てぬきうどん
朝食前の口ふさぎにどうぞ。
さぬきでも たぬきでもない 手抜き麺 具は天カスを騙るチンカス
※当メニューは、あくまでもフィクションであり、実在のうどん屋、チンカスとは関係ありません。
※イラストは自粛いたします。
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朝食前の口ふさぎにどうぞ。
さぬきでも たぬきでもない 手抜き麺 具は天カスを騙るチンカス
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しかし、ここ最近のココログの重さはどうしたことなのだろう
特に、23時前後は、通信障害かと思うほどだが。
特定のblogに圧力がかかっているということだろうか?
とすると、Blog差別問題
被差別blog?
blog利権をめぐる暗闘が……以下ry
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あのヒトはヒナタのうんこだから……と、私が子供だった時代の下町の人間は、好んでこういうものの言い方をしたものだった。
その心は「外面は堅そうに見えるが、中身はぐにゃぐにゃ」ぐらいなところで、要するに、「一見真面目そうだが、その内実はなかなかの遊び人」であったりする人物に対して、このいささか品の無い比喩が適用されていたわけだ。
この言い方をはじめて聞いた時(おそらく、発言の主は隣に住んでいた建具屋のオヤジあたりだと思う)、私は、子供なりに推理をはたらかせて、「まともに相手にしない方が無難なもの」「触らぬクソにたたりなし」ぐらいの含意を読んでいた。
悪くない解釈だと思う。
実際、日向のウンコは、その当時、町中にゴロゴロしており、触る者に災難をもたらしていた。石みたいに堅固に固まっていると思って蹴飛ばしてみると、おっとどっこいつま先がめり込んでしまう……といったような苦い経験。素焼きの置物みたいにきれいに固まって見えるそいつを棒で突いてみると、うわあ、結構新鮮だぞ……と、子供という人々は、あえて関わりを持ったとて何のメリットもない犬の糞にちょっかいを出して、痛い目を見る。
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前半は快調な立ち上がり。
以後もペルー戦よりはマシに見えたが、徐々にスローダウン。
後半にはいると、例によって無駄なボールキープと横パスが増えてくる。
で、カウンターで失点、と。
坪井が……
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UEFAチャンピオンズリーグ決勝 ACミラン VS リバプール
グレートゲーム!
起きていた甲斐があった。
結果については、リンク先を参照されたし。
論評不能。筆舌に余る。ブラボー。
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呉儀副首相です。
他意はありません。
チャンピオンズリーグ決勝戦のホイッスルを待つ間、退屈しのぎに描いてみただけです。
イラスト内の文字は自作の漢詩です。
「ゴギよりもウー・イーの方が雅(みやび)な感じがしますね。えへへ」
ぐらいな気持ちを、俳句の精神を応用した写生の技法で表現してみました。
たぶん、中国の人には通じませんね。
隔靴掻痒。
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呉儀さんって、去年まで巨人軍のヘッドコーチだった須藤豊さんに似てますよね。
この人の名前については、なぜか朝日新聞だけが「呉儀(ウー・イー)」と、中国語(←たぶん北京の)発音を併記している。なぜだろう。
そのほかのメディアは、漢字表記のみ。テレビのアナウンサーも「ごぎ」と読んでいるのだが。
わが国のマスメディアは、いつの頃からか、「韓国・北朝鮮の人名については、漢字表記とハングル発音を併記する」という不可思議な基準を横並びで採用するようになっているわけなのだが、中国人の名前については、ずっと漢字表記のみだったはずだ。
この件については、以前、ホームページにメールをくれた方から
「中国語の発音は、上海と北京でもまるで違う。というよりも、そもそも、漢字という表意文字のメリットは、広大な中国文化圏において、地域によってまるで違っている単語の発音を、少なくとも文字の上では統一できるというところにある。であるから、たとえば毛沢東という語は、文字としては全漢字文化圏で共通だが、発音についてはその土地それぞれの読み方で良いのだよ」
というふうな説明を受けたことがあって、なるほど、と思っていた。
朝日新聞は、新しいスタンダードをとりいれたのだろうか。それとも、昔からこんな感じだったっけ?
