホリエモンはテレビによる陰湿なネット差別報道に一矢報いるべきヒーローの役割を担っている、と。

 古舘伊知郎は、仕事さえ選べば非常に優秀なアナウンサーだと思います。
 滑舌の見事さと啖呵の威勢の良さは当代随一だし、台本を練り上げる力もあります。
 言葉選びのセンスも一流なら、客の顔色を見て咄嗟に繰り出すアドリブも一級品です。
 なのに、奇妙な上昇志向のゆえなのか、あるいはスタッフをかかえている人間の弱みなのか、報道なんかに足をとられてつまらない遠回りをしています。
 惜しい才能です。
 私見を述べるなら、彼のやるべき仕事は、ただひとつ、落語でしょう。

 報道番組のキャスターなんてものは、そこいらへんの局アナにやらせておけばよろしい。
 キミが、思い入れを演出したり、用意したキャッチフレーズを披露する度に、ニュースは確実にうさんくさくなっている。ぜひそのことに早めに気づいて、談志師匠が亡くなる前に、弟子入りしてくれ。
 たのむ。
 ↑   ↑   ↑
(文体があんまり生意気だったので多少手をいれました。文筆家の良心。9月17日。オダジマ)

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2005/09/15

発売

 おかげさまを持ちまして、拙著「イン・ヒズ・オウン・ライトサイト」が本日発売の運びになりました。
 左サイドバー、書籍カバー写真の上にアマゾンのリンクを張ってあります。クリックで救える貧困があります。よろしくよろしく。
 さきほど、赤羽の書店を視察にいったところ、置いてありません。
 売り切れたのか、仕入れていないのか……あるいは……
( ゚д゚)ハッ
 もしかしてこれは……検閲? 言論弾圧? 権力の陰謀? CIAの圧力? コイズミの独裁?

小泉に 楯突くダニは 削除ニダ

((;゚Д゚)ガクガクブルブル ……

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2005/09/14

小泉劇場

 選挙の結果が出て以来、「小泉劇場」という言葉の使用頻度が飛躍的に高まっている感じがする。
 まあ、そんなに出来の悪い造語だとは思わない。
 小泉首相の政治手法を一言で評するフレーズとして、一定の妥当性を持っているとも思う。
 実際に小泉さんが繰り出してくる施策は、単純かつ断片的であり、その施策を説明する手法も、理論よりもキャッチフレーズに終始するテの、大道芸人ライクな手口だからだ。
 しかし、「小泉劇場」という、この五文字4文字(9/14訂正)を連呼する芸風は、ちょっとやっかいな副作用を含んでいる。

 現在、ワイドショーに出てくるコメンテーター諸氏の間では、このたびの自民圧勝の勝因を小泉劇場(つまり、小泉による劇場型の選挙戦術)の手柄に帰する一方で、政策論議の貧困を嘆く手順が流行しているわけなのだが、どっこいこの流れは、語り手が小泉批判を展開しているつもりでも、最終的には有権者攻撃に着地してしまう。
 つまり、「小泉劇場」というこの言葉を使っている論者の矛先は
「見え見えの田舎芝居にひっかかったバカな観客たち」
 に向かわざるを得ないわけだ。
 ……で、行間に愚民愚民の大合唱が響き渡っていることに気づいたキャスター氏があわてて話をまとめにかかる。
「とにかく、先行きを注目しないといけませんね」

 ん? 説教か?
 ニートはすかさずムカつく。どうしておまえらみたいなテレビ屋にオレが説教をされるんだ? と。

 なぜ小泉が勝ったのか。
 ジュンイチローは説教をしないからだよ。
 郵政民営化のワンフレーズが小泉を勝たせた、と先生方は言っている。
 違うね。
 ワンフレーズはワンフレーズでも、小泉のお手柄は
「ぶっ壊す」
 だよ。
「自民党をぶっ壊してでも……」
 素晴らしい。
 ……の先は聞いてません。ぶっ壊すだなんて、ああ、首相の口からこんな素敵なフレーズが聞こえてくるなんて。

