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2005/01/26

手錠

 小林薫容疑者の現場検証映像を見ていると、手錠および腰縄の部分にモザイクがかかっている。
 ははは。
 まだこんなことをやっているのか。
 おそらく、この手錠モザイク処理は、不起訴処分になった容疑者とかから
「容疑者に過ぎない段階で、手錠姿を全国放映されたことで社会的なダメージを受けた」
 みたいな抗議があった場合に備えての、事前弁解みたいなものなのであろう。
 いや、それすら考えていないのかもしれない。
 単なる前例踏襲の機械的処理。問題用語にピー、手錠にモザイク、韓流におばさん映像。条件反射。

 というよりも、テレビ各局が手錠姿にモザイクをかけるようになったきっかけは、三浦和義だったかが手錠姿を全国放映されたことについて損害賠償の訴訟を起こして勝訴したからなのかもしれない。
 いずれにしても、彼らが人権に配慮しているつもりなのであれば、モザイクをかけるべきは容疑者の顔であって、手錠ではないはずだ。
 だって、手錠モザイクの場合、モザイクをかけていようがいまいが、状況からして、モザイク部分が手錠であることは誰にだって即座にわかってしまうことだからだ。
 つまり、メディアが手錠にモザイクをかけている理由は、人権に配慮しているからではなくて、人権に配慮してますという姿勢をアピールしているからに過ぎないわけだ。

 よく似た話に、「プライバシーを配慮して、声を変えています」というヤツがある。
 あの、内部告発者だとかのインタビュー音声が、低いノイズまじりの音声に変調されるアレだ。
 実は、あれは、知っている人には、判別可能だったりする。
 というのも、人の語り口を個別化している要素は、必ずしも声のトーンだけではないからだ。
 イントネーション、訛り、発音のクセ、間の取り方、接続詞や常套句の使い方などなど、個々人のしゃべり方には思いのほか強い個性がある。
 昔、とある知り合いがテレビのニュース番組のインタビュー(←たしか市販パソコンソフトの違法コピー事情についてのお話だった)を受けて、例の変調音声が流れたことがあったのだが、私の耳は、最初のセンテンスを聴くなり、「おい、Kちゃんじゃないか」と、一発で声の主を識別した。いや、私が特別に良い耳を持っているというお話ではない。誰だって、知り合いのしゃべり方は、声が変わっていてもわかるということです。
 結局、この場合も、「音声を変調してあります」の目的は、発話者のプライバシー保護ではなく、メディアが、取材相手を安心させるためだったりするわけで、安心してゲロったおっちょこちょいの業界人は、放映後、ちょっとした業界内有名人になるwけですね。くわばらくわばら。
 
 
 
 
 

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スーツケース

 どこだかの公園で、スーツケース入りの死体が発見されたようだ。
 発見者はさぞやたまげたことだろう。

 路上、公園、河川敷などにスーツケースが放置されている場合、中には、
1.現金が入っている。
2.死体がはいっている。
 という、両極端のケースが考えられる。
 過去の新聞記事を検索すれば、両方のケースが出てくるはずだ。
 
 とすると
A.開けずに通り過ぎて、中身が現金だったら大いにくやしい
B.といって、開けてみて死体と出くわすのはかなわない
 わけで、非常に困る。
 とりわけ、最も対処しにくいのは、
X.現金と死体が同時にはいっていた場合
 だと思う。
 全裸美女死体が死後硬直した腕いっぱいに札束をかかえていたりした場合、どのような対応をすべきなのか、そういう有事のための対応は、あらかじめ考えておくべきなのかもしれない。
 寝よう。

 


 

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2005/01/03

ウォーキング

 昼過ぎに起床。
 早起きの習慣は2日にて終了、と。
 2時半過ぎ、高校サッカー、国見VS藤枝東をテレビ埼玉にて観戦。
 藤枝東のMF赤星君はなかなか面白い。しかもレッズに入団が内定しているという。いいぞ。
 プロ入り後、そのまま活躍できるかどうかは未知数だが、ボールタッチとパスセンスは非凡だと思う。
 長谷部、啓太、山瀬(←本当に移籍するつもりなんだろうか?)と、ライバルは多いが、精進してプロのフィジカルを身に着ければ、食い込むスキはあると思う。がんばってほしい。
 
