微苦笑道
直前のエントリー(「弱者」)について、いくつかコメントをいただいたのですが、答えが長くなりそうなので、新しい項目を立てます。
友人Mのエピソードは、たしかに、シャレになりにくい話――というよりも、アタマ少年の立場からすれば、いじめそのものです。
結局、ティーンエイジャーの笑いは、「いじめ」と未分化だ、と。
しかも、笑いを取ってスターになるのは(紳助やさんまを見れば明らかな通り)いじめっ子の側です。ネタにされた側の人間は、それこそゴミと一緒。
とすれば、笑いを取るということが、絶対善になっている昨今の風潮は、間違っています。
1990年代以前の、「お笑い」が一段低い肉体芸として見下されたいた時代ぐらいの感覚がちょうど良い塩梅なのでしょう。
笑い――特に集団でのアクションをともなう笑い――は、一種の暴力です。
暴力が絶対にいけないとは申しませんが、その発動に際しては、常に最大限の注意が払われていなければならない、と、自戒をこめてそう思った次第です。
私のような、中年を過ぎた人間が笑いを取りに行く場合は、極力上品に、間違っても放送禁止用語なんぞは使わぬように気を配ってかからねばなりません。
で、さんざんもったいぶって、最後の最後に、ジプシーがテントを畳むタイミングで、小声のジョークを置き残して行く。客席の片隅でほんの小さな含み笑いぐらいが起これば大成功、と。まあそういうことですね。
爆笑は下品。
餓鬼微苦笑道。
あ、わかってます。仕事に戻ります(笑)。
なるほど。
(笑) と、一人笑いを提示する手法は、人を笑わせるより簡単かつ有効ですね。上品であるかどうかは別として。(微苦笑問題)。
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