2018/08/14

踊るアフォーダンス

 徳島市の阿波おどりに関するニュースがツイッターのタイムラインを席巻しています。

「ん? そういえば去年の秋に阿波おどり関連の原稿を書いた気がするぞ」
 と思って、ハードディスクを掘り出してみたところ、『新潮45』2017年10月号のために書いた原稿が出てきました。
 せっかくですので、なにかのおなぐさみになればと思ってここに採録することにしました。
 校閲の目を通っていないハードディスク蔵出しテキストなので、掲載分とは微妙に違っている部分があるかもしれませんが、そこのところは気にせず、ご笑覧のうえ、すみやかに忘れてください。



『踊らぬ者の不利益について』
 
 今回、四国の新聞を読んでみようと考えたきっかけは、いわゆる加計学園問題をめぐる大量報道だった。
 正直なところ、私は、この問題が巨大な疑獄事件みたいな構えで世間をさわがせている理由について、いまひとつ得心がいっていないのだが、おそらく、よくわかっていないのは私だけではない。
 なにより、われら関東在住の善男善女は、疑惑の中心地として名指しされている今治市の地理的な位置を正確に把握していない。このたび、新聞ならびにテレビの報道を通じてその名前が連呼されたことで、今治の知名度が上昇したことは事実だと思うのだが、その
「岡山理科大学の獣医学部が今治市に建設されようとしている」
 というニュース原稿のヘビーローテーションが、わたくしども意識の低いテレビ視聴者のアタマの中に定着させたのは、結局のところ
「あれ? 今治って岡山だったっけか」
 という間抜けな勘違いだった。
 事件が報道される以前まで、私の脳内に漠然とあった今治市のイメージは、
「ほら、四国の瀬戸内海に面した、島がごちゃごちゃしてるあたりにある、たぶん半農半漁半タオルぐらいな」
 地方都市の姿だった。で、このおそろしく大雑把で情報量の乏しい予断に
「岡山理大の獣医学部ができるらしい」
 という新しいデータが追記された結果、生成されたのは
「おお、そうだったのか、今治市というのは岡山県内の都市だったのか」
 という知識の改訂だったわけで、私はこの誤って上書きされたグダグダな日本地図を、なんだかんだで、二週間ほど、自分の脳内に保持していたのである。
 なんともバカな話だ。
 その反省もあって、今回は、四国の新聞をあらためて読み直す気持ちを固めた次第だ。あわせて、個人的な目論見としては、この際、四国四県の新聞精読を通じて、きちんとした四国像を再形成するとともに、せっかくの機会なので、「地元から見た加計学園問題」ぐらいな中央のメディアからは見えてこない独自情報をゲットできれば、と考えていたわけなのだが、その甘い見通しは、かなり早い段階で頓挫した。
 ありていにいえば、8月の愛媛新聞を約一ヶ月分遡って参照した結果、加計学園問題に関する独自ネタに、見るべきものはなかったということだ。
 社説には、ときどき批判的な文章が掲載されている。それらの論評記事の行間には、たしかに、地元で起きている全国的な話題に対する、地元の人間ならではの違和感があらわれている。
 ほかにも、たとえば、前愛媛県県知事である加戸守行氏に対しては、愛媛新聞として単独のインタビューを敢行しているし、日本獣医師会顧問にもきちんと取材して記事を書いている。
 とはいえ、愛媛の地元の新聞記者が、岡山理大の内部関係者や建設業者にかたっぱしから独自取材を申し入れて、全国紙の記者が見逃している細かいネタを丹念に拾い上げていたのかというと、紙面を見る限り、たいした成果はあがっていない。今治市役所の役人を追いかけ回した様子もない。いずれにせよ、私が8月分の紙面を見た限りでは、地元発の疑獄事件をなんとしても暴こうとする気概は感じられなかった。
 あるいは、愛媛新聞の立場からすると、加計学園問題は、記者として取材すべき目前の「事件」や「疑惑」であるよりは、中央のメディアが寄ってたかってツブしにかかっている地元の経済特区案件であるという意味合いの方が強いのかもしれない。いずれにせよ、この学校の獣医学部の周辺に広がっている(ように見える)闇については、もう少し時間がたって、はっきりとした全体像が見えてくるまで、安易な言及はできない。
 夏場の愛媛では、むしろ松山市の鼻息が目立つ。ご存知の通り、松山は日本の近代文学の担い手の一人であり現代俳句の祖でもある文人、正岡子規を輩出した土地だ。その子規の親友である文豪夏目漱石も、生まれこそ東京だが、松山の旧制中学で教鞭をとるなど、この地と縁が深い。代表作のひとつ「坊っちゃん」が、明治期の松山を舞台とした小説であることは、よく知られている。
 そんなわけなので、愛媛新聞は、いまだに子規と漱石を忘れていない。忘れていないどころか、今年は、両人の生誕150周年ということもあって、折に触れて関連の記事を配信している。
 たとえば、8月の前半は、正岡子規・夏目漱石の生誕150周年を期して開催される第20回俳句甲子園全国大会の話題が紙面を席巻した。
 紙面は、全国大会が開催される8月19・20両日に向けて、「俳句甲子園」のレギュレーションを告知し、その代表チームの情報を、時々刻々伝える。そして、地方大会での各チームの優秀句などをこまめに取り上げつつ、大会の機運を盛り上げて行く。
 ただ、20日におこなわれた決勝戦で優勝を果たしたのは、東京都代表の開成高校だった。彼らの勝利は、昨年に引き続いての二連覇だ。
 毎年東大に150人以上の合格者を送り込んでいる日本一の進学校である開成高校が、俳句の世界でも覇を唱えているというこの結果がもたらす感慨には、独特のほろ苦さがある。実際
「君たちが優秀だなんてことは、日本中の人間が知っているわけなんだし、その偏差値番長の君たちが、何もこんな大会にエントリーして優勝をさらっていくことはないじゃないか」
 と、そう思ってしまう気持ちをおさえるのは、容易な作業ではない。
 でもまあ、俳句という一見偏頗に見える言語玩弄術の達人が、第一級の偏差値戦士でもあったという事実は、言葉を研ぎ澄ます過程が、実のところ学校の勉強とそんなに遠くない知的な営みであったということを示唆している意味で、案外、前向きなメッセージであるのかもしれない。ともあれ、最優秀句に選ばれた開成高校3年、岩田奎君の
「旅いつも雲に抜かれて大花野」
 という句は素敵だ。
 こういう青春の香気あふれる一句を、西日暮里のあの世知辛い空の下で詠んだのは、立派だ。
 すぐ隣の徳島県を見ると、すぐ隣の県なのに風景が一変する。
 これは、実際に訪れた時にも感じたことだが、愛媛新聞、徳島新聞の二つの新聞の紙面にも明らかにあらわれている特徴だ。
 徳島新聞の紙面は、俳句とか、文芸とか、文豪ゆかりのなんたらとかいった、その種のお話には比較的冷淡で、その分の行数は、もっぱら阿波踊りに割かれる。
 実は、徳島県には、何度か足を運んだことがある。通算での滞在日数は、あれやこれや合算すると一ヶ月以上になる。東京から外に出ることの少ない私にとっては例外的なことで、これは、徳島という土地が、私にとってそれだけ特別な土地であることを物語っている。
 といっても、漱石にとっての松山とは意味が違う。私は文豪ではないし、私と徳島のいきさつは、漱石と松山の結びつきほど文学的な湿り気を帯びていない。
 いまから30数年前、ちょうどバブル経済の絶頂期にあたる1990年代のはじめ、コンピュータ業界に片足を置くライターであった私は、生まれては消えるコンピュータ関連の用語に網羅的な解説を加えるというドンキホーテじみた仕事に従事していた。
 事典の執筆は、ジャストシステムという四国徳島に本拠を置くソフトウェア企業からの依頼だった。
 ジャストシステムは、当時、「一太郎」というワープロソフトのヒットで業界のトップに立っていた会社で、潤沢な資金をもとに出版業にも手を広げていた。
 ジャストシステムはいまでも健在で、当時の大ヒットワープロソフト「一太郎」の漢字変換エンジン部分を商品として独立させた「ATOK」(エートック)は、現在でも、商用日本語入力システムとしてトップを独走している。
 ちなみにATOKの語源について、ウィキペディアは「Advanced Technology Of Kana-Kanji Transfer」の略であると解説しているが、私が当時、同社の社員から直接に聞いた話では
「阿波徳島(あわとくしま)」の頭文字を取ったものだということだった。
 正解はわからない。
