選良からの手紙
M社より、読者からの手紙が転送されてくる。
こういう場合いつでもそうなのだが、開封の瞬間は、やはりちょっと緊張する。というのも、封書の手紙は、差出人が普通の人じゃないケースがけっこうある(電子メールの場合はその限りではない。ほとんどはマトモな読者からのものだ)からだ。
本の著者に手紙を書いたり、雑誌の編集部にハガキを寄越したりする人々というのは、多かれ少なかれパラノイアなのだと思う。だから、雑誌の編集部にいる人間は、読者ハガキに書いてある提言や非難、賞賛のたぐいをなるべく真に受けないように、普段から十分に注意を払っているものなのだが、それでもやっぱり気の弱い編集者は影響を受けてしまう。で、雑誌は、徐々にマニアックな進化の袋小路に迷い込んで、一般読者を受け付けなくない偏った出版物になって行く。かくして諸君は右に、世界は左に進み、いずれも、檄文の如きものに成り果てたわけだ。
10万人のサイレントマジョリティーよりは10人のパラノイア。そうやって、世の中は動いていく。
私のような凡庸な人間は、パラノイアには勝てない。
世界はパラノイアが作ってパラノイアが動かして、パラノイアが運営している。
オレたちはそれに従うだけだ。残念だが。
さて今日届いた手紙の主は、74歳の男性。関西圏の旧制高校から京都帝大を出て、国立高専の教師を30年間つとめあげた人らしい。
インターネットを見るなんてことは金輪際なさそうな人だと思うので、プライバシーに配慮しつつ手紙の内容をざっと紹介する。私信であるはずの手紙を、こういう場所で一部とはいえ公開するのは、ルール違反だと思うのだが、あんまりびっくりな内容なんで、誰かに知らせずにおれません。ええ。
というわけで、前段は省いて学歴の話から。
- 国立高専の教師の出身校はおおむね京大、同志社、立命館に限られる。
- 私大出身者は、ご指摘の通り(つまり、私が著書で「早稲田のOBが派閥を作りたがる」という旨の話を書いたことを指していると思われる)派閥を作っていたが、《京大出身者は派閥は作りません。言わず語らずの心の結びつきがあるからです》(←《 》内は原文のままです)
- 自分は旧制大学の出身だが、新制「大学」は大学とはみなしていなかった。また、新制出身者には旧制へのひがみ、劣等感があった。
- 自分がかかわっていた教官の採用では、旧七帝大、東工大、東京・大阪外語、文理大(筑波、広島)からの採用を増やすことが目標とされていた。
- 《したがって、形だけにしろ、教官公募は、まず上の大学、次に国立大、次に関西中心の有名私大の純でした。ワセダ、K.Oなどは目ではなかったのです。》
- 《ずばり申しまして、御著にあるワセダ、K.Oについて私ども旧制高校からみれば、何かのはずみで東大、京大に入り損ねたものが、特別面接で無試験入学(←原文、下線アリ)するところでありました。――中略――受験における「実質競争率」は、昔の方が激甚であったのですが、旧制高校入試にあたって、受験勉強などしてきたなどといえばバカにされる(と思った)次第でした。御著をみて、たかがワセダ位でなにをじまんたらたら(←下線、原文のまま)の感拭えず、そういえば竹下首相が終生宮沢喜一を憎んだのは「ワセダ? 商学部?」と他人の前できかれたからだそうです。》
- 《私自身でいえば、せっかくのchanceを生かせず、運動(小田嶋注:前段に”Marxismの洗礼”云々という文言があることから推して、60年安保にかかわった経験をお持ちであるようですね)と怠惰により「落伍」したままですが、それでも身辺、豪邸、クルマなど俗事にこだわらず、書物を中心に「高度」な生活をおくれたと自負もしております。70すぎの老翁、若い世代に一言Advice申し上げたく、欠礼の文章何卒ご寛恕を 早々》
いやあ、突っ込みどころ満載すぎて、いちいち反応しっていたら何行あっても足りません。
一言だけ。
私の世代のエリート意識は、せいぜい「オレは勉強ができたんだぜ」という程度のところにとどまっていますが、この人たちの学歴意識は、単なる偏差値自慢とはレベルが違うようです。つまり、戦前生まれのエリートにとって、学歴というのは、人格まるごと、のみならず先祖伝来の身分や家柄をひっくるめた、骨がらみの貴族意識の源泉であった、と、そういうことですね。いや、びっくり。おやすみなさい。
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コメント
なにより小田嶋さんの本を買ったのが驚きだ。「学歴」に
脊髄反応して買ったと思われるとこが素敵過ぎる。
投稿: 古今亭もろきゅう | 2004/09/17 05:09
遅ればせながら日記再開おめでとうございます。
「10万人のサイレントマジョリティーよりは10人のパラノイア。そうやって、世の中は動いていく。」
相変わらずさえてますね。
「選良」って代議士のことじゃない? という野暮なつっこみには、
もともとは字義どおり「特別に選ばれた者」という意味だったんだよ、
という予防線を張っておきましょうね。
投稿: nervenarzt | 2004/09/17 05:49
選良は、たしかに普通に使われる意味では、代議士先生のことですね。
エリートでも良かったのですが。なんとなく古臭い帝大エリートのニュアンスにこだわって「選良」を使いました。
ところで、この人は、自分が東京帝大でなく京都帝大を選んだのは、「学力」の高低とは無縁で、通学の便と好みの問題だということをけっこうくどくど言っていて笑えました。
千両役者。ちょっと違うか(笑)。
投稿: 小田嶋 | 2004/09/18 14:49
> (小田嶋注:前段に”Marxismの洗礼”云々という文言が
> あることから推して、60年安保にかかわった経験をお持ち
> であるようですね)
とありましたが、74歳てことは60年安保よりもっと前、日本共産党が主流派と反主流派に分かれ血で血を洗う抗争を繰り広げていたころと思われます。
ちなみに同世代で同じ大学卒の作家に高橋和巳がいます。「憂鬱なる党派」の時代なわけですね。
……ひょっとしてこの方、「わが心はICにあらず」からの小田嶋ファンだったりして(笑)。
投稿: かくた | 2004/09/20 11:18
なるほど、高橋和巳ですか。たしかに60年安保以前ですね。
74歳ということは、東大で共産党の細胞をやっていたというナベツネ(78歳)ともそんなに遠い世代ではないわけで、同じ心性を感じさせるのも偶然ではないのかもしれません。
投稿: 小田嶋 | 2004/09/20 11:29
どうせ面白くはないだろうと
立ち読みしようとしたら
「早稲田」って書いてあって、
彼と同じ印象を受けたような…
滑り止め的存在だったし…
同じ高校の大して勉強のできなかった奴が行ったから。
投稿: 通りすがりの名もなき東大生 | 2005/11/20 23:28
どっか逝っていいぜ、荒廃。俺は早稲田を受けたとしても受かってなかったと思う。
投稿: メルヘンひじきごはん | 2005/11/21 00:31