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2005/03/06

都会人

 3月3日のコメント欄で、「お上りさん」について、中途半端な書き方をしている。誤解を招くかもしれないので、ちょっと補足しておく。

 コメント欄で述べた定義では、「田舎者」は「地付きの人間」を、「都会人」は、「コスモポリタン」すなわち「故郷を捨ててきた人間」を意味している。
 そういう意味では、「お上りさん」こそが都会人であり、私のような辺境の東京人は、狭苦しい地元にへばりついているという意味で「田舎もの」ということになる。
 ここで言っている、「都会人」の具体的な性質は
・現住所に地縁、血縁が希薄であり、それゆえに独立独歩であること
・相続資産や親がかりのコネクションではなく、本人の努力と資質で食っていること。
 ぐらいになる。
 ってことは、これは、田舎出身者ということだ。
 田舎出身の都会暮らしであるからこそ、過去のしがらみから自由であり、資産やコネクションを持たない独立独歩の人間であるがゆえに貪欲かつ大胆な方針で人生を運営することができる、と、そういうわけだ。
 別の言い方をするなら、田舎から都会に出てくるためには、野心、学歴、ないしはバイタリティーが不可欠で、そういうガッツを持たない人間は、いつまでも田舎にくすぶっている、と。

 誤解を招くのは、ここで私が言っている「お上りさん」的な「都会人」の内実が、世間一般の言う「都会的」「シティー派」という言葉のニュアンスと、まるで違っているからだ。

 ちなみに、世間ないしは女性誌やテレビの言う「都会的」は
・豊かな育ちを背景にした文化的な雰囲気
・洗練された美的センス
・親から受け継いだ資産
 といったほどのことを意味している。
 要するにこれは、何かというと「資産家」の、しかも「二代目」の特徴である。

 話を整理すると以下のようになる。
A.都市の文化と繁栄を作っているのは、山出しの、お上りさんたちの才覚とバイタリティーである。
B.一方、都市の果実とも言うべきブルジョア文化の恩恵にあずかっているのは、都会生まれの資産家の二代目だったりする。
 いずれを真の都会人と呼ぶのかは、これは意見のわかれるところだろう。
 
 実際には、事情はさらに複雑だ。
 東京在住者のうちに、
A東京生まれの人間
 と、
B地方出身者
 の区別があることは自明だが、細かく見ていくと、たとえばAの東京生まれの中には
 A1.資産家(乳母日傘組:高級住宅地のブルジョア)
 A2.貧乏人(ゲットー育ち:ダウンタウンのDQN)
という、二通りのまったく相容れない人々が含まれている。
 Bの地方出身者のうちにも
B1.成功者、勝利者として東京に進出してきた者(学歴エリート。都心ないしは、郊外に土地付きの家を買った資産エリート)
 と、
B2.食い詰め者(田舎の田畑を相続できないがゆえに、出奔せざるを得なかった農家の次男三男)
 の違いがある。
 