 泡にまみれている。
 執筆作業は、徳島市郊外にあるジャストシステムの本社ビル内の一室で、私と、イラストレーター氏の二人が缶詰になる形で展開された。
 私たちは、本社ビルから歩いて5分ほどの距離にある3LDKの社宅を一棟与えられて、毎朝、その宿泊所から、徒歩で会社に通勤していた。
「なんかオレたち、エサ与えられてタマゴ生んでるブロイラーみたいですね」
「ブロイラーは肉用だぞ」
 などと、意気の上がらない会話をしながら進めた執筆作業は、予定の3週間を経過しても完了せず、結局、積み残しの分は東京で各自仕上げることになった。
 大切なのは、その3週間におよぶ徳島での缶詰生活が、私の当地への思い込みの基礎になっていることだ。
 どういうことなのかというと、徳島市の中心地からクルマで20分ほど走った郊外の国道沿いに立地する、広々として清潔ではあるものの、どうにも寂しいとしか言いようのない社宅の周辺の風景の記憶が、私にとっての、四国という土地の原風景になっているということだ。
 その、500メートル四方の徒歩圏内にラーメン屋を含む飲食店が数軒と、スーパーマーケットが2店と、あとはパチンコ屋とスポーツ用品の量販店と釣具屋とゴルフ練習場しか立ち回り先の見つからない、倉庫と休耕田の目立つ新開地の上に広がる空の色のさびしさを、私は、いまでも思い浮かべることができる。
「日本の中の四国は、世界の中の日本と似てると思わないか?」
 と、私はイラストレーター氏に言ったものだった。
「はじっこの島国という意味ですか?」
「まあ、基本的にはそういうことだけど、なんかほら、本土からは無視されてるけど、本人たちは自足してるっていうあたりがそのまんまじゃないか」
「あとカニが旨いですね」
「カニは関係ないだろ」
「いや、旨いカニが食えれば特に不満はないというのがここらの人の本音で、オレはその考えは間違ってないと思います」
「なあ、オレたち、そろそろ東京に帰らないと本格的にヤバいぞ」
 私たちは、退屈に耐えかねて、3日に一度ほど、タクシーを呼んで徳島市街を飲み歩いた。そのうちの一軒の、社員さんに教えてもらった店で食べたドテボリというカニがえらく旨かった。
 結局、私が覚えているのは、カニが旨かったことと、何もない社宅で、毎晩浴びるほど焼酎を飲んで、午前中いっぱい仕事にならなかったことと、その社宅に常備されていた大量のマンガ本のうちの「カラテ地獄変」という作品が陰惨極まりないセクハラ物語だったことぐらいなのだが、今回、徳島の8月の新聞を読んで、私が自分の印象がかなり盛大に偏向していたことを思い知らされた。
 私の記憶は、冬場の、隔離された郊外の孤立した生活の中で生産された、入力作業の残滓に過ぎなかった。
 夏の徳島は別の国だ。
 なにより、阿波踊りがある。
 阿波踊りを、単なる祭りだと思ってはいけない。町おこしコンサル業者の思惑に汚れた観光客誘致のための、商業化した、派手派手しいだけのそこいらへんの祭りとは、規模から志から伝統から心意気からのすべてがまるで違っている。
 たしかに、観光の目玉にもなっていれば、商業化もしているし、踊り手の中にはナンパ目的の不純異性交友舞踏者が混じっているかもしれない。
 が、当地の意気込みは、コンサル人種の軽佻な目論見や、マーケッターのこまっしゃくれた分析とは別の宇宙に属している。青森のねぶたを扱った記事や、博多山笠の企画特集を読んだ時にも感じたことだが、地方経済にとっての祭りの意義は、「経済効果」だとかいったこじつけで語って良いものではない。
 経済的な指標とは別に、地元の人々の気分や、生活のリズムや、人脈作りのきっかけとして、祭りの存在は、文字通り、地域の生活そのものをドライブしている。
 その中でも、阿波踊りの存在感の大きさは出色だ。新聞の中で紙面が割かれるパーセンテージの大きさでも、阿波踊りの存在感の大きさは他を圧している。
 8月の紙面を見ていると、新聞が文化事業のひとつとして祭りの開催に協力しているというよりは、阿波踊りという一つの集合無意識が、踊りのついでに新聞を発行していると考えたほうが飲み込みやすい感じさえする。
 8月9日付の徳島新聞は、徳島県内の国公立小学校の55.3%が、本年度の運動会で阿波踊りに取り組んだ、もしくは取り組む予定である旨の記事を掲載している。徳島市では、31の小学校のうちの小学校のうちの21校が「踊る」と回答しており、実施率は67.4%にのぼる。隣の鳴門市でも64.3%の小学校が阿波踊りを踊ると答えている。
 調査結果を受けた徳島大の中村久子名誉教授のコメントがまた味わい深い。
「運動会での実施率55%は意外に低いという印象だ。とはいえ、通常の授業で阿波踊りを学んでいる学校があることなどを考慮すれば、この運動会の実施率だけをみて駄目だとは一概には言えない−−略−−」
 はじめから阿波踊りを「良いこと」と決めてかかっているところがすごい。
 先生は、踊りの強制に苦しんでいる子供の気持ちなど、一顧だにしていない。
 私は、運動会で踊らされるみたいなことが大嫌いな子供だったので、徳島の小学生たちにちょっと同情している。
 もっとも、あの土地柄に育ったら、そもそも踊りのきらいな子供という想定そのものが相手にされないのかもしれない。
 おそらく、音楽が鳴ったら踊りだしてしまうパブロフの踊り手みたいな、回路が形成されることになるのだろう。
 同じ9日の紙面では、
《東京・高円寺に阿波おどり館》
 という見出しで、高円寺の商店街に、徳島の阿波踊り連の写真を常設展示する施設がオープンした旨を伝える記事が掲載されている。東京で広まっている高円寺の阿波踊りの本家が、わが徳島であることをアピールする文面に、阿波踊り帝国主義というのか、徳島中華思想の確かな存在が感じられる。
 良い意味でも悪い意味でも、徳島の人たちは、阿波踊りに関しては独走気味になる。踊る阿呆は、踊っていない時にもわりと阿呆だったりする。これは、なかなか困ったことだ。
 そんなわけなので、たとえば、愛媛新聞の紙面には、阿波踊りの今年度の決算が4億3000万円の赤字であったことを報告する記事がさりげなく載っていたりするのだが、地元の徳島新聞には、もちろんその種の記事は一行も印刷されない。
 それもそのはず、徳島新聞は、阿波踊りの主催者ならびに運営者だ。ということはつまり、そんなネガティブな記事がはじめから載る道理はないのである。
 では、これが癒着とか隠蔽とか阿波踊り利権とか、踊る阿呆疑獄とかそういう話なのかというと、個人的にはそう言ってしまうのは言い過ぎだと思っている。
 この6月、週刊現代が
《この夏、「阿波おどり」に中止の危機−−徳島の地元財界は大騒ぎ!−−》
 という記事を掲載して、注目を集めた。
 記事にある通り、たしかに、阿波踊に集まるカネと利権の大きさは、そこいらへんの七夕や盆踊りとは次元が違う。
 なにしろ、8月12日から15日まで、丸々4日間、徳島の市街地が踊り一色で機能停止するのだ。
 それ以上に、広告や寄付に参画する地元企業や徳島セレブや、連で踊る人々や、祭りにやってくる観光客が落とすメインステージの入場料収入が、簡単に集計できるレベルを超えている。どこからどこに資金が流れて、そのカネが最終的にどんな経路で処理されているのかについての詳細は、おそらく藪の中だろう。何百人といるはずの関係者の中には、私腹を肥やしている人間もいるはずだ。
 とはいえ、そういうことも含めて、地域経済は踊らにゃ損損で回っている。
 であるからして、徳島新聞は、唯我独尊の大本営体制で、あくまでも踊りの素晴らしさだけを訴えるのである。
 これは善し悪しの問題ではない。
 踊るから阿呆になるのではない。
 阿呆だから踊るのだ。
 というのは、まあ、言いすぎだとしても、阿波の夏は、全員が阿呆になる約束事を踏まえたうえで過ごされることになっている。
 とすれば、結局ところ、楽しんだ人間の勝ちなのである。
 徳島には「天水」という言葉がある。
「 I love Tokushima」というホームページ(http://ilovetokushima.com/)によれば、「天水」は
《阿波の方言で、「少しめでたくて、調子がよく、一つのことに熱中しやすい人」を形容して使われます。何があっても、逞しく、楽天的に過ごす。目の前のことに熱中してとことん極める。情けがあって、やさしいそれが阿波の『天水』じょ。》
 ということらしい。
 まあ、そういうことだ。
 踊らない私は、不利益に耐えよう。



