著作権
ipodユーザーとして見過ごせないニュースなので、ちょっとひとこと。
※iPodなども補償金制度の対象にすることを強く求めていく~JASRAC事業報告
要するに、JASRACとしては、「HDDもまた、ビデオデッキやDVDディスクと同じく音楽を録音する媒体として利用され得る機器であるのだからして、あらかじめ著作権料を上乗せした価格で売られるべきだ」というわけだ。
私的録音録画補償金制度は、ビデオデッキやDVDレコーダーなどの録画機器やMDレコーダーなどの録音機器、 MDや音楽用CD-R、DVD-RW/RAMなどのメディアについて補償金を徴収し、著作権者に還元する仕組みとして導入されている。ただし、iPodのようなHDD内蔵型プレーヤーやデータ用CD-Rなどは対象となっておらず、JASRACをはじめとする著作権管理団体が対象となる機器やメディアの拡大を求めている。
上納金ですよね。これ。 っていうか、利権ゴロ、ナワバリヤクザの手口そのまんま。 つまり、アレだ、紙だって楽譜を書く媒体にはなるわけだから、補償金の対象になる、と、そういうことだよね? ……参考までに、去年「Asahiパソコン」に書いた原稿にリンクを張っておきます。 小田嶋 隆の価格ボム!
ええい、乗りかかった船。
ついでに、ハードディスクに残っていた原稿テキストのうち、「著作権」というキーワードを含むものをピックアップして掲載することにします。
以下に掲載する文章は、いずれも既に原稿料をもらったものです。
著作権はどうなるんでしょうか? 出版社の人たちは怒るんだろうか? まあいいや。御免。
※CDの末路(ゲームラボ 04年11月)
エーベックスがCCCDを見直す旨を発表をしたと思ったら、今度はソニー(ソニー・ミュージックエンタテインメント:SEMJ)がレーベルゲートCDから全面的に撤退するという。
素晴らしい決断だ。っていうか、音楽業界の出来事として、ここ数年で一番ポジティブなニュースだと思う。拍手を送ろう。パチパチ。
でも、コメントが良くない。
「著作権保護に対する認識が高まり、一定の成果を得たため」
だとさ。まるで、レーベルゲートは大成功だったとでも言いたげじゃないか。
一定の成果ねえ。
だったら、どうして撤退なの? という話だよ。
失敗だったからこそ見直すわけだろ? それならそれで、素直に失敗を認めれば良いじゃないか。
どうしてこういうタイミングで要らぬ負け惜しみを言うかなあ。こんな社内向けの格好つけは、会議が終わった後のスナックの止まり木で言ってれば良いのであって、外部に向けたコメントとしては
「コピーコントロールという手法は、ユーザーに理解されなかった。今後はユーザーの利便を最大限に優先しつつ、よりクリエイティブで高音質な音楽を市場に提供していきたい」
ぐらいのことは最低限言えないとダメなんじゃないのか? まったく度量が小さいというのか無駄にプライドが高いというのか、どうしようもないな。
こういう機会に自らの不明を認めることは決して恥辱ではない。それどころか、適切なタイミングでの印象的な謝罪パフォーマンスは、むしろユーザーとの信頼関係を回復する絶好の契機になる、と、その程度のことがわからない連中が売っているからCDの売り上げだって低迷しているわけだ。
おそらく、この先、どんな手を打ったところで、CDの売り上げは回復しないだろう。こんなことは、そこいらへんの高校生だってわかっている。それが、音楽業界にいる人間にはなぜかわからない。やはり、人間、自分の利害が絡むと目が曇るのだね。
レコード音楽業界は、音楽メディアが、アナログのレコード盤からCDに切り替わった時には、あんなに素早く対応したのに、今回のCDからネット配信への切り替えには、全然対応できていない。
なぜか? 理由ははっきりしている。
レコードからCDへの切り替えにおいて、切り捨てられたのは、業界ではなく、ユーザー(と、あとはせいぜいレコード針の会社)だった。ところが、CDからネット配信への切り替えにおいては、今度はレコード会社が切り捨てられることになる。だから、彼らは必死でもがいている、と、そういう話なのだ。
ミュージシャンが音楽を作るところから、ユーザーがその音楽を受け取るまでの間に、これまではかなり長ったらしい流通経路(より厳しい言い方をするなら中間搾取業者)が介在していた。