 午後4時過ぎ、蟄居に飽きて外出。
 ガード下の商店街をしばらくひやかした後、出来心でウォーキングに出かける。
 ウォーキングという言葉の語感はなんだか気恥ずかしい。でも、実際に私の歩き方が、散歩というよりウォーキングのそれだったのだから仕方がない。なんというのか、歩きっぷりの必死さ加減が、どこからどう見ても散歩ではないのだ。つまり、風景を眺めるだとか季節の移ろいを肌で感じるだとかいったことはそっちのけで、あくまでも歩くことそのものを自己目的化した感じでガツガツ歩いたわけです。後ろから追いかけられているみたいにせかせかと、まっすぐに前を見て。あさましくも。
 ウォーキングもそうだが、普段使っている動詞をそのまま横文字にするとちょっと違ったニュアンスの言葉になる。ウォーキングと、「歩く」は、明らかに違う。ヘンな言葉だ。
 そもそも歩くという行為は、まず第一に目的地に移動するための動作だった。われわれは、ずっと移動のためにのみ歩いてきた。その意味では、歩行を目的に歩くというのは、ちょっと狂った理屈だ。でなくても、徒歩以外に移動手段を持たなかった時代を生きてきた人間の感覚からすれば、健康法としてのウォーキングなんてものは、罰当たりな贅沢というのか、本末転倒だ。
 とはいえ、現代人の生活に歩行の絶対量が不足しているということは、これはどうにもならない事実だ。
 と、人間の身体は一定の距離を歩くことを前提として作られているのだからして、これを省くと困ったことになる。血流の停滞、呼吸の圧迫、筋肉の萎縮、関節の凝固、血管の硬化。やばい。
 で、われわれは、自動車を走らせ、電車に乗ったりなどしつつ、その一方でスポーツないしは健康法としてウォーキングにいそしんだりしている。
 理屈としては確かに奇妙だ。
 というのも、普段は、徒歩移動遅さを嫌って、動力付きの移動手段に頼っていながら、そうやって稼ぎ出した貴重な余暇時間を、ウォーキングに割いているからだ。逆方向に考えれば、われわれはウォーキングに費やすための時間と労力を稼ぎ出すために、電車に乗っていることになる。
 ヘンだ。

 でも、やってみると「歩くために歩く」という経験は、そんなに悪くない。
 というよりも、われわれはもはや歩くために歩くのでないと、純粋に歩くことができないところに来ているのだ。

 歩くことによる効用は、血流呼吸の促進にとどまらない。
 なにより、アタマが働く。
 速いペースで歩き続けていると、座っている時には思いも及ばない大量の思考活動が展開される。
 もちろん、歩いている間に考える思考が、物量として膨大であっても、質的に高級であるのかどうかはわからない。
 私の場合、歩行中の思考は、あんまり建設的な方向に向かない。まあ、元来、思考という作業は、原理的に建設的ではあり得ないものなのかもしれないのだが。
 ともあれ、歩いている間、アタマの中の言葉は過去に向かう。
 追憶というほど湿ったものではないものの、それでも、あることないこと色々と思い出すのだな。オレは。
 歩いたコースは、赤羽台から西が丘、姥が橋を経て、十条台、十条駅に到着、帰りはそのまま十条仲原を経て赤羽に戻るルートだ。途中、高校の同級生の家の近所を歩き、小学生時代に通った金魚の養魚場(無くなってました)を通った。西が丘の台地を歩いている頃に夕日が落ち始め、十条駅に着く頃には真っ暗になっていた。
 十条銀座のカバン屋で、一番小さいリュックサックを購入。暑くなって脱いだ手袋とネックウォーマーをそのリュックに収納して、帰り道は暗い中を急ぐ。
 道中、iPodで鳴っていた曲を紹介しようと思ったのだが、また接続不能になっている。
 大晦日に復活(itunesを削除&再インストールしてみてもダメだったので、思い余って「プログラムの追加と削除」で、「iPodソフトウェアの更新」という項目を削除した。と、それまで、認識不能だったipodのドライブを認識するようになった)したばかりだというのに。
 寝よう。

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2005/01/02

節句働き

午前8時に起床。
三が日は勤勉。
怠け者の節句働き。
いや
むしろ独身生活の福音というべきだろう。
つまり、私という男は、一人で放っておけば、けっこう働き者なのだよ。
孤独に抗して余儀なく動かざるを得ない成り行き、だ。
アルコール依存に陥るほどに苛烈な勤勉の呪い。
そう、私のアルコール依存は、あれはおそらくワーカホリックの一症状だった。
何かをしていないと落ち着かないという強迫観念が、ブラブラ者をして酒場に向かわしめるという力学的必然。
どうせ何も生産できないなら、寝ていればいいのに、そこのところのあきらめがつかなかったわけだな。
まったく

……そういうわけで
洗濯をした。
それから料理と買い物。
掃除と雑誌の整理。
素晴らしく創造的な一日だ。
で、夜はテレビ視聴
昨夜は「アリ」@BS-i、今夜は「イマジン」@BSテレ朝を観た。
正月恒例の、手持ち無沙汰なオヤジ向け’70s回顧特集ってわけだ。
わが失われた週末。
いや、失ったのではない。
過ぎ去っただけだ。
モハメドアリと、ジョンレノン
われらが青春の神々。
ま、一種の初詣でだな。