以上です。ではまたいつか。

| | コメント (2)

2018/04/04

立川談志 自伝 狂気ありて 書評

 つい1時間ほど前、ツイッター上で、落語の中の町人の言葉づかいに言及したのですが、その中で私が立川談志師匠の名前を「談志」と呼び捨てにしたことに対して、苦言を呈してきた人がありました。

 自分より20年も年長の人間を呼び捨てにするとはなにごとだ、と。

 まあ、よくある話です。

 で、 当方といたしましては、自分が子供時代からの立川談志の忠良なファンである旨をお知らせしたうえで、言及するにあたって呼び捨てにする理由を縷縷説明しようと考えたわけなのですが、あらためて考え直してみるに、これは、どう説明したところで、わからない人には、わからないことです。

 なので、 5年ほど前に書いた書評の原稿を読んでいただくことで、説明に変えさせてもらうことにしました。

  以下、2012年の9月に雑誌「Sight」のために書いた「立川談志 自伝 狂気ありて」(亜紀書房)への書評原稿を採録します。


 ハードカバーの、いまどき珍しい頑丈な書籍だ。値段は二千百円プラス消費税。最近の単行本としては高価な部類だろう。が、一種の「形見」である以上、安っぽい装丁は似合わない。購入する層も、忠実なファンに限られている。彼らは納得するはずだ
 内容も然り。一般客に向けてではなく、もののわかったファンに向けて書かれている。というよりも、昔からの立川談志のファンでないと、この内容はキツいはずだ。
 本文が書かれたのは、巻末にある付記によれば、二〇〇九年の八月から二〇一〇年の九月にかけて。本人による、最後の書きおろしということになる。
 口述でなく、談志自らが原稿用紙に文章を書き起こしている。その手書き原稿の一部は、ハードカバーの内側の見開き部分に、そのまま転載されている。見ると、細かい修正や注記が書き込まれている。立川談志は、仕事には手を抜かない男だった。そういうことが文字面からも伝わってくる。
 文体は、しかし、ほとんど「語り」に近い。本人もそれを意識していた形跡がある。声が出にくくなって以降、談志は、自分の「肉声」を残すべく、文章の書き方にも独特な「間」や語尾の揺れを取り入れるべく工夫をしていた。本人は、最後まで、なんとかして、しゃべりたかったのだと思う。
 なので、普通に読むのにはちょっとキツい。さきほど、「ファン以外の者にはキツい」と書いたが、同じことだ。つまり、アタマの中に談志の肉声が残っている者でないと、この文体のとっ散らかった感じには、なかなかついて行けないということだ。
 なにしろ、話題が急展開する。
 のみならず、時間は前後するし、固有名詞の羅列がはじまると容易に止まらない。これらの特徴は、談志の高座における語り口そのままだ。
 だから、文章として評価すると、構成の乱雑な、論理の一貫しない、読みにくい雑記てなことになる。
 とはいえ、面白いのかつまらないのかと問われれば、明らかに面白い。談志の肉声で脳内再生すれば、第一級の芸談になっている。ところどころ、落語のマクラとして、そのまま使えそうな部分すらある。
 ただし、本書を読みながら自分のアタマの中に談志の肉声を召喚できる人間は限られている。ある程度、彼の噺を聴きこんだ人間でないと難しい。
 肉声が響かない読者に、この本がどんなふうに感じられるのかは、私にはわからない。私の脳内では、全盛期の談志の闊達な口舌がものの見事によみがえっているからだ――というのは、まあ、自慢なわけだが。
 固有名詞の羅列は、とにかくものすごい。幼年期の友人の名前、入門初期に各地の演芸場や寄席で共演した仲間の芸名と本名、学校時代に行き来した人々や疎開先の地名、立川談志は、そうした遠い時代の固有名詞を、細大漏らさず、記憶の限り再現してみせる。
 ほとんどの読者にとって、談志が並べてみせる名前は意味を持っていない。私のような、かなり古い時代からのファンでも、出てくる単語の七割は、はじめて聞く人名だったりして、まったく手がかりがつかめない。
 それでも談志は羅列をやめない。
 というのも、羅列は、談志の「芸風」のコアに当たる部分で、寄席の座布団に座っていた時から一貫した彼の特殊能力だったからだ。好みの映画俳優の役名や、訪れた外国の港の名前、読んだ本のタイトル、銀座の名店の看板、そうした瑣末な記憶を、一から十まで淀みなく並べ立ててみせることを彼は好んだ。
「ん? そんな名前どうでも良いって? だったら寝てな。オレは、持ってる知識は全部吐き出さないと次に行けないタチなんだからね」
 などと、時々自嘲をはさみながらも、談志は決して固有名詞を列挙することをやめなかった。
 名前だけではない。
 談志の記憶は、古今の芸能文化の枝葉末節を網羅していた。書生節の一節を再現したかと思えば、明治歌謡のさわりを披露し、歌舞伎狂言から浄瑠璃講談浪曲まで器用にオウム返しをしてみせる。もちろん、五代目の古今亭志ん生や彦六あたりの物真似は玄人はだしだ。ほんの一節しかやってみせないが、それでも、その観察力と再現力は瞬時に客席を圧倒してしまう。
 ともあれ、その異様な記憶力と博覧強記のケレンは、談志の芸に、通常の落語とは別種の、凄みのようなものをもたらしていた。インテリの教養をあざ笑うみたいに古今東西の文化的データを羅列してみせる談志の姿に、ある痛快さが宿っていたのは、複雑化した戦後の社会に生きる現代人が、記憶と情報に翻弄されて自失していたからなのかもしれない。
 むろん、
「覚えて吐き出すだけのことだったら、オレは永遠に続けられるんだぜ」
 という、その談志のこれみよがしな芸風に、不快を覚えた観客も少なくなかった。
 噺のマクラに、時事問題を持ち出して、きいたふうな分析をしてみせる態度も、古手の落語ファンには忌避されるところのものだった。
 が、これみよがしであれ、ひけらかしであれ、談志のケレンは、目の前で見せられると、やはりどうにも圧倒的で、私などは、その記憶と反射神経の魔法に対して、いまだに信仰が解けない。やはり談志は神だ。
 談志の独り語りは続く。
 珍しく、私生活についても包み隠さずに語っている。
 しかし、そこは談志だ。そこいらへんの通り一遍の日本人とは、身につけたスタンダードが違う。彼は、つまらない謙遜はしない。へりくだって身内を低く語るみたいなマナーも採用しない。卑下なんていう言葉にはハナもひっかけない。卑下なんぞ気味が悪いから剃っちまえ、てなものである。
 正しいマナーや、上品とされているプロトコルよりも、なにより、自分に対する正直さを第一の徳目とする、それが談志の身上だ。皮肉屋の正直者。そして、辛辣な人情家にして、臆病な高慢ちき。内気な目立ちたがり。
 だから、立川談志は、謙遜をせずに、むしろあからさまに自慢を並べる。
 身内にも大甘だ。
 妻の可憐さと性質の良さを最大限に褒め称える。でもって、彼女が誰にも愛された素晴らしい人間であることをなんら疑うことなく描写している。
 娘や息子たちについても同様。悪いことはひとつも書かない。親孝行で、気持ちのやさしい素晴らしい子供たちだと、手ばなしで賞賛している。
 娘さんがグレた時期があって、その当時はさすがの談志も弱ったらしいのだが、そうした紆余曲折も含めて、父は、子供たちを全面肯定している。
 弟子にも優しい
 優しいというよりも、もしかしたら、甘いと言うべきかもしれない。
「きちんとした芸をやってるのは、オレのとこの弟子だけだ」
 と、平気で言い放つ。それほど、弟子を高く評価している。なるほど。
 してみると、あるいは、本書は、談志本人の気持ちとしては、遺言のつもりで書いた原稿だったのかもしれない。
 だからこそ、世間に向けてというよりも、ほんの十数名の、弟子や家族や友人に向けて、構えることなく、一人の、死期を間近に控えた気難しい好々爺の顔を晒している、と、そういうことだったののかもしれない。
 いずれにしても、見事な態度だ。
 おそらく、ふつうの人間がここまであからさまな身内びいきを開陳したら、当然のごとくに非難される。
「談志は、えこひいきだ」
「談志はしょせん凡夫だ」
 と、世間はそう言うはずだ。
 談志の答えはわかっている。
「ああそうだともオレはえこひいきの身内大事の親バカの師匠バカの嫁天下のだらしのない凡夫だが、それがどうした? それが談志だよ」
 と、彼は開き直るはずだ。
 立川談志は、「サブカルチャー」という言葉ができるずっと以前から、古今のサブカルチャーに精通している、第一級のディレッタントだった。
 落語も上手だったが、それ以上に、書籍や、アニメのセル画や、映画のパンフレットやSPレコードの蒐集家として、それらの理解者として、また、世間の底辺にうごめく落伍者の代弁者として、常に神の如き存在だった。
 その偉大なるオタクにして、唯一無比の大衆芸能のデーモンであった立川談志が、その晩年に、自身の魔法の杖であった肉声を失ったことは、いかにも残酷ななりゆきだった。
 しかしながら、声を失った談志が、文筆家として、肉声の宿る文体に挑戦し、その試みに、半ば以上成功をおさめていることは、ここに、銘記しておかなければならない。
 少なくとも、古くからの熱心なファンである私は、本書の行間から、談志の肉声を聞き取ることができた。これは、素晴らしい達成だと思う。
 最後に、立川談志に伝えておきたい。
 あなたは、世界一の凡夫だった。


以上です。

| | コメント (1)

2018/02/04

ひとまずひとづま

ツイッターのタイムラインで「あたしおかあさんだから」という歌が話題になっています。

歌詞を見ていて、自分が30数年前に書いた歌を思い出しました。
ただ、テーマは似ていても曲想はちょっと違っていて、私が20代の頃に書いたこの歌は、結婚する女の子の無力感みたいなものを歌った歌です。
初出はたぶん1984年と記憶しています。曲もついています。作曲は私ではありませんが。
 
 
 
ひとまずひとづま
 
 

にっこり笑ってお茶いれて
にっこり笑ってコピーをとって
男のひとたちはみんな 優しくしてくれるけど
わかってるつもりよ
オンナはどうせ消耗品
消しゴムみたいに忘れられるわ
 

言葉すくなに控えめに
笑う口には手を添えてれば
男の人たちはみんな いいコだと言ってくれるけど
わかってるつもりよ
オンナはどうせ水商売
お化粧落とせば魔法は解けるの
 
 
この秋に結婚するわ
イカさない彼だけれど
ほかにどうしようもないから
ひとまずひとづま ひとまずひとづま
とりあえずひとづま
 

シナを作れば二割高
ヒザを崩せば五割は高い
ボーイフレンドの五人や六人はどうにでもなるけど
わかってるつもりよオンナはどうせチョコレート
銀紙むいたら半額以下なの
 

この秋に結婚するわ 月並みな彼だけれど
オールドミスだけは避けたいから
ひとまずひとづま ひとまずひとづま
とりあえずひとづま

 
 

以上です。おそまつでした。

| | コメント (1)

2018/01/06

鉄拳への挽歌

  プロ野球球団、東北楽天ゴールデンイーグルスが6日、星野仙一球団副会長が4日に亡くなったことを発表した。冥福をお祈りする。  感想を求める声がいくつか届いているので、星野氏について書いた文章を再掲することにした。

 以下の原稿は2008年の11月にソフトバンククリエイティブが配信していたメールマガジン「ビジスタニュース」内でオダジマが連載していた「大日本観察」という連載コラムに向けて書いたもので、タイミングとしては、2009年開催のWBC監督問題で、星野氏の去就が騒がれていた事態を受けてのコラムということになる。


いまさら星野仙一をマナ板に乗せてどうしようと言うのか。確かに、WBC監督問題は終わった話だ。星野氏本人の資質についても、週刊誌誌上で議論(←星野氏本人によれば「バッシング」ということになるが)が一回りして、既に結論(「消えろ」ということ)が出ている。
 でも、近い将来、星野問題は、必ずや再燃する。そんな気がする。
 なんとなれば、来たるWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)において、原ジャパンが優勝するとは限らないからだ。
 というよりも、確率論的に言って、原監督とそのチーム(←「サムライ・ジャパン」と呼ぶことになったようです《笑》)は、8割方、優勝できない。ベスト4に残れない確率も5割ぐらいはあるし、アジアシリーズで力尽きる可能性すら2割やそこいらは残っている。つまり、順当に行けば、原巨人は「負ける」のだ。
 と、優勝できなかったすべての場合において、
「ほーら、やっぱり星野にしておけば」
 式の議論がまき起こる。これは避けられない。だって、星野派は滅び去ったわけではなくて、時にあらずと思って雌伏しているだけなのだから。
 サンスポあたりは、おそらく予定稿を書き始めている。「ニュースゼロ」も原ジャパン惨敗の想定で構成原稿を用意している。もちろん、仙一氏本人も、「原バッシングを」擁護するカタチの談話の中で、「負けた監督に対するメディアの非難が、いかに理不尽で残酷なものであるのか」を訴えるつもりでいるはずだ。で、最終的には、「原よ。言いたいヤツには言わせておけ。掛け値無しの真実は、ベンチの中央を占める孤独な指揮官にしか分からないのだから」ぐらいなところに着地するシナリオを思い描いているに違いないのだ。
 とすれば、その時(星野復活シナリオ発動の瞬間)に備えて、こちらもそれなりの構えをとっておかねばならない。
 戦術的には、星野仙一が水に落ちた犬の構えでいる今この時にこそ、思い切りそれを叩いておこうということだ。手負いのキツネを森に放ってはいけない。完全に息の根が止まるまで、踏みつけておかねばならない。二度と巣穴を掘り始めないように、だ。
 