 ところで言っとくけど、私は小泉劇場のファンではないよ。
 ジュンイチローパンクオペラはちょっと好きだけど(笑)

 ジュンイチローが政界を引退したら、フィリップ・トルシエと組ませて何か文化的な仕事をさせたいな。
 来年の9月になって、職が解けたら、とにかくオレに電話してくれ。
 悪いようにはしないから。
 な。

 

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2005/09/13

悪態

 悪態を つくダニあわれ 釜あぶり

 ははは。
 あ、意味が分からないようでしたら、スルーしてください。たいしたネタではないです。「釜あぶり」という刑罰は、実在しません。ですので、私が発明いたしました(笑)
 口は災いのもと。いましめねばなりません。

 ところで、オダジマが小泉支持者だと勘違いなさっている方がけっこうおられるようなので、首相についてざっと思うところを述べておきます。
 うまくまとまるかどうかわからないので、箇条書きで思いつきを並べることにします。

  • 選挙には行かなかった。面倒くさいので。
  • このたびの自民党圧勝は、かなりの部分、小泉首相の個人的な人気に負うものであったと思う。
  • 小泉さんについて「好きか」と問われれば、たぶん好きな部類だ、と答えねばならないですね。遺憾ながら。
  • しかし、では「小泉を支持するか」と問われたら、答えは「否」。
  • 好きなタイプの人間には、政治家なんかやってほしくないな(笑)。
  • 小泉さんには、政治家らしからぬ純真さが感じられる。そことのころが、選挙民にアピールしたのではないか。
  • なんというのか、このヒトには「ウソをつかない感じ」がある。
  • 私自身、小泉さんの竹を割ったような(というよりも、竹槍じみた)人柄に好感を抱いている一人ではある。
  • さてしかし、「政治家が正直者で良いのか」というのは、別の問題。
  • 政治家には、計算高さやずるさが必要なはず。というのも、政治というのは、権力と利害のゲームであり、「良心ある悪党」が担当すべき仕事であるはずだから。
  • 逆に言えば、利に走る人間は利が去れば離れるわけだし、ウソをつく政治家は所詮功利主義者なのだからして、たいしたことは為さない。悪い方向に動いたとしても、国にとって大患にはならない。
  • その点、純真な人間はこわい。
  • なんとなれば、純一な政治家は、思いこんだら周囲の声に耳を傾けないから。
  • 純一郎は理や情に動かされることもないし、カネに転ぶこともない。
  • とすると、おい、これは「狂信者」だぞ。
  • 狂信者が権力を持つと、なんと、独裁者ではありませんか。
  • 「『「きけわだつみのこえ』特攻隊の遺書(←9/14訂正)を読んで涙を流したことが政治家を志した原点」だとかいうエピソードを聞くと、ちょっとヤバい感じもするな。

 つまり、あれですね。政治家にとって、「信念」が必要であることはその通りだとしてでも、そればっかりじゃ困る、と。
 むしろバランスとしては、「計算」や「調整」が8割で、「信念」みたいなやっかいなものは、残りの二割でやってくれ、ということです。
 小泉さんみたいなヒトは、弱小派閥の武闘派若頭として活躍するのが一番良いわけで、過半数を占める政党の一本かぶりの総裁としてウデをふるう、というのは、状況としてちょっとヤバい。
 早めの失脚、ないしは引退(そして歌手デビューとか)を望みます。

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2005/09/12

自民圧勝

 単独過半数ですか。いや、びっくり。
 自民党が勝つだろうとは思っていたが、正直、ここまでの結果は予想していなかった。
 テレビに出てくる先生方も同じみたいだ。やはり専門家にとっても想定外の大勝利だった、と。

 民放の選挙特集には、なかなか面白い共通項がある。
 選挙結果の分析が、いつしか視聴者に対する説教の色彩を帯び始めるのだ。
「有権者も成熟しなければ」
「冷静な判断というより、あれかこれかという決断に追い込まれて……」
「簡単なスローガンが奏功し」
「テレビ選挙のこわさが……」
「シンプルに徹した選挙手法が」
 といったご発言が、昨夜来何百回繰り返されたことだろう。
 アレか?
 要するに「愚民選挙」と、それが言いたいのかな?
 言えばいいのに。
 どうせ、誰も
「オレのことを言ってる」
 とは思わないんだから。