いずれにしても、朝鮮半島の名前だけでもわずらわしい(だって、表記と発音を二通り暗記しないと話ができないわけだから)と思っていたのに、中国人の名前まで二重表記になったらかなわない。
漢字表記を採用するなら読みは日本語読みにすべきだし、現地発音を尊重するのなら、カタカナ表記に統一するほうが自然だ。
呉儀をウー・イーと読まされたり、金大中という文字にキム・デジュンという音を当てはめねばならない現状は、大げさな言い方をすれば、日本語にとって言文一致の原則を損ねる危機的状況だと思う……って、やっぱり大げさだな(笑)。
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トラックバックのテストをば。一度もやってみたことがないので。
着ぐるみなんか着てもムダだよ。
キミは田舎育ちの年少者に都会のユートピア物語を吹き込むことで名を為してきた人間じゃないか。
そんな男が、東京の人間を信州に呼び込むためのマグネットになれると思うかね?
無理だよ。やっちん。
町の人間から見た田舎の美点は、首長たるキミが体現しているあざとさとは正反対の極にあるもの、すなわち純朴さだ。
純朴さ。
うん。希少資源だよな。
芝居がかりのエゴマニアックスを見物したいなら、都市にはそういう輩が山ほどいる。
だから、オレらには、わざわざ信州までキミを見物に行く理由はない。
まあ、そういうわけだ。
スキー客を誘致したいのであれば、知事閣下は、よろしくガラスの標本箱から外に出ぬように。
以上、一スキー客として言わせてもらった。返事はいらない。もし何か言いたかったら、広告の裏ry
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困ったことだ。
思うに、今回のトラブルに限らず、東アジアの諸国とわが国の間にわだかまっている問題は、歴史だとか文化だとかいった高級なお話ではない。
単にメンツの問題。要するに双方のトップがカッコをつけてるだけなんだと思う。
とはいえ、程度の低いメンツの問題であるからこそ、容易に妥協点が見い出せないというのもまた事実ではある。
領土や経済問題のような、真に重要かつフェータルな問題については、必ずや妥協点がある。というよりも、双方とも妥協せざるを得ない。最終的な妥協点にたどり着けなくても、暫定的な妥協線は、常にあらゆる時点で必要とされる。だって、カッコつけて貧乏するわけにはいかないし、メンツだけのために戦争をやるわけにもいかないから。
でも、靖国みたいな、本質的にはどっちでも良い形式オンリーの問題については、かえって妥協ができない。
なぜかって?
政治ショーに過ぎないからだよ。
そして、小泉さんも胡錦涛も、しょせんはショーダンサーであって、政治家じゃないからだ。
そこで、だ。
参拝というところから、話をズラすのがこういう場合の得策だと思う。
つまり、中央突破が無理ならサイドに展開するという、サッカーファンにとっては当然の戦術的バリエーションですね。
たとえば、靖国神社に産廃処理場を併設する。
環境問題にからめれば相手を思考停止に追い込める、と。憂国の人たちも市民の人たちもコロリとダマせる。うん。いいぞ。
最新式の英霊処理施設だとかなんとか。
対外的には「産廃施設の視察であって、宗教的な意味はない」ぐらいのアナウンスをしつつ、しかしてその実態は公式参拝である、と。どうです?
具体的には黒塗りでやって来た総理大臣ご一行が、参拝処理場の門をくぐった上で神社を参拝する。
しかもこのプランの素晴らしいところは、今後、新たに発生するかもしれない平成の英霊にも対応可能な点だ。
火葬場と産業廃棄物焼却施設を併設する。
傍目には区別がつかない。
でも実態は神社、と。
ん?
「貴様は、お国に尽くして死んだ英霊の遺骨をゴミ扱いにするのか?」
って?