 この度の「星野バッシング」は、北京五輪の惨敗を受けて始まったもので、表面的には、彼のチーム運営や采配を批判する議論だった。
 が、本質は違う、と少なくとも私はそう思っている。真実は、もっと深い部分に隠れている。
 単に、負けた監督に対する戦術的な批判や、チームの運営法をめぐる戦略上の議論であったのなら、こんなに長引くこともなかったし、これほど盛り上がることもなかったはずだ。といよりも、なにより、うちの国の野球ジャーナリズムは、戦術論で読者を引っ張れるほど成熟していない。
 別の言い方をするなら、野球は、そもそも一年間をかけてペナントを争う不確実性のスポーツ(←優勝チームでさえ、6割台の勝率しかあげられない。それほど実力差が結果に表れにくい競技だということ)だということだ。だから、トーナメントの短期決戦で実力を決するようなことは、原理的に不可能なのだ。その意味で、北京の惨敗について、星野氏が担うべき責任は、せいぜい半分までだ。残りの半分は、勝利の女神の気まぐれ。っていうか、丁半バクチ。それだけの話だ……と、野球ファンは、この程度のことは、わかっている。
 にもかかわらず、彼らの一部が星野を批判してやまなかったのは、星野が負けたからではない。星野が星野だったからだ。
 つまり、この度の、星野氏をめぐるあれこれは、「星野」という御輿を担いで商売をたくらんでいた勢力と、彼らが用意した「星野」という物語のうさんくささに辟易し、それの撤回と滅亡を望んだ側の人々による、かなり根の深い暗闘だった。
 だからこそ、星野の側に立つ人間たちと、それを葬り去ろうとする人々の間で闘わされた議論は、白熱し、迷走し、ネットを巻き込んだ一大ムーブメントとなって、最終的には球界のちゃぶ台をひっくり返すに至った次第なのである。
 ざっと経緯をふりかえっておく。
1. 北京五輪惨敗:ま、時の運。細かいことを言えば色々と問題はあったが。
2. 采配批判勃発:ダルビッシュ起用法、岩瀬の続投、GG佐藤のポジション、川崎、新井の怪我、などなど。
3. 星野反論:帰国後の成田到着ロビーにて記者会見「失敗してもチャレンジするというのがオレの人生。それをたたくのは時間が 止まっている人間だよ」と。
4. ナベツネによる擁護:WBCの監督問題について「星野くん以上の人物がいるかね? いるなら教えてくれよ」と語る。
5. 出来レース:10月の中旬、WBCの監督を選任する有識者会議に委員の一人として招かれた野村楽天監督が「出来レースちゃうんか」と、会議の内幕について一言。
6. 最強:星野監督で一本化されそうな流れを受けて、イチローが「本気で最強のチームを作ろうとしているとは思えない」と発言。
7. 辞退:野村発言、イチロー発言、ネット上での星野批判の盛り上がりを受けて、星野氏が、自身のブログ上で、WBC監督の依頼を辞退する意向を表明。「パパ一人、こうまで悪者にされて……」という娘さんの発言を引用しつつ(笑)。
8. 追い打ち:週刊Pでは、江夏豊氏による《星野仙一「WBC監督辞退」の真相は「鉄拳制裁」醜聞だ!》という旨の暴露記事を掲載。
9. 一矢:サンスポの阪神コラム「虎のソナタ」に、星野問題総括の記事が載る。
 《要するに最有力候補に「星野仙一氏」という空気になったとたんに外野席がうるさくなった。後講釈で理由はなんとでもつくが、ズバリ「男の嫉妬」がウズ巻いていた。五輪に負けたことでこんなにひどい批判という名の“みそぎ”を受けさせられるとは星野氏は想定外だったろう。》《イチローさん、これでご満足ですか。一選手の発言が『監督のクビ』を飛ばしたのです。すごい時代になったもんだ。下克上…昔、阪神に巣食っていた“亡霊”が生き返ったのか…と思いましたョ。》だとさ。
 引用が長くなってしまったが、私としては、読者の皆さんに「色々な経緯があった」ということを知っていてほしかったのだ。決して、「バッシングがあって星野が辞退した」という単純な流れではなかったということを、だ。
 いまのところは、星野退場で幕が降りているかに見える。が、ここに至るまでは、様々な紆余曲折があった。種々雑多な観測気球が上がり、あれやこれやのプロパガンダが発動され、アジテーションが炸裂し、奇妙な説得が流れていたのである。
 星野氏自身について、思わぬ方向から復活の狼煙が上がったりもした。で、もう一歩のところで「星野リベンジ物語」というシナリオが動き出す運びになっていたのである。おそろしいことに。
 星野バッシングの流れを「男の嫉妬」と決めつけるような原稿が、全国紙の紙面に掲載されたりもした。
 おどろくべき記事だ。
 いったい誰が星野氏に嫉妬をしたというのだ?
 江夏豊氏か?
 野村克也氏か?
 理由は何だ? 
 どうして彼らが星野氏に対して「男のシット」を燃やさねばならなかったというのだ?
 監督候補として名前が挙がらなかったから?
 星野氏みたいにメジャーなテレビ局の専属になっていないからか?
 
 当然のことながら、批判を「嫉妬」と決めつけるテの記事をそのまま鵜呑みにするほど、われら日本の野球ファンはおバカではない。2ちゃんねるの捨て台詞じゃあるまいし。まったく。チラシの裏以下じゃないか。
 とはいえ、この種の低次元な立論は、スポーツ新聞読者の読解力水準が、ある限界を下回った瞬間(←具体的に言うと、原ジャパンが惨敗して、野球ファンがトチ狂った状態に陥っているしばらくの間)に、あるいは、不気味な力を発揮することになるかもしれない。
 つまり、
「負けた時に足の引っ張り合いをしていたのでは、日本の野球は強くならない。こういう時にこそ、球界が一つになれる人材を」
 てなことで、またぞろ星野が引っ張り出されてくることは、案外あり得るぞ、ということだ。
 ボロ負けに直面したファンは、一時的に、大変に愚かな人間になる。
 私は、それを恐れている。
 老婆心だと思うかもしれない。が、老婆にとって、明日はとても近い。ほとんど昨日と区別がつかないほどに。
 思うに、星野仙一は、日本プロ野球界に巣食う古い体質にとっての、最後の切り札の如き存在だ。
 昭和の時代を通じて、ずっと長い間、野球の周辺には、常に封建ニッポンの残り香がまとわりついていた。たとえば、戦前の一時期を軍隊で過ごした人々や、戦後生まれでも、体育会的秩序の中に自らの青春を捧げたタイプの人々は、野球のうちにある戦前的な要素に郷愁を抱いている。というのも、古い歴史を持つ団体競技である野球は、その発生当初から、軍隊の教練を模したトレーニングを取り入れ、軍隊ライクな秩序と精神性を柱に発展してきたスポーツだったからだ。
 なにしろ、右翼手、左翼手、遊撃手といったポジションの名前から、死球、捕殺、二重殺のような戦術上の用語にしてからが、既にして軍隊用語だったりする。
 ついでに言えば、野球における「塁」は、白兵戦における「塁」(防塁:戦術上の橋頭堡、ないしは土で作った砦)とほとんど選ぶところがない。そんな中で、攻撃側の選手は、「塁」を確保しつつ吶喊してくる突撃兵そのものであり、防御側の選手は、基地(ベース)にあって敵を迎え撃つ防人に相当する。すごい。
 要するに、野球は、人間をコマに使った軍人将棋みたいなゲームなのである。
 とすれば、指揮官が兵士に死を求めるのは、これは歴史の必然であり、兵が将に求める要素が「献身に値する父性」ぐらいなことになるのもまた、理の当然てなことになる。
 死と侵略をめぐるロマン。
 無論、こんな議論は、ファンタジーだ。
 それも、はるか昔に滅びた、古くさい軍靴のニオイのする、カビの生えたイカサマに過ぎない。
 現在、この種のメタファーは、若い選手にはまるでアピールしない。アピールしないどころか、お笑いぐさだ。
 が、野球ファンの一部には、今なお、チームに軍隊の幻を追い求める人々がいることは事実で、そういう彼らの目から見て、星野仙一が、最後の将軍に見えていることもまた、おそらく事実なのだ。島岡人間力野球の衣鉢を継ぐ黄金の熱血精神力野球。明治の父の如き威容……と、それが、私にはうっとうしいのだよ。「サムライ・ジャパン」だとかいう、間抜けなキャッチもさることながら。
 いいかげんに近代化しようではないか。でないと、今度こそ本当の終わりだぞ、と、そういうふうに私ども野球の古くささに辟易してきた古手の野球ファンは、プロ野球の行く末を懸念しているのである。
 もっとも、星野氏の軍隊式野球そのものは、その実、単に古くさいだけのものではない。それなりの内実を備えてもいる。
 が、星野野球それ自体の戦術や采配については、ここでは論評しない。というのも、私はその任ではないからだ。野球経験も無い一運動音痴が、こんなところで半可通の識見を振り回しても仕方がないわけだし。
 ここでは、星野氏の処世について語る。
 星野氏一流の処世術は、彼の背景を見事に演出せしめている。
 それゆえ、星野氏は、数社の一流企業のCMキャラクターに収まり、そのことで球界の集金構造の一端を担う存在に登り詰めた。で、事実、WBCのスポンサーとなっている企業のいくつかは、星野氏の個人的スポンサーと重複している――ということは、つまり、星野仙一を後押ししているのは、老野球ファンの郷愁だけではないということだ。むしろ、野球に理解を示す財界人を糾合するための御輿として、星野仙一氏を利用せんとする一派がいたと言った方が実態に近いのだと思う。
 それはそれで良いのだ。
 野球はカネが無いと動かない競技なのだし、代表監督にとって、スポンサーを集めてくることは、ある意味で、ベンチで選手を操縦する能力よりもずっと重要な任務だ。その意味で、星野を推す人々が、彼の人脈や財界コネクションを重視したことは、必ずしも的はずれではない。
 さよう。重要なのは、星野氏の処世だ。
 彼が、支持されている理由は、おそらくそこにある。
「あいつは、世渡りが上手い」
 と。だから、
「代表チームの監督として、国際舞台に打って出る人物は、なにより世渡り上手であるべきだ」
 という見識は、それはそれで一理あると私もそう思っている。
 でも、その一方で私は、星野氏がその処世上、ずっと看板として掲げているドラマに、どうしても同調できずにいる。
 具体的に言うと、私は、彼がある時期から掲げて来た「男・星野」という仮構に、ずいぶん前から食傷していたのである。それに、オリンピックに先立って「星野の夢」を商標登録しているみたいな、そういう彼自身の抜け目の無さが、なんだか信用できないわけです。
 若手選手に対して鉄拳制裁を辞さない秋霜烈日な指導を繰り返す一方で、ベテラン選手やコーチ陣の夫人たちの誕生日を暗記し、その当日にバラの花を贈る気遣いを怠らない繊細さを併せ持っている……とか、そういうエピソードを、私はすっかり聞き飽きてしまったのだな。もう何年も前から。
 母子家庭に生まれ、人生半ばにして伴侶(奥さん)の死に遭遇したという、民放でドラマ化されがちなプロットのドラマ性も、だ。
 こういう種類の悲劇性をまとった「父性」に憧憬を抱く者が、今の時代にも少数ながらいることそれ自体は、理解できないでもない。
 が、「理想の上司」を尋ねるテのアンケートの上位に、必ず星野仙一の名前がランクインしていることは、これは、鵜呑みにするわけにはいかないデータだと思っている。メディアは、スポンサーのために動いているわけだし、そのスポンサーは、星野を通して何かを成し遂げようとしている存在であったりするからだ。
 私がいま言っていることはあるいは邪推なのかもしれない。
 でも、事実がどうであれ、はっきりしているのは、感覚として私がこの人をどうしても信用できずにいることだ。
 保険会社や、カレーの会社や、胃薬の会社は、星野氏が「理想の上司」だから起用している、と、事実は、その通りなのかもしれない。
 でも、私の目には、保険の会社や、カレーの会社や胃薬の会社が広告会社と結託して、星野氏を「理想の上司」に仕立て上げている、というふうに見える。
 だって、そういうことにしておけば、関係者の全員が得をするから。野球ファン以外の全員が、ということだが。
 結論を述べる。
 星野氏については、その「鉄拳」がいけない、と私は考えている。
 指揮下にある人間を対象とした暴力は「論外」に属するお話で、指導者としての資質を云々する以前の、人としての最低限のモラルおよび市民社会のメンバーとしての基本的な資格を問われるべき問題だ。
 これまでの、議論は、前置きに過ぎないと言い直しても良い。
 ともあれ、二十一世紀の人間は、どんな理由であれ、下の立場の者に向けて暴力を発動する人間を容認してはいけないのである。
 私自身、オトナになる前に、かなりの頻度で「鉄拳」を浴びて来た側の生徒だった。その経験から申し上げるに、熱意が暴走して手が出てしまったり、部下を思う気持ちの強さゆえに、思わず叩いてしまうというタイプの上司がいないわけではないし、彼らの「体罰」を、全否定しようとも思ってはいない。いずれにしても、そういう人々(自ら痛みを持って生徒を叩く教師)は、必ず、謝罪する。だから、彼らの体罰は、繰り返されない。逆に言えば、継続的に暴力を繰り返す人間の暴力には、そもそも愛情も誠意も情熱も宿っていないと見なさなければならない。 
 部下に対して日常的に発動されていた星野仙一氏の鉄拳は、確信を持って繰り出される、組織運営上の手段としての暴力である。いったい誰がこんなものを容認できるだろうか。
 「鉄拳」体質については、ある時期から(たぶん、阪神に移ってから)、突然報道されないようになった。
 もちろん、中日で監督をやっていた時代も、鉄拳についての記事は、ごく控えめにしか書かれなかったし、記事化される場合でも、「熱血の行きつく果ての鉄拳」「男星野、情熱のコブシ」ぐらいな、講談調の文脈で語られるのがせいぜいではあった。
 二十一世紀に入って後、ジャーナリズム的に、体罰は、どの角度からどう描いても弁護のしようの無いものになり下がってしまって、それゆえ、記者は一行も触れられなくなったということであって、星野氏の暴力が終息したわけではない。
 この件については、マーティ・キーナート氏が興味深い記事を書いている。「キーナート」「燃える男」「鉄拳制裁」ぐらいで、ググってみてほしい。「中村武志」「眉毛」でググっても良い。面白いテキストが読めると思う。
 原ジャパンは、おそらく優勝できない。
 でも、原ジャパンの敗北に伴って発生する、原バッシングは、たいして盛り上がらないはずだ。
 なにより、原辰徳は、涙目の似合う日本一の謝罪キャラだし、それに、日本の野球ファンは、この20年でずいぶん成熟したはずだから。
 もし、原辰徳が人格攻撃含みの猛バッシングを浴びて、星野待望論がマジで力を持つのだとしたら、今度こそ私は日本の野球を見捨てようと思う。
 勝てば無問題なわけだが。
 