教訓:愚民は、愚民批判が大好き

 負け惜しみなんだろうか?
 どうして、民放は民主党寄りなのだろう。あるいは、彼らのうちに、野党寄りのポーズを取っておく方が報道マンっぽくてかっこいいぞ、みたいな、子供っぽいヒロイズム(子供っぽくないヒロイズムは存在しないが)があるってことか?
 不思議だ。
 いま見ているTBSの夕方のニュースも
「女性票が結果を分けた」
 ということをしきりと強調している。
 その根拠として、JNNの出口調査を引用。
 女性の自民党支持率の上昇をパネルにして見せているわけなのだが、男性票との比較は省いている。っていうか、男性票についてはデータを開示していない。なんだこりゃ。
 これじゃ、何の証明にもならないと思うんだが。
「女性が勝たせた」
 と、どうしても、そういう結論に持って行きたいんだろうか?
 でもって、
「そこには、セールなど、女性の好きなキーワードが」
 とかなんとかナレーションをカブせながら、ある商店街が展開した「投票済み証明書の提示で割引をするセール」の取り組みを紹介したりしている。
 そして街録。
「っていうか、あのヒトが好きだからぁー」
「なんていうのかぁー、郵政に反対する理由がわからないっていうのかー」
 という感じの、いかにも「情緒に流されやすいバカな女」に見える女性たちのインタビュー映像。

 TBSってマジに街録が好きだな。
 愚民を教導してるつもりなんだろうか。

 でも、どっこい、その街録を見て愚民は笑っているわけだ。
「おい、いくらなんでも狙いが見え過ぎだぜ」
 とか。

 かわいそうな豚六。

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2005/09/11

浦和VS大分

浦和レッズVS大分トリニータ

 NHK総合にてTV観戦。

 1-2で敗戦。
 優勝はきわめて難しくなった。

 大分戦はいつもこんな感じ。消化不良。押しこみながら勝てない。
 優勝するにはベタ引きカウンター対策をなんとかせねば。
 闘莉王と堀之内の欠場が痛い。坪井が万全じゃない(っていうか出場する状態じゃないのかも)だけに。
 何年か前に詠んだお気に入りの俳句を再録します。

 ディフェンスの 裏はがらあき 風ぞ吹く

 おやすみなさい。……いや、仕事仕事(笑)

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茂原

9月9日 金曜日。
 千葉県茂原市に出動。
 F井@わねっとに会う
 5年ぶりぐらいだろうか。
 新刊本のあとがきで、「おだじまん」への無償のサーバ提供について謝辞を述べておくべきだった、と、顔を見て思い出したが既に遅い。
「別にかまわないよ」
 と、F井はあっさりしている。
 まあ、いいか。見本本を一冊進呈。
 書店業界、出版業界の不況などについて語る。

 茂原はなんだかさびれている。十数年前に来た時に建っていたビルがそのまんま古びている感じ。人々も同じ。十数年分、確実に高齢化している。平日昼間ということもあったのだろうが、年寄りの姿ばかりが目についた。茂原クラスの中小規模の地方都市は、いま、日本中で老衰死しつつあるのかもしれない。
 駅前で5分ほど待つ間、異様に威圧的なニッカーボッカーズの集団(足首で絞るタイプの非常に太いズボン。アタマにはタオルの鉢巻き。噂の寅壱ブランドだろうか)の集団を見かけたが、あれは普通の労務者なんだろうか。それとも、房総のヤー公はそろいの鳶服で武装してるとか? 
 F井の話では、駅の近辺は、夜になるとえらく物騒な場所になるらしく、近辺の通勤者の中には、カツアゲ用の財布(「これしかありまんkら」と言って差し出す用途)を別途用意している人々もあるという。
 うーむ。
 そういえば、有楽町線の沿線(練馬区)に住む友人が、「深夜の駅前にはオヤジ狩りが出るから、夜が遅くなった時は池袋からタクシーで帰る」と言っていた。
 未明まで人通りが絶えない赤羽は、もしかして、安全な町なのかも。

