木曜日, 4月 10, 2008

新刊のご案内

 久しぶりです。
 一月以上、顔も見せず、しばらくぶりに現れたと思ったら宣伝、ですよ。
 恐縮です。

 実は、悪い感じで引っ張っている〆切がひとつありまして、それが片付くまで更新を自粛しておった次第です。
 ええ、編集者の方にあんまり申し訳なくて。

 どうしてなのでしょうね。何かを片付けると別の何かを引っ張ることになります。
「これさえ脱稿すれば、ノルマはゼロになる」
 という事態に至ると、その最後の一つの原稿になぜか、手をつけることができなくなります。
 で、次の〆切が来ると、前のヤツを片付けるわけですが、時々、順番を飛ばされてしまう不幸な仕事が発生します。

 なせなのか自分でもよくわかりません。

 とにかく、この二日ほどで、一段落するはずですので、その先は、安定更新ですよ。

 新刊が出ました。左サイドバーにamazonのリンクを張っておきました。本日発売です。よろしくお願いします。ではまた。近いうちに。ぜひ。

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金曜日, 2月 22, 2008

負傷

 昨日(2月21日)午前10時、朝日新聞の記者さんが取材にやってくる。
「有名人のペット」のコーナー。夕刊だそうです。
 私が有名人であるかどうかはともかく、イギー氏のメディア露出機会には抵抗できない。
 で、取材を快諾した次第。

 掲載はたしか「2月の30日頃になります」と言っていたような気がするのだが。
 ん? 2月って、29日までしか無いよね?
 2月末ということなんだろうか。それとも3月30日と言ったのを私が聞き間違えたのだろうか。
 まあ、明日にでも確認してみます。夕刊だそうです。

  • というわけで取材に先立って、イギー氏の居室であるところの風呂場を磨き上げる。写真が載るというのでね。
  • タイルの目地に入り込んだヨゴレを落としたり、かなりキになってクリーンアップしました。
  • 朝からさんざん水をかけられたり足もとをゴシゴシやられたりして、イギー氏は次第にナーバスに。
  • で、棚の上を行ったり来たりして落ち着かないので、「まあ、落ち着けよ、相棒」と、アゴのあたりを撫でてやる。こうすると落ち着く場合が多い。
  • とはいえ、風呂椅子の上に乗って、右手でタイルを磨きながら、左手でイギー氏をハンドリングするというのは、動作として無理があった。
  • ちょっと舞い上がっていたのかもしれないな。新聞の取材だああ、とか。素人ってヤだよね。
  • 壁面のタイルのヨゴレに視線を集中させたままで、イギー氏に手を伸ばしたものだから、イギー氏へのアプローチがちょっと素早く(つまり、イグアナにとって苦手な、天敵の動物っぽいクイックな動作に)なってしまった。
  • と、驚いたイギー氏は、なんと、私の手を噛みました。12年と9ヶ月飼っているけれど、噛まれたのははじめて。
  • えっ? という感じ。痛みよりも驚愕。飼い犬に云々みたいなことわざはあるけど、この場合……
  • 見ると血がドクドク。イグアナの歯は、肉食トカゲの歯とは違って華奢。でも薄くて鋭い。カミソリライクな切れ味。モロヘイヤの硬い茎なんかも、スパッと切る。
  • それゆえ、傷はけっこう深い。
  • とっさに、「イグアナの凶暴性が強調されるみたいな記事になったらヤだなあ」と、レプタイル業界の心配をする。こういうところが、ふだんから偏見にさらされている爬虫類キーパーのいじらしいところですね。ちなみに、イグアナは犬猫なんかよりずっと安全です。飼い主がバカだったり油断しまくっていたりその両方だったりしない限り、怪我をさせられることはありません(断言)。
  • 撮影は30分ほどで終了。その後、マンション前の路上で顔写真を撮影の上、近所のファミレスで、話をする。うん。血染めの包帯姿でね。困ったことです。
  • 午後、念のために病院に行く。化膿すると面倒なので。
  • お医者は、「消毒しても処置しても、化膿するときはします」とか言いつつ、クールに治療。傷口の拭い方は、ちょいと乱暴。軍医モード。たぶん忙しい病院の外科の医者にとって、この程度の傷は軽傷なのでありましょう。
  • 化膿止めを処方されて帰宅。「経過を見たいので明日も来てください」と言われる。
  • で、その昨日の明日が今日なわけだが、結局医者には行かなかった。忙しかったし。
  • 明日、悪化しているようなら診てもらうことにしよう。
  • まったく。