         (了)


  以上です。
現役時代、投手としての星野仙一氏には敬意を感じていました。
ただ、監督に就任してからの「鉄拳」を辞さない指導方針には共感できませんでした。
星野氏の高圧的なチームマネジメントを「熱血指導」として持ち上げるスポーツマスコミの報道に対しても、強い忌避感を抱きました。
故人の死去を受けて、その「熱血指導」が、不当に美化されつつある空気を感じたので、上記コラムに不快感を持つ読者もいるだろうことは承知しつつ、あえて掲載することにしました。
 あらためて星野仙一氏のご逝去に心からの哀悼の意を表します。
※ なお、上記テキストは、掲載分ではなく、ハードディスクの中にあった校閲前のナマ原稿であったため、2018年1月6日の時点で誤字脱字を修正し、あわせて文章の調子を若干整えています。

| | コメント (0)

2017/09/18

ソーカイヤ音頭

ごぶさたでした。久々の更新です。半年ほど前から、少しずつ書き足してきたにゅーそんぐが完成したので、お披露目いたします。


 
ソーカイヤ音頭


うわさ流して 炎上させて 

火消しもします カネ次第 (ア チョイト) 

マッチポンプの 消防隊の 

あたしゃ隊長 ゲスな人 (ソーカイナァ ソーカイヤァ)


切り込みますよ 他人の弱み

食い込みましょう 裏利権

人の不幸が オイラの稼ぎ

あたしゃ隊長 クソ野郎


火のないところに 火種を見つけ

ケムを立てます モクモクと

あることないこと知らぬこと

あたしゃ隊長 虚言癖


今日も今日とて 生き抜いてます

経歴詐称 デマフカシ

廊下トンビの 口端の裏の

あたしゃ隊長 羽織ゴロ


エスエヌエスの はきだめ暮らし

差別ヘイトが メシのタネ

貴殿の損は 拙者の利益

あたしゃ隊長 ウェブやくざ




以上です。みんなで歌ってくれるとうれしいです。

| | コメント (1)

2017/02/01

森さんのチョコレート 価格=森さんの言い値

2001年2月に、今は亡き「噂の真相」という雑誌のために書いたコラムを再録します。
なぜ、コラムタイトルが「森さんのチョコレート」になっているのかは、ちょっとわかりません。たぶん、当時森首相とチョコレートにかかわる何らかの事件があったのでしょう。


 森さんのチョコレート:森さんの言い値
 森首相は素晴らしいキャラだった(←過去形)。「言、珠を為す」という言葉があるが、まさに彼こそは発する言葉のすべてが記事のネタになる稀有な宰相だった。「歩く新聞記事」……いや、むしろ歩くミステリーだろうか。とにかく森さんは謎だらけだ。早稲田大学入学にはじまって、新聞社に入社した経緯から代議士に当選した裏事情まで、すべてが謎だった。で、最後はなぜか首相。おい、まるでSFだぞ。
 ファンタジーかもしれない。一介のニ流ラガーマンがついには首相にまでのぼり詰めたわけだからして、森さんの人生航路は日本版のフォレストガンプと言って良い。
「バカでも運が良ければ」
 か。うむ。素敵だ。ファンタジスタ・森。
「ふん。違うな。あいつはせいぜいが童謡の主人公だよ」
 ん? そんな歌があるのか?
「ほら、《ある日 森 野中 クマさんに出会った》とかいう歌があるだろ」
 おお、「森のくまさん」か。とすると、森さんと野中さんが出会ったクマっていうのは具体的には誰だ? ロシア人か?
「エリツィンならともかく、あのプーチンってのはクマというよりはキツネだ」
 じゃあ、ブッシュか?
「いや、ブッシュは訳せば藪だ。つまり野郎は藪の中のムジナってとこだ」
 森と藪か。イヤな日米関係だなあ。
「うむ。森藪関係は熱帯雨林衰退の暗喩だよ。オレはそう見ている。ヤツらの脳天気のせいで地球は温暖化するわけだ」
 それよりクマは誰なんだ?
「ま、池田大作だろうな」
 なるほど。でも池田大作がどうして「お嬢さん お逃げなさい」てなことを言うんだ? しかも、この歌の中のクマは、自分で「お逃げなさい」と言っておきながら後をつけてきて落し物を届けるんだぞ。
「そういうところがまるで学会の折伏そのものじゃないか。まず法難だの仏罰だのってな話でビビらせておいて、しつこくつきまとう。で、最終的には現世利益をチラつかせて組織に誘いこむって寸法だ」
 うむ。しかしだ。この後がまた謎だぞ。だってその「白い貝殻の小さなイヤリング」を拾ってもらったお嬢さんは、お礼に歌を歌うんだから。ラララとか。意味ないじゃないか。まるで支離滅裂だぞ。
「当然、連立政権の成立秘話だよ、ここは。いいか《白い貝殻のちいさなイヤリング》だぞ。無知な組織票のメタファーに決まってるじゃないか。そんな有り難いモノを貰ったら政策だってラララってなもんだろ? だから池田さんのレイプ訴訟もラララってなことになるわけだよ」
 ……お前、大丈夫か? そういう事言って、訴訟とか受けて立つ覚悟あるのか?「Hahaha! 全然違いマース」
 誰だよあんたは。
「この歌はアメリカ民謡なのデース。で、モト歌では、森の中のクマさんは、次に会った時には玄関の敷き物になってました、と、そういうストーリーなのデース」
 野蛮な歌だなあ。
「西部開拓時代のソングですから」
 でもさ。だとすると、話がおかしくないか? クマは殺されるわけだろ? つまり連立は解消ってことなのか?
「だからアメリカの歌だって言ってるでしょうが。つまり、翻訳が間違ってるのデスね。そんな甘い話じゃないデス」
 じゃあどういう話なのさ?
「森、野中が会ったクマさんは……」
 どうなるんだ?
「小さい泉に身を投げて死ぬか、でなければ橋のたもとで野垂れ死に(以下自粛)」


以上です。
いま見ると、当時はポリティカル・コレクトネスの基準がユルかったことがうかがえます。
 ついでに、なにかと話題の東芝について、2006年12月に書いたコラム(掲載はこれも今は亡き「論座」です)をご紹介しておきます。