勤勉ついでに、とりとめのないことでもとにかく文章にしておく。
文章は毎日書かないといけない。
でないと、いざというときに調子が出ない。
しばらくぶりに書く日記は、たいていの場合ぎこちない。現に、これもそうだ。
でも、毎日書いていれば、試合勘が戻って、きっと良いパスが出せるようになる。
それまでは、後ろ向きの単独ドリブルで時間を稼ぐ。
ホールド・オン・ジョン。
がんばれオレ。

伸二よ。
大切なのは良いサッカーをすることじゃない。
どんなサッカーであれ、毎日サッカーをすることだ。
ボールを蹴れない日にも、だ。
だから、You just have to carry onだよ、伸二。
そうジョンレノンの言葉だ。
Dream is over. に先立つ、素晴らしいフレーズだ。
がんばってくれ。
オレも頑張る。


ところで、テレ朝でやっていたスペシャル番組


※戦後60年新春特別企画ビートたけしの陰謀のシナリオ!!日本を震撼させた戦後7大事件はアメリカの陰謀!?SP 歴史は繰り返す?昭和27年日航機事故は米軍撃墜?▽3億円事件&ビートルズ武道館公演は安保闘争つぶしの(秘)謀略▽国鉄総裁は謀殺下山事件と朝鮮戦争▽帝銀事件と薬害エイズの罪◇

を、ちょっとだけ見た。
あきれた。
酒のサカナにさえならないレベルの与太話を、大真面目に番組にするとは。
私自身、ブッシュのアメリカには反感を抱いている組の人間だが、それでも、こんな言いがかりレベルの陰謀論(←UFO実在説とどっこいだと思います)は相手にしないぞ。
だって、3億円事件がアメリカの陰謀……って。いくらなんでもあんまりだろ?

たけしもヤキが回ったようだ。
本人がこのガイキチ陰謀論をマジで信じているのかどうかはともかく、こんなクソ番組のタイトルに自分の名前を冠することを許したのは事実なわけで、とすると、この人が借金漬けで守銭奴化しているという噂はあるいは本当なのかもしれない。

たけしよ。
夜は眠れるか?
本当に大丈夫なのか?
How do you sleep at night?

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2005/01/01

年頭所感

 あけましておめでとうございます。
 年賀状をくださった皆さん、どうもありがとうございます。返事を書けない失礼について、この場でお詫びさせてください。
 いや、お詫びはともかくとして、実際のところ、私宛てに今朝届いた年賀状は、全部あわせてたったの3通だったわけで、しかも、うち一通は、差出人が編集部でした。つまり、小田嶋の個人名宛てに届いた個人名の年賀状は2通だったわけですね。ええ。
 つまりアレだ。私が、この30年間ほど粛々と継続してきた年賀状廃絶運動は、ここへ来て、なんだか因果応報を絵に描いたみたいな形で結実しつつあるのだな。
 うれしいようなさびしいような。
 複雑な気分だよ。
 年々歳々、元旦の感慨は複雑な方向に傾いていく。
 天皇杯も負けたし。関係ないけど。

 若人よ。言わせてくれ。
 人は時が流れるから年を取るのではない。
 むしろ、オレたちが年を取るから、時が流れるのだ。
 君たちも、そう遠くない将来、知ることになるだろう。
 誰かが年を取るのをやめたら、その人間の周りでは、時間が停止してしまう。
 つまり、万年青年がいる場所では、世界は意味を失い、交流を止め、腐敗するのだ。
 とすれば、われわれは、新年の到来を祝い、老化の昂進を寿ぎ、肉体の衰亡を歓迎しなければならない。
 それが年賀というものの実態だ。

 ついでに、あえて賀状の送付を自粛してくれた心優しい朋友たちに、感謝の念を表明しておきたい。
 友人の少ない男である小田嶋にとって、君たちは、とても大切な存在だ。
 ぜひ、無事な一年を過ごしてほしい。

 ここを読んでいる人も、読んでいない者も、ぜひ、辛抱強くこの一年をやり過ごしてくれ。
 私がこんなことを言うのは、ただでさえ数の少ない友人の多く幾人か(←1月3日訂正)が、苦難に直面しているように思える困難に直面しており、そのうちには、連絡をとることさえはばかられる状態の人々がいる(←1月3日訂正)からだ。
 そう。私が大切に思っている人々は、誰もが皆、苦しんでいるように見える。
 痛ましいことだ。
 友よ。
 悪いことが永遠に続くケースは少ないはずだ。
 十分に睡眠をとった後の天気の良い朝にもう一度考え直してみてくれ。
 悪いことばかりじゃない。
 2割かそこらは、良いこともある。
 な。
 ということで、今年もよろしく。

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