録音スタジオ、CD盤制作工場という物理的な段階以外にも、プロモーション部隊がいて、宣伝マンがいて、さらに系列のレコードショップが全国津々浦々にあった。
で、それらのほとんどすべてが不要になる。これは、業界的には危機ということになるのであろう。でも、音楽という芸術にとって、販路の短縮は、自由化にほかならない。
音楽CDの低迷は、もはや規定路線だ。
もはや、手術法や治療法を云々している問題ではない。ズバリ、安楽死か延命かという、終末医療の世界の話だ。
というわけで、CDには南無阿弥陀仏という言葉を送ります。バイバイ。長い間ありがとう。合掌。
※盗用の歌姫(ゲームラボ 05年1月)
安倍なつみの盗作問題について、世論は思ったほど沸騰しなかった。
ハロプロが消火にまわったとか、芸能マスコミが尻込みしたとか、おそらくそういう事情もあったのだろうが、より本質的には、単に世間の関心が薄かったのだと思う。
「ばかだなあ」
と三秒笑って終わり。それ以上、深めようのない話題だった、と。
じっさい、規制や自粛がまったく無いネット内世論でも、なっち問題はたいして盛り上がらなかった。
掲示板に集まる書き込みも、多くは嘲笑や揶揄に終始していて、マジに怒っていたり、心から驚いているタイプの反応はほとんど見られなかった。
ということは、この程度の盗作は、折り込み済みだということか?
いや、「この程度の盗作」というよりも、「ここまで露骨なコピペ」だったからこそ、逆にはっきりしすぎていて、話題としての面白さを欠いていて、それゆえに、ネット議論の釣りエサとしては出来が悪かった、と、そういうことなのだと思う。
むしろ、もう少し微妙な盗作、たとえば浜崎あゆみ(ないしは、彼女のゴーストをやっていると言われている一連の人々)がやらかしている他者作品パッチワーク作業をめぐっては、相変わらず熱い議論が展開されている。
私も、この件については、もう2年ほどウォッチングしているが、まとめサイトの情報の質量ともにあなどりがたい充実度を見るにつけ、ネット世論というものの底の深さに圧倒される思いだ。
そもそも、今回のなっちの事件にしても、インターネット(あるいは、もっと限定して@2ちゃんねる)という存在がなかったら、事情通の間での噂話で終わっていた話ではあるのだ。
というよりも、盗作という行為自体、ネットを通じて不特定多数の人間による同時多発的な検証作業がなかったら、見逃されていた可能性が高い。
もし、掲示板に告発の書き込みが無く、それゆえ、後追いの検証が発生せず、それらを受けたプロダクションの掲示板や各メディアのアドレスに向けてのメールの殺到がなかったら、昔からあまたあったアイドルの不行跡や放蕩(私は、芸能通とかいったものではないが、それでも20年から出版業界に身を置いているうちには、とんでもない話のいくつかは聞いている)と同じように、今回も闇から闇に葬られていたに違いないのだ。
インターネットをめぐる著作権の話題は、これまで、WinnyやCCCDといった、もっぱらユーザーの側の著作物利用を制限する方向での話が多かった。
そういう意味では、今回の事件を通じて、盗作という、きわめてプリミティブかつ本質的な著作権問題が浮上したのは、良いことだと思う。
そうなのである。原点に返って考えてみれば、そもそも著作権というのは、盗作や海賊版業者から著作権者の権益を守るために発案されたものであって、断じてユーザーの作品閲覧、複製権を制限するはずのものではなかったのだ。
いずれにしても、ネット上の盗作ウォッチャーの仕事が目に見える成果をあげたことをよろこびたい。
なっちには気の毒だったが、盗作追及の火の手が彼女一人のところで止まらず、業界全体を焼き尽くすことになれば、結果として彼女の仕事も無駄ではなかったということになる。ぜひ、そうなってほしい。
私見を述べれば、安倍なつみ嬢のこの度の盗作行為は、偽装が猛烈に甘かった分だけ、ある意味「良心的」であったと思っている。
今後もどんどんやってほしい。応援してるぞ。
※バイバイ音楽(読売weekly04年5月)
音楽は死んだ。
……というのは、言いすぎだろう。人々の心の中には人それぞれの音楽があって、それらひとつひとつのおたまじゃくしは、生きて泳いでいる。でも、テレビの中の音楽は、もうずいぶん前から、呼吸をしていない。