違うってば、だから英霊は英霊。ゴミはゴミ。戦犯は戦犯。ちゃんと分別処理します。合祀はしません。スープもとりません。あたりまえだけど。
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そんなに長持ちしない話題だと思うので、いまのうちに一言。
たぶん、ヤラセ。
でなけりゃ、勘違い。
「白鳥の湖やビートルズ、自作と思われる曲などを次々に演奏」
というところがポイント。
選曲が絶妙に素人くさい。
だって、白鳥の湖にビートルズですよ。これって、ツェルニー30番修了程度の半端ピアノおやじが、酔っぱらってスナックのピアノを勝手に鳴らす時の典型的なパートリーです。
「まあ、素敵」
と、チーママ以下、店のねえちゃんたちは拍手をするかもしれない。
「やるじゃねえか」
と、同行の酔っぱらいさんたちも絶賛するだろう。
まあ、酒の席の余興だし。
それに、自身が一本指プレーヤーであるド素人にとっては、両手でピアノを弾いてるだけで「プロ並みの演奏」ということになるのだな。
いや、オレ自身、かつては「レディマドンナのイントロだけ」とか、その種の一発芸で夜の巷を渡り歩いていたバイエル赤本野郎ではあるわけで、そのあたりの事情は承知している。そういうセコイ持ち芸(ジムノペティとかも)でも、うまいタイミングでさらりとやってみせると、善良な人たちは、けっこうびっくりしてくれるものなんですね。
おそらく、ケント州のクソ田舎の人々の耳には、白鳥の湖が超絶技巧の一大名演奏に聞こえたんでしょう。
ほほえましい話ですよ。
ヤラセでないんなら。
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日テレにてテレビ観戦。
てっきり夜だと思いこんでいたら、なんとデーゲーム。あやうく見逃すところだった。ほとんどまったく番宣をやっていなかった気がするのは、やはり日テレだからか。
巨人戦の視聴率低迷を気にしている→サッカーの宣伝なんかしてる余裕ねえよ……と。
国歌独唱は尾崎キヨヒコ。ポケットから小さな笛を出して、一声鳴らしてから歌い出す。賢い。かつて、堀内タカオをはじめ、何人もの歌手が歌い出しのキーを誤って墓穴(君が代って、中盤から後、どんどんキーが高くなるから……)を掘っていたのでね。
とはいうものの、「無伴奏独唱」という国歌セレモニーのスタイルはもうそろそろおしまいにした方が良い。ただでさえ辛気くさい歌が、アカペラのせいで、余計にショボく聞こえる。普通の国の普通のスポーツイベントの場合と同じく、吹奏で十分だと思う。
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ipodユーザーとして見過ごせないニュースなので、ちょっとひとこと。
※iPodなども補償金制度の対象にすることを強く求めていく~JASRAC事業報告
要するに、JASRACとしては、「HDDもまた、ビデオデッキやDVDディスクと同じく音楽を録音する媒体として利用され得る機器であるのだからして、あらかじめ著作権料を上乗せした価格で売られるべきだ」というわけだ。
私的録音録画補償金制度は、ビデオデッキやDVDレコーダーなどの録画機器やMDレコーダーなどの録音機器、 MDや音楽用CD-R、DVD-RW/RAMなどのメディアについて補償金を徴収し、著作権者に還元する仕組みとして導入されている。ただし、iPodのようなHDD内蔵型プレーヤーやデータ用CD-Rなどは対象となっておらず、JASRACをはじめとする著作権管理団体が対象となる機器やメディアの拡大を求めている。
上納金ですよね。これ。 っていうか、利権ゴロ、ナワバリヤクザの手口そのまんま。 つまり、アレだ、紙だって楽譜を書く媒体にはなるわけだから、補償金の対象になる、と、そういうことだよね? ……参考までに、去年「Asahiパソコン」に書いた原稿にリンクを張っておきます。 小田嶋 隆の価格ボム!