 

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2005/09/09

完成

 朝日新聞社より、新著(イン・ヒズ・オウン・サイト)の見本本が届く。
 おお。
 にまにまと喜ぶ。
 新しい本と対面する瞬間は、いくつになってもうれしい。
 早速、熟読。
 おい。イケてるじゃないか。
 Web発のテキストならではの奔放さが良い方向に出ている。
 つまり、得意先や発注者(っていうか、より露骨に言えば原稿料)を意識していないからこそできる実験が成功しているということだ。
 正直に言えば、実験である以上、半分は失敗しているわけなのだが、本にする段階で元テキストを10分の一に圧縮しているおかげで、その失敗部分が消えているわけだ。
 いや、良い本ができました(笑)。
 ということで、予定通り9月15日に発売になります。
 おそらく半月ぐらいして書店から消えたらそれっきり。一期一会です。見かけたら即購入しておきましょう。

※おまけ

niji
 台風の日(9月6日)にベランダから撮った写真です。
 虹。
 オーバーザレインボウ。
 虹の向こうには?
 賛辞。
 ははは。

ついでに絵を二つ。いえ、ただのいたずら描きです。深い意味はありません。プリントアウトしてメッセージカードに使ってください。友情度アップ。提出書類の表紙などにも、激、お・す・す・め。

nebuta

睡眠。暫定的な死。そして再生。素晴らしい。

tonsoku

豚足ランナー。なぜか不機嫌。得意技は豚足パンチ。足でパンチ? とか、突っ込みは無し。

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ホンジュラス戦

日本代表VSホンジュラス代表

テレ朝にてテレビ観戦。報告が遅れたので、箇条書きでざっと。

※良かったところ

  • 勝ったこと
  • 実況が角澤アナじゃなかったこと
  • ヤナギサワが2点取ったこと
  • セルジオ越後がいつになく冷静だったこと

※悪かったところ

  • 4点も取られたこと
  • 実況が田畑アナだったこと
  • セルジオがいつにも似ず冷静だったこと

※得点について

  1. 前半8分【ホンジュラス】6m ベラスケス (右足) :三都主のミス。でも、ホンジュラスの18番が速すぎた。勘弁してやってほしい。正直者のアレック。よーいドンで勝てない相手には、抜かれる。ある意味ロジカルな失点。
  2. 前半27分【ホンジュラス】 7m ベラスケス (右足):きれいなカウンター。DFラインの前(ボランチの後ろ)にバレーボールのコートぐらいのスペースがあった。で、トス→スパイク式のアタックが決まった、と。ロジカルな帰結。
  3. 前半33分【日本】 12m 高原 (左足) :敵DFのトラップミスを奪って左足アウトで決める。うん。ズルさが身に付いてきた。
  4. 前半46分【ホンジュラス】12m マルティネス (右足) :中田ヒデの信じられないミス。この日のヒデはイケてない方のヒデ。ヒデ双子説を提唱したい。マジに二人いるのかも。タッチみたいに。
  5. 後半3分【日本】 7m 柳沢 (ヘッド) :俊輔のFKを直接決める。難しい角度だったがフリーで打てたのが素晴らしかった。いいぞヤナギ。イタリアに行って人相が悪くなっただけのことはある。
  6. 後半5分【ホンジュラス】4m ベラスケス (右足):加地君が振り切られました。いや、あの18番は猛烈に速い。仕方がありません。正直者の加地君は、速い選手には青信号。加地手伝いに再降格。
  7. 後半10分【日本】 11m 中村 (左足):PK。楽勝で決める。てか、キーパーはちょっとレベル低めでしょうか? みほとけのこころざし。
  8. 後半25分【日本】       21m 柳沢 (右足) :ドリブルからDFをかわして右足ミドル。素晴らしい。ヤナギサワはやればできる子。パスを出す先が無かったのが良かった。打つほかに選択肢がなかったですから。うん。
  9. 後半33分【日本】 13m 小笠原 (右足):三都主の突破からマイナスの折り返しを傲慢に決める。ムカついている時のオガサは強い。この選手は、冷遇して使うべきかもしれない。干されると良い味が出る。アワビみたいなヤツだ(笑)。

