夜からのチャンピオンシップ観戦に備えて、防寒グッズの購入を兼ねた散歩。
ガード下のショッピングモールに出かけて、スポーツオーソリティ(スポーツ用品店)、およびビバホーム(ホームセンター)を巡回。
むずかしい。
というのも、「男の防寒」というコンセプトを廉価に実現しようとすると、必然的にホームレスのスタイルに行き着いてしまうことが、あまりにも明らかだからだ。
ホームレスが言い過ぎであるにしても、金をかけない防寒は、どうしたって山谷カジュアルないしは釜が崎トラディショナルぐらいのスタイルにはなる。
といって、無闇にファッション性を追求すると、防寒性能を損なうことになる。
以上の議論から導かれる結論として、男の越冬は、
- 寒さに耐える
- みっともなさに耐える
- 法外な被服出費に耐える
という、いずれにしても、何らかの忍耐無しには実現不能なひとつの約束された悲劇である、ということができるかと思われます。
さてしかし、現実的には、ファッション、防寒、経済という3つの相反する要素について、容認可能な妥協点を見出さないことには男の冬は越せないわけで、それゆえ、われら店頭に立つ男たちは、おのれの経済力と自尊心と耐寒能力を勘案しつつ、非常に難しいグッズ選定の作業を迫られることになる。
で、現実的な着地点としては、十分な防寒性能を実現し、なおかつ、一定以上のファッション性(っていうか、最低限、現場作業員に見えない程度の見かけ)を確保するためには、スキー、スノボ、もしくはアウトドア関連のアイテムに流れるしかないのだな。
しかし、これもまた簡単にはいかない。
たとえば、スキーウェアの派手さは、あれは、30代以上の男には耐えられない。
ゲレンデならなんとかサマになっても、ああいうものを街着として着てなんとか格好がつくのは、25歳まで。っていうか、オヤジがアレで町を歩いたら職質ですよ。
スノボ関連ファッションは、派手というのとはちょっと方向が違うけれど、あれもダメですね。
なんともいえない「ヒップホップ感」とでも言うのか、「ちぇきらう」な感じがダメです。
不遜な上目遣いや、ヤンキー座りとかのマナーとセットになっているわけで、あれは、ティーンエイジャーがやってるからようやくのことでぎりぎりの許容範囲なのであって、あんなファッションをオヤジがやらかすのは、おばさんのセーラー服以上の暴挙だと思います。
ってことで、最終的に残された選択は山岳、釣り関係アイテムしかないわけだが、これがどうしてどうして、オヤジなわけだ。一歩間違えると、漁師ルッキング。マタギウェア。
仕方ないよな。
そもそも、日本の戦後文化には、「かっこいいオヤジ」という着地点が存在していないわけなんだから。
なによりもまず、「オヤジの優位性はカネだけだ」という、この文化的な偏見をなんとかしないとどうにもならない。
その点、ハリウッドが偉いのは、「オヤジってかっこいいぞ」ということを、終始一貫主張しているところだ。
ガキの頃、ゲーリークーパーとかの出る映画を見て
「どうしてこんなおじいさんがラブロマンスをやってるんだろう」
と、不思議でならなかったが、この構図はいまでも変わっていない。
ナイスミドル(っていうか、初老)と若い娘のラブロマンス。
うそつけ。
結局、ハリウッド文化は、オヤジオリエンテッドである分、女性蔑視的ではあるのだろうな
だって、ローマの休日なんて、ありゃ父と娘の年齢差ですよ。
現在の映画だってそうだ。
まあ、ブルースウィリスをセクシー認定しているあたりに、エンタメ業界の本音が露呈しているわけで、要するに結論としてはアメリカンマッチョオヤジ必死だな、と。
おっと、出かける時間だ。
この続きはまたいつか。
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