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野暮用で南大沢に出動。
ことのついでに駅前のショッピングモールを覗くも、人が多すぎてモノを買う気になれない。蚤の市じゃないんだから。
午後3時過ぎ、野猿街道の路上で雹(ひょう)に遭遇。
一点にわかにかき曇り――という表現そのままに、晴れ渡っていた空が暗くなったと思ったら、雷鳴とともに直径10~15ミリほどの氷の粒が落下してきた。クルマの屋根を叩く音のものすごさに興奮。わざわざ窓から身を乗り出して雹を浴びてみる。ばか。天変地異好きは、爺さんの代からのDNAなのだろうな。たぶん。ばか。
帰路、前から気になっていた仙川のスーパー銭湯におもむく。
猛烈な混み。
ガンジス状態。
一人前の男が風呂でくつろぐためには、最低でも一人アタマ畳一枚分ぐらいの浴槽占有スペースが必要だと思う。
8畳ほどの浴槽に15人という入浴密度は、これは宗教的な何かが後押ししていないと耐えられない。
サウナも。
タワーサウナ(広さは小学校の教室の半分ぐらい)に、約40人。
アウシュビッツ密度。
午後5時台の山手線ぐらいか。
手足を縮めて座る数十体の裸身。
無言で汗をかく全裸中年集団。
ダメだ。
こういう状態にとけ込むことを許さない何かがオレの中にはある。
自尊心。
あるいは選民意識だろうか。
当初、駐車場の広さ(建物の一階部分の駐車場とは別に、二つの野外駐車場を確保している)に感心していた私は、考えが浅かった。
駐車スペースの大きさは、浴場経営者の強欲さに比例している。
なんとなれば、郊外型の大型浴場施設の場合、同時に浴場に詰め込まれる人数は、駐車台数にほぼ比例しているからだ。
「ちぇっ、ケチくさい駐車場だぜ」
と、時々行くわらびの風呂屋のすぐにいっぱいになる駐車場を毎度呪っていた私は、愚かだった。
あの風呂屋は、実は良心的だったのだな。うむ。
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テレビから、「♪光る海光る大空……」と、SMAPの歌う「エイトマンのテーマ」(←フレッツ光のCMソングになっている)が聞こえてくる。
このメロディーを聴く度に強い違和感を覚える。
私をして違和感を抱かしめる第一の理由は、おそらくアレンジにある。ハーモニーの付け方というのか、コード進行が異様で、モト歌(←軍歌ですな、構造としては)と似ても似つかない出来上がりになっているわけだ。で、このサウンドが当方の音楽的潔癖(っていうか、幼年期の記憶という頑迷な王国)を傷つけてやまない。
だから、この歌が聞こえてくると、「SMAP」も終わりだな、と、必ずそう感じる。
いや、たいした根拠はないのだが、エリッククラプトンに作曲を依頼(←ソングライティングをお願いするにふさわしい相手ではありません。事実、つまらん歌だし)したり、そのまた訳詞を竹内まりやにやらせたり、という無意味な王様ぶりをはじめとして、このエイトマンにおける小生意気なコード解釈といい、メンバー全員の奇妙なポーズ(斜め上30度上方目線。特にキムタクの座り方が「オレって脚長いだろ」式の昔の日活映画っぽくてキモ)といい、「世界にひとつだけの花」からこっち、やることなすことのすべてが微妙にスベってきていると思う。
「世界にひとつだけの花」については、出典は忘れてしまったが、どこかのホームページの書き手が、「競争原理の代替品として個性主義を持ってくるのは見当違いだぞ」という主旨の突っ込みを入れていて、「なるほど」と思いました。って、それはまた別の話ですねえ。ええ、話がどんどんズレています。
エイトマンですが、これについての思いもちょっと複雑で到底順序立てて話をすることは不可能な感じがするので、以下箇条書きにします。
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「民主党は11日午後の「次の内閣」で、党教育基本問題調査会(鳩山由紀夫会長)がまとめた教育基本法改正に関する中間報告について協議、「国家主義的な教育を招きかねない」などとして「愛国心」という言葉は用いず、それに代わる新たな表現を検討する方向で一致した。――後略」(←神戸新聞より引用。すんません)
……ったく。民主党は相変わらずですな。言葉を変えれば現実が変わるとでも思っているんでしょうか。
でもまあ、鳩山さんは高校の先輩なのでね。粗末には扱えません。
よろしい、今回だけはわたくしが一肌脱いで、愛国心に代わる新しい言葉を案出いたしましょう。
ずばり 運国心 というのはいかがでしょうか。