  ボランチがちょっと問題かもしれない。小野君が復帰してどうなるか。ヨーロッパ遠征でたてなおしてほしい。

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2005/09/03

葬式

 千葉県印西市に出動。
 昨日の通夜に続き、本日は告別式。南無。
 故人とはほとんど面識もないなのだが、葬儀イベントの勃発とともに足の悪い叔母と母親を現地まで運搬する任務が自動的に発生するわけだ。となると、一応、親戚の端くれに連なる者である私が、運転だけして列席しないという理屈が通るはずもない。そう。長らくぶらぶら者をやっていた次男坊の宿命。永遠の車両係、ってやつだ。
 いや、運転が面倒だというのではない。
 っていうか、ひきこもり系の仕事をしている反動なのか、運転は好きだ。窓の外で景色が動いているだけで、気持ちが晴れ晴れしてくる。往復100キロ程度のドライブは、気分転換には最適だ。

 でも、葬式は別だ。
 あれは、どうしても好きになれない。
 慣れるどころか、年齢を重ねるごとに、ますます嫌いになる。
 故人への哀悼の気持ちとか、遺族への気遣いとか、そういうこととは別に、あの儀式のなんともいえない嘘くささが身にこたえる。
 二日連続で葬式劇場に付き合っていると、なんだかカフカの小説の中の人物になったみたいな気分だ。
 作り声の読経。もったいぶった合掌。焼香の時に参列の人々が見せる芝居がかった仕草。永遠に繰り返され、波のように拡大再生産される無駄なお辞儀。
 儀式は人をロボット化する。機械仕掛けみたいな所作。テープ再生みたいなあいさつ。お経というのは、あれは思考停止のためのBGMで、葬儀は、要するに、演芸化された死体処理プログラムなのだろうか……って、言い過ぎだよな。わかってるってば。
 
 三々五々集まる親戚。葬式共同体としての血族集団。
 会うときはいつも黒い服。
 徒歩圏内に住む近縁の者たちが、農作業を協働していた遠い時代には、親戚縁者の付き合いにも、相応の意味はあったのだろうし、互いを規制している義理だのしがらみだのにも一定の必然性があったのかもしれない。
 でも、われわれはいま、離れて暮らしている。
 小さい核家族を構えて、互いのタコツボから外に出ない生き方をしている。
 日常、会うことほとんどないし、葬式や結婚式の待ち時間以外に、言葉をかわす機会もない。
 とすれば、絶縁したところで、誰が困るんだ?
 いや、親戚に誰か特定の不愉快な人間がいるということではない。
 ただ、面倒なわけだよ。懐かしくもないのにそういう表情を作ったりすることが。
 われわれがもし素敵な人間同士であるならのなら、親戚というしがらみを除けた立場で、心やすく付き合いたいものだし、そうでないなら、わざわざ交際を続行する必要は無いわけで、とすると、親戚という条件は靴の裏についた犬のクソと同じで、意図せぬ足跡を残す以外に……
「ぜいたくを言うなよ。ユーの親戚の誰がユーを殺そうとした?」
「ん? 誰だ?」
「わが名はキム・ジョンナム。世界中の親戚ぎらいの友にして、ぶらぶら者の王。放浪の半端オヤジ。永遠の宙ぶらりん男。自問自答の世界チャンピオン。偉大なるドラ息子の息子。東アジア放蕩国家の絶望の長男。裏社会の食通にして暗殺者のアイドル。生ける葬儀写真……まだ続けるか?」
「……うん。まあ、キミの家系図に連なる人たちと比べれば、うちの親戚はずっと素敵だな」
「そう。親戚の性格を決定するのは、個々人の人格や個性ではない。何を共有し、何を分かち合い、何を奪い合わねばならないかが、血族の運命を決定する。わかるか? これはシステムの問題なんだよ」
「了解した。同志ジョンナムよ。私はもう愚痴を言わないことにする。私の親戚は何も共有していない。これは、きっと素晴らしいことなのだな?」
「そうだとも同志。財産と権力を持たないということは、キミ、恩寵だよ」
「ありがとうジョンナム。キミも強く生きてくれ」
「ははは。私の任務はだらしなく太ることだけだよ」
「太ってどうするんだ?」
「私がより醜く太れば、それだけ偉大なる領導者の負担が減る」
「キミのパパはキミが太ることを望んでいるのか」
「いやつまり、処刑後に心を痛めずに済む、ということだよ」
「……処刑?」
「同志よ。こういうふうに考えたことはないか? 人間は誰しも生まれたその瞬間に死刑を宣告されているのだ、と」
「ジョンナム……」
「そう。執行猶予なんだよ。キミもわたしも。あの偉大な父でさえも」