「ベストテン」をはじめとするいわゆる歌謡番組が、ゴールデンタイムの番組テーブルから消滅しはじめたのは、十年以上前からの傾向で、たぶん、この流れは、誰にも止められない。現在では、深夜枠も含めて、ナマの音楽番組はほぼ全滅している。
そんな中でかろうじて生き残った「ヘイ!ヘイ!ヘイ!」をしばらくぶりに見てみたのだが、案の定、こいつはもう音楽番組ではない。面白いといえば面白いのだが、いかんせん、完全にお笑いバラエティ化している。
つまり、「ヘイ!ヘイ!ヘイ!」は、歌がなくても成立する――というより、歌抜きの方が面白いわけで、ってことは、これはもはや歌番組ではなくて、「邦楽アーティスト公開処刑バラエティー」なのだな。ほら、見てごらん。GLEYGLAYの面々がいいようにイジられている。TERUが、TAKUROが、ガキの使いにされている。AKINAという女性歌手が、アタマを叩かれている。かわいそうに……って、うん、違うんだよな。きょうびハマちゃんにアタマを叩かれないと、一人前のミュージシャンとは言えないのだよ。幸か不幸か。
ともあれ歌は、ドラマのBGMやCMのタイアップ素材としてかろうじて生き残っているばかりで、番組内の位置づけとしても、お笑いのおまけに成り下がっている。芸能の世界には、かつて、お笑いを「色物」と呼ぶ習慣があったが、今では、芸人が本スジで、歌手の方が飾りになってしまっている。まあ、数字が取れない以上、仕方がないんだけど。
さて、現在、国会に「著作権法の一部を改正する法案」が提出されていて、それによると、CDの輸入が原則として禁止されることになるらしい。
鎖国……というよりも、業界の面々はおびえたダチョウよろしく、砂の中にアタマを突っ込んでいるわけで、自ら招いたCD不況を誰かのせいにしないといられないのだ。
こんな法律が通ったらえらいことだと思うのだが、テレビは年金未納者のリストアップに血道をあげるばかりで、この法案についてほとんどまったく報じていない。レコード業界に気を使っているつもりなのだろうか? お客より業界ということか? あんたらは、役人か?
そもそもこの改正案は、「邦楽還流CD」(日本のアーティストが、アジア各国でライセンス生産しているCDが安価で逆輸入されること)を阻止する目的で発案されたものだ。が、話がいつの間にか洋楽CDの輸入にも拡大している。
法案に反対する立場の人々(←坂本龍一教授など、多くの業界人を含む)が言っている通り、CD輸入規制法案は、音楽業界にとって、自分で自分の首を絞める結果になると思う。
が、あえて私は反対しない。
死が不可避である以上、自分で首を絞めた方が良いかもしれないからだ。いずれにしても、再生の道は、死の向こう側にしかない。証券や金融の世界で起こった逆ビッグバン(←爆発後にしぼむ運動過程)が、レコードCD業界にも起こって、彼らの乗っている護送船団が丸ごと沈没することを切に望みたい。音楽の再生はその後の話だ。
※CMのおまけ(読売weekly 04年11月)
奇妙なニュースをひとつ。
《日枝久・日本民間放送連盟会長(フジテレビジョン会長)は12日の記者会見で、DVD録画再生機を使ってCMや見たくない場面を飛ばして番組を録画・再生することが、「著作権法に違反する可能性もある」と述べた。電機メーカーなどに何らかの対応を求められないかを検討するため、民放連で研究部会を設けた。》
意味がわかりますか? 私には全然わかりません。先を読んでみましょう。《高性能のDVD録画再生機は、見たくない部分を自在に飛ばす「編集」ができ、CMカットも容易に出来る。日枝会長は「放送は1時間すべてが著作物と考える学者もいる。いろんな問題を含んでいる」と語った。》
えぇぇぇぇえ? って感じだよね。
ついでに背景説明。
《十数年前に三菱電機などがCMの自動カット機能付きのビデオ録画再生機を売り出した時も、民放連は販売抑止などを働きかけた。この時は広告主でもあるメーカーがカット機能を手動方式に変えるなどした》(朝日11月12日)
……と、結局、記事全文をアタマから十回読んでみても、いまだに私は、事態を飲み込めずにいる。私のアタマがタコなのか、記事がタコなのか、それとも、タコはテレビをめぐる現実そのものに取り付いているのだろうか
- 編集って著作権侵害なのか?