うんこくしん。国をドライブする意志。自ら国家の主体たらんとする民主的愛邦意識。国家の運営に挺身せんとする満腔の気概。どうです? 素晴らしいじゃありませんか。
ただひとつ心配なのは、売国IMEのATOKあたりが、無神経にも「うんこ苦心」だとかいった調子の亡国的変換結果を返して来がちなことですが、それもまあご愛嬌ということで。だって、じっさいのところ、愛国心というのは情動上の排泄行為みたいなもの……ry
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衝撃的な事件に遭遇した時、あるいは突発的な悲しみにおそわれた時、人は、一人になりたいと思うものだろうか。
無論、一人になりたがるタイプの人間もいるとは思うが、多くの人々は、孤独から逃れたいと考えるものなのではなかろうか。
まして、共通の悲しみを持つに至った人々は、集まりたがるのが自然だと思う。
何を言っているのかというと、つまり、宴会のことだ。
JR西の社員が、例の尼崎の脱線事故の当日、予定通りに宴会を開いたことについて、先日来、メディアは鬼の首を取ったように騒いでいる。
どうかしていると思う。
今回のなりゆきについて、遺族が反感を感じる気持ちはわからないでもないし、一般的に言って、こういうタイミングでの宴会は、不謹慎だとも思う。
でも、それにしたって、あんな言われようはない。まるで、事故の原因が宴会だったみたいな、ああいう吊し上げはどうかしている。
もうひとつ、指摘しておきたいのは、「宴会」という言葉を使うから不謹慎な感じがしている部分が大きいということだ。
実態は、必ずしも飲めや歌えやの浮かれ騒ぎだったわけでもなかろう。
というよりも、同僚が死に、会社が危機に瀕している夜の酒だ。宴会のわけがないじゃないか。
こんな事件があった夜に、まっすぐ家に帰る気持ちにはなれない。だから予定されていた仲間うちの集まりに顔を出して、同僚と情報交換をしたり、互いに嘆きを分かち合ったりしたくなる……少しも不自然ななりゆきではないと思う。
私も、その昔、友人が突然亡くなった時、残された仲間同士で集まって酒を飲んだことがある。
浮かれていたかって?
冗談じゃない。
不謹慎なのは、そういう折の酒席を「宴会」と呼ぶ人間の方だよ。
上のリンクの5月12日分の記述を読んでみてほしい。
私の方からはあえて感想を述べないことにする。
「皿仕上げ」という手法です。
ええ、2ちゃんねるで学びました(笑)。
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うーんTBSの編成制作本部スポーツ局企画渉外部の担当部長(47)ですか。47歳。イヤな予感がして調べてみると……ああ、やっぱり……知り合いですね。
そう。古い知り合いだ。
多少の恩義もある。
はるか昔、私が野球ゲームについて連載記事を執筆していた雑誌(「遊撃手」というコンピュータゲーム雑誌)に登場してもらったこともある。いまから20年前、たぶん、1986年の話だ。
当時、私は、ラジオスポーツという今は無くなってしまった部署に、出向のディレクターという肩書きで出勤していた。
まあ、事実上は雑用のアルバイトだったのだが、当時の(今もそうなのかもしれない)TBSには、「アルバイトは半年で解雇。同一人物の再雇用はしない」という原則(←「ずっと以前に局のベテランアルバイトが団結してストを打ったことがあるらしく、以来、TBSはアルバイトが職場の実権を握ることに非常な警戒心を抱くようになった」と聞いている)があって、それで、アルバイト期間を終えた私のような立場の者は、形式上、出向Dという形で職場に座っていたわけだ。もちろん、この摩訶不思議な雇用形態の裏には、芸者置き屋じみた人材派遣専門の幽霊企業(と、おそらくは、その会社からどこかに流れて行ったキックバック資金)が介在しているのだが、それはまた別の話だ。いつか書くことがあるかもしれない。ないかもしれない。どっちにしても、あんまり愉快な話ではない。
話を元に戻す。
話題の「部長」、K氏は、私の古い知り合いだった。年齢は私の方が一つか二つ年長だが、立場は向こうが上ということで、何というのか多少微妙な関係ではあったものの、事実上は、同年配の友人みたいな感じでつきあっていたわけですよ。気の置けない仲間として。
ってことで、以下、私がこれからここに書くテキストには、若干の身びいきが含まれている可能性がある。そこを承知の上で読んでほしい。
K君とは、もう20年も会っていないが、私の知っている限り、少なくとも当時の彼は、卑怯者とか、そういったタイプの人間ではなかった。