Wound
※イギー氏の嚼み跡。歯が薄いので、傷口が深いわりにダメージは少ない。
手の甲の側にも傷がある。

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日曜日, 2月 17, 2008

モバイルな一日

 昼過ぎから、自転車に乗る。
 ここしばらく、雪が降ったり風が強かったりで、思うように走れなかった。まとまった距離を走るのは10日ぶりぐらいになる。
 赤羽から、十条仲原、西が丘、国立トレーニングセンター、大和町、仲宿、板橋、巣鴨を経て、本駒込、本郷、根津、谷中と、17号線の裏道を探しながらダラダラと走る。
 根津から谷中にはいったあたりで、すぐ近所に古い友人の墓があったことを思い出す。
 もう20年も墓参をしていないが、正確な場所にたどり着けるだろうか、と、そんなことを考えながらしばらく谷中近辺を走り回る。
 線香をあげようと思ったわけではない。私は、その種の信心深さとは無縁だ。
 が、偶然であれ、気まぐれであれ、いま自分がこういう場所を走っているということは、もしかして故人が呼び寄せたからなのかもしれない……と、そういう考えを抱く程度の迷信深さは、持ち合わせている。で、なんだかんだ30分ほど、日暮里と西日暮里の間の諏訪台通り周辺を探し回った。
 目的の寺は見つからなかった。
 私の記憶が間違っていたのか、それとも周囲の景色が変わっているのか。寺の名前を覚えていないだけに、どうしようもなかった。

 自転車で走る場所も、さすがにネタが尽きてきた。
 河川敷のサイクリングロードを上下するのは、この時期、冷たい北風が強すぎてあんまり気がすすまない。苦行っぽいし。
 で、都内を走ることになるわけなのだが、情けないことに、私の輪行は、孫悟空の飛翔やハムスターの疾走と同じで、決まった範囲から外に出ることができない。堂々巡りを繰り返している。
 その「範囲」は、簡単に言えば、山手線の北半分、もう少し詳しく言うと、「山手線を新宿と秋葉原を結ぶ総武線で切断した際にできる半円の北側に、赤羽・田端・池袋を結んだ三角形の帽子をかぶせた地域」ということになる。
 私は、このとんがり帽子から外に出ることができない。
 山手通りを走っていても中野区に足を踏み入れるととたんに心細くなるし、明治通りも台東区まで行くとにわかに里心がつく。大田区だとか世田谷区品川区あたりは検討の候補にさえのぼってこない。だって、クルマで走っていてさえアウェーな感じがしてくるこの世の果てなのだからして。

 北、板橋、豊島、文京の4区は、どこをどう走ってもなじみ深い。ホームタウンだからね。
 この4区は古い時代の都立高校の学区分けにおける第四学区に相当する。ここには、高校の同級生の自宅が散在している。それゆえ、すべての町名に、何らかの手がかりがある。
 この「旧第四学区」に、新宿周辺とお茶の水秋葉原界隈を加えたものが私にとっての「東京」のほとんどすべてということになる。ついでに言うなら、私にとっての「日本」も、8割方はこの範囲内に格納されている。うん。わがことながらケツめどが小さい。ヒデよ、笑わないでくれ。3LDKの国際感覚。携帯祖国。

 ともあれ、私の記憶のほとんどは、旧第四学区圏内にある。
 だから、このあたりを自転車で走っていると、土地に結びついた様々な記憶が去来する。
 良いことも悪いことも。
 あらゆるくだらないすべてのことどもが。

Denki
※帰途、田端新町で見かけた縄のれんの酒場。再開発対象になっているようだったので撮影しておきました。

 それにしても、輝かしい記憶や、懐かしい思い出が、いつも悲しみに似た感触を伴って思い出されるのはなぜなのだろう。
 それらのかけがえのない記憶と結びついている場所や時代に、二度と立ち戻れないことを、われわれが既に知っているからだろうか。
 反対に、辛い記憶や、苦い思い出が、それを思い出しているわれわれにさしたる苦しみをもたらさないのは、私たちが既にそれらを克服しているからだろうか。

