年頭所感
あけましておめでとうございます。
年賀状をくださった皆さん、どうもありがとうございます。返事を書けない失礼について、この場でお詫びさせてください。
いや、お詫びはともかくとして、実際のところ、私宛てに今朝届いた年賀状は、全部あわせてたったの3通だったわけで、しかも、うち一通は、差出人が編集部でした。つまり、小田嶋の個人名宛てに届いた個人名の年賀状は2通だったわけですね。ええ。
つまりアレだ。私が、この30年間ほど粛々と継続してきた年賀状廃絶運動は、ここへ来て、なんだか因果応報を絵に描いたみたいな形で結実しつつあるのだな。
うれしいようなさびしいような。
複雑な気分だよ。
年々歳々、元旦の感慨は複雑な方向に傾いていく。
天皇杯も負けたし。関係ないけど。
若人よ。言わせてくれ。
人は時が流れるから年を取るのではない。
むしろ、オレたちが年を取るから、時が流れるのだ。
君たちも、そう遠くない将来、知ることになるだろう。
誰かが年を取るのをやめたら、その人間の周りでは、時間が停止してしまう。
つまり、万年青年がいる場所では、世界は意味を失い、交流を止め、腐敗するのだ。
とすれば、われわれは、新年の到来を祝い、老化の昂進を寿ぎ、肉体の衰亡を歓迎しなければならない。
それが年賀というものの実態だ。
ついでに、あえて賀状の送付を自粛してくれた心優しい朋友たちに、感謝の念を表明しておきたい。
友人の少ない男である小田嶋にとって、君たちは、とても大切な存在だ。
ぜひ、無事な一年を過ごしてほしい。
ここを読んでいる人も、読んでいない者も、ぜひ、辛抱強くこの一年をやり過ごしてくれ。
私がこんなことを言うのは、ただでさえ数の少ない友人の多く幾人か(←1月3日訂正)が、苦難に直面しているように思える困難に直面しており、そのうちには、連絡をとることさえはばかられる状態の人々がいる(←1月3日訂正)からだ。
そう。私が大切に思っている人々は、誰もが皆、苦しんでいるように見える。
痛ましいことだ。
友よ。
悪いことが永遠に続くケースは少ないはずだ。
十分に睡眠をとった後の天気の良い朝にもう一度考え直してみてくれ。
悪いことばかりじゃない。
2割かそこらは、良いこともある。
な。
ということで、今年もよろしく。
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コメント
わたしも3通でした。
めがね屋、車検屋、紳士服店。
冠婚葬祭なんていらない。それでなくたって人生は短い。もっとやるべきことがある。たとえば、HD/DVDレコーダにたまったビデオを消化するとか、積読になっている本を読むとか、英検2級の単語を暗記するとか。
投稿: Inoue | 2005/01/11 18:59
mchu tydku oiqyvulra fghxw gqwnt gdniospfk rieqjh
投稿: ngzfjqitu yacimfrt | 2007/09/30 00:20