阪神からも……
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明大元監督「一場は阪神からも…」
ということだそうです。
なるほどね。
「ええように使(つこ)てや」
てな感じで渡されたわけだ。
目に浮かぶようだな。
これって、一場君の側から見ると
ええように されていたのは 我が身かな
という感じなのではなかろうか。いまとなっては。
ま、だからって免罪できることでもないけど。
私見を述べるなら、栄養費の問題は、球界の悪癖みたいなことで片付けられるテの単純な話ではない。体育会そのものが抱える体質というのか、より本質的には日本人の対人マナーの根幹にある「義理と人情」が引き起こしている病理と言って良いと思う。
この国の「男の付き合い」の中では、「オレに恥をかかすな」ってな調子で、先輩が後輩の面倒を見たり、上司が部下のが飲み食いの代金を持ったりすることは、長らく美風とされてきた。
面倒を見ること自体は悪いことじゃないだろ? と、そう思っている諸君も多いだろうが、問題は、飲み屋の勘定を目の前にした先輩と後輩がともにその足場にしているサル山の構造そのものにある。
おわかりだろうか。
つまり、おごったりおごられたりという芝居(だって、両者とも本当は会社のカネにぶらさがっているだけの話だろ?)にかかわっている人間は、いずれにしても共犯者だということだ。飲み食いをする本人のポケットマネーでない金(つまり、会社の交際費なり、球団支給の栄養費なり、あるいは広告費協賛費雑費、と、名目は何であれ、組織から支給された資金)で勘定をすませている以上、彼らのやっていることはタカリなのだ。
義理人情に縛られることを好む体育会体質(ないしは、サル山、任侠、硬直型儒教体質)の人間は、一個の人間同士として対等に付き合うというプロトコルを身に着けていない。彼らは、あらゆる人間関係に上下の別と長幼の序列をつけて、ボスと子分の関係を形成しないと気が済まない。そうしないと(上下のけじめをつけないと)落ち着いた交際ができないのだ。
まあ、彼らにしてみれば、命令と服従という単純な上下関係に身をゆだねている方が、ある意味で楽(個々の関係や出来事についていちいち独自の判断をせずに済むから)だ、という、それだけの話なのであろうが。
彼らの社交マナーにおいては、生身の人間としての感情より、立場や肩書きを反映した組織人としての身の処し方がより重視される、言い換えれば、彼らは人間と付き合っているのではなくて、肩書きや立場として外交ゲームをしているわけだ。
こういう組織の中に思春期の人間を放り込むと、上には媚びへつらい、下には威張り散らすタイプの人間ができあがる。
もっとも、体育会の中にも下に優しく上に強い人間がいないわけではないのだろうが、そうしたタイプの人格者は、往々にして組織の犠牲になっているような気がする。
ん?
星野さんはどっちなのかって?
知らないよ。
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