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2005/09/02

脱記者クラブ

 二つ下の項目「表現者の王国」にコメントをくださった、六月五月さんのお言葉への答えです。長くなったので、新項目で書きます。

 えーと、記者クラブ制の弊害については、田中康夫の主張にも一理あると思っています。

 簡単に言えば
・取材チャンネルの固定化による取材活動の利権化
・既存の商業マスコミによる情報の独占とその恣意的な利用
・取材者と被取材者の間に生じる癒着
 ということですよね。
 ええ、困ったことです。

 でも、対公権力(国や地方公共団体、各省庁、政治家)に話を限れば、記者クラブが睨みをきかせているという面もないわけではない。
 実際問題、不祥事があった際など、行政側も、記者クラブの取材要請をそうそう無視することはできないわけですから。
 このほか、定例的な取材活動の省力化と、パパラッチの排除といった、実務的な御利益もあります。
 で、それらの御利益の副作用として、ぶら下がり記者の廊下トンビ化。番記者の自己肥大。政治記者のナベツネ化が……と、色々と論点はありますが……まあ、一長一短、と。

 さて、田中県政における、脱記者クラブは、一見、全面的な門戸開放であるように見えますが、実際には、そんな単純な話ではありませぬ。
 というのも、すべての取材要請に対して平等かつ包括的な取材許可証を発行するなんてことは、事実上、不可能だし、無意味ですから。
 となると、取材を受けるか否か、会見要求に応じるか否かは、県側の(つまり田中康夫氏の)恣意ということになる。
 とすると、これは、取材チャンネルの許認可業者化ないしは、茶坊主化ですから、取材チャンネルの機械的制限である記者クラブ制よりさらにタチの悪いことになる。

 無制限の取材が不可能である以上、どこかで制限を設けなければならない。
 現状の記者クラブは、それに対する(はなはだ不完全かつ問題の多い)答えのひとつだと思います。
 田中康夫の脱記者クラブは、答えにさえなっていません。
 記者クラブを廃止するなら、それに代わる有効な代案を出さないとダメです。
 「表現者」などという曖昧な述語に逃げ込むのではなく、もっと形として明確なシステムを提示すべきでしょう……と、ちょっとえらそうでしたね。ええ。ということで、お待たせしている方の原稿に戻ります。

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2005/09/01

トルシエの噂

 トルシエが韓国の代表監督候補になっているらしい。
 まだ噂の段階(っていうか、このテの話は、監督就任の記者会見が済むまでは噂の段階なわけだが)だが、もし本当なら……