 いずれにしろ、ペダルを踏んでいると実にたくさんのことを思い出す。イヤフォンの中で'70sのロックが鳴っていると特に。
 ワープロ付きの自転車が発明されるべきだと思う。
 あるいは文字通りのモバイル(←車輪付き)PCが。
 そうすれば、200キロの走行で、素敵な青春小説がひとつできあがる、はずだ。
 
 どうせ、警察が禁止するんだろうけど。
 

 

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金曜日, 2月 15, 2008

閉店

 昼過ぎ、昼飯ついでに川口まで出かける。探している本があったので。
 赤羽には、「城北最大」(←「池袋は城北じゃなくて都心だよね」式の超ローカルな地元意識における「城北最大」。すなわち「北板橋両区における井の中のトノサマ」ぐらいな半端夜郎自大)を謳う中規模書店がある。
 でも中規模書店というのは、いかにも中途半端な存在で、雑誌やベストセラーを買うぶんには良いのだが、ちょいとマニアックな本はまず見つからない。たとえばオダジマの本とかは新刊の時でも2冊ぐらいしか入荷しない。で、オレが買うと売り切れ。それっきり。そういう本屋です。
 ってことはつまりコンビニとたいして変わらないわけだ。わたくしどもインテリにとっては。
 で、ちょっとした本を探していたり、特定のジャンルの新刊でめぼしいものを漁る時には、川口まで出かけるのが私の中のコースになっていた。

 ところが、本日約3ヶ月ぶりに訪れたその「書泉ブックドーム川口店」は、既に閉店している。
 駅方面から歩いて来て、一階の一角が携帯電話のショップ(Dokomo)になっているのを発見した時、既にいやな予感がした。近づいてみると、ドコモショップの向こう側のメインの入り口にはシャッターが降りている。
「ん? 休みか?」
 とは思わなかった。
 というのも、店頭のたたずまいが、明らかに撤退店舗のそれだったから。具体的にどこを見て廃業と判断したのかと問われると返事に窮するのだが、実際に見てみれば一目瞭然。閉店に追い込まれた店ならではの寂寥感みたいなものが、周囲を圧していた。

 入り口前の張り紙(←ワープロ打ち。これも淋しい。だって、仮にもビル一つまるごとを占有する大型総合書店だったわけですよ。その、地域随一の大規模書店の閉店を知らせる告知が、A4ペラのワープロ文書であって良いものなのか?)によれば、閉店は1月27日とのこと。

 以前から、行くたびにフロアが縮小されていたり、最上階のレストランが撤退したまま後の店が入っていなかったりで、なんとなくサビれた感じはしていたのだが、それはそれとして、閑散とした店内でゆっくり本を眺められるこの店は、私にとって大切なスペースだった。
 いや、残念。

 今後は、池袋まで出かけることになるのだろう。
 ジュンク堂とかは、人が多すぎで好きになれないのだが、この際好き嫌いを言っていられる立場ではない。
 amazonで間に合わせるのもなんだかシャクだし。
 それに、このうえ外出先として本屋まで失うようだと、それこそマジなヒキコモリということになってしまうから。

 出版不況……についてはノーコメント。
 砂に頭を突っ込んでじっと耐えるのが賢明な出版人の処世なのだと思う。
 もがいたり動いたりする奴が先に死ぬ……と、こういう場合は山岳遭難における危機対応マニュアルを援用するのが正しいはずだ。
 というのも、我々が直面している事態は、「不況」(つまり、好況とワンセットになっている循環的な景況概念のうちにある一時的停滞状態としての不景気)と呼べるような生やさしいものではなくて、恐慌、氷河期、ないしは隕石衝突みたいな、むごたらしくも血なまぐさい非常事態だからだ。こういう状況に追い込まれた時は、雪洞でも掘ってビパークするしかない。いずれその雪洞の中で凍死するのだとしても。

 昼食後、気を取り直して赤羽の書店におもむくも、ここでもちょっとびっくりさせられる。
 店中、細木&江原の顔だらけだったから。
 まあ、中規模書店は、こういう商売をやらないと生き残れないのかもしれない。
 いや、中小に限ったことではない。
 もしかしてオレら出版業界にいる人間は、この先、テレビ霊媒師の下請けで糊口をしのぐことになるのやも知れぬ。
 オーラの泥沼。
 スピリチュアルの下水。
 霊感の肥溜め。
 野壺カンタービレ。
 テレビんぼの終わらない夜。
 って、上のは4月刊行予定の読売ウィークリー連載単行本第二弾の書名候補のひとつです。わかりにくいかな。
 と、うまいこと宣伝に着地したところで、今日のところは店じまい。
 手をひろげ過ぎないのが長続きの秘訣、と。
 ははは。