 以下は、昨年の11月に「ビジネスジャンプ」誌のために書いた原稿ですが、参考までに。 

 ナビスコカップ決勝は、FC東京の勝利に終わった。
 悔しい。少しもうれしくない。
 私は、東京の北のはずれの赤羽という町で生まれた。
 その私の郷土意識は、赤羽にはあっても、東京にはつながっていない。なぜなら東京はあまりに広く、あまりにも高飛車で、あまりに下品だからだ。それに東京を作っているのは、東京で生まれ育った地元の人間ではなくて、どこかから出てきた田舎のエリートだからだ。
 詳しく述べる。
 日本全体の枠組みで言うと、この国では、成功した人間は東京に出てくることになっている。東京生まれの人間でも、成功した組の者は地元を捨てて世田谷区だとか港区(つまり日本一土地の値段の高い住宅地)に移り住む。生まれつき港区内のお屋敷で育って、なおかつ成功してそこに住んでいる人間もいないわけではないが少数なので無視する。
 つまり、何がいいたいのかというと、「東京は、そこで生まれた者のための町ではなくて、田舎から出てきた人間のための町だ」ということだ。
 だから、東京生まれの冴えない地元民は東京になじめない。だって、田舎から出てきたヤツの方が、学歴も高いし、カネも持ってるし、おしゃれだし、野心的だし、女にモテるからだ。
 というのも、田舎から東京に出てきた人々が、地元での競争に勝ち残った結果として東京にいるのに対して、東京ジモティーは単に地付きでくすぶっているだけだからだ。
 てなわけで、私の郷土意識は、ほとんど違和感なく、浦和にリンクしている。昔からの地場の人間が多く住んでいる町ならではの、保守的で、内気で、ドン臭い空気が身になじむからだ。六本木ヒルズで待ち合わせをしているあの人たちは、オレの仲間ではない。
 敵だ。
 もっとも、FC東京の最もコアな部分のファン層も、それはそれで強烈に東京田舎な人々(深川ジモティー&調布在所)でできあがっている。
 であるからして、浦和田舎と東京田舎の応援合戦は、おそろしいばかりに泥臭かったりもするのだが、ここで話を複雑にしているのが、東京イコール都会という田舎くさい等式を鵜呑みに信じ込んでいる都会派の連中(←猛烈にわかりにくい表現ですが、要するに「都会的なライフスタイルなんてものは東京に憧れている人間にしか実践できない」ということ)だ。
 このいけ好かない上っ面なサッカーファンが、浦和を田舎者呼ばわりにするおかげで、元来が誇り高い田舎者である浦和民は、いよいよ猛りたって我を忘れ、猪突猛進を繰り返してはノーゴールに終わり、結果的には、ぐるんぐるんに空回りして、負けてしまう。
 ここ数年、ずっとそうだ。
 だから浦和民は、FC東京を「東京」と呼ばない。「ガス」と呼ぶ。で、自分でそう呼んでおいて、ガスに勝てない。
 私は、「まさにガスだね」という、あのCMを見る度に怒りに燃えるのだが、赤い炎は不完全燃焼で、敵の思う壺だ。ガスは正しく使いましょう。畜生。
 

 結論を述べる。
 一般に言う「都会的」なる概念は、都市の性質や地方固有の文化とはまるで関係の無い、上滑りな形容詞に過ぎない。実質的なニュアンスは「おしゃれ」「ハイソ」「セレブ」といったあたりの言葉と同じで、唯一の実質的な意味は、「ブルジョア趣味」ということに尽きる。
 さあ、仕事に戻ろう(笑)
 

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コメント

>このいけ好かない上っ面なサッカーファンが、浦和を田舎者呼ばわりにするおかげで、
>元来が誇り高い田舎者である浦和民は・・・

これわかるなあ。

私は実家がFC東京の地元調布にありながら、レッズを応援している者です。
(現在は田嶋さんが嫌いな世田谷区在住です)
今でも実家の近所には、かつてレッズのジュニア組織であった養和会のグランドがあり、
Jリーグができる前は三菱サッカーチームの練習場でもあったので、
福田正博なんかがプラプラ歩いていたりした、三菱には親近感がある場所です。

そうゆうわけで、浦和に移ってレッズになったチームを今でも熱烈に応援しいるのですが、
FC東京がJ2に上がってきた頃から微妙になってきたわけです。
それがJ1で戦うようになってからというもの、なんとも鬱陶しい気分にさせられています。

それは、FC東京、いや、ガスサポの連中が、埼玉スタジアムへ来たときに
>戦え~、イナカでも~
などと歌うと、猛烈にハラが立つ訳です。

だって、お前等だってイナカじゃねえか!

調布のジモティーである私は知っているのです。
調布だって浦和に負けず劣らずイナカであることを。
駅前のパルコなんて、地下の食品売り場しか客がいないのに。

それを、「東京」という地名を無理やりつけてブランド化し、
地方の東京をあまり知らない人たちをダマすのは、元調布市民として許せません。
あそこはかつて「北多摩郡」とよばれた、所謂郡部なのです。
つまり東京都下。イナカ。

でも、多摩地域の誇りってものもあるわけです。
それを、「トーキョー」などというのは、正に
>東京イコール都会という田舎くさい等式を鵜呑みに信じ込んでいる都会派の連中
ということなんですね。
同じ都下の八王子市民を見習って欲しいです。彼等は地元を「東京」などとは言わない。
例えユーミンの実家があったとしても。

私は、浦和というイナカを大事にできるレッズサポがうらやましいです。

ガスサポは「カッペ」です。
カッペと言われたくなければ、すぐに「FC調布」あるいは「FC三多摩}などに改名するか、
練習場を青山か原宿に持って来い!

・・などと常日頃から思っている次第です。

投稿: おと | 2005/03/08 13:05

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前回のエントリーを書いた後、読み返してみて、 あー、も実はほりえもんの方がずっと大人で、それに絡んでクダを まいている自分の方がよっぽど大人げないような気が... [続きを読む]

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