  東芝が音楽事業から撤退だそうだ。詳細は以下の通り。
「東芝は14日、英EMIグループと共同出資する音楽ソフト会社、東芝イーエムアイ(EMI、東京)の全株(発行済み株式の45%)をEMI側に売却すると発表した。売却価格は約210億円。EMI側からの打診に応じた形だが、東芝も「コンテンツ事業はグループの他の事業との関連性が薄れてきている」と判断。同事業からの撤退を決めた――《後略》」(フジサンケイビジネスアイ、12月5日)
 了解。静かに撤退してくれ。
 1977年にエルビス・プレスリーが死んだ時、ジョン・レノンが言った言葉を思い出す。「オレの中では、エルビスは、軍隊に入隊した時点で死んでいる。いまさら驚かないよ」
 つまり、アレだ。ジョンのコメントにならって言うなら、東芝EMIは『レット・イット・ビー・ネイキッド』(←2004年に発売されたビートルズ最新/最後のオリジナルアルバム。'70年発売の「レット・イット・ビー」を、録音当時のアレンジに忠実な形でリミックスしたもの)をCCCD(←コピー・コントロールCD:不正コピー防止のために、特殊なデータを混入させた規格外CD)で発売した時、既に死んでいたのだな。
 そう。東芝EMIは、同社を長年にわたって支えてきた最大の功労者たるビートルズのメンバーが、「レット・イット・ビー」(←「あるがままに」)というオリジナルのタイトルを字義通りに体現するべく、あえて「ネイキッド」(生まれたまま。天然。)という但し書きをつけてまで再現しようとした録音当時のナマ音に、セキュリティー目的の非音楽的な制御コードを混入させた、世界で唯一の(同アルバムがCCCD型式で発売されたのは、日本版だけだった)レコード会社だった。
 たとえばの話、「無農薬」の刻印つきで入荷した野菜を、わざわざ店頭で農薬散布して売る八百屋があるだろうか?
 あるのだとすれば、そういう野菜を愛さない八百屋は、音楽を愛さないレコード会社と同じく、商売を替えるべきだと思う。農薬屋にでも。
 東芝EMIに限らず、レコード音楽産業は、バブル崩壊からこっち、一本調子で売り上げを落としてきている。昨年の音楽CD販売総額は、ピーク時の六割にまで減少しているという。で、一般に、こうしたCD不況の原因としてあげられるのは
1. ネット配信等の普及
2. 不正コピーの蔓延
3. レンタルCDの一般化
4. 少子化の進展
 といったあたりのお話なのだが、わが国の場合、これに
5.CD価格の下方硬直性
 を加えねばならないと思う。つまり、再販制度によってレコード会社の権益が守られているわが国は、世界標準と比べて異常に高い価格でCDが流通している地域なのであって、その高価格が業界のクビを絞めている、と、そこのところを問題にしないと、片手落ちになる。
 要するに、レコード音楽産業は、「音楽著作権の独占的販売権」「再販制度による高価格の維持」という二つの既得権益にしがみつくことで、自縄自縛に陥っているわけで、とすれば、親会社が東芝であってもなくても、いずれ、撤退の日はやってきたはずなのだ。
 冒頭で引用した記事の続きを読むと、東芝EMIは、既に6月の段階で、自社ビルを売却し、520人いた社員の4割を削減する大リストラを断行していたのだそうだ。なるほど。全社員の4割におよぶ人員削減……って、これ、「リストラ」(リストラクション:組織の再編成に伴う人事の見直し)というより、「ディストラ」(ディストラクション:大量殺戮、駆除、崩壊)だよね。あるいは、ジェノサイドとか。
 このあたりの事情を知った上であらためて記事を読んでみると、株式売却のニュースを受けたユーミン(松任谷由実)のコメントが、異様に冷静(「時代の移り変わりだから仕方がない」「既定路線だと分かっていた」)だったのもうなずける。結局、関係者の間では、既に終わった話だったのだな。
 あるいは、レコード会社をはじめとする著作権ビジネスは、東芝やソニーみたいな企業にとって、現状では、獅子身中の虫になっているのかもしれない。つまり、映像の世界で問題になっている「コピワン」(ユーザーによるデジタル映像の録画を1回限りに制限する技術)にしろ、CCCDにしろ、そうした知的所有権がらみの制限事項が、デジタルAV機器の開発および販売にとって、足かせになるということで、身内にソフトウェア産業なんかをかかえていたら、韓国や台湾あたりがいずれ出してくるコピーし放題のデジタル録音/録画機器に足もとをすくわれるぞ、と。だったら、面倒ばっかりでたいしてカネにもならないCDなんかはすっぱり見切って、基幹産業である原発にでもシフト(東芝は、今年、原子力発電関連設備メーカーであるウェスチングハウスを5000億円で買収している)しようと、そう考えたわけだ。
 で、原発には5000億をポンと出して、一方、レコード会社は210億円で投げ売り、と。
 ええ、勝手にしてください。農薬でも原発でも、儲かると思うものを売ってください。
 心配なのは、リストラされた東芝EMIの元社員の今後だ。
 私も実際に幾人か知っているが、レコード会社の社員というのは、本当に音楽が大好きな人ばかりだ。いたましいことに。
 彼らが音楽の周辺にニューキャリア(新しい職)を見つけられんことを。
 ん? ニュークリア(核)?
ディレクター崩れの原発職員?
 無理だな。品質にこだわり過ぎで、仕事にならないと思う。

以上です。

ではまた。

| | コメント (2)

2015/08/05

「やんちゃ」の市民化について

 twitter上で、過去のいじめ加害体験を武勇伝みたいに語っている議員さんのブログが話題になっていたので、参考までに古い原稿を掲載します。

 2008年3月に、「テレビ救急箱」(中公新書ラクレ)という新書のあとがきのために書いた文章です。
 
 どういう本のあとがきなのかという説明を書こうかとも思ったのですが、めんどうなので本書の「まえがき」を、あとがきの後に付加しました。
 ちなみにこの本は絶版になっています。
 まあ、諸行無常ですよ。

» 続きを読む

| | コメント (1)

2014/05/14

「女性差別広告」への抗議騒動史

 熱で眠れないので。
 先日来、フェミニズム運動にかかわっておられると思しき女性から、当方のツイッター上で、質問を受けました。
 何人かの方に自分の発言を説明し、質問に回答するなど、私なりに対応をしたのですが、依然として、誤解は解けていません。
 もっとも「誤解」と言っているのは私の側からの言い方で、先方は、
「誤解もなにも、オダジマが、バックラッシュ活動に励むアンチ・フェミ論者であることは動かしがたい正確な認識だ」
 と言うかもしれません。
 ただ、私の側からすると、現在、ツイッター上に流れている情報に対して、いくつか反論したいポイントがあるわけです。
 ツイッター上では、現在、オダジマについて、以下のような情報が流れています。
・オダジマは、以前からけっこうガチでアンチフェミな言論活動をしてきた論者である。
・宝島から出た「バカ女の闘い」に掲載したコラムの中で、女性運動の抗議の歴史を嘲笑している。
・84年の講談社『モーニング』の中吊りポスターに対する抗議を「チンケな抗議」と言っている。
・エイズ予防財団ポスター抗議に対して「抗議行動はさらに瑣末かつヒステリックな色彩を帯びてくる」と書いている。
 
 私の側から申し上げれば、20枚からの小論の一部だけを取り上げて、こういう言い方をされるのは心外です。
 私自身は自分のことを、かなりフェミニズム寄りの人間だと考えています。
 もちろん、実際に活動をされている方からすれば、オダジマの「つもり」など、ちゃんちゃらおかしいかもしれません。
 筋金入りの性差別主義者じゃないか、と、そう思っている方がたくさんいることは残念ながら事実ですし、そう思われているということは、私の側に問題がある可能性を示唆しているのでしょう。
 なので、以下に話題になっている「宝島社」のコラムの全文を転載することにします。
 全文に目を通した上で、それでも、
「ああ、やっぱりオダジマは完全なミソジニーのバックラッシュのアンチフェミのセクシストのマッチョなのだな」
 と思われたのなら、仕方ありません。
 甘んじて批判は受けます。
 ただ、これ以上の議論はご勘弁ねがいます。
 私の人生の残り時間は、そんなに長くありません。
 その残り時間に、ギスギスした議論をすることは、なるべくなら避けたいのです。
 なにぶん古い原稿なので、本文を載せる前に、ざっと主旨を説明しておきます。
・オダジマは、女性運動を揶揄しているのではない。
・ただ、女性運動の歴史が、抗議活動の歴史とほぼイコールになっている展開が、女性運動にとって不幸なのではないかということを指摘したつもりでいる。
・1970年代の抗議運動は、ジェンダーや性役割といった当時なじみのなかった女性運動の概念を広く世間に啓発した。この点で、抗議という手法のインパクトは絶大で、戦略は成功していた。オダジマ自身、当時の抗議活動をきっかけに、はじめて性差別という視点を得ることができた。
・ところが、抗議が繰り返されるうちに、抗議のポイントが徐々に矮小になって行く。
・また、抗議を受けた側が、重箱の隅をつつかれたような感慨を抱くようになった。
・こうなると、「抗議をした女性団体が、広告の打ち切りを獲得することや、ポスターの掲示をやめさせること」は、勝利のようでいて、その実、勝利でなくなる。むしろ、「女性団体の偏狭さとめんどうくささを印象づける結果」を招いていなかっただろうか。いや、反論はあるだろう。でも、オダジマはそう思ったということです。
・最後のオチは、「女優さんが、男子中学生を滑り台のてっぺんから蹴落とす」みたいな描写のCMが流れていること自体、CM制作現場が、女性団体の抗議を内在化して韜晦している姿であるかもしれないわけで、こんなふうに思われているのは、戦略として成功だとは思えませんよ、ということです。
 では本文です。手元の資料では、2003年の6月に書いたことになっています。
 どうぞ。