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月曜日, 2月 11, 2008

スルー力

 ネット上の言論の一部は、新手の匿名リンチ法廷みたいなものに変質しつつある。
 面倒くさい話だ。
 私自身、自分のブログのコメント欄を読むことに疲れてきている。
 いつのまにか、公設のチラシ裏みたいなことになってるから。
 あるいは痰壺だろうか。
 公道上に壺を放置しておけば、じきにそれは痰壺になる。
 当然といえば当然の展開なのだろうな。
 どうせ匿名の言論なんて、半分ぐらいは痰だの唾だのでできあがっているわけだから。
 ……きたない話になった。
 気持ちが悪いよ。自分で書いていて。
 で、とにかく、オレとしては、ある朝目が覚めたら私設公衆便所の管理人になっていたみたいな、悲しい気持ちになるのだな、ほかならぬ自分のブログのコメント欄を眺めているうちに。およそばかばかしくも胸糞のよろしくないことに。

 スルーすれば良いことはわかっている。
 でも、スルーを貫徹することにだって一定のエネルギーは要る。
 反応すれば疲れるし、かといって反応しないでいるためには忍耐力のストックが必要になる。
 返事をすれば荒れるし、黙っているとストレスが溜まる。
 つまり、徒労感と焦燥感の二者択一。
 うんざりだな。

 結局、ブログを開設しているということ自体、匿名の煽り屋連中にエサを与える作業に過ぎないのかもしれない。いまいましいことに。

 
 ブログには面白い部分もある。厄介さや面倒くささを含み置いた上で、ネットにテキストをアップすることのうちには、独特のスリルが介在していたりもする。
 わたくしどもブロガーは、そのスリルに中毒している人々であるのかもしれない。

「どうして無料のテキストを書くのか」
 と尋ねる人たちがいる。
 原稿料が発生しない原稿を書くのは、プロの原稿書きとして墓穴を掘ることになるんではないのかと、そういうふうに考える人々もいるのだと思う。
 私自身、はっきりしたところはわからない。
 ただ、文章を書くことが好きなタイプの人間は、同時に、ブログのもたらすスリルを好むタイプの人間であるということは、おそらく言えるわけで、そういうわれわれのような人間たちは、ネット言論のうさんくささや面倒くささや厄介さやくだらなさを引き受けた上でなお、そのスリルに抵抗できなかったりしている。
 ブログ上で展開される言葉のやりとりは、ナマで動いている。そこには、活字媒体に原稿を書くことによって生じる反響とはまったく別種の(←良い意味でも悪い意味でも)刺激がある。
 で、その刺激は、うまくすると有料原稿を生産のためのモチベーションとして利用……できるんだろうか。まあ、話がうまく運んだ場合、そういうこともあるのだろうが、当然、ブログ由来の刺激が執筆意欲を害するケースだってある。
 とにかく、ブログの更新のために疲労していたんでは本末転倒ですね。
 ってことで、今日はおしまい。
 

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日曜日, 2月 10, 2008

防火羊水

 倖田來未の「羊水」発言(「35歳をまわると羊水が腐る(笑)」云々)について。

 ひどい失言だと思う。
 単なる不注意で済まされるレベルの話ではない。「軽率」とか「無知」みたいなことでスルーしてもらえるニュアンスの表現でもない。
 なにより「腐る」という言い方に、「軽率さ」や「無神経」以上の「悪意」ないしは「嘲笑」が横溢してしまっている点が致命的だ。
 よって、責められるのは仕方がない。
 企業の広告が手を引くのも当然。
 だって広告なんだから。
 どこの営利企業が、腐った化粧品を宣伝したいと思うかって、そういう話ですよ。

 とはいえ、発言した媒体(←AMラジオ)の気楽さ(およびマイナーさ)から考えると、騒動の波及範囲が不当に大きく、しかも急速であったとは思う。
 要は「ブログ」の炎上と同じで、途中から(つまり、ある程度騒ぎが大きくなって以降)は、面白がって煽る連中がカネと太鼓で騒ぎ立てただけの話なのだと思う。その意味では、当騒動の半分ぐらいは、人為的な人だかりだった。
 で、本来ならAMラジオの視聴者(せいぜい数万人)が不快な思いをすれば済んだはずの不適切発言が、数百万人の耳に届くことになった。
 不幸ななりゆきだ。