- だとしても、CMカットが編集かよ
- で、つまり、アレか? CM中にトイレに立ったりすると誰かの著作権を侵害することになるのか?
- 「放送は1時間すべてが著作物と考える学者もいる」って、誰だよそいつは?
- 泣く泣くCMまで丸録りしたとして、だ。それじゃあ、見る時に早送りとかするとおまわりさんにつかまるのか
……疑問は尽きない。
が、つまるところ、以上の疑問は、
- 地上波民放局は、どうしてこんな無茶な理論武装をしてまでCMカット機能に抵抗するのだろうか
という一点に集約される。
もしかして、「スポンサーがCM枠を買い取って、その宣伝費でもって番組を無償提供する」という枠組み自体が、行き詰ってきているのかもしれない。
だよな。実際、オレら視聴者だって、昔みたいにテレビのCMを鵜呑みにはしてないわけだし。
それでなのかどうなのか、テレビにおけるCMの扱いは、ここへ来て明らかに異常になってきている。
CMの時だけ音量が上がるようになったのは、もう20年も前からの話だが、最近では、CMを見せようとする手口にさらなる陰険さが加わっている。
- 釣りテロップ:「CMの後、驚愕映像が……」みたいなアオリのテロップを送出→2分間のロングCM→何が出るのかと思ったらエンドロールだけ。
- 待たせまたぎ:クイズ番組や手品の種明かしコーナーで、答え部分をCMの後に持ってくる手口。
- ギロチン切り:主にVTRもので使われる手法。異様に切れの悪い場面で、何の前触れもなしに突然CMに入る。
- 振りかぶり:ドラマ、アニメなどでよく使われる手口。「越前リョーマがラケットを振りかぶ」った瞬間にCM入り。
- ブーメラン再生:CM明けの時、CM入り時点から15秒ほど戻ったところから再生する。ザッピング対策、あるいは、単なるVTRの尺稼ぎだろうか。
なるほど。もしかして、オレらが見ているテレビは、CMのおまけ……ん? そんなのは常識? じゃあオレがやってる仕事はおまけ批評で、オレはオマケクレーマーライターなのか?
※Let It Be Naked(噂の真相 03年11月)
ビートルズが死んだ。
いや、わかっている。ジョンは十何年も前に死んでいる。ジョージも去年死んだ。でも、ビートルズが正式に死んだのは、今年の11月の14日、ほんの五日前なのだよ。
「ビートルズのほとんどの楽曲の著作権を所有しているマイケルジャクソンが、少年への性的虐待容疑で逮捕されたからか?」
違うな。マイケルのスリラーはこれからが本番だ。痛ましいことだが。
「じゃあ、同じ日に《レット・イット・ビー》のプロデューサーだったフィルスペクターが殺人容疑で告発されたからか?」
それも違う。ビートルズを殺したのは「レットイットビー・ネイキッド」だ。
バンドが解散しても、メンバーが死んでも、プロデューサーが人殺しでパクられても、それでもビートルズは不滅だった。
というのも、彼らには不朽の音楽があったからだ。録音された音源という決して色あせることのない宝物が、あらゆる時代の荒波から彼らの芸術を守ってきたのだ。
でも、今度こそおしまいだ。
だって「最新作」と銘打っている「レットイットビー・ネイキッド」が、よりにもよってCCCD(日本版のみ)なんだから。
ん? CCCDを知らない?
説明しよう。CCCDとは「コピーコントロールCD」の略称で、最近パソコン世界で蔓延している音楽データの不正コピーに対抗する手段として、レコードCD業界が開発した、通常とは異質な録音技術(簡単に言えば、コピー防止のために、音楽とは無縁なデータを混入させたCD)なのだが、これには以下のような問題点がある。
- そもそもCD規格から外れている。
- それゆえ、カーコンポ、ラジカセ、ウォークマン、パソコンなどでは、再生できない場合がある。
- っていうか、ヘタをするとCDプレイヤーを壊す可能性がある。
- そもそも、音楽以外のデータを混入させてるわけだから、当然音質は劣化する
……どうだい? ひどいもんだろ?
とにかく、特に日本のレコード会社は、ここ数年のCD売り上げの低下傾向を、不正コピーのせいだと思い込もうとしている。で、CCCDの力で、なんとかして、バブルを再現させようとしているわけだ。
一方、今年一番売れたCDは、非CCCDで発売されたスマップの「世界で一つだけの花」だったりする。
ってことは、コピー問題なんてのは、枝葉末節に過ぎないんじゃないのか?