「……犬も歩けばボシンタン~♪」
 ん? その、不適切なジョークは……フィリップ? キミか?
「ああ、そうだ。久しぶりだな」
 韓国の代表監督候補にリストアップされているという噂を聞いたぞ。本当なのか?
「うむ。世界中の悩めるサッカーファンがフィリップトルシエを求めている」
 キミが立候補したというふうに報道しているところもあるんだが……
「極めて有能なタイプの鷹は、往々にしてその爪を隠しきれない、と、キミの国のことわざにそういうプロットの話が無かったか?」
 ちょっと違うが、似たような言葉はある。
「つまり、私の言葉は誤解されやすい、と、そういうことだよ。率直だからね」
 率直だから誤解されやすい? 話の筋道がおかしくないか?
「何を言ってるんだ。東洋人はストレートな表現に慣れていない。だから、過度に率直な発言に対しては、要らぬ深読みをして心の平安を保とうとする場合がある、と、そのことを教えてくれたのは、ほかならぬキミじゃないか」
 うん。そうだ。しかし、私がそれを言ったのは、キミの発言のあけすけさがメディアの人々の怒りを買っていた時期で、私の真意は、キミに舌鋒をやわらげてほしい、ということだった。それから、ついでに言っておくと、韓国の人たちは、同じ東洋人とは言っても、ぼくら日本人とはずいぶんと違った反応をする民族だよ。率直さに対する受け止め方も、誤解の仕方も、それに、誤解をした場合のその表現の仕方も、だ。
「ともかく、聴く側の人間の心のありよう次第で、フィリップトルシエのロジカルな言動は売り込みのように聞こえる場合がある、と、それだけの話さ。もちろん、私の話の一から十までを単なる自慢話と受け取る向きもある。人々というのは、勝手なものだよ」
 で、実際のところはどうなんだ? キミは韓国代表チームが監督を引き受ける気持ちでいるのか?
「条件が合えばね」
 おそらく、我慢できないと思うな。
「私は、アフリカ大陸の失礼千万な君主たちや、粗暴な選手たち、それに世界中の無神経なパパラッチたちと渡り合って来たヴェテランのコーチだよ。ただの肉屋の長男とは違う。内臓や脳みその扱い方も心得ているつもりだし、いざとなれば魚だってサバける」
 いや、耐えられないのは、キミの側ではない。韓国のサッカーファンがフリップトルシエを我慢できない、と、そのことを僕は言っている。
「日本人は耐えたじゃないか」
 そう。ぼくたちは腰抜けだからね。でも、日本人の中にも、キミに対して腹を立てていた人間はたくさんいたんだ。そのことはおぼえておいた方がいい。
「大丈夫。サッカーボールは丸い。韓国にだってフットボールの真実を理解する人間はいるさ」
 違うんだフィリップ。キミのやり方は、誇り高い人々を傷つける場合が多い、と、そのことを……
「ははは。誇り高い人間は、より質の高い教師を求める。違うか?」
 違うよ。フィリップ。誇り高い人々にものを教える時には、よほど注意してかからないといけない。キミのやり方は、まるで犬の調教……
「どこの世界でも教育の初期段階は調教だよ。コーチ学のABCじゃないか」
 フィリップ。もしキミが韓国の監督になったら、私はソウルに移住するよ。だって、こんなに面白い見世物はほかに……つづく(のか?)


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表現者の王国

 朝日記者の取材メモ捏造事件に関する報道を見ていて、私がなにより違和感を感じたのは、一方の当事者である田中康夫知事が発した、以下のコメントだ。

田中康夫・長野県知事は29日夜「若い表現者の情熱が、取材メモ作成の過程で勇み足となってしまったのか。か弱き人々に優しい目線を常に抱き、仕事熱心だった彼(西山記者)とは日ごろの取材を通じて信頼関係を築けていただけに、複雑な思いだ」とするコメントを発表した。(←以上、毎日新聞より)

 皮肉だろうか?
 
 ふつうの日本人の言語感覚からすると、一新聞記者に対して「表現者」という言葉を使うのは奇妙だ。
 新聞記者は、ジャーナリストであり、報道人であり、真実を追究する者ではあるかもしれないが、「表現者」というのとは、ちょっとニュアンスが違う。
 表現者は、作家、詩人、画家、映画監督、作曲家、俳優、という感じの、言ってみれば「芸術家」に対して使われる言葉だ。
 その意味で、新聞記者に「表現者」という言葉を当てはめるのはおかしい。
 記者の書く記事も自己表現の一形態なのだという見方も可能ではある。が、新聞記者の書く文章は、そもそも出発点からして、小説家や詩人の書く自己表現の文章とは違うものだし、当然、出来上がりもまったく別の性質を持つものになる。
 ジャーナリストの文章は、芸術家の書く文章と比べると、もっと自己を滅却したところにあるものだ。ずっと対象寄りの、あるいは、主観的な自己省察よりは、客観的な事実に重きを置いたものであるはずだ。
 ……という、以上の事情を踏まえてなお、田中康夫があえて記者を「表現者」と呼ぶ狙いは何なのだろう。
 私には、田中康夫が、「表現者」という述語を通じて、こう言っているように聞こえる。
「おい、表現者としては、オレの方が格上だぞ」
「同じ文章で身を立てる者として、オレの方がより高級な立場なんだぞ」
 つまり、本来、自分の専門分野である小説とは畑違いであるはずの新聞記者の仕事を「表現」という言葉で、ひとくくりにすることによって、新聞記者を、「作家より一段下の文章書き」「小説家になりそこなった会社付きの勤め人文章人」というふうに貶めることが、田中先生の狙いであるわけだ。
 でなければ、「表現道場」(田中知事が案出した、記者クラブの代替物。県の広報みたいなものでしょうか?)などという高飛車な発想は出てこない。