むしろ、さっぱりしたスポーツマンタイプの男で、どちらかといえば、田舎臭さの抜けない、好人物だった。
あの局にあまたいるコネ入社丸出しのお坊ちゃま社員とは違って、実務能力もあったし、きちんとした責任感もある立派な社員だった。
特に、スポーツ競技全般に関する知識は、当時から抜群だった。なかでも野球、サッカー、ラグビーに関しては、何でも知っていた印象がある。
当時、ラジオスポーツ室で、ワールドカップメキシコ大会を一緒に見ていたことを思い出す。
K君はドイツ選手の名前をほとんど全部フルネームで暗記しており、プレーの特徴を解説しながら、それはそれは熱狂的に観戦していた。
情熱、知識、見識……と、そういうものがいくらあっても、あの会社では、社内的に、自前の能力で入社した社員ほど、常に能力を発揮し続けていなければならないプレッシャーにさらされている感じがあって……と、好意的に解釈すれば、以上のような事情があるんだが、まあ、どこの会社でも同じですね、きっと。
ただ、有能とは言っても、K君にホームページのコラムを定期的に執筆するタイプの才能が宿っていたのかどうかは、ちょっとわからない。
文章の書けそうな人間だったのかと問われれば、そういう能力は、あんまり無かったかもしれない、と答えねばならない感じがする。
いかに知識が豊富でも、取材経験を持っていても、文章を書くということに関しては、また別の技術と経験が必要だったりするものからだ。まあ、偉そうにいえば、だけど。
たとえば、3ヶ月に一本、字数にこだわらないエッセーを書く、というミッションなら、あるいは十分に水準の高い文章を書くことはできたかもしれない。素人であっても、独自の情報を持った人間の文章には、それなりの価値があるわけだし。
要は、負担が過大だったということだ。
サラリーマンとしての通常業務をこなしながら、定期的にコラムを執筆するなんてことは、土台、不可能な話なのだ。なんとなれば、良いコラムを書くためには、なによりもまず怠ける時間が必要(笑)だからだ。
冗談はともかく、あれだけのメディア企業の看板ホームページにスポーツコラムを書くということは、本職のライターにだってけっこうなプレッシャーのかかる作業なわけで、到底、部長仕事の片手間でできるようなものではない。っていうか、できては困ります。
別の言い方をするなら、彼(TBSのホームページ制作者も含めて)は、コラムというものを甘くみていたわけだ。
テレビを通じて何百万人を相手に番組を作ってきた経験があるんだから、なあに無料閲覧のホームページのコラムぐらい……と。
ともあれ、悪気はなかった。
……と思いたい。
というよりも、読売新聞の「よみうり寸評」みたいな、業界人なら誰もがチェックしているにきまっている超有名どころから露骨にパクってきているあたり、悪質というより、あまりにも世間知らずだったということなのだと思う。
隠蔽工作も、まるで隠蔽になっていない。「編集長コラム」と題しているものを、「別のフリーライターが書いていました」なんて、言い訳にさえなっていない。むしろ別の疑惑(ゴースト疑惑、原稿料ピンハネ疑惑)を招いてかえって良くない。
あっさり盗用を認めてあやまっていれば、まだ傷は浅かったのに。
脇が甘かったということなのだろう。
そんなバカな男だとは思わないのだが。
何かに行き詰まっていたのだろうか。
ひとこと相談してほしかった。
「ネタが無いんだけどさ」
と、電話をくれれば、参考になる答えを教えてあげられたかもしれない。
「トバせばいいんですよ」
とか。
そう。ネタが見つからない時には、トバせば良いのだ。ホームページのコラムが、一回や二回飛んだからって、どうってことはない。どんどんアナをあければ良かったのである。
でなくても、部長権限で部下に書かせるなり、外部に発注するなり、いくらでもテはあったはずだ。
その他、締め切りを延ばす。話題をズラす。無駄話を書く。ズルける。逃げる。色んなテがあった。
パクるというのは、あらゆる選択肢の中で、最悪中の最悪だった。
出来の悪い文章を書くほうがずっとマシだった。あるいは、「執筆者急病のため」という見え透いたウソでも良い。
どういう処分になるのか、世間は注目している。
特に、朝昼の番組が、JR西日本のボウリングとかを容赦なく叩いていた矢先(←この叩きっぷりに反感を感じている視聴者は、たぶん、ものすごく多い)であるだけに、視聴者の目はいつにも増してきびしいはずだ。
どうするんだろう。
とにかく、早まった決断はしないでほしい。
ぜひ。
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