それ以前に、音質の悪い、プレイヤーを壊す可能性のある偽のCD盤を出すことが、音楽の自殺でなくて何なんだ?
いや、百歩譲って、ハマサキだののCDがどんな音で出されようがそりゃプレスする野郎の勝手だが、ビートルズというのは、いわば、人類共通の文化遺産だぞ。つまり、これは、最高級のワインをペットボトルに詰めて売るみたいな暴挙じゃないのか?
「ははは、答えは、聖母マリアが既に言っている。Let It Beを訳してみろよ。《あるがままにせよ》ってことだろ? つまり、コピーなんかうっちゃっておけって、マザーメアリーは言ってたわけだよ」
ふむ。じゃあ、ネイキッドは?
「裸。手を加えてないということ。録音時にビートルズが意図した音ってことだよ」
だろ? そのネイキッドをcccdにするってのはどういう神経なんだ?
「まあ、ただの裸より緊縛ヌードが好きなヤツは日本版を買え、と」
ウォールオブサウンドを壊したら人殺しが出てきた、と。ビートイットだな。
アイムバッドかな。むしろ。
※JASRAC、鼻歌に課金へ(Asahiパソコン04年4月)←エイプリルフール号のための嘘ニュース
JASRAC(社団法人日本音楽著作権協会)は、このほど管理部総会を開き、平成20年度をめどに鼻歌への全面課金を実施する決議を採択した。これにともなって、同協会では、具体的な課金方法、金額、徴収方法等について研究をすすめるべく、鼻歌対策作業部会を設置するとともに、より幅広い訴訟作戦の検討にはいった。
JASRAC広報部によると、鼻歌は一般に広く脳内再生されており、時には、不特定多数の聴衆に聴かせるメロディーとして演奏されている伝統的な歌唱形態だが、問題は、それが、長期間にわたって無料で再生、演奏、想起されてきた経緯であり、その利用形態の「気楽さ」にあるという。
もっとも、鼻歌が、独立した作品として再生、利用されることは稀で、もっぱら、「楽しげな雰囲気」や「気楽なムード」を演出するためのツールとして利用される場合が多い。
現在、論議を呼んでいるのは、「鼻歌まじりにおいでませ」をキャッチフレーズに、全国展開している「お気楽寿司」(本社京都市)の例だ。
JASRAC広報によれば、お気楽寿司では、鼻歌が「無断かつ大々的に」利用されており、しかも、板前たちによる鼻歌まじりの包丁さばきが、ひとつの営業の目玉になっている。
そこで、JASRACでは、先月、同寿司チェーンに対して、管理著作物を繰り返し無断利用した件などで、鼻歌利用の差し止めと総額62万円余の損害賠償支払いを請求する訴訟を起こしている。
なお、JASRACによれば、私的な鼻歌については「当該の著作権物が営利的に利用されていない限りにおいて」(同法務部)、これまで通り、無償で提供されるという。また、鼻歌の歌詞に関しては、発語が不明瞭である場合が多いため、当面、課金を見送る方針だという。
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コメント
>「放送は1時間すべてが著作物と考える学者もいる」って、誰だよそいつは?