「女性差別広告」への抗議騒動史
 
 オイルショックをご存知だろうか。
 若い人たちは知らないはずだ。
「いや、知っている」
 と言う君は間違っている。
 というよりも、君の知識のモトになっている「スーパーのトイレットペーパー売り場に客が殺到するVTR」は、ありゃウソです。
 そう、この二十年の間に、のべ何百回か再生されたに違いない、あの「主婦殺到映像」は、ヤラセとまでは言わないが、「演出上の意図に沿って極端端な場面を切り取って見せた、世相の一断面」に過ぎない。
 ちなみに、私は当時高校生だったが、あのニュース映像に出てくるような場面に出くわしたことは一度も無い。
 にもかかわらず、メディアの中では、「昭和49年=オイルショック=トイレットペーパー消滅」というひとかたまりの図式が歴史的事実として認定されている。たぶん、この先、この漫画じみた連想作用は「米騒動→一揆打ちこわし→ええじゃないか」あたりの大河ドラマ記憶とごっちゃになって、新たな歴史教科書問題を形成していくのだと思う。
 かくして、歴史は歪曲され、私や同年の友人たちが個々人の頭の中に蓄えている記憶は、公式の文書や局内ビデオライブラリーの映像に圧迫されながら、徐々に無視黙殺看過放置されて、50年もするうちには、完全に消滅するに違いない……のである。たぶん。
※《女性史という妄想》←コミダシ
 女性史でも事情は同じだ。
 いや、女性がらみの文脈において、歴史は歪曲どころか、捏造される。というのも、女性史は、女性の歴史であるよりは、「女性」という概念をめぐる表現ないしは相克の歴史であり、ということはつまり、現実の出来事であるよりも、脳内の想像力に負うところの大きい、言ってみれば「妄想」だからだ。
 ん? 女性史は妄想だ、と?
 いや、いきなりこういう不穏当な結論から出発するのはよろしくない。
 言い直そう。
 女性史をめぐる論考には、多かれ少なかれ、妄想的なバイアスがかかっている……と言ってみても、同じだろうか? むしろ表現が婉曲になった分、内容が陰険さを増してしまっている? っていうか、婉曲の「婉」の字と、妄想の「妄」の字に、いずれも女偏がついているのは、これは単なる偶然だろうか? 何かの陰謀じゃないのか? でなければ差別ではないのでしょうか? ……って、くだらん思いつきを誇示するのはよそう。誤解を招くだけだ。撤回。
 重要なのは、自動車の歴史が交通事故の歴史とイコールでないのと同じように、女性の歴史もまた、女性運動の歴史と等価ではないということだ。女性運動が女性の歴史を作ったわけではない。女性の歴史のうちの一部分に女性運動の歴史が含まれていると、それだけの話だ。当然だが。
 この原稿の中で、私は、私自身の記憶に沿って、女性運動と抗議の歴史を検証してみようと考えている。
 女性史という、社会的な広がりを持つグローバルな問題に向けて、私個人の、個人的かつ瑣末な(そして、おそらくは、曖昧で偏見に満ちた)記憶をぶつけることは、普通に考えれば、無意味なことだ。
 が、女性史のような一見社会的に見えるタームにこそ、個々人のパーソナルな視点と一個人の固有な記憶の裏づけが要求されるべきなのだ。なんとなれば、「公的な」「資料付きの」「定説化された」情報には、多くの場合、党派的なバイアス(「フェミ側の」あるいは「マッチョ寄りの」でなければ、プロ市民臭かったり、偽善っぽかったり、利口ぶっていたりするような様々な偏向した圧力)がかかっているものだからだ。逆に言えば、党派的な思惑や商売上の利害関係の持ち主でもなければ、誰もこんな厄介な問題(女性史のことだが)には、手を出さないはずなのであって、とすれば、誰かが女性問題について発言しているということは、すなわちその発言が偏向していることを意味している。……って、厄介だなあ。
 ともあれ、女性史が厄介な話題であり、党派的なヒステリーの温床であるという、このうんざりするような状況に水をかけるためにも、一個人のナマの記憶は第一次資料として、ぜひ、珍重されるべきではあるのだ。
※《初回クレーム大ヒットの記憶》
 CM表現に対する女性の立場からの抗議行動は、1975年、ハウス食品提供のテレビCMに対して「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」がクレームをつけた事件をもって嚆矢とする。
 具体的な抗議内容は、「ハウスシャンメン」というインスタントラーメンのCM内で使われていた「ワタシ作るヒト、ボク食べるヒト」というキャッチコピー(および、女性が調理役、男性が賞味役となっている映像)が、「男女の役割を限定、固定化するものだ」というものだった。
 当時、この問題提起は、一大論争を巻き起こした。私も記憶している。新聞、雑誌で特集が組まれたのはもちろん、抗議の舞台となったテレビの中でも、このCMの是非にはじまって、「男女役割論争」、さらには、流行歌の歌詞の中の「おんな」表現やら男女アナウンサーのホスト/アシスタント関係などなどについて、おおいに議論がかわされたものだった。
 ということはつまり、抗議は大成功だったのである。
 クレームの主旨が全面的に正しかったという意味ではない。この抗議をきっかけとして、「女性問題」というそれまで、一般の日本人がまっとうな関心を抱いていなかった話題が、一転、大衆的な議論の対象となったことが戦略として、的を射ていたということだ。
 「国際夫人年」のPRとしても、この抗議行動は完璧なクリティカルヒットだった。もし、このクレームと、クレームをめぐる大報道がなかったら、多くの一般市民は、国際婦人年というものの存在自体を知らぬままに過ごしていただろう。
 私自身も、この騒動以前には、女性問題についてまったく考えてみた経験すら持っていなかった。それが、この「ボク食べるヒト」というキャッチコピーをめぐる世間の論争を見聞しているうちに、いつしかジェンダー(もちろん、当時はそんな言葉は知らなかったが)や性差についてひと通りの関心を抱くようになっていた。なるほど。市川房江さんは、まんまと成功したのだ。少なくとも一高校生であった私を啓蒙し、女性問題に目を開かせたわけだ。あっぱれ。
 さてしかし、「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」(←このネーミングも卓抜だった。ために、後の市民運動の中に無数のエピゴーネンを生むことになる)の行動は、最初のバカ当たり以後は、徐々に後退することになる。
 まあ、主要な論点が、この時点で出尽くしてしまっていたわけだから、以後、運動に新鮮味がなくなるのは、当然といえば当然の展開ではある。
 ともあれ、「性差」「男女役割論」「家庭における家事分担」といった、女性問題における最重要かつ本質的な論点が典型的な形で提示されていたからこそ、この抗議行動は大成功をおさめたわけで、それはそれでめでたいことだった。が、逆に冒頭でスマッシュヒットを決めてしまったがゆえに、なんだか一発屋の演歌歌手みたいな調子で、以後の営業が徐々にドサ回りじみてきてしまったわけですね。
 次の抗議は? と、世間は待ち構えた。もちろん、ちょっと意地の悪い視線で、だ。
 一方、運動の当事者である女性の間では、ハウス事件での成功の記憶は、ひとつのオブセッション(強迫観念)として、後の行動パターンを規定していった。
 で、「次の抗議」は、より瑣末でよりチンケな話になった。
 列挙してみよう。
・1984年:講談社「モーニング」誌中吊りポスター(乳首を箸でつまんでいるイラスト)に「行動する女たちの会」が抗議。次号の「おしり」の広告(女性の身体の一部分を強調した広告表現)を廃棄させる。
・1988年:営団地下鉄の英文ポスター(女性の足をモチーフにした地下鉄利用推進PR広告)が、女性団体の抗議で撤去される。
 といった調子だ。
 どうだろう? ハウスの抗議と比べて、いかにも「重箱の隅」という感じがしないだろうか? 
 たしかに、右記一連の抗議行動は「性の商品化」という新コンセプトを打ち出してはいる。
 が、いかんせんこれは論点としてモノが小さい。というよりも、「家事分担論」や「男女の社会的役割差別論」が、広範な層の男女の問題意識に訴えたのに比べれば、「性の商品化論」は、所詮マニアックな議論に過ぎなかった。
「これは、性の商品化です」
 と、女性団体が居丈高に指摘しても、
「ご指摘の通りですがそれが何か?」
 という反応が返ってきたりさえした(つまり、指摘された側が、どこを反省して良いのやらわからないでいるわけです。面白いことに)わけで、要するに、あんまり一般向けの説得力がないのだ。
 抗議の声をあげている人々の間でも、「性の商品化」そのものが悪であるのか、「性の商品化の方向性」が問題をはらんでいるのか、あるいは「女性の性がもっぱら性的な側面でしか商品化されない傾向」が嘆かわしいということなのか、といったあたりのあれこれについて、はっきりと整理がついていなかったのだと思う。
 だって、微妙な問題ですから。
 私見を述べるなら、私自身は、性の商品化なんてことをいまさら指摘してみても、何がどうなるものでもないと思っている。われわれは、資本主義経済社会で暮らしている限り、男であれ女であれ、性的な側面を含めて、人格のあらゆる部分を商品化される宿命のうちにある。それだけの話だ。仮に、女性が性的な意味での商品価値でしか評価されないような職場があるのだとしたら、それはそれで問題だが、といって、その問題は、性の商品化の問題ではない。職場の勤務評価の偏りの問題であるに過ぎない。
 '90年代にはいると、抗議行動は、さらに些末かつヒステリックな色彩を帯びてくる。 
・1991年:エイズ予防財団のポスター(一枚は、パスポートで顔を隠した男性の絵柄、キャッチコピーは「いってらっしゃい気をつけて」。もう一枚は、コンドームの中に裸の女性が入っている図柄に「薄くてもエイズにとってはじゅうぶんに厚い」)に抗議の声が上がり、掲示を見合わせる自治体が続出。
・1992年:オンワード樫山「五大陸」の広告ポスター(モデルの浅野温子が、後ろ手に縛られてうつ伏せで横たわっている絵柄)に対して、朝日新聞の当初欄に「レイプを連想させる」という抗議が掲載され、反響を呼ぶ。その結果、一ヵ月後の同欄に、オンワード樫山の謝罪文を掲載される。
 ごらんの通り、「あなたは気付いていないかもしれませんが、これは差別ですよ」という啓蒙の感じが、ますます居丈高な調子を帯びてきている一方で、抗議内容そのものの説得力は、年を追って減衰している。
 よって、抗議を受けた側の人々も、それを真剣に受け止めない。
「なるほどそういう見方もあるんですね。勉強になりました」
 と、素直に耳を傾けてくれたりなんかは、絶対にしない。
「はいはいわかりました(笑)」
 という感じで対応する。当然。っていうか、不幸な関係だよな。
 もちろん、百歩譲った地点に立って申し上げるなら「いってらっしゃい、エイズに気をつけて」というキャッチコピーから「買春旅行の容認」を読み取ることはさして困難ではないし、あらゆるグラビア上の女性はレイプ可能な体位で構えてもいる。いずれもご指摘の通りだ。
 が、イマジネーションの問題は、どこまで行ってもイマジネーションの問題であるに過ぎない。
「ある表現が連想させる何かが、不適切な内容を含んでいる」という非難のあり方は、表現という行為そのものを否定し去るものだ。性的な事柄に対する言及をセクハラと断定し、セクシーな表現を差別であるとするなら、じゃあ、生殖器は差別器官であり性行為は、差別固定行動なのか?
 いや、より単純に、「セクシーは差別だ」は「表現は差別だ」「芸術は差別だ」と事実上、同義語だ、と言い換えよう。いや、実際差別なのかもしれないが。万事是差別。
 ともあれ、かくして、抗議はシステム化する。つまり、抗議それ自体を自己目的化するプロ抗議集団と、抗議を折り込み済みの天災として受忍するプロの腰抜け自主規制表現者が並立する不幸な体制が完成するということだ。、
 そんな中で、女性団体のクレームは、結果として、エセ同和による職業的恫喝や、総会屋の出勤風景に似て来ざるを得ない。不幸なことだ。
 だから、抗議を受ける側の広告業界だって、当然、スレてくる。
「これ、クレームきたら面倒ッスよ」
「だな。撮り直しヤだし」
「いっそ、常盤タカコにこの男ビンタさせとくのはどうでしょう」
「ははは、そりゃいいや。男性団体ってのは無いわけだし」
 ……というわけで、抗議に対する過剰反応として、あるいは無言の抗議ないしは表現側の自己韜晦として、松島奈々子による、滑り台上での中学生蹴飛ばしCMをはじめとする「男性差別広告」(このほかにも、男が殴られたり、投げられたり、バカにされるCMは枚挙にいとまがない)蔓延している次第だ。
 気をつけろ。男社会は、どうやら殴られ利権に気付きつつある。
 行け。抗議だ。



以上です。
 自分でも、出来の良い原稿だとは思っていません。
 ただ、ツイッターに引用されている部分だけを読んだ場合よりは、ずいぶんマシなテキストではあるはずだと思っています。
 以後、この問題については、議論しません。
 さようなら。

| | コメント (9)

2014/05/07

従軍慰安魚とか

ツイッター上でオダジマが「従軍いやん婦」と言ったとか言わなかったとか(←言ったわけですが)いう話が物議をかもしている折も折ですので、ハードディスクの底から古い原稿を召喚してくることにしました。