 たぶん、5年前だったら、放送局の周辺でちょっと話題になって、関係者が叱られて、それで終わりの話だった。あるいはスタジオの現場感覚からすると、問題にさえならなかったかもしれない。みんなで下品に笑って終わり。「くーちゃん、ヤバいって(笑)」「また始末書コピーしとかないとならないじゃん」ぐらいでおしまい。放送事故未満のちょっとした不手際。その程度の扱いだ。
 執念深いタイプのアンチや、耳ざとい聴取者が騒ぎ出した可能性はある。でも、そこから先、仮に新聞の投書欄に苦情が書き込まれたのだとしても、騒ぎが、活動自粛やCMの配信停止にまで拡大することはなかった。
 
 そんなわけで、マスメディアの一部には、騒動の「元凶」をネットに巣食う匿名の正義派気取りの人々(具体的には@2ちゃんねらー)に帰する論者が現れていたりする。
「騒ぎすぎだよ」
 と。
「騒ぎすぎだ」とする見方にも、一理あるとは思う。
 でも、今回の問題に限って言うなら、ネットを悪者にするのはスジ違いだと思う。
 というのも、この度の騒動の震源は、発言の内容以上に、倖田來未というタレントの資質そのもののうちに内在していたものだからだ。

「この程度の失言でタレント生命を断たれるようでは、芸能人なんかやってられないぞ」
 という議論は、一見、まっとうに見える。
 が、実際のところ、ネット時代だからといって、すべての芸能人のあらゆる問題発言が必ず炎上騒動につながっているわけではない。
 ヤバい発言を繰り返しながら無事で済んでいるタレントはたくさんいるし、無頼な芸風で売っている芸人だって珍しくはない。っていうか、ヒップホップ的には不敵不遜不謹慎じゃないお兄さんはアーティスト失格だったりするわけで、いずれにしても、ダメでしょ? 謙虚で腰が低い敬語ラッパーみたいなものは。きっと。

 この度、倖田発言が特に問題にされたのは、要するに、倖田來未という歌手に対する反感があらかじめ醸成されていたからで、そういうふうに手ぐすねを引いた状態で失言を待ちかまえているテの世論が、爆発寸前になっていたからこそ、騒動は急速に拡大したと、そう考えるべきだ。
 仮に、同じ発言をたとえば、篤姫の主人公をやっている童顔の女優さん(←名前失念)だとかがやらかしたのだとすると、おそらく、この場合は、そんなに大きな騒ぎにはなっていない。
「○○ちゃんって、見かけによらずバカだったんだなあ」
「無神経な女だよね」
「まったく、ぶっちゃけとか無邪気とか、そういうレベルの話じゃないぞ」
 と、ラジオを聞いた人々の間で話題になることぐらいのことはあっただろうが、でも、それがすかさず@2ちゃんにチクられて、しかもそのスレッドが爆発的に伸びるような展開にはならなかったと思う。
 つまり、「コーダ調子のってんじゃねえぞ」「なーにが歌姫だか」という気分が、あらかじめ巷間に蔓延しているのでなかったら、こんなふうに炎上する事態にはならなかったということだ。
 ついでに申せば、倖田來未がエーベックス所属のタレントでなかったら、騒ぎはここまで大きくなってはいなかった。のまねこ事件や浜崎あゆみをめぐる様々な行きがかりからして、@2ちゃんねらーの多くは、おそらくエーベックスに対して良い感情を抱いていないわけだから。
 
 興味深いのは、今回の騒動に対するマスメディア(ワイドショーのコメンテーター、キャスター、スポーツ新聞の記事などなど)の反応が、昨年の沢尻エリカ発言の時と比べて、圧倒的に好意的(つまり、倖田來未に対して同情的な発言が多いということ)である点だ。
 
 倖田來未のバック(所属事務所およびレコード会社)が、沢尻エリカのそれと比べて、デカい影響力を持っているからだろうか。
 そうかもしれない。
 フジテレビ(特に「めざましテレビ」の軽部とか)が必死になって火消しに走っていた様子とかを見ると、そんな気がしないでもない。