道場? つまりアレか? オレのところで修行して行けと? オレが稽古をつけてやる、か?

 もっとも、田中知事は、「脱記者クラブ宣言」の中で、「生きている人間はすべてが表現者だ」ということを繰り返し述べている。
 なるほど。
 そう言って言えないことはないだろう。
 誰もが言葉を使ってしゃべっているわけだし、言葉を除けたとしても、歩くことも、走ることも、あるいは女を口説くことだって、広い意味からすれば表現だからだ。さよう。あらゆる人間の行動は、すべからく自己表現である。その通り。
 しかし、そうは言っても、誰もが表現ということを人生の主目的に置いて生きているわけではないし、まして、表現を生業として暮らしている人間はほんの一握りだ。
 その意味で、「すべての人間は表現者だ」という言い方は、一面の真実を含んではいても、なお極論に過ぎない。「すべての人間はアスリートである」「人はみな旅人である」「生きとし生ける者は、誰もが病人である」「男は誰も渡り鳥さ」といった、似たような宣言と選ぶところはない。与太に過ぎない。
 とすれば、われわれは、田中康夫が「表現者」というものの枠を無闇矢鱈と広げてかかりたがっている裏には、何かたくらみがあるはずだ、と考えねばならない。
 面倒なので、いきなり答えを言おう。
 
 田中康夫は、どうしてあらゆる人間を表現者という枠内にはめこみたがっているのか。
 狙いは、おそらくふたつある。
 一つは、
「新聞記者を特別扱いにはしないぞ」
 と言う宣言。
 そう。田中康夫は、自分の公私の立場と県政に関わるあらゆる情報を、すべて田中の意のもとに一元管理したいと願っている。だから、記者は邪魔、とそういうこと。
 もう一つは、
「人間にとって一番高級な作業は表現であり、その表現という分野で成功した人間である田中康夫は、あらゆる人間の中で最も上質な人間なんだぞ」
 という宣言だ。
 つまり、「すべての人間は表現者である」という大前提は、次に来る隠れた小前提(「表現では田中康夫がチャンピオン」)に導かれて、黄金の結論「すべての人間の中で最高最上なのは田中康夫」に到達するわけだ。康夫式三段論法。すばらしい。

 たとえば、松坂大輔が、
「すべての人間は投手である」
 と言ったのだとしたら、その意味するところは、
「オレがナンバーワンだぞ」
 ということです。
陸上の末續選手あたりが、「すべての人間はランナーである」と言った場合も同じ。
どうしたって、 「おい、日本じゃオレより上等な男はいないぞ」になる。
 結局、田中康夫は、「表現者」という言葉を通して、長野県民をおだてているわけでもなければ、人間一般を崇高な存在と見なしてその「表現」を愛でているのでもない。
 田中は、表現という自分が一番(←だと本人は思っている)な分野で、あらゆる人間を判断しているだけなのだ。
 もしかしたら、松坂大輔君あたりは、人間の優劣を投げるタマの速さで判断しているかもしれない……いや、いくら松坂君とて、そこまで自己肥大してはいないだろう。
 でも、表現王田中康夫は、こう思っている。
「おい、表現ならオレが世界一だぞ」
 厭な野郎だなあ。

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