についてですが、確かニュースが出た当時に「議論が進めばそういう事を言う学者も出てくるだろう」という意味だったという広報による補足(後付け)がありました。面白いですね。
投稿: 投げ槍 | 2005/05/22 08:05
GLEYって、GLAYですよね? 編集部で校正はしていると思いますが、念のため。職業病なもんで、すみません。それと日枝氏ね。
投稿: うp男 | 2005/05/22 08:45
ほんとだ。GLAYですね。
掲載分では直っていたはず。
訂正しておいます。多謝。
投稿: 小田嶋 | 2005/05/22 08:50
お蔵だし、ありがとうございます。
大量の未読作品を読めて至極幸福な休日になりました。
鼻歌課金。笑かせてもらいまいした。
……ってか、あの人たちなら本当にやりそうで怖いっす。
投稿: かず | 2005/05/22 13:27
ただいま「色彩、音楽、タレントと広告」について、勉強してるんですが、
特に音楽と広告(CM)いろんな問題が絡んでいて難しいです。
スポンサーの方向を向いてるCM。視聴率のためのCMタイミング。
「クイズミリオネア」のCMのはいり方とか、あからさま過ぎて、わらえます。
投稿: 広告業界志望学生。 | 2005/05/23 21:54
結局、世の中の流れということでレコード業界がCDに突入したことが
この結果を招いているのでしょう。
音楽を「情報」だと認識してしまったことが、著作権の問題にも、セールス上の問題にも影響しているのだと思います。
単純な二元論で申し訳ないけど、
私はCDの音が「情報」に過ぎないのに対して
レコードの音は「モノ」だと思っています。
CDのようなちゃちな音でどうしてみなさん満足されているのか。
若い人は知らないかもしれないけど、そこそこのオーディオ装置で聞けばレコードの音には深みというか、存在感があります(例えば70年代末期のBOB MARLEYの30センチシングルなんか聞けば、「音」に対しての認識は変わるはずです)。
しかもレコードは聞いていて疲れません。
あるレコード業界にいた人が、
「CDになって2度も3度も連続して繰り返しを聞くことがなくなった」
という話をしていましたけど、ほんとうに同意見です。
「情報」を2度も3度も聞くのは意味がないということでしょう。
(芸能山城組の山城さんはCDの音が脳にストレスになっていることを
医学的に証明されていましたが)。
音楽業界は時代に逆らってもう一度レコードに戻してはいかがでしょう。
DVDなんて規格を変えてまた一からソフトを売ろうという
あこぎというか、詐欺みたいな商売をしようとしているんですから、
もう一度、レコードを買わせたって問題ありません。
それどころか僕たちが間違っていたと正直に謝まれば好感が持たれるかもしれません。
抽象的いえば、COによる音は「音楽」という物語をかろうじてつなぎ止められるとしても、音のもつ反物語性=パッションは再現できない。
だから音楽という物語も衰退する。
長くなりました。ごめんなさい。
投稿: mmmnom | 2005/06/07 11:00
結局、世の中の流れということでレコード業界がCDに突入したことが
この結果を招いているのでしょう。
音楽を「情報」だと認識してしまったことが、著作権の問題にも、セールス上の問題にも影響しているのだと思います。
単純な二元論で申し訳ないけど、
私はCDの音が「情報」に過ぎないのに対して
レコードの音は「モノ」だと思っています。
CDのようなちゃちな音でどうしてみなさん満足されているのか。
若い人は知らないかもしれないけど、そこそこのオーディオ装置で聞けばレコードの音には深みというか、存在感があります(例えば70年代末期のBOB MARLEYの30センチシングルなんか聞けば、「音」に対しての認識は変わるはずです)。
しかもレコードは聞いていて疲れません。
あるレコード業界にいた人が、
「CDになって2度も3度も連続して繰り返しを聞くことがなくなった」
という話をしていましたけど、ほんとうに同意見です。
「情報」を2度も3度も聞くのは意味がないということでしょう。
(芸能山城組の山城さんはCDの音が脳にストレスになっていることを
医学的に証明されていましたが)。
音楽業界は時代に逆らってもう一度レコードに戻してはいかがでしょう。
DVDなんて規格を変えてまた一からソフトを売ろうという
あこぎというか、詐欺みたいな商売をしようとしているんですから、
もう一度、レコードを買わせたって問題ありません。
それどころか僕たちが間違っていたと正直に謝まれば好感が持たれるかもしれません。
抽象的いえば、COによる音は「音楽」という物語をかろうじてつなぎ止められるとしても、音のもつ反物語性=パッションは再現できない。
だから音楽という物語も衰退する。
長くなりました。ごめんなさい。
投稿: mmmnom | 2005/06/07 11:04
機械式音盤が聞くために面倒な手続きを必要とし、それが単なる音遊びに深みを与えていたのは事実でしょう。茶道みたいなものです。
しかしね、それって、CDでも可能じゃないでしょうか?大きくて重たいオーディオ機器を音響学的に「良い」とされる部屋に設置して、金だかプラチナだか知らないが特殊なコーティングを施されたコードでつないで、金箔張りのCDで聞く。
音は同じであっても、聞いてる人間の心境の違いで、違って聞こえるんでしょう。
そうしたスカした趣味もあっていいですが、イージーにそこそこいい音を聞く選択肢もあるCDの方が、はるかに優れた媒体だと思いますがね。
投稿: Inoue | 2005/06/07 11:12