 でも、それだけではない。
 二人の失言は、質的に異なっている。
 で、メディアの反応の差は、その二人の問題発言の質の違いにある。

 沢尻エリカ発言の問題点は、なにより「業界の仁義を裏切っている」点にあった。彼女は、「得意先の段取りを台無しに」した、「礼儀知らず」のタレントであり「監督の顔をツブ」し、「先輩アナウンサーのフォローを無視」した、不届き至極な秩序紊乱者であった。
 とすれば、芸能界のインサイダーたるコメンテーターの皆さんは、沢尻の逸脱を、絶対に許すわけにはいかなかった。だって、こういう不埒な態度を許していたら業界が成立しないから。

 対して、倖田來未の発言は、業界や現場に損害を与えたというよりは、より純粋に対視聴者の問題だった。
 発言を聞いて不快に感じた視聴者もいただろうし、高齢出産を控えた女性とかは、モロに傷ついたかもしれない。でも、ほら、くーちゃんっていうのは、もともとがぶっちゃけで売ってるヒトなわけだし……と、業界の人間は同情したのだね。明日はわが身でもあることだし。
 くーちゃんの発言は、たしかに不用意で無神経で未熟だった。でも、失礼だったり礼儀知らずだったり仁義を踏み外していたり言語道断だったりはしていない。許してやろうよ、と。

 もちろん、視聴者の立場から受け止めるなら、倖田來未の発言の方がずっと悪質だ。
 沢尻発言も、倖田発言も、無神経かつ不当なバカ発言であった点については似たようなものだ。が、いずれがより悪質だったのかと問われれば、文句なしに、「羊水が腐る」発言の方だと私は思います。
 
 今回、テレビメディアの中に倖田來未を擁護するコメントが目立った裏には、ネット世論への反発という要素もあったはずだ。たしかに、テレビ関係者からすると、ネット発の批評や、騒動だの抗議だのは、一向に建設的でないのみならず、しつこくて残酷で面倒くさい、およそ神経にさわるタイプのリアクションなのであろうからして。

 だから、今回、倖田來未を擁護している人々は、その実、この機会を利用して、「ネット世論」を攻撃したいと願っている人たちで、なるほど、顔ぶれと見てみると、ネットの嫌われ者(まあ、2ちゃんではたいていの有名人は嫌われ者だったりしますが)ばかりだったりする。

 やっかいな話だ。
 でも、そういうやっかいな連中と折り合いをつけて行かないと、21世紀の有名人はつとまらないわけで、ネット時代のセレブリティは、著しく不安定な基盤の上に成り立つ、幻のごとき流動資産に変質した、と、そういうことなのだな。
 言葉をかえて言うなら、情報の双方向化は、メディアの側にもメディアリテラシーが求められる時代をもたらしたわけで、懐かしくも麗しい、古き良き二十世紀のおとなしくて無力なやられっぱなしの聴衆は、もう帰ってこないのだよ。残念だが。
 エンジョイ炎上。うむ。楽しくないけど。
  
 おそらく、ネットの言論は、この先も「荒れて」行くのであろう。私のブログのコメント欄も、だが。
 どこのブログも同じだ。
 酒癖の悪い常連客に辟易した個人営業のマスターが、面倒くさくなって店を畳むみたいな調子で、ある日突然消滅してしまうブログや掲示板がいくつもある。
 残念なことだ。
 特定の言論や特定の政治的ないしは民族的キーワードに拘泥する狂信的な発言者が居座るようになると、気楽な感想を寄せてくれていた人たちは、席を立つようになる。
 で、電脳空間上に擬似的に形成されていたかにみえた甘ったれた井戸端空間は永遠に失われる、と。
 ココログは、NGワードを導入できないんだろうか?
  

