遺子の意思は医者を慰藉する
午前中に歯医者。
通っている歯科医の名誉のために以下訂正しておく。
土曜日の当欄で、「1年前に入れた差し歯がハズれた」という意味のことを書いたが、あれは私の勘違いだった。去年入れたのは右の前歯で、今回ハズれた左の前歯は、十数年前に別の歯医者で入れた差し歯でした。どうもすんません。
で、先生は、
「現在のセメントは、この歯を入れた当時のものと比べて何倍も強力ですから、おそらく、この歯をそのまま装着しなおしても十分使えるでしょう」
と、快く取れた歯の再設置に応じてくれた。
感謝感謝。
振り返ると、私の日記には歯医者をはじめとして、医者に関する記述が多い。
それだけ体の方々に細かい故障があらわれる年齢になってきているということなのであろう。
この先は、好むと好まざるとにかかわらず、医者との関係は、さらに濃密になって行くに違いない。
私に限らず、人生の折り返し点を過ぎた人間は、誰もが医者の掌の上にいるみたいなものなのだからして。
そういえば、死んだ親父も、晩年は医者の悪口ばかり言っていた。
ある年齢になると、誰かを好きになったり誰かを憎んだりということは徐々に少なくなる。
その分、感情の持って行き場は、医者に集中する。
特に老人にとっては、医者だけがほとんど唯一の相方であったりする。
命の恩人である一方で口やかましい暴君であり、友人にして敵であり、いけ好かない隣人であるとともに無慈悲なハゲタカであり、へたをすると自分の話に耳を傾けてくれる唯一の人間であったりさえする。
とすると、医者というのは、おそろしいばかりに俗っぽい稼業なのだな。
時に医者が超俗的に見えたり、ひどく高踏的にふるまったりするのは、あれは、彼らが患者のペース(つまり病気と死とむき出しの感情でできあがった絶望装置)に巻き込まれまいとしている姿だったのだな。
大変な商売だ。
医者が一般人より高い収入を得ている根拠は、医学部の入試が難しいからではなくて、彼らの働いている職場が地獄だからなのだ、と、今後はそう考えることにしよう。
で、医者にはなるべく憐れみの視線で接する。
「今日はどうしました? どこがお悪いんですか?」
「そちらこそ、大丈夫ですか?」
「気分はどうです?」
「先生はどうです? 生きていて楽しいですか?」
いやな患者だなあ。
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コメント
医者と果物はあたりはずれがありますね。
自分は駄目な奴なんだと後ろめたい気持にさせる医者が多いですが、
時には人生も仕事も充実していて満足げなお医者さんもいます。
それはそれでイヤですが。
なにはともあれ、日記が再開されてとても嬉しいです。
1週間や1か月更新できなくても
何事もなかったかのようにまた更新してほしいです。
投稿: ぱーる | 2004/09/14 12:13
どうも、コメントありがとうございます。
ぼちぼち更新します。よろしくよろしく。
投稿: 小田嶋 | 2004/09/18 14:51