1997年の5月に『噂の真相』誌のために書いたコラムです。

当時話題になっていた「新しい歴史教科書を作る会」の活動に触発されて書いたテキストであるというふうに記憶しております。




従軍慰安魚  時価

「歴史教育を見直すのじゃの会」は、盛況だった。宴席には、鯛の活き造りが出た。

「鯛も災難だぜ」

「宴会の慰安のためにこんな姿にされて」

「日本人ってのも案外残酷だよな」

 などと話しているところにやってきたのは、フジオカだとかいう大学教授だ。

「自虐史観だね」

は?」

「日本軍はタイには侵攻してないよ」

……は?」

「それにだね。軍や政府が強制的に鯛を連行した事実を示す公文書の類はひとつも発見されていないんだよ」

……それがどうかしたんですか」

「だから強制じゃなかったのだよ」

……でも、鯛にしてみれば、意に反して皿の上にいるわけですよね」

「いいかね。釣り餌に食いついたのは、あくまでも鯛自身の意思だよ。それに意に反する境遇のすべてが強制だというのなら日本のサラリーマンだってほとんどが強制労働ってことになるじゃないか」

……何を言いたいんですか?」

「ついでに言えば生け簀の中でエサを与えられている鯛だってたくさんいるんだよ。それも高級エビをふんだんにだ。野生の鯛には考えられないぜいたくじゃないか」

……でも、食われるわけでしょ、結局」

「そりゃ、商売だからギブアンドテイクだよ。自ら望んで生け簀に来たんだから」

「自ら望んで、ですか?」

「決まってるだろ。鯛にだってヒレもアタマもあるんだから。ヤツらは補償欲しさに強制連行を言い立ててるだけだよ。ん? じゃあ、キミは何か? 軍や国が強制連行したという証拠もなしに、国益に反する歴史教育を推進しようというのか」

……国益? 何ですかそりゃ?」

「子供たちが自分の国を愛せるように教育するのが国益にかなったことじゃないか」

「事実を曲げてもですか?」

「お前たちこそ日本軍が組織的に鯛狩りをしていたとか、政府が鯛確保のために公務員を置いていたとか、ありもしないことを並べ立てて歴史をゆがめている反日プロパガンダに乗せられたスターリン主義者の東京裁判の占領政策の土下座外交の……

「そうじゃ、ワシもそう思うぞ」

「誰ですか? あんたは」

「きさま、ワシの顔も知らんのか? ははーんなるほど、さてはワシの単行本が売れてるからひがんでおるな」

「ひがむって、何をですか?」

「強姦マワしてよかですか?」

……良くないと思いますけど」

「よしよしよしりん、やりたまえコバヤシ君。植民地時代は強姦マワすのが常識だったんだ。なんで日本だけが責められにゃならんのだ」

「そうじゃ、ワシはワシのやりたいようにやるぞ。放題一直線じゃあ」

……しかし、強姦されたりマワされたりする側の立場だってあるでしょうが」

「あっ、お前、価値相対主義者じゃな。それでワシを絶対視できないんじゃな」

……ボクはただ被害者の気持ちを……

「被害者のキムチ? 貴様××人か?」

「そういえばやけに挑戦的じゃな、このワシに対して」

「まいったな、こりゃあ」

「コリアンと言ったぞ、こいつは」

……日本人ですってば、ふつうの」

「つまり衆愚だね」

「何ですかあんたは、横からいきなり」

「違う。左からいきなり右のニシベだよ」

 ……ううう、と、悪夢から覚めた時、オレは日本人としての誇りを失っていた。




ついでに、2001年に掲載した「新しい歴史教科書を作る会」関連のコラムを採録しておきます。
よろしくよろしく。



 歴史教科書:無料配布

 「新しい歴史教科書を作る会」の教科書が波紋を呼んでいる。

 ふん。狙い通り、だ。学校現場で採用されようがされまいが、波紋を呼べばそれでオッケー、でもって国家だの愛国心だのについて議論が巻き起これば大成功……と、まあ、もともとがそんな調子のアジテーションなわけだから、煽りに乗って議論の輪に加わるのはテキの思う壺というのか、飛んで火に入る火中の栗獲り素浪人……って何言ってんだオレは。

 ともかく来年には日韓共催でサッカーのW杯が開催される。ってことは、なんとしてもあと一年間は韓国と仲良くやっていかねばならないわけで、私としても愛するサッカーの栄光のために、作る会の諸君と闘わざるを得ないのだね。面倒だけど。

 諸君の「愛国心」は国益を損ねている。「誇り」もそうだ。諸君が「誇り」を言い立てる分だけ確実にお国は屈辱的な状況に追い込まれている。だから歴史を云々する前に、まず歴史から学ぶことだ。かつてこの国を勝てない戦争に走らせ、撤退の機会を見誤らせ、壊滅的な敗北に導いたのは何だ? 愛国心じゃなかったのか? 

 「新しい歴史教科書」という言い方も気に食わない。「新しい」って、歴史を改訂する気か? いいか? 歴史はそもそも過去の事実である以上改訂不能なものだ。仮に歴史を更新しようとする者があるのだとすれば、それは事実を歪曲ないしは捏造しようとする勢力にほかならない。違うか?

「いや、歴史が改訂不能だというのはいくらなんでも硬直的だと思いますよ」

 そうか?

「歴史というのは過去の事実である以上に、その過去の事実に対する解釈なわけです」

 うん、そうかもしれない。

「とすれば、解釈である限りにおいて、それは百人百様で、結論は出ないわけです」

 結論が出ないんじゃ教科書は書けないぞ。

「ですからなるべく断定的な言い方は避けて、両論併記を旨とし、事実についても〔あったらしい〕というふうに含みを持たせた表現を心がけてですね……」

 ……って、おまえ……もしかして

「そうです。『あったらしい歴史教科書を作る会』の者です」

 だからさ。この期に及んでそういうふうに話を紛糾させるような会を……

「史観無くして歴史無し。肝心要の歴史観が揺らいでいるようでは歴史的事実を云々する資格もないと言えましょう」

 おお、明快なご意見。

「人類の歴史は階級闘争の歴史であったと、ここのところをまずはっきりさせ……」

 い、いきなり中学生の教科書には……

「歴史に子供用も大人用もありません。学問はすべからくプロレタリア独裁の……」

 ……も、もしかしてあなたは

「そうです。『アカらしい歴史教科書を作る会』の者ですが何か?」

「っていうかさ、歴史をどう考えるかも含めて個人の自由なわけでしょ? 憲法が保障している思想信条の自由ってのはそういうことじゃないですか。だとしたら、教科書があること自体ヘンなワケですよ」

 ……かもしれないな。

「だからね、歴史の教科書は白紙でオッケー。一人一人の生徒が一から作ることから本当の自分らしさが……」

 ……もしかして、キミは『あなたらしい歴史教科書を作る会』とか?

「ははは、実は全部ひっくるめて『アホらしい歴史教科書を作る会』だよ」

 なるほど。「作る会」乱立による国定教科書の相対化。良いかもしれない。韓国のみなさん。大丈夫。ワシらはアホです。 


「すべからく」の用法が間違っていますが、歴史を直視する意味で直さないことにしました。 本当はめんどうくさかっただけですがてへぺろ。

ではごきげんよう。

| | コメント (1)

2014/04/30

脆弱性

 IEの脆弱性がまたぞろ話題になっているようなので、古い原稿を再アップしておきます。

 今は亡き『Asahiパソコン』誌に連載していました《隘亭長屋》という落語仕立てのIT用語解説コラム(←無茶な企画でした)のために書いた記事です。掲載はたぶん2003年の10月頃だと思われます。



「お頼み申します。普請奉行様のお役所はこちらでございましょうか。当方は、隘亭長屋の大家、長次郎と申す町人です。この度は、長屋のとっつきにございます橋の件でお願いにあがりました次第で……」
「橋? 橋が落ちたと申すか?」
「いえ、あの、まだ落ちたわけではございませんのですが、老朽化がひどくて……」
「ええい黙れじじい。橋の老朽化を監査評定するは普請奉行の専権事項である。資格も見識も持たぬ一介の町人風情が、要らぬ差し出口を垂らしおると身のためにならぬぞ」
「……しかしながら、現に橋はグラグラなわけでして、もし万が一、落ちたらと思うと……」
「落ちる? その方、今落ちると申したか? して、そちは、誰の許可を得て、橋から落ちようと画策しておるのじゃ?」
「滅相もございません。誰が好んで橋から飛び降りたりなどするものですか。私が申し上げているのは、橋が落ちたら、当然橋の上を歩いている人間も一緒に川に落ちるはずだ、という論理の必然でありまして……」
「何? 論理とな? 必然とな? 汝、武家に向かって理を説くつもりか? 奉行をつかまえて論理学の初歩を教えて聞かせる所存か? 一体どこまで思い上がれば、分際を超えてかくのごとき増長慢の町人が、橋の爆破を……」
「ば、爆破なんて、とんでもございません」
「しかし、橋もろとも川に落ちると言い放っておったのはほかならぬその方じゃぞ」
「いえ、私が申しましたのは、あくまでも仮定の話でございまして、もし、万が一、橋が落ちたら、というその一点が心配で……」
「ほほう。というと、そちは、仮定の話で奉行を誹謗中傷しようと、そういうわけだな? もし万が一太陽が二つに割れて、隕石が石油タンクに落ちたら普請奉行の責任である、と、そのように申して拙者の失脚を……」
「どうしてそう極端な話を……つまり、平たく言えば、橋が弱っているからなんとかしてくれ、と、そう陳情に上がってるわけですアタシは」
「ふむ。橋が弱っている……というと、つまり、アレだな? 脆弱性じゃな」
「は?」
「脆弱性じゃよ。知らんのか?」
「脆弱性と申しますと、もしかして、ブラウザのセキュリティーホールがナニで、ウィルスに対する脆弱性がアレだから、パッチプログラムをダウンロードして対策を……という例の、高飛車な欠陥修正命令のことですか?」
「なんだ、わかっておるのじゃないか。さよう。製品になんらかの不具合いがある場合、メーカー側に責任を取る意思がある時には、「欠陥」「バグ」「故障」という言葉が使われる。でも、ユーザー側に責任をおっかぶせる場合は、脆弱性という言葉を使うわけだ。ははは」
「……つまり、橋は自分で直せ、と?」
「うむ。奉行所のホームページから補修手順の書類をダウンロードしてもよいぞ」
「費用は?」
「……パッチプログラムは無料配布じゃ。アップデートのページから随時ダウンロード……」
「いえ、肝心の補修費用の方です」
「ブツ……当奉行所はただいま、アクセス過多により……サーバーの脆弱性が……」
「……切れた。よーし、こうなったら、橋から落ちて損害賠償請求を……」
「ダメですご隠居。橋の手前に使用許諾のダイヤログがあって、いかなる損害云々の質問にイエスをクリックしないと渡れません」
「うーむ。なんと頑強な脆弱性……」



以上です。無茶な記事ですが、もちろん冗談ですので、抗議を寄せてきたりしないでください。 J-CASTも本気にしたふりをして記事化しないように。

| | コメント (0)

«浦和