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日曜日, 1月 27, 2008

ちぢにものこそかなしけれ

 雑感などを、すこし。
 これ以上更新間隔が開くと、再開が難しくなる気がするので。

 久しぶりの書き込みは、緊張しますね。
 ファンファーレが鳴ってるみたいな感じで。
 いや、自意識過剰であることは自覚してるよ。誰もそんなに待ちこがれてなんかいない。わかっている。でも、自意識過剰というのは、自覚すればするほど亢進するもののようで、何通か更新を促すメールが届いただけのことで、スタジアムを埋めたの観客にオダジマコールを受けてるみたいな圧迫を感じるのだよ。更新が長引くほど、とりわけ極端に。
 って、自己言及をするのもよくないのだろうね。たぶん。

 大阪府知事選挙は、橋下徹氏が当確の模様。
 なるほどね、とだけ申し上げておく。
 他人事だし。
 結局、住民は自分たちにふさわしい首長を戴くことになる、と。
 その意味では、オレらも石原に責任を感じるべきなのであろう。
 つらい渡世だ。

 次回の都知事選はキムタクあたりに出馬してほしいな。
 ぜひ。

  いずれにしても、うちの国が大統領制でなくて、よかったと思う。 
 

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火曜日, 1月 01, 2008

年頭あいさつ

2008nezumi

 あけましておめでとうございます。

 オダジマ宛に年賀状を投函してくださった寛大な皆様。
 今年も返事を書くことができません。
 どうかご理解ください。すんません。

 賀状の送付を断念してくださった心優しい知人の皆様。
 ご賢慮に感謝します。
 賀念をこめたテレパシーをお受け取りください。

 いずれにいたしましても、オダジマは、年賀欠礼の環を広げるべく、地道に不義理推進活動を展開中です。
 ので、まことに勝手ながら、ブログ上への年賀イラスト掲載をもって、新年のごあいさつに変えさせていただきます。
 本年もよろしく。
 

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金曜日, 12月 28, 2007

アーミーナイフ

 ※JAYWALKのボーカルを書類送検 車内にアーミーナイフ

ロックバンド「JAYWALK」のボーカル、中村耕一メンバー(56)が乗用車の中でアーミーナイフを所持していたとして、警視庁目黒署が銃刀法違反容疑で書類送検していたことが28日、分かった。「1年ぐらい前にキャンプに行き、置いたままだった」と話しているという。
 中村メンバーは今年6月8日未明、東京都目黒区青葉台で、同署員から職務質問を受けた際、乗用車内に刃渡り8.5センチのアーミーナイフを所持していた疑い。助手席にくくりつけてあったという。(後略)――12/28 産経新聞

 ん? 刃渡り8.5センチのアーミーナイフ?
 って、たったの8.5センチだろ? 
 大きさからして、「アーミーナイフ」と呼べるような代物ではないと思うんだが。
 っていうか、いったいどこの国の陸軍が刃渡り8.5センチみたいなちっぽけなナイフを武器に採用するんだ?

 ……と思って調べてみたところ、「アーミーナイフ」というのは、名前の響きこそ禍々しい(←直訳すれば「軍用刀」だからね)ものの、その実態はおよそ牧歌的な小鉄器であったようで、ウィキペディアの解説では アーミーナイフとは、軍隊が制式採用している、戦闘以外の日用的な用途に使用するための多機能な折り畳みナイフを指す俗称である。  てなことになっている。つまり、十徳ナイフだよね。ビクトリノックスとかの。ほら、缶切りやらネジまわしやらがゴチャゴチャ付いてるアレですよ。
 ナイフとしての用途もリンゴの皮剥きぐらいが限界。あるいは釣り糸を切るとか、せいぜい鮎をサバく程度。とてもじゃないが、こんな矮小な刃物じゃ中型以上のサカナはサバけない。まして人間を相手に害をなすだとか、護身に役立てるなんてことは不可能……だと思うんだが、それはそれとして、法律を厳密に解釈すれば、鉛筆削り用の折り畳み工作ナイフであっても、刃渡り6センチ以上の刃物を「正当な事由なく持ち歩」いている人間は、銃刀法違反で検挙可能であるらしい。っていうか、刃渡り3センチのキーホルダー型ナイフであっても、軽犯罪法で引っ張ろうと思えば引っ張れるわけだ。おそろしいことに。
 
 ちょっと前から気になっているんだが、ここ数年、このテの微罪逮捕が目立つ。
 あるいは、オウム事件をめぐるドサクサの折に、「歩道上で不必要に立ち止まっていたから道路交通法違反」みたいな調子の別件逮捕を容認する市民感情が形成(←「オウムみたいな連中を取り締まるためなら、多少の無茶は仕方ないよね」みたいな感じで)されたことで、警察の皆さんは調子に乗ったのかもしれない。
 というよりも、もっと単純に言って、彼らは検挙率を上げるための点数稼ぎに走っているということなんだろうか。
 いずれにしても、クルマに十徳ナイフが積んであったぐらいなことで、逮捕されて、書類送検されて、しかも、その事実を全国紙にリーク(←記事にされてるってのは、そういうことだよね?)され得るのだとすると、無事で済む人間はそんなにいないんではなかろうか。
 逆に、警察の側からすると、気にくわないタイプのプチ有名人とかは、どうにでも料理できるってなことになる。   オレも注意しないといけない。
 実際、クルマに何が積んであるかなんて、まるで把握してないわけだし。

 でもさ。クルマのトランクとかコンソールボックスというのは、そういうふうな「通常はまず使わないんだけど、万が一のために一応用意しておく」みたいなものを保管しておくべき場所だったんじゃなかろうか?

 たとえば、緊急時脱出用のハンマー(←クルマが横転したり、水中に落下した場合には、フロントガラスを破壊して脱出するほかにどうしようも無いんだそうだぜ)みたいなものも凶器と認定される可能性はあるわけで、そういうものをドアポケット(だって、手が届く範囲に常備してなかったら緊急時の脱出には使えないだろ?)に放置したまま都内を走っているオレは、ある日突然逮捕されるんだろうか。

 いや、そんなことより、自転車移動の折に持ち歩いているリュックの底に、スケッチのための色鉛筆と鉛筆削り用の折り畳みナイフを常備している男であるオレは、おそらく、そう遠くないある晴れた日の午後、突然職質を受けて、軽犯罪法違反か何かで逮捕されることになるわけだよ。でもって、即日書類送検されたあげくに、鵜呑み系社会部記者が書き飛ばす記事のネタにされて、ちょっとした地元の有名人になる。で、マンションのエレベーターに同乗した近所のおばさんの詰問じみた視線に耐えながら、残りの半生を猫背で暮らして行くことになるのだな。美術愛好家であるというそれだけの理由で。悲しいよな。考えるだに。

 中村耕一メンバーは、ぜひくじけずに頑張ってほしい。

 

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月曜日, 12月 17, 2007

クラブワールドカップ

昨日のゲームになってしまったので、簡単に。
昨日は忙しくて、感想を書くヒマがなかった。

本当は今日も忙しいのだが。まあそこはそれ。関係者の方々はもう少しだけおまちください。
色々と整理がついたら結果が出ることでしょう。

※浦和VSエトワール・サヘル

  • 2対2の同点。PK戦の末勝利。みごと3位を獲得。ワシントンの2ゴールが素晴らしかった。ありがとう。
  • 小野伸二選手がベンチ入りしていなかった。淋しい。コンディションをもう一度作り直して、ぜひ出直してほしい。サッカー選手の現役時代は決して長くない。たのむ。来年こそ本来の姿をみせてくれ。
  • 山田の復帰が嬉しかった。
  • 藤井アナはちょっとサッカーの知識がアレですね。アナウンス技術そのものはしっかりしていると思うんだが。

※ACミラン VS ボカ・ジュニアーズ

  • 4-2でミランの勝利。
  • ここ数年のクラブW杯(トヨタカップ時代を含む)でのベストゲームではなかったろうか。
  • パス精度、スピード、ディフェンスの囲い込みの速さなど、非常にレベルの高い好ゲームだった。
  • 表彰式の演出がグレードアップしてた。やればできるんじゃないか。
  • でも、横浜国際はやっぱりサッカーをやるグラウンドじゃないですね。いろいろと行きがかりはあるんだろうけど、来年はぜひ埼玉スタジアムでやってほしい。無理ならトヨタスタジアムでも可。横国は今回限りにしていただけるとありがたい。

 試合後、表彰式とインタビューが見たくて「総集編」枠の番組を引き続き見ていたのだが、明石家さんま師匠が著しく鬱陶しかった。詳述はしない。ブログが汚い言葉で汚れることになるから。

 明石家さんま氏について、穏当な言葉で、冷静な文章を書くのは、現状では、まだむずかしい。
 書けば、きっと不穏当な言葉が並んでしまうことになる。
 なので、やめておくよ。師匠。
 まあ、先方のテレビ露出が半減したぐらいの頃合い(半年後ぐらいか?)をみはからって、振り返るカタチで書くのがベターなのでありましょう。
 それまではおあずけ。

 さて、仕